【完結】なめくじにも角   作:扇架

2 / 21
二話

 

 杖を振る。樹が震え、実を落とす。籠が宙を滑り、それを受け止めた。昼日中でも薄暗い森を、サフィヤは忍び歩く。生徒は立ち入り禁止の場所なのだ。森番ハグリッドもすべてに目が行き届かないわけで、つまり見つからなければ問題はないのと一緒だ。

 籠を腕から提げ、サフィヤは杖を振っては実を収穫し、あるいは花を抜き、枝に引っかかった一角獣の尾やたてがみを頂戴する。ローブを着て、腰には短剣を吊し、片手には杖。生成色のブラウスに闇色のズボン――折り返しには柄がついている――姿で森を歩いているなんて、なんだか現実離れしている、と時たま思う。魔法魔術学校なんて奇妙な場所に通っているなんて、父親は認めなかったろう。

 サフィヤの本当の父親。腕のいい仕立て屋だったと聞く。

 膝を突く。暗い森の中に、ぱっと眼をひく緑色がある。そっと掘り起こし根から土を払い籠に入れる。

 都会生まれの都会育ち。店を構え、いわゆる富裕層向けに仕立てをしていた、らしい。魔法なんてものに縁はなく、けれど魔法のように服を仕立てていたとか。洒落たものが好きで、服飾が好きで、代々続いた古い店を守ってきたひと。

――父にとって不幸だったのは

 母と出会ったことだったのだろう。どういったいきさつかは知らない。ただ、父は母と出会い、結婚し、サフィヤが生まれた。

 サフィヤの記憶はあいまいだ。平凡に暮らし、父についてまわり、家にあった本を貪るようにして読み、針や糸、布で好き放題に遊んでいた。それに飽きたら外に行って、どこかで友達と遊んで……。帰ってきたら親が死んでいた。

 母に触れ、べったりと赤いものがついた。朝食に食べたトーストの……イチゴジャムの香りがなぜだか口の中に広がった。

 手を動かす。今日は休日だ。陽が落ちる前に収穫を終わらせたい。目の前のことに集中したいのに、心は過去を振り返る。かさぶたを剥がして、わざわざ傷口を見るように。

 サフィヤの小さな頭では、到底事態を理解できなかった。ただひとつのこと、父も母も死んだのだという事実だけがわかっていることで、日常は崩れ、気づけば養父に保護されていた。

 夢から覚めたような心地だった。目の前には小さな奇妙な生き物がいて、ぽろぽろと泣いていて、サフィヤはハンカチを差し出していた。母に持たされたもの。父が片手間につくったもの。恐竜の刺繍がされていた、サフィヤのお気に入り。

――泣いているなにかにハンカチを貸しただけだったのだが

 子どもの純粋な善意は、妖精を自由にしてしまったわけだ。

 あー! と叫びながら走ってきたおじいちゃん。彼こそがサフィヤを保護し、養子にした男だった。

『なんと! ティル待て泣くな洋服……ハンカチって洋服なのか?』

 勝手に混乱している見知らぬおじいちゃんをサフィヤはぽかんとして見ていた。すったもんだはあったものの、サフィヤはあれこれ呑み込んだ。「おじいちゃん」はサフィヤを養子にしたこと。父と母は「喧嘩」をして死んでしまったこと。なんでサフィヤを養子にしたのかというと、彼は母の恩師だったから――魔法使いで、母も魔女だったから。

「……おおざっぱすぎる」

 過去の養父に苦情を言う。当時七つか八つだった子どもに詳細を言うわけにはいかなかったのだろうし、徐々に情報開示はなされたからいいが。入学前にはすっかり事情を把握した。父親はマグルで、母親はマグル生まれの魔女で。

 父親は魔法なんててんで信じないしオカルトだと思っているほうで、母親は魔法の力を隠し、結婚した。サフィヤには魔法のことをまったくなにも教えなかったし、魔法界のことも同じくだ。サフィヤはマグルとして育ったのだ。

 収穫を終え、立ち上がる。染料の材料やら上質な毛を穫れたからよしとしよう。

 ぶらぶらと森を歩き始める。父は田舎で小さな店でもやっていればよかったのだろう。古い――伝統ある仕立て屋なんて継いで、結局「お客さん」と不倫したのだから。

 森を抜ける。薄闇から抜け出てそっと息を吐いた。秋の、少し冷たい風が採集で火照った体に心地よい。

 さっさと城に戻ってもいいのだけど、あまり気が進まない。課題の量は昨年よりも確実に増えている。ついでに無能なアンブリッジのせいで無駄に時間を食っている。なんで授業外で防衛術を自習しなければならないのか。

 目くらましを解く。ローブのポケットには古い透明マントが入っているのだが、効き目が薄くなっている。材料を仕入れて拙い部分を繕うか、それとも思い切って織り直すか。なんにせよ織り機があったほうが楽か。ということは学期中は無理だ。というか織り機なんてスラグホーンのお屋敷にあったろうか。養父にたんまり小遣いはもらっているので、買い直してもいいのだけど。せっかくなら織ってみたいし……。

――母は

 サフィヤのことをどうかしていると思うだろうか。不倫をした父。母に咎められ、銃で撃った。そうして母は撃たれながらも反撃した。マグル生まれというだけで、母はれっきとした魔女だった。マグルよりも多少は頑丈で、何発も撃たれてもかろうじて呪文を放つことができた。

 死の呪文を。

 悪いのは父だ。だからすべてを嫌悪すべきなのだろうし、こんなごっこ遊びじみたこともやめるべきなのだろう。父への同情というわけでも、慕っていてどうこうでもない。単に手が動いてしまうし、サフィヤは針や糸やら布やらをいじくるのが好きなのだ。

 足を引きずるようにして、なんとなく湖畔へ向かう。大イカはお休み中らしい。腰を下ろし、水面に映る城をぼんやり眺めた。本当におとぎ話のようだ。城に森に湖。おまけに魔法使いと魔女の学校だなんて。

 その魔法使いと魔女の学校も平和とは言えないし、マグルの世界のようにあれこれあるのだが。スリザリンの連中は、サフィヤがスラグホーン家の養子だと信じている。

『お前は私の遠縁の子だ。それを私が引き取った』

 さらりと言われ、ついていけなかったものだ。僕は魔法界のことなんてなにも知らずに育ったけど? どういうこと? と。

『……ということにするのが今後のためにもよかろう』

 呆れることに処置は完璧だった。サフィヤの本来の出自は抹消され、仕立て屋夫妻には子どもなんておらず、近所の人も、学校の友達も先生もなにもかも、仕立て屋夫妻の子どもなんて知らない。書類も記憶も書き換えられた。

『ずっと平和が続くならいいんだが、そうとも限らないし』

 正真正銘スラグホーンの子ということにしといたほうが、なにかと都合がいいだろう、と。

 結果として大正解だったのか癪に障る。もう障る。スリザリンだと純血名家の出の方が有利なんだから仕方がない。

 元の出自にこだわりはないが、あの養父の手のひらの上というのがムカっ腹が立つ。

 立ち上がる。適当な小石を拾い上げ、素早く投げる。小気味良いリズムで、小石が跳ねていく。小さな小さな飛沫が消えた時、音がした。

 なんの気なしに眼をやる。人影がいくつか。顔かたちまでははっきりわからない。音だと思ったものは声で、あまり穏やかな風ではない。喧嘩か? と顔をしかめ、様子を窺う。男がなにかを掲げる――きらりと光るそれに、手を伸ばす誰か。女の子か。からかって遊んでいるのか虐めているのか微妙なところだ。

――仲がよい

 そんな風にはどうも……見えないな。いやでも女の子「で」遊ぶのはどうなのか。

 あの男どもが自寮の誰かでも他寮の誰かでも面倒なことになるのは必至だ。どうする。直接的ななにかに訴えるようならさすがに介入――と思っていたら、事態が動いた。

「おい嘘だろ」

 男がなにを放る。きらきらと輝きながら湖面に落ちるそれ。それを追おうとする女の子。その背が押される――いいや、吹き飛ばされる。上がる飛沫。

 けらけらと笑いながら去っていく男たち。

 走る。籠を放り出す。少しでも飛沫が上がった地点に近づく。ポケットから小瓶を取り出し放る。湖面の一部が凍り付いた。岸から銀盤へ飛び乗る。飛沫はもうない。黒々とした湖面に向かって手を伸ばす。指輪が解け、糸の束になる。するすると水中に没し、やがてサフィヤは手応えを掴んだ。ぐいぐいと引っ張る。なんで魚じゃなく人を釣っているのか自分は。いやでも死なれるのは困る。目覚めが悪すぎる。絶対夢に出る。溺死体はなかなかな仕上がりになると聞いた。

 指が切れる。ゆらゆらと揺れる影が見える。足を踏ん張る。獲物がやっと釣れ、宙に浮かび、勢い余ってサフィヤにぶつかる。ひっくり返りながらも受け止める。

 よし救助成功、と安堵したとき、足下で不吉な音がした。

 簡単なことだ。二人分の体重に、氷が耐えられなかったのだ。

 

 ぜえはあぜえはあ言いながら、打ち上げられた魚よろしく岸にたどり着いた。凍結薬、改良の余地あり。

 なにを言う気力もなく、ごろりと転がる。隣の誰かも似たようなものらしい。

 で、サフィヤは誰を助けたんだ? と隣を見る。淡い金色の髪と、淡い淡い銀色の眼が見えた。ネクタイはレイブンクローカラー。

「あんた、」

 いいひとだね。

 溺れかけたくせにのんびりしたものだ。

「……えーと、なんだっけ……」

 奇抜な格好をした女子。同学年なのは知ってるが名前なんだっけ? と回らない頭で考える。おかしなルーニー? それよりなにより気になる。

「そのティアラはなんだ?」

 ルーニー(たぶん)が握りしめているもののほうが気になる。銀色のティアラ。羽根っぽい飾りもある。既製品ではなさそうだ。出来はあまりよくない。

「レイブンクローの失われた髪飾り」

 つくってみたんだ、とへらへら笑いかけられ、サフィヤは眼をつぶった。謎の髪飾りの複製(手作り)のために、サフィヤは死にかけたのか。

「そんなの諦めればよかったんだ」

 だから溺れるはめになったんだぞ。よってたかって一人をからか……いや虐めているバカ男子どもにも、わけのわからないものをつくって大事にしているバカな女子にも、うっかり救助してしまった自分にも腹が立つ。八つ当たり気味に言い放った。

「溺れるくらいなら僕のとこに依頼に来い」

 それくらいならさっさとつくってやる。

 

 

「ルーナにちょっかいをかけてるのはあなたね!」

 激しい勢いで開かれる扉。すっくと立つのは女の子だ。髪は燃えるような赤毛。差し込む陽射しが黄金の彩りを添える。

 見事な赤だと思いつつ、サフィヤはすっと眼をそらした。

「……あのね」

 なんて呼ぼうか思案する。ウィーズリーの末っ子だと嫌味だし、貧乏人の娘だなんて呼ぶのはいくらなんでも酷い。スリザリンではウィーズリーはみっともない子だくさんの貧乏人の家で血を裏切る者らしいが。ドラコ・マルフォイはそう言ってはばからない。いやあ金持ち喧嘩せずなんて誰が言ったのか。衣食足りても礼節を知らないというか、同族と認めた者にしか礼節はいらないと思っているらしい。

「ジニー・ウィーズリー」

 無難にフルネームで呼ぶ。仮にウィーズリー嬢だとかジネブラ嬢なんて呼ぼうものならこれもまた嫌味だろう。それにミス・ウィーズリーと呼んでも同じくだ。なんだかそんなかしこまった、窮屈な呼び方は彼女に似合わない気がした。眼は活力に溢れ、どうしたって楚々としたお嬢様には見えない。公園で走り回っている方が合う。

 ああ面倒な。サフィヤがグリフィンドールに入るわけがないので除外するとして、レイブンクローかハッフルパフならこんなにも考える必要はなかっただろうに。

「君はこれが」

 さっと隣を見て、ジニーに視線を戻す。

「スリザリン生のいじめ、それか犯罪行為の現場に見えると?」

「……いえ。私の頭がおかしいんじゃなかったら」

 さっきまでの勢いはどこへやら、ジニーは眉を下げた。

「なにがどうなってるの?」

「決めつけはよくないなあ」

 冷たく言ってやれば、ジニーが眼を泳がせた。よかったよ責められたとか言ってぐずぐず泣く子じゃなくて。

「サフィヤは手伝ってくれてるんだよ」

 のんびりした声を無視する。ジニーがそっと入ってくる。深い赤毛を結ってヘアピン――真珠とか――をいくつか挿せば、映えそうだ。古びたローブを着ているのが、もったいないというか痛々しいというか。余計なお世話だけれど。他人の外見や服装にああだこうだ言うのは礼儀知らずというものだろう。思うだけで、言わないだけの分別はあった。

「で?」

「こいつに訊いて」

 空き教室、長机に腰かけたサフィヤは、足をぶらぶらさせた。ジニーがひょいと獅子帽子を手に取る。同じく机に腰かけた厄介の種がにこにこした。ジニーとは対照的な、どこか夢を見ているようなぼーーーっとした眼をしている。

「サフィヤが直してくれたんだ」

 説明になっていない。おかしなルーニーは色々足りないところがある。頭は悪くないはずなのだけど。

「……こいつに教室にひきずりこまれて」

「なんですって?」

「拉致だよ拉致……このサフィヤ・スラグホーンに獅子帽子を見てくれと」

 言っていて自分でも自信がなくなってくる。意味がわからない。女の子に引きずり込まれて喜ぶ野人もいそうだけど。ルーニーことルーナ・ラブグッドはそういう、俗っぽい、それか塵芥にまみれた概念は持っていないようだ。どうやったらこんなおかしな子が爆誕するんだ。

「クィディッチの応援でね、これをかぶろうと思って」

「僕が手直ししたのをな!」

 あんた、裁縫得意なんだよね。あたし帽子を作ってみたんだけど、あんまり上手な感じにできなくて中略でもこれが完成したら絶対面白いと思うンだ。

「ねえルーナ? あなたがスリザリン生にいじめられているって噂が」

「はあ? むしろ僕が被害を被ってるんだがジニー・ウィーズリー。誰がどん臭いこいつを助けてやったと思ってるんだ? なんで救助した僕までびしょぬれで風邪引かなきゃならないんだ。しかも目撃者もなしで加点もなんもなくて骨折り損だったんだけど」

「……湖にこの子を落としたのは」

 サフィヤはわなわなと震えた。現場を見た者がいないくせして、びしょぬれのスリザリン生とレイブンクロー生はばっちり見られていたと。過程をすっとばして結果だけが発生したと。

「するわけないだろう」

 僕は子犬や子猫を蹴り落としてげらげら笑うタイプじゃない。

「あー……」

「まさかスリザリンがそんなのばかりだと」

「そこまでは」

「どこまで思ってたの」

「ごめんなさい」

 かなり傷ついた。ジニー曰く「だってスリザリンってちょっかいかけてくるし」らしい。「うちのウィスタなんてどれだけ返り討ちにしてると思ってるのよ」とのこと。

「お宅のウィスタ・リアイスは不良だって有名だけど? うちの上級生に土下座させたとか」

「それはどうだっけ? グリフィンドールのバカ上級生に絡まれたときにボコボコにしたんだっけ……あの人よく絡まれるから」

「怖いよ」

 被害者だか加害者だかわからない。闇祓いと死喰い人の息子。リアイスとブラックの息子。なにかと噂が多い。

「ウィスタはどうでもいいのよ今は」

 ジニーはため息を吐く。

「あなたはルーナに協力してたのね?」

「こいつの獅子帽子があんまりにもファンシーで出来が悪かったからだ」

「ひどいなあサフィヤ」

「マスコットサイズから試作すればいいのに、なんで帽子からはじめるかな」

 ルーニーことルーナはへらへらしている。頭のネジが何本かとんでいるんじゃないか。

「サフィヤはいい人だよ、ジニー」

 ひょい、とジニーも机に腰かける。ここには椅子に座れはしたないなんて言うガミガミ屋はいないからいいだろう。

「あなたが懐いてるならいい人なんだろうけど」

「こいつはニーズルかなにかか」

 飼い主にとって悪意や害意ある人間を見抜くとされているのがニーズルだ。ペットとして人気が高い。

 間違ってもニーズルじゃないだろう。なにをしでかすかわからないなにかだ。

「だってあなたスリザリンなのにルーナに協力してくれてるし」

「強制的にね……いくら杖を持っていても男がいるところにノコノコ乗り込むんじゃないよ。引きずり込むなよ。不用心な」

 ちくちく言ってやる。いくら魔法が使えたって、銃弾を撃ち込まれまくったら死ぬし溺れたら死ぬし首を絞められても死ぬんだけどな。

「ほらいいひとでしょ」

 なんでそこで「どうだ」と言わんばかりの顔をする。ルーナ・ラブグッド。

 残念なことにラブグッドの努力らしきものは報われないだろう。スリザリンの張り切った一部が合唱団を組織しているし。

 立ち上がる。挨拶もせずに扉へ向かった。そんな仲でもなし。サフィヤは忙しいのだ。

 張り切った合唱団の依頼で、そろいのスカーフやらコサージュやらを用意しないといけないのだから。

 思うところはあるが、恩は広く浅く売っておいたほうがいい。なにがあるかわからないのだから。

 

「絶対許さないぞ」

 クィディッチ開幕戦からしばらくして、スリザリン寮談話室にはうめき声が満ちていた。浜に打ち上げられた魚よろしくごろごろ転がる人、人、人。

 サフィヤはなるべく壁沿いを歩き、それらを見ないようにした。くらげ足やらよくわからない吹き出物やらで皆さん酷い有様だ。

「絶対、グリフィンドールの連中だ」

「勝ったくせに卑怯な」

 サフィヤは言わず聞かざる見ざるに徹することにした。あまり趣味のよくない合唱団メンバーが次々襲撃されているらしい。犯人は不明。人数も不明。しっぽを掴ませない鮮やかな手際に、サフィヤは内心拍手を送っていた。

 扉から寮の外へ出る。

 たまには良家の令嬢令息も痛い目に遭ったほうがいい。サフィヤはどうも上流の連中が好きではないのだ。クィディッチに負けた腹いせに、ドラコ・マルフォイなんてけっこうな暴言を吐いたようだし。噂では――ホグワーツには常に噂がある――ハリー・ポッターの生まれやロン・ウィーズリーの育ちについてどうこう言ったとか。人を見下すことに全力を傾けているお坊ちゃんだ、マルフォイは。

 そんな彼の依頼をこなし、せっせとスカーフに刺繍し、コサージュをつくったサフィヤも同罪かもしれないけれど。知ったことではない。

 合唱団がどれだけ浜に打ち上げられようが、サフィヤは関知するつもりはなかった。わざわざ結成して歌うのがあれかよ、だ。ウィーズリーは我が王者。ユーモアの定義について、彼らとサフィヤの間には深い溝があるらしい。

 足早に図書館に向かう。来年は大事な試験が控えているし、サフィヤは監督生を狙っているのだ。なるべくいい成績をとっておかないと。監督生になれば、就職にも多少は有利だろう。スラグホーン家の財産がすっからかんになる可能性がないでもない。保険だ保険。

 もうすぐ図書館に着く、というところでサフィヤは立ち止まった。浜に打ち上げられた魚が何匹か。

 息を呑む。浜に打ち上げられた以下略がいたからではない。傍らに「犯人」――少なくともその一人だろう――がたたずんでいたからだ。

「先生を呼びますか。それとも戦います?」

 黒髪に、灰緑の眼。ネクタイはグリフィンドールカラー。

「いやいやまさか。白百合の騎士を相手にするなんてごめんですよ」

 なんとか返す。やはりというかなんというか、合唱団襲撃はグリフィンドール生の仕業だったか。

「告げ口してもいいですよ」

「証拠なんてないでしょ」

 サフィヤは膝を突く。転がる魚どもを検分した。めんどくさいな。スネイプ先生に言ったらなんとしてもグリフィンドールに陰険に絡みそうだ。巻き込まれるのはごめんだ。

「忘却術も使って完璧に処理してるくせに」

 行って、と手を振る。白百合の騎士こと、グリフィンドールの不良の配下は片眼を瞑った。

「ありがとう」

 そして、杖を振り――窓を消失させ――身を躍らせた。駆け寄れば、顔面に窓硝子がぶち当たる。痛い。

「ありえない……」

 何階だっけここ。白百合の騎士は影も形もない。

 あれはきっと幻さ。言い聞かせ、サフィヤは魚どもに気付け薬をぶっかけた。

 

 アンブリッジは調子に乗っていた。増長していたのほうが正しいかもしれない。嘘つきで暴力的なハリー・ポッターと「忌々しい」純血のウィーズリーの双子に制裁を加えて大変満足しているようだった。

 教育令とやらが、どんどん出されるだろうとサフィヤは踏んでいた。さすがのアンブリッジもクィディッチに口を出してからというもの、介入あるいは干渉は控えているようだったが。

 手頃な棒を拾って振り回す男子よりもバカで(そりゃ適当な棒を拾ったら魔法使いごっこや魔法騎士ごっこはするだろう、男子なら一度くらい)、人を思うまま動かしたいタイプがアンブリッジだとサフィヤは踏んでいた。

 養父によると「本人はたいして能がないが取り入るのが巧い」「私は好かん」らしい。サフィヤもアンブリッジにはお近づきになりたくない。服の趣味が最悪なせいもある。ピンクはピンクでも落ち着いたピンクもあるだろうがなんでショッキングピンク? 使うなら差し色だろう。

 純血名家にあからさまにすりよっているせいもある。スリザリン生が喜ぶと思ったら大違いだ。こびてくるし出自は怪しいしでたいていの寮生がうっとうしがっている。

 路傍の石か犬の糞くらいにしか思われていないアンブリッジだが、本人はそれを知らないのだろう。上司のファッジといい送り込まれてきたアンブリッジといいおめでたい性格をしている。

――帰ろう

 冬期休暇前の朝食の席で、サフィヤは堅く決意した。毎年帰っているから今更だけれど、今年は特に帰りたい。というよりも、ホグワーツを脱出したい。

「一体誰があの女をあんなに怒らせたやら?」

 くすくす笑いとともに、そんな言葉が忍び寄る。スリザリン生はたいてい静かに食事を摂る。グリフィンドールに絡みにいく一部は別だけど。今朝ばかりは囁きが満ちていた。上座をちらとみて、笑いをこらえる生徒が多数。

 赤黒い顔をしたアンブリッジは、スリザリン生のそんな態度に気づいていない。グリフィンドールのテーブルを睨みつけるのに忙しい。やたらと空きが目立つテーブルだった。嫌でも目立つ赤毛がごっそりいない。ついでにハリー・ポッターもいない。

 ざわつくグリフィンドールのテーブルでは、一学年上の「頭でっかちの穢れた血」ことハーマイオニー・グレンジャーがのろのろとトーストをかじっていた。彼女にどうしても勝てない某マルフォイ家の彼は、ミス・グレンジャーを穢れたどうこうと言ってはばからない。あれと「純血」だからといって同類にされたくないな、とサフィヤは常々思っていた。

 その隣ではウィスタ・リアイスが涼しい顔で紅茶を飲んでいるようだった。食べるのが早い。もう食後の紅茶とは。

 囁きに乗って噂が流れてくる。ウィーズリーたちは急用ができたのでホグワーツを出発したとか。彼らと家族同然のつきあいをしているハリー・ポッターも一緒らしい。なのでアンブリッジは怒っている。いびり倒したい獲物たちを逃し、面白くないのだろう。

 冬期休暇中にあんなのと顔を合わせたくない。だからサフィヤは帰省するのだ。

 訊いてみれば大半のスリザリン生も同じくだった。

 ◆

 ホグワーツを「脱出」し、サフィヤは悠々自適の休暇に突入した――のだったらよかった。そううまくいくはずがなく、サフィヤはため息を吐きながら家の掃除をし、食料を買い出し、保存食をつくり、といつもの行事をこなした。まだまだ動ける妖精のおじいちゃんを酷使するつもりはなかった。第一、おじいちゃんことティルは自由になった屋敷しもべだった。本人の希望でスラグホーン家に留まっている。新しい働き口を探すのはおいぼれには堪えるし等々だ。

 しょぼくれた養父そっちのけでサフィヤはチーズケーキ焼いたりチョコケーキを焼いたり、パーティ用の正装を仕立てたりした。養父は毎年『スラグ・クラブ』という集まりを主催していたのだが、今年はそれもなしなのだ。だから楽しくないらしい。

 代わりにサフィヤが細々した用事を代行した。『スラグ・クラブ』のメンバーからのクリスマスカードの返信を代筆するだとか。サフィヤは養父そっくりな字が書けるのだ。

「……縁組希望の手紙が届いてたよ」

 片手に銀の盆を持ち、その上に手紙を何通か置き、サフィヤは階下へ降りた。ソファへ向かえば、養父がああと答えた。

「ちょうどいい家はあったかな……。まあなんとか繋いでみるか」

 あっさりと言い、ひょいと手紙を手に取り、雑に開封する。サフィヤは一仕事終え、自室に戻った。ぱっとしない見た目の養父だが、趣味と実益を兼ねた人脈を持っている。教え子たちから相談を受けることもしばしばだった。

 縁組――教え子と教え子を引き合わせる方の――と、養子縁組。さっき届いた手紙は養子縁組のほうだろう。サフィヤもまた、養父の「縁組」に救われた。

 ベッドに腰かける。お屋敷の室よりも狭いけれど、サフィヤは満足だった。

「母さん、男を見る目はなかったけど、頼る相手は間違えなかったよね」

 仰向けになる。古びた天井を見つめた。マグルの男に恋をして、結婚した母。夫の不倫を察し、咎めるその前に恩師に手紙を送っていた。もし私になにかあれば、どこかよい家庭にサフィヤを縁付かせてやってくださいませんか、と。

 残念なことに母には親族がいなかったらしい。親から絶縁されたのだという。魔法の力を持っている奇妙な娘をサフィヤの祖父母は受け入れなかった。母は苦学生で優秀な学生だった。奨学金で学費をまかない……苦労している努力家を養父ことホラス・スラグホーンは評価し、あれこれ援助した。

 グリフィンドールの生徒だった母は、頼る相手として養父を選んだのだ。ダンブルドアでもなく、マクゴナガルでもなく。さすがに不倫どうこうの「恥ずべき」あれこれが暴かれるかもしれないのに、彼らに助けを求める気にはなれなかったのだろう、とサフィヤは思う。

 ダンブルドアといえばグリンデルバルドを倒した英雄の一人だし、マクゴナルは公平だが厳しく、なんだか過ちを認めてくれないようにも感じる。養父なら固いことは言わずに助けてくれる……と思ったのだろう。厳しく正しい人は怖いものだから。

 休暇中の課題をしなきゃいけないのに、やる気が出ない。養父はどうせ固いことは言わない。そういう人なのだ。勤勉な学生だった養父なんてまったく思い浮かばない。要領よくこなしていたのだろう。

 うだうだとベッドで転がる。やり始めれば早いのにどうしようか。ごろごろうだうだ。ちらと窓辺の机を見て、顔をしかめた。積まれた課題もそうだが、やるべきことがいくつかあるのだ。

「……女の子にはなにがいいんだ?」

 ちらほらと届いたクリスマスプレゼント。その中にはジニーからのものもあった。アップルパイとかクッキーとかである。ジニーの母親が張り切って焼いたとかで、かなりの量があった。

 確か彼女はマイケル・コナーとつき合っているとかいないとか。返礼は慎重にしなければならない。アクセサリーは拙い。マフラーとかでいいか。

 ジニーの分はさほど考える手間はないんだ。サフィヤは頭をかきむしった。机の上で存在感を放つ「それ」を睨む。なにを考えているかさっぱりわからないやつから、意味不明なクリスマスプレゼントが来たのだ。

 熊の置物。木彫りで、魚をくわえている。ジャパンの北の方を旅行しているようで、インパクトがあったからどうこう、熊は神様らしい等々、これいいと思うな、とかなんとか手紙に書かれていた。

 ジャパンもとい東方には独自の魔法文化があって、まあ熊が神でも驚かないがなんで? なんでこれを贈ろうと思う?

 一人で処理できず「君の夢見る友達が意味不明な熊の置物を贈ってきたんだが? これはななにかの宣戦布告か嫌がらせか」とジニーに手紙を(プレゼントが遅れるおわびも兼ねて)送ったら、返事がきたのは記憶に新しい。笑い転げながら書いたのだろう、震える字で「ルーナは独自の世界観を持ってるから、悪気はないんでしょうよ。それにしても熊の置物!」と書かれてあった。役に立たなかった。

 

「ルーピン先生?」

 見覚えのあるその人に、思わず声をかけてしまった。どこか薬臭く、やけに静かな廊下――聖マンゴの一角だ。人違いだったらどうしようと思い至ったのはすぐ後のことで、彼がぱっと振り向いて安堵した。ああ、先生だ。

「サフィヤ」

 どうでもいい人間の名をあっさり忘れる養父のような性質を、ルーピンは持っていないらしい。琥珀の眼を和ませて、親しげに名を呼ぶ。

「お見舞いかい?」

「そんなようなものです」

 ぱたぱたとルーピンに駆け寄って隣に並ぶ。肩掛け鞄をぽんと叩いた。

「あと、カフェで勉強を」

「ああ」

 家よりも外のほうがはかどる時もあるからね。廊下を行き、世間話に興じているなか、ルーピンの声は少し固かった。人狼なのを気にしているのだろう。

 人狼なのはルーピンのせいではないし、脱狼薬を飲んで対処しているならサフィヤはなにも思わない。よい教師だったのは間違いがないのだから。

「先生は?」

「もう先生じゃないけれどね」

「先生は先生ですから」

「強情だね。私もお見舞いだよ。ちょっとカフェに行こうと思って」

 サフィヤはにっこりした。

「相席でよければご一緒しませんか」

 ルーピンを捕まえて軽食を摂りがてら勉強を見てもらう作戦は成功した。さすが元教師だけあって頼りになった。

 礼を言い、お元気でと告げて彼と別れ、サフィヤは足取りも軽く聖マンゴの事務局へ向かった。見舞いや差し入れを受け付けたり、その他諸々の受付をしているところだ。

 金貨の詰まった袋をカウンターに置けば、いつものように受付される。名義はサフィヤ・スラグホーンになっている。といっても実際の寄付者は養父だ。

「いつもありがとうございます」

 いえ、と返すのもいつものことだ。名を書いて額を確かめ、手続きを終える。

 この前はルシウス様、今日はスラグホーンの坊や……とても助かるわ、という声を背に聖マンゴを後にした。

 ふうん、ルシウス・マルフォイも来ていたのか。本当に寄付だけが目的だろうか、となんとなしに疑ってしまう。サフィヤのようにお使いがてらならともかく、直接とは。マルフォイ家は冬の社交でパーティを主催するのに忙しいはずだ。ああ、冬休みなんてないようなものだ。サフィヤもあちこちに顔を出さないといけない。

 今考えても仕方ないことだ。養父に言われてロングボトム夫妻の病室をこっそり覗いてきたし(今回も変化なしだった)、寄付もしたし、休暇中の課題も少し片づけた。やるべきことはだいたいやった。

 あとは帰って頼んでいた「ずる休みスナックボックス」が届いているか確認し、包んでおかしなルーニーに送りつけるだけだ。どんくさいルーニーだって、アンブリッジの授業は嫌に違いないのだから。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。