【完結】なめくじにも角   作:扇架

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なめ角本編数年後。ネタバレあり。


月は満ちて

 少しかすんだような空。風はわずかなぬくみを帯びていて、ルーナの髪と(ヴェール)をわずかに揺らす。帽子がずれていないかな、と心配になって結局脱いでしまった。くすんた視界が晴れ、初夏の、鮮やかな景色が現れた。

「もぞもぞするなよ」

 落ち着きがないな、君は。背後から聞こえる声は低く、わずかな苛立ちが滲んでいる。といっても馬の背からルーナを落とすわけでもなく、その片腕はしっかりとルーナの腰に回されている。

「乗馬、得意なんでしょ」

 だから問題ないでしょう、と含みをもたせる。「妻」と二人乗りし、天馬をなんなく操る夫は鼻を鳴らした。

「たしなみだよ」

 ピアノもたしなみ、乗馬もたしなみ、フランス語やブルガリア語もちょっとした会話ならできる……のもたしなみ。貴族と庶民の溝は深い。

 変なの、と思う。たいして共通項はないのに、夫婦になっているわけだ。

――周りの反応は

 色々だけれど。手に持った帽子をいじくり回す。いつもなら花のひとつでも飾るのだけど、今回は黒真珠の飾りをつけている。サフィヤもルーナも装いは黒。衣にちいさくスラグホーン家の紋を縫いつけていた。正装――喪服だ。ルーナたちは慰霊祭に出席していたのだ。「スラグホーン夫妻」として。ルーナとサフィヤは別姓なのだけど、公の場に出るときはスラグホーン夫妻と呼ばれ、認識される。そちらのほうが通りがいいのだ。

 だが、スラグホーン家のサフィヤと結びついたのがルーナだと思わなかった、という層は確実にいた。あの戦い――ホグワーツでの決戦。その犠牲者を悼む場で、夫妻は密やかな囁きに包まれたのだ。

――厳粛であるべき、慰霊祭という場で

 あの二人、本当に結婚していたなんて。

 スラグホーン家ならあの子を選ぶ必要なんてなかったんじゃ?

 でもほら、サフィヤは……どっちつかずのいいとこどりだったし。

 スリザリン系といっても変わり者じゃない?

 でもお熱くはないみたいだな。

 笑う、誰かの悪意。

――まだ子どももいないみたいだし

 小さく身を震わせる。ただの言葉だ。受け流せばいい。実際にそうした。なにせ慰霊祭だから、波風を立てるわけにはいかなかった。死者の眠りを妨げてはならない。なにも聞かなかったふりをした。

 隣に座るサフィヤの手に触れれば、きつく握られた。その手の熱さにすがるようにして、ルーナは慰霊祭を乗り切った。平気なふりをして、何事もなかったかのような顔をして「スラグホーン夫妻」はホグワーツを後にしたのだ。

「……別に気にすることじゃない」

 腰に回された腕が、そっとルーナを引き寄せる。サフィヤのぬくもりが服を通して沁みていく。奇妙な寒気が消えていった。

「こればっかりは授かりものだし」

 ゆっくりゆっくり天馬を進ませながら、サフィヤは言う。その声は吐息のようにかすかで、風にまぎれて消えそうなほど。

「……相性はいいのに」

 居心地の悪さにもぞもぞする。綺麗な、真っ白な天馬は穏和しく、どこともしれない路をゆく。遠くに見える山々を、道端に咲く花を見た。不自然ほど長く。

「僕ら、夫婦になってそこそこなんだから」

 初心な反応をしなくても。

 誰のせいかな? とルーナは思う。相性で想起されるあれこれが浮かび、とっさになにも言えなくて当然だろう。昼間だろうが夜だろうが馬上だろうが……とまで考え、深呼吸した。考えてはいけない。

「なんであなたはそんなにあけすけなわけ」

「ヤドリギが頭の上に浮かんでいるのかもね」

 なんでこいつは賢いのにバカなのか。ルーナは内心で夫を罵った。昔から賢いのにバカだった。世渡り上手なくせに時折派手にすっ転ぶのだ。未だに「裏切り者のスラグホーン」だとか「マグル生まれに迎合する軟弱者」だとか「小賢しい」と言われているくらいだ。たいていのスリザリン系は、スリザリン系というだけでなにやら言われるのが現状だけど。それにしたって。当の夫ことサフィヤは「裏切りのなんとかってカッコいいね」と子どものようなことを言うし。

 本気で言っているのか、それとも強がっているだけなのか。うんざりしているのは確かなようだけど。かなしいかな、夫婦といえとも他人なのだ。ルーナだってサフィヤの全部がわかるわけではない。

「養子をとってもいいし」

 実子にこだわることもない。サフィヤはさりげなく言う。何度か言われたことだった。

「あたしだって」

 できたら、とは思ってるよ。小さな声で返す。なにがなんでも実子とは思っていない。ただ、子どもは犬猫じゃないし、そんな簡単に養子どうこうは……とためらうだけだ。やっぱりいりませんと返すわけにはいかないだろう。

「そんなに気になるなら」

 調べてみる? なるべくさらりと言おうとしたようだが、サフィヤの声はほんのちょっと嫌そうだった。振り向いて確認するわけにもいかない。いくら天馬がのんびり進んでいようが、馬上で身動きするものじゃない。ウィスタから結婚祝いにもらった白馬は、ルーナが転がり落ちそうになろうがなんとかしそうだけど。なにせ仔馬の頃から育てたのだ。夫婦で。

「……あと何年かしても授からなかったら考えるモン」

 ルーナだって答えをはっきりさせるのは嫌だ。できにくい体質です、見込みはないですと言われたほうがすっきりするのかもしれないけれど。サフィヤだってそうだろう。ルーナをしっかり支え、天馬を駆る彼だって男である。ルーナにだけ検査を受けさせて、結果次第によっては責めるような愚か者じゃないのはわかっている。

「すくなくとも、あー……ホラスの、孫の顔どうこうは無視してくれていい」

 低い声。気まずそうな顔をしているのだろう。振り向いて確認したくても我慢だ。

「気にしてないよ」

 世間話のようなものだ。先生はティルに叱られていたけれど。いいですか、繊細な話題なんですから黙っていなさい旦那様。ええ、坊ちゃんは立派ですしルーナお嬢様――お嬢様ですって――もいい方ですとも!

「なんにせよ、色々手段はある」

「ホムンクルスとか?」

 歴代の魔法大臣は「予備」をつくっているらしいよ、と言えば、ため息が聞こえてきた。どうせ怪しげな雑誌こと『ザ・クィブラー』、ひいてはルーナの父のことを信じてないのだ。見解の相違、それか音楽性の違いというやつだ。

「理屈の上ではできるけどね」

 器をつくることならできる、とサフィヤは断言する。根拠はと問えば「ヴォルデモート」と返ってきた。

「彼は少なくとも一度死んだ」

 ゴドリックの谷で彼は消息を絶った。誰も行方を知らなかった。死喰い人だって血まなこになって「我が君」を探しただろう。それでもヴォルデモートの欠片すらなかったわけだ。

「生来の肉体は消失……あるいはとことん損壊された。で、いわゆる魂――と呼ばれるものだけが残ったとされる」

 まるで学生時代に戻って、講義でも受けているかのようだ。サフィヤは教えるのが巧い。本人は謙遜するし、ホグワーツの教師の職をすすめられても蹴っているが。先生も教えるのが上手だった。確実に彼の影響だろう。

「そして復活した」

 闇の魔術に分類される魔法でなんとかしたんだろう。さすがに死体を継ぎ接ぎにして自分の魂を入れ込んだわけじゃあないとは思うね。死者の復活に関してはエジプトあたりが詳しいけど。昔々は闇の魔術なんて概念なかったろうし。魂を呼び戻すとか、呼び出す術は古今東西あるけれど。日本とか中国かな。サフィヤは止まらない。

 なんで彼がレイブンクローに組分けされなかったのか、ルーナは疑問に思っている。たぶんレイブンクローでも巧くやっていけたろうに。同じ寮になりたかったかも、とちょっとだけ思う。内緒だけども。

 ルーナは首をひねる。もしサフィヤがレイブンクローに組分けされていたら……こんな風になっていたろうか。たまたま寮が違ったから、こういう道筋を辿ったのかも。

――トレローニー先生なら

 運命の二人がどうこうと言いそうだけど。あの先生、恋占いもやるらしい。一応「本物」を名乗っていて、恋占いなんてものをしていいんだろうか先生は。先生はおしゃべりするなら面白い人だし、ルーナもカードを使った占いは教えてもらったけど。たまにサフィヤとの相性を占っているのは秘密だ。

――占者として信用するなら

 トレローニーはない、と考え込むルーナを、サフィヤの声が引き戻した。

「……ただ、肉体をつくれても」

 魂はつくれない。できて写すか、それとも移すか。一から魂を生み出すなんてことは、それこそ神の領域だ。

「だからまぁ、」

 その案はなしだ。人工授精もありだけど……とサフィヤは言葉を切る。

――サフィヤは

 子どもを熱望しているわけではないのだろう。ルーナができればほしいなと言っているのであれこれと付き合ってくれているのだ。

――その気持ちだけで

 十分なのかもしれない。ただ、ルーナはサフィヤとのつながりがほしかったし、それは達成されていると言ってもいい。

 身をひねる。おい、と言う夫の肩に手をかけた。ひょいと唇を触れ合わせ、そっと離れた。

「のんびり待つよ」

「君はわけがわからないな、たまに」

 やれやれと言いたげな彼は、しっかりとルーナの腰に手を回した。

「ほら、前向いて……危ないったらない」

 まさかずーっと向かい合って家に帰るわけにもいかないだろう。

 ルーナは仕方なく、サフィヤの肩から手を離す。そっと前を向いた途端、うなじに吐息がかかった。

「大丈夫だよ……金髪のかわいい女の子を授かるって」

 ふとこぼれ出たような、本人も意識していないような言。それでいて不思議な確信に満ちていた。ルーナはただ、うんとだけ答える。

 サフィヤ、まるで予言者みたいだ、と思いながら。

 

 

 そうして、いくつか季節が過ぎ去ったとある日。ルーナは寝台にねそべる、美しい豹(アニメーガス)に飛びついた。春草の色をのぞき込む。

「あのね、」

 続く言葉に豹は眼を見開く。

 ルーナはちいさく笑って、なめらかな毛並みをなでた。

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