陽射しは強いが風は涼しい、そんな日だった。スラグホーンのお屋敷。その裏庭で、二人仲良く作業をしていた。といっても『雑草根こそぎとれる君』を撒いているだけなのだが。
昼でもどうか、と守護霊がとんできて、ルーナはのこのことスラグホーン屋敷にやってきた。食欲には勝てない。
風に飛ばされそうな麦わら帽子を押さえる。庭仕事をするならいるだろうとぽんと頭にのせられたのだ。明らかに庭仕事用ではない。花飾りが挿され、リボンも綺麗なものだ。お出かけ用だろう。こう……夏のバカンス的な? 砂浜と青い海が合いそうな感じ。
調達したのかお屋敷のどこかから引っ張り出したのか、それとも買ってきてちまちまと飾りをつけたのかは謎だ。ついでに「汚れてもいい服」もぽんとよこされ、ルーナは着替えている。洗浄呪文があるからよくない? と言っても「そういう問題じゃない」らしかった。この着替えとやらはマグルの量産品らしく、たぶんお手頃価格なのだろう。一から仕立てたなんて言われたら遠慮しているところだ。細かいところによく気がつく男だ。断片的に聞いたところ、サフィヤはスラグホーン家のハウスキーパーその二だったらしい。その一は妖精である。妖精にあれこれ仕込まれて、家事ができるしよく気がつく男が爆誕した……らしい。それは養父ことスラグホーン「先生」の介助要員では? とルーナは疑ったのだが、そういうわけでもなさそうだ。あまり突っ込んで訊けない。
――知らないことが色々ある
当たり前だ。サフィヤはあまりぺらぺらしゃべるほうではない。それでも――垣間見える側面だけでも、サフィヤは信頼できる。
ちら、と己の薬指を見る。銀の指輪がそこにある。はまっている石は緑色だ。やっぱり婚約指輪もほしいと言ってみたら「我儘だな、僕は装飾品専門じゃないぞ」とこぼしつつも作ってくれたのだ。結婚指輪の材料が余っていたらしい。
そういうわけで、ルーナとサフィヤの薬指には婚約指輪がはまっている。
雑草がひとりでに抜けていく。サフィヤが杖を一振りすれば、立派な根がついた雑草たちが集まり、宙を滑り、庭の片隅へと飛んでいった。
サフィヤはなにも植わっていない花壇へ向かう。ルーナもついていった。昼をごちそうになるはずが、なぜか庭仕事を手伝っている状況に、疑問符が浮かばないではない。元々庭仕事は嫌いじゃあないし、で今に至る。そもそも、サフィヤはルーナに手伝わせる気満々だった。用意がよすぎる。妖精の「おじーちゃん」はちょっとした外泊から、長期休暇という名のスラグホーン先生のお世話に突入したようだし。あの夜から約半月。「人払い」は続行中というわけだ。ルーナは狼の住処に入り込んだ哀れな娘といったところか。マグルの童話にあるらしい、おつかいに行って狼がおばあさんに化けていてというのが。人狼の話なのかと訊けば、そうではないとサフィヤは言う。そのあたりを詳しく、と言えばめんどうそうに「マグル界の狼は芸達者でね」と明らかな大嘘を言われた。
その大嘘つきのめんどくさがりやは、花壇の前に膝を突き、花のポットに手を伸ばしている。いつもなら彼の両手指には、いくつも指輪がはまっている。重ね付けだったり、太いのを付けてたり、簡素な銀の指輪だったり。小粒の石がいくつも象嵌されていたり。サフィヤによると趣味と実益を兼ねていて、指輪のいくつかには薬石をはめていたり、粉末を仕込んでいたりするらしい。あとは糸を使うための指輪もある……が、いまは平時で活躍の場はないだろう。
ともかく、サフィヤの、華やかに飾られた指はいつもと違って左手薬指にしか煌めきがない。婚約指輪だ。土いじりをしようが、これだけは外さなかったらしい。サフィヤにとってたいして意味はないのか、それとも婚約指輪だからあえてつけたままなのか。どちらでも構わない。今この瞬間に、薬指に指輪があるというのが大事なのだ。ルーナにとっては、だが。
なんとなしに鼻歌を歌いたい気分になる。しかし、浮かれた気分を、男の声が冷ました。
結婚のことなんだけど、と。杖で花壇の土を掘り、ひょいひょいと花を植えながら、男は言う。一体なんだ、と身構えていると、歯切れ悪く彼は続けた。
「君が事実婚派かいわゆる契約婚派かはわからないんだけど」
「うん……え? そう事実婚……ね」
思わぬ変化球だった。いや、結婚すること自体にはいわゆる「双方の合意」があった。ついでに(順序はどうあれ)一線も越え……とまで考え、よぎったあの夜のことを振り払う。それどころじゃない。今は昼。真っ昼間だ。そもそもあの夜の詳細は切れ切れだ。そんな、そういう、あれこれを細かく覚えてる人なんているのか? いないだろう。それどころじゃないんだから、あんなこと。
「ルーナ? 先に昼にするか」
だから真っ昼間からは、と言いかけて、内心の呻きを殺し、平常心という名の仮面を着けて首を振った。この男がこんなに近くにいるのがいけない。並んで膝を突いてるだけだし、していることは庭仕事――園芸なのだけど。
「こういうのはさっさと終わらせたほうがいいんだ」
と返すと、男は疑わしそうにルーナを見た。
「嫌だよ僕は。話の途中で誰かのお腹が鳴るとか」
「続き」
ぴしっと言う。失礼な。失礼でもいいか。ルーナがなにを考えているか覗かれるよりはいい。羞恥心で召される自信がある。まだ勘違いしてくれたほうがマシだ。
「僕は契約婚のほうがいいと思うんだよね。事実婚のほうが手軽だけど。そうなると」
ふつ、と男は言葉を切る。ルーナは一秒の半分で想像した。
一、君は大事に育てられたわけだからそれなりの体面があるだろう
二、周りはほとんど通常の結婚過程を経ているんだし
三、契約婚といっても書面出すだけだし
四、僕らべつに駆け落ち秘密結婚でもないし
しかし、この四つの予想は粉微塵に砕かれた。
「僕が妾を囲ってるみたいじゃないか?」
――生々しい
日常生活ではまず聞かない単語に、少しだけ目眩がした。きっと陽射しが強いせい、と思い込もうとする。今なんて言った? 妾? 妾と愛人は違うはずだけど、男――サフィヤ、婚約者が言いたいことは理解した。あんまりしたくなかった。変身術――動物もどきの成りかたを延々と暗唱して現実逃避したかった。
「……囲うの?」
サフィヤは、道に打ち捨てられたニーズルの死骸を見つけたかのように顔をしかめた。
「趣味じゃない――君がいるし」
後半がいかにもとってつけた感じだった。それが婚約者に言うことか? と睨む。ルーナの尖った気分が伝わったのか、サフィヤはつっと眼を逸らした。
「ちなみに、スラグホーン家は愛人だ妾だというのはないはず」
「過去のことはどうでもいいんだけど」
いわゆる『純血』の家には色々ある。スラグホーン家に妾だの愛人だの、生臭いどうこうがあっても仕方ないとも思う。それはそれ、これはこれだ。
「わざわざ確認することなの?」
「いやだって君が事実婚派だったら、せめてなんらかの書面くらい交わさないと君のほうが不利になるだろ」
仮にできちゃった時。早口でサフィヤが言う。これまた生々しい話だが、いくら魔法界でも避妊は完璧ではない。熱に浮かされていたくせに、この男はそつなくその手の薬を飲んで事に及んでいたけれど。もちろん女性側が経口薬を飲むのもありだが「そっちのがホルモンバランスとか色々あるだろ。下手に飲ませて副作用が出たら怖い」と却下された。この男の、異性のあれこれに関する知識はなんなのか、とルーナは戦慄……する間もなかったのだけど。ちなみにルーナがこっそり持っていたのはカプセル型。サフィヤが持っていたのは自作の薬液。臭いを嗅がせてもらったが涙が出るほど不味そうだった。サフィヤは「しまった、カプセル型があったか」と痛恨の失敗を犯したかのように呻いていた。問題はそこか?
「事実婚でできちゃっても、問題ないんじゃないの」
なるべくさらりと言う。こんな昼間に、裏庭で話すことだろうか。なにかが間違えている。しかし、意識のすり合わせはいるだろう。ただでさえ『純血』の出と、庶民の出で差異という段差があり、互いに見てきた景色も違うのだから。
「あんまり僕を信用しすぎるなよ」
サフィヤは鼻を鳴らす。
「男なんて平気で女を捨てるし、愛の結晶も捨てるんだから」
なんせ身軽だからね。吐き捨てるように言う。いいや、少し青ざめ、いまにも胃の中身を戻しそうな顔をしていた。学生時代――魔法薬学のとき、気持ちの悪い材料だって平然と切り刻んでいたくせに。嫌に実感のこもった言。気にはなるけど、たぶん触れていい話ではないのだろう。なんでも理解し合えるなんてことはないし、なんでも知りたがるのは傲慢で無神経なことだ。
そんなことしないでしょう、と言う代わりに、自分より広いその背を撫でた。その気になれば話してくれればいい。
「僕を、」
縛るものは多いほうがいい。
ぽつり、とサフィヤは呟く。これが本当にあの一年をくぐり抜けた、狡猾な男なのかと思うほど、掠れた声で。
「間違いを、犯さないように」
ため息をこぼす。ああなるほど、契約婚にこだわった理由はこれか。なるべく男女の不均衡を無くすためもある。たぶん、もしも自分のほうが先に死んだらとかいう縁起でもないことも考えてのことだろう。事実婚と契約婚では、遺産やら葬儀やらその他の干渉範囲に差が出るわけだし。それよりなにより、サフィヤは彼自身が裏切った時のことを考えているわけだ。何があるかわからない、と。絶対裏切らない愛してるとか言って裏切る男よりマシなのだろうか……。腹は立つが、ある意味誠実だ。ルーナの男は。
「そうしてほしいなら破れぬ誓いでも結ぼうか?」
からかうように言う。びくり、と男が震える。勢いよく首を振られた。
「僕のけじめの話だぞ」
「これから嫌でも家庭の共同運営者になるんだけど?」
考えすぎだよと囁き、男の背を軽く叩いた。
「花嫁衣装、つくってくれるんでしょう……冠、つけるからね」
「素人のあれを? 正気か? わかったよ合わせればいいんだろ。そう、君が所望した冠に衣装が合うように」
男が意地悪く言う。
冠が主なのか、とルーナは片方の眉を上げる。彼はあらぬほうを見た。
「採寸はティルの親戚の女性にやってもらうからね」
「わざわざ?」
「……僕が手ずからはかって、あらゆる数値を耳元で囁こうか?」
そりゃあもう正確な数値を出してやるとも。一回見て触れてるからね。
さらりと言われ、一瞬固まる。あれやこれやが脳裏を駆け巡り――軽く男の頰をはたく。
「けっこう破廉恥な発言だと思うな」
「無防備な姿をさらして無事でいられると思うなよ」
僕も男だからね。