何年か前の自分に言えば今すぐマダム・ポンフリーのところへ行くようにすすめられただろう。
「僕が」
花嫁衣装をつくることになるなんて。お屋敷の一室、作業部屋には布地を断ち切るかすかな音が響いている。白い布地がふわりと舞い、銀の針が泳いでいく。魔法を使うか機械を使うかの違いはあるが、縫い断つ音は、サフィヤにとって慣れ親しんだものだった。
椅子に腰かけ、杖を振り作業を指揮しながら、サフィヤは父の姿を幻視する。黙々と手を動かしていた父は、サフィヤが傍に寄っても嫌がらなかった……と思う。少なくとも、寡黙な職人気質ではなく、子煩悩な人だったのだろう。
これが一番得意なことで、それで誰かが喜んでくれることは嬉しいものだ。そんなことを言っていたように思う。もしかしたら、サフィヤにとって都合の良い父を作り出しているのかもしれない。
今となってはわからない。サフィヤの記憶は抜け落ちている。幼い頃の記憶は蜃気楼のようだ。どうとでも見える。幸福の裏に、両親が破綻するに至る何かがあったとして、サフィヤにはなにもできなかっただろう。破滅の結果だけが横たわり、影を落としている。だからこんなことを考えたりする。
父は、母のために花嫁衣装を縫ったのだろうか、と。
そうだったらいいのにな、とどこかで思い、そうでなかったらいいのにとどこかで考える。考えても仕方のない問いだ。すべては終わった。愛は壊れた、血の赤で塗りつぶされて。この上なく悲惨に。
眼を瞑る。愛し愛されなんて不確かで、簡単にひっくり返るだろう。白から黒へ――憎悪へと。人間の、いや男の不実さをサフィヤはよく知っている。そういう男の息子なのだという事実は消えない。たとえ「スラグホーン」になったとしても真実は褪せないものだ。
眼を開ける。並ぶトルソー、着せられた試作品を眺めた。サフィヤは絵心はあるほうだけれど、花嫁衣装の絵を起こせ……つまり意匠を決めるのは手に余った。マダム・マルキンに相談し「花嫁」の意見を採り入れ、何着か仮縫いした。二択で決めさせればぐっと手間は減ったというのに、サフィヤは馬鹿だ。けして愛なんかではない。花嫁に恥をかかせるわけにはいかなかった。花婿など所詮おまけだ。わざわざ式を挙げるのも、花嫁殿の意見が通ったからだ。てっきり父に花嫁姿を見せたいとか、単に挙げたいだけかと思っていた。サフィヤだって義父に殺されたくはないので(サフィヤはゼノフィリウス・ラブグッドが苦手だった)、式を挙げるのは致し方なしか、とは考えていた。ただそれは一応選択肢としてあるだけのもので、花嫁が式を挙げずに写真だけと言ってもまったく構わなかったのだ。要はサフィヤに強いて式を挙げる理由がなかった。
あれやこれやの予想は覆された。
『誰かに祝福されるってことを』
サフィヤは知ったほうがいいんだよ、と。
なんだそれはと鼻で嗤っても、花嫁は譲らなかった。
幸せの、祝福の記憶をもっていれば、きっと怖いことなんてないんだから、と。
◆
つつましい式のはずだった。実際、純血といわれる家の式にしては小規模だろう。
小規模ではあるが、出席者の面々に大物が混じっていた。そりゃあ招待状を出した。というかルーナにほぼ任せた。サフィヤからも多少は出したけれど、だ。養父を押さえるのに必死だったのだ。世界的クィディッチ選手とか、魔法使い連盟の重鎮とか、魔法大臣とか呼ぼうとするから。いくら教え子でもどうよ、僕たちの式なんだからほっとけよ! と忙しいのもあって何年かぶりにキレた。前回キレたのはなんだったか。お気に入りの紅茶と珈琲を勝手にホグワーツに持って行かれた時だ。あまりにもムカついたので呪詛付きの「親愛なるスラグホーン先生へ」という教え子の誰かからの招待状を送った。あの男、気がゆるんでいたからまんまと引っかかった。全身緑色になって医務室に担ぎ込まれたという。
後日、マクゴナガルから「スラグホーン、いくらなんでもやりすぎですよ」と吠えメールが届いた。成人したというのになにをやってるんですか、というお小言もついていたので「養子の紅茶と珈琲をぶんどるやつは最低ですよね」と返した覚えがある。あのマクゴナガル相手によく返信したものだ……。
――まさか
来るとは思わなかったが。式が終わり、今は夜。野外でのダンスパーティが開催されている。ちなみに式の記憶はほぼない。
魔法大臣とか、ハリー・ポッターとか、ウィスタ・リアイスとかがいるし。ああいるし。スラグホーン家とラブグッド家の記念すべき日に大物がちらほらどころかごろごろいた。花嫁いわく「友達だもン」らしい。君の友達の範囲は広すぎるよ、と言ってももはや遅かった。招待客リストをきっちり精査しなかったサフィヤが悪い。ついでに養父を締め上げられなかったのも悪い。なんで現魔法大臣キングズリー・シャックルボルトがいるの? そしてなんで元魔法大臣ミリセント・バグノールドも一緒なのかな? 養父はなに勝手に呼んでくれてんだよ「ぜひお邪魔させてもらおう」という返事をもらい、サフィヤは口から魂が出そうになった。
「なーに考えてるの」
大天幕の下で踊りながら、花嫁が問いかける。
「楽しそうだな、と」
サフィヤは楽しくないわけ? 案外上手に歩を踏みながら、花嫁は言う。といっても、花嫁衣装から少し簡素な衣装に着替えているが。花嫁花婿というより、ただの二人。踊っている男女だ。
「つつがなく終わりますように、と祈るのに必死」
「大丈夫だよ」
ほらまたかるーーーく言う。これで襲撃でもあってみろ。
『スラグホーン家の結婚式で血の惨劇! 襲撃者全滅! 呪いの結婚式!』
なんて見出しが日刊予言者に出るかもしれない。そうとも、襲撃者「が」全滅だ。なんか知らないが猛者がぞろぞろ来ているのだ。ジニーだって何人倒すか。怖い怖い。蝙蝠の鼻くそ呪いを連発しそう。
「ウィスタとクインの式なんて、マグルの陛下が来たらしいもん」
内緒話をされ、気が遠くなった。レベルが違う。サフィヤは考えることをやめた。
「スラグホーン先生も悪気はないんだよ」
「いや、あれは僕らを自慢して満足したいだけだよ」
ほっといたら、ホラスの教え子、関係者諸々ひっくるめた謎の会になってたろうよ。ありえないと言い切れないのが怖い。養子の結婚式を乗っ取る養父とか最悪。
「先生嬉しそうだもン」
「いやー、ティルは号泣してたけど」
そしてハーマイオニー・グレンジャーにティッシュとハンカチをもらってたけど。ついでにサフィヤは「屋敷しもべ妖精解放運動」と言ったか、そういう運動に誘われた。彼女は魔法省に入り、出世街道をひた走っている。具体的に言うとファイアボルトくらいの速さは出ている。ここらで繋ぎがあるのも悪くないか、と運動に噛むことにした。隣でロン・ウィーズリーが「うわあもの好きだな君」と言い、妻ことグレンジャーに一睨みされていた。
変人と言われようが構わない。なんせか弱いスリザリン系の家は、風よけを欲しているのだ。グリーングラスだってそうだ。死喰い人を出してはいないが苦しい立場に置かれている。グリーングラス本家は巧く立ち回り、本家息女のリディア・グリーングラスはナイアード・リアイスとしれっと結婚した。対して分家――ダフネやアストリアの状況はあまりよろしくない。
――まぁ
アストリアは幸せそうだが。アストリアとダフネに招待状を出したら、ドラコ・マルフォイまでついてきたのだ。仕方がない。夫と踊るアストリアは幸せいっぱいという顔をしている。グリーングラスとマルフォイの縁組は破綻しかけたらしい。風当たりが極めて強いマルフォイ家と結びつきたがる家門など、言ってしまえば物好きだ。アストリアは利益よりも愛を選んだのだろう。
この式を契機に、少しは楽になればいいが。マルフォイ夫妻。出席者の大半があの決戦で活躍した面々である。ついでと言ってはなんだが、リアイスとポッターもいる。そんな場に招かれ、排除もされなかった……となれば、スリザリン――殊にマルフォイ家の悪評払拭に……つながるのかどうなのか。
足を踏まれそうになる。ひょいと避ければ花嫁が体勢を崩しかける。腰を支え、くるりと回る。深い青の衣装、その裾がふわりと広がった。花嫁の白もいいが、やっぱり青が似合うな。
「わざとだな?」
「余所事を考えたでしょ」
「君の花嫁姿はよかったよ」
にっこりしてやると花嫁は固まった。成人したての十代じゃああるまいし。
「みんな君を褒めてた」
胃を痛くしながらも、称賛は耳に入っていた。当然だ。似合い、引き立てるようにつくったのだから。
「あたしのことしか見てなかったの?」
花嫁が小さく笑う。
「みんな、あたしたち二人のことを祝ってたんだよ」
こんなにたくさんね、と花嫁は囁く。ほとんど花嫁つながりなんだけどなぁと思いつつ、頷いた。別に後世まで語られる盛大な式なんて目指してない。サフィヤは花嫁が満足していればそれでよかったし、そういう意味ではいい式だったのだろう――が。
「……本音を言えば」
「ん?」
「さっさと散会したいね」
何言ってるの、と言わせる前に細い腰を引き寄せる。
耳元で、囁いた。
「僕は二人きりで踊りたかったんだ」