「……で」
疑いは晴れたんだ? 三月のとある夜……正確には日曜日の夜、サフィヤは養父の室を訪ねていた。たまには夕食でも食べに来いと誘われて、いそいそと訪ねたら、だ。
「私が生徒に毒を盛るように見えるか」
「無駄なことはしないからね」
厚めの肉を切り分けつつ、養父のことも切って捨てた。
「そんなことするわけない! とか普通庇わないか?」
がっかりされても。
曰く、毒検査済みらしいバタービールを飲む。向かいの養父を見つめた。
「情より理屈だよ」
なにせ生徒が一人死にかけたらしいじゃないか?
「……なーんだかなあ」
「なんにせよ」
ロン・ウィーズリーは強運だよ。
昨日のことだ。サフィヤはまったく気づいていなかったが、ロン・ウィーズリーが倒れたのだという。毒を盛られて。正確な情報は公表されないだろうが――表向きは単なる事故で終わるだろう。
「で、ホラスは役に立たなかったと」
「混合薬を即座に解毒できるものか」
しかも即死級の毒だぞあれは。
「物騒だな」
ちくちくと養父をいじめるのは止めにして、サフィヤは切った肉を口に含んだ。うんおいしい。ほどよく柔らかいし、味付けもくどくない。今頃ウィーズリー兄は医務室か。お気の毒だね。評判はよくもなく悪くもなく、スリザリンを敵視していて、仮にサフィヤがジニーと交友があると知ればうるさいだろう。ただの交友だ。情報交換も兼ねているかな。
で、そんなウィーズリー兄を狙う人間がいるわけがない。
「……わざわざ手を出さないし、出したら面倒だし、やらないだろ」
一番「見せしめ」にしやすいのはジニーだろうなあ。美人だし(とびきりの美人というわけではないだろうが、なんせ雰囲気が明るいし、人気もあるだろうあれでは)。ウィーズリーの末っ子で女の子。つまりかわいがられている。そんな子を理不尽に奪われればどれほどの痛みをウィーズリー家が受けることか。仮にウィーズリーの男きょうだいのどれかを狙ってもだ、代わりはいるわけで。
「やめて誰かと同じようなこと言わないでサフィヤ」
養父の声が震えていた。
「え、口に出してた?」
「なんで閉心術できるくせに口に出すかなお前は」
「いやー……」
養父と二人で、まあ多少は気もゆるむのだから仕方ない。それにしても誰かって誰だよ。じっと養父を見れば眼を逸らされた。さすがに開心術はできないんだよな。養父も心を閉じているだろうし。ここのところ特にガッチリ閉じているような感じだ。なにがあったんだか。
「……ウィスタが似たようなことを、な」
「現場に居合わせたから?」
「そしてダンブルドアも似たようなことを」
嫌だなその二人と似たような考え方するの。犯罪者の思考回路に近くないだろうか。えー……。
「ダンブルドアはグリンデルバルドを倒した人だし、まあ……悪人より悪人じゃないと倒せないよねえ」
「お前ね、それをダンブルドアに言うなよ」
「いつ僕がダンブルドアと直接話す機会があるっていうのさ」
あるわけがない。近づきたくないし。あのライトブルーの眼、なんだか開心術でも使ってるんじゃないかと思う。それくらいにあれこれ見透かされそうで嫌だ。
頼まれたって嫌だ。だって。だって、なんだろう。
ふっと心をかすめたなにか。
――不吉な感じがするから
なんだそりゃ。内心で苦笑しつつ、バタービールを飲む。不吉もなにも。ダンブルドアは多忙で、最近はあまり姿を現さない。大広間の上座――校長の席は空いていることが多い。魔法省とのあれこれとか、色々と忙しいのだろう。
そしてたぶん、彼の席は空のままになるのだ。ずっと、とまで考えて背筋が冷えた。
なにをわけのわからないことを。不安なだけだ。例のあの人が復活して、ホグワーツの周りも天気があまりよくなくて。変なことばかり起きるし、グリフィンドールの女生徒も、ウィーズリー兄も大変な目に遭ったらしいし。
「……サフィヤ?」
養父の声に我に返る。父というより祖父、いいや曾祖父といってもいい彼。たしかダンブルドアよりは年下と聞いたことがある。眼をしょぼしょぼさせ、サフィヤを見ていた。そういや年寄りなんだよな、と当たり前のことを再確認する。
本当は悠々自適の隠居生活を送りたかったであろう養父……。
ざらついたものがサフィヤの深いところをなでさする。軽く眉間に皺を寄せ、じろりと養父を見た。
「じいさんなんだから酒は控えたら? 毒入ってなくてもコロリでしょ」
「うるさい」
酒は百薬の長といいながら懲りずに酒を飲む養父に鼻を鳴らした。
そっと胸元の、堅い感触を掴んだ。
◆
養父との夕食時になにを考えていたか。それが重要なことであっても割とどうでもいいことであっても、サフィヤは忘れた。
「最近暴れるグラップホーンとか言われてるの本当だったんだ」
いやグラップホーンだと大仰か。雄牛レベルだね。
頭を振る。ぱらぱらと小さな破片が落ちて、澄んだ音を響かせる。頬を少し切ったらしい。あと首もか。生ぬるいものが伝う。
サフィヤは床に転がる大馬鹿を見下ろした。うつ伏せに伸びている。
「大丈夫?」
女の子を振り返る。他寮の下級生だ。青ざめた顔をして震えている。周りには小さな小さな欠片が散らばっていた。まるで星屑のようだ。
――見下げ果てたやつだ
サフィヤが偶然通りがからなかったらどうなっていたんだろう。八階の廊下。どうやったらそんな馬鹿ができるのかというほど頭の悪すぎることをしでかして、グリフィンドールチームを追放されたコーマック・マクラーゲンが女の子に絡んでいた。見かねて割って入ったらいちゃもんをつけられた。いつものことだ。いつものことでなかったのは、窓を粉砕して破片を飛ばしてきたことだ。ふざけるなよお前。
女の子を背後に庇い――の段階で破片がすぐ近くまでやってきていた。咄嗟に盾の呪文を展開しようとしても遅く、片手を振った。硝子攻撃だけにあきたらず、野蛮人らしくサフィヤを直接殴ろうと迫っていたマクラーゲンが転び、もろに頭を打った。そして気絶している。
「怪我はないね」
ここは僕に任せてさっさと行ったほうがいいよ。
巻き込まれるのもかわいそうだと思って言ったのに、女の子は瞬き、口をへの字にした。ええ、なんで? そんな困った顔をされても。
「僕のほうは問題ないから」
ちょっと怪我をしただけだ。幸い、サフィヤを襲った破片は小さかった。よく間に合ったというべきだろうか?ついでに魔方陣を刺繍したローブも役に立った。
そろそろ無言盾の呪文(できたら速攻で発動)を覚えたほうがいいかもしれない。たまたま硝子だったからよかっただけだ。呪文だとまずかったかも。
女の子が固まってしまっているので、サフィヤは考えた。もういい、彼女が動かないなら場所を移せばいいだけだ。事件はどこでも起きるんだし。
細かい、もはや砂のような破片に修復呪文をかけ、窓を補修する。女の子が持っていたらしいものも直してやった。なんで秤なんて持ってたの君。
マクラーゲンに失神呪文をかけ、全身金縛りをかけ、ポケットから適当な端切れを出して両手両足を縛り、猿ぐつわを噛ませ、沈黙呪文をかけ、透明マントをかぶせ、指を曲げる。きゅっとマクラーゲンが透明マントの上からさらに縛られた。
「じゃあね。念のため医務室に行くんだよ。なにか聞かれたらマクラーゲンが悪いでよろしく」
おびえていてかわいそうだったので笑顔で手を振った。なぜかさらに顔色が悪くなった。どうしてだよ。
犯罪者になったような気分で、マクラーゲンを適当な男子トイレに放り込んだ。男子トイレには事件がいっぱいだ。
忘却呪文と多少の記憶の改竄もとい「サフィヤを襲おうとした」というほぼ本当の記憶を強調し、あれこれの縛りを解除する。大の字に伸びるマクラーゲンと、へたり込むサフィヤの図である。
工作の仕上げに個室のドアと壁と諸々をおおざっぱに破壊すれば、何事かとスネイプ先生が飛び込んできた。
「マクラーゲンに絡まれちゃって」
怪我をしているサフィヤの言、それもスリザリンの監督生の言をスネイプは疑わなかった。さすが公平性に欠ける男。
「ほう」
ではこの愚か者には減点と罰則が必要だな。残忍な気持ちを隠そうともしない。教師としては失格だが。
こういうときはありがたい寮監だ。
後日、サフィヤは蛙チョコの詰め合わせを手に入れた。というよりもらった。
「……僕なにかしました?」
寮の談話室。暖炉のそば。はてと首を傾げても、相手――上級生のグレゴリー・ゴイルは腕を組み「なんか文句でもあるのか」と言わんばかりにサフィヤを睨みつけていた。
「いいから受け取れ」
「はあ」
ぼそぼそと礼を言って箱を撫でた。それでよしとばかりに頷いて、ゴイルは去っていった。よくわからないが「お前はいいやつだから」らしい。なにが。
そして、なんだかお疲れらしいドラコ・マルフォイもやってきて、蛙チョコより上等な菓子の詰め合わせをくれた。真顔で「熱でもあるんですか。医務室に行きますか」と聞いたら肩を軽く殴られた。
「仕事熱心な監督生への僕からの施しだ」
偉そうだ。偉そうなのだがありがたく受け取ることにした。
なぜかサフィヤに対して好感度ポイントが加点されたらしい。理由はわからずじまいだ。
「今現在」
魔法藥学、変身術、呪文学、薬草学が優、闇の魔術に対する防衛術は良……優寄りの良だ。淡々とした声に、サフィヤはいかにも真面目そうに頷いた。内心ではさっさと終わってくれないかな……と思っているのだけど。心はぴったりと閉じてある。バレはしないだろう。
いつもなら、イースター頃というのは天気がいい。校庭で陽を浴びたり、森にこっそり入って染色その他の材料を獲りに行ったりにちょうどいい季節だ。今年は薄暗い室で――照明があろうとなぜか暗く思えてしまう不思議――スネイプ先生と向かい合うはめになっている。
「進路の資料に書いてある職には、たいてい就けるだろうと言っておこう」
試験でへまをしなければ、と付け加えるのがスネイプだった。たとえ寮生相手でもこうなのだ。
「入省するつもりなら、特になんとかなるだろう」
「僕ねえ、お役人に向いていないと思うんですよね」
特に今は。
「スリザリンの卒業者なんて特に様子見でしょ」
「おい」
「けっこう博打ですよ」
ルーファス・スクリムジョール主導であれこれ「改革」が行われているらしいが、どの目が出るかはわからない。スクリムジョールはスリザリン出身だからといって冷遇することはないから入省はまあできるだろう。養父の伝手なら腐るほどある。目指せ魔法大臣なんて柄じゃあないので花形部署じゃなければそれこそどこでも入れそうだ。
「だってねえ。省になにがいるかわからないじゃないですか」
お前純血のスラグホーンだろ、仲間に入らない? なんて勧誘受けるの困るし。養父に対する手札にされるのも嫌ですし。
「仮にも悪名高い集団への勧誘を、どこぞの同好会のように言うか」
「純血同好会……過激なほうのですけど」
今時純血なんて残ってないですよ。それこそゴーントかユスティヌくらいで。ああ、どっちも滅んだか。血族婚は怖いですね。
「……君は仮にもスリザリンだと思っていたが」
「スリザリンが全員純血過激主義なんてねえ。差別ですよ差別。僕みたいなのはとてもかわいそうです」
そういえば先生も「穢れた血」とは言っていないかも。あきれ返っているらしいスネイプをちらと見る。ふいと眼を逸らされた。
「そんなかわいそうなスラグホーン、何かしたいことはないのか」
意外とノリがいいのだよなこの先生。最近お疲れ気味らしいが。
「僕はそんなに能がないので」
マダム・マルキンとか服飾系のところに就職したいですね。隠しても仕方がないのでぶっちゃければ、スネイプは長々とため息を吐いた。
「スラグホーン」
「はい」
「過度な謙虚さは時に嫌味だ」
なんで進路相談で説教を受けないといけないのか。
たいして重要でもない進路相談が終わり、サフィヤはせっせと勉強に励んだ。今年はアンブリッジがいないお陰で静かだ。そしてスリザリンも静かだ。クィディッチ決勝戦はレイブンクロー対グリフィンドールだ。今年はレイブンクローが勝つだろうということで、スリザリンが盛り上がる理由もないのだ。わざわざグリフィンドールを妨害することもなし、試合で野次を飛ばせばそれだけで「我が王者」のウィーズリーは自陣のゴールを守れなくなるのさ……というわけだ。
そんなわけで、サフィヤに依頼が舞い込む理由もなかった。五年生は普通魔法試験を控えているからね、と事前に言っておいたせいもある。
――なにより
打倒ハリー・ポッターを掲げるドラコ・マルフォイが穏和しいせいもある。いつもなら、嬉々として動いてグリフィンドールにいらないちょっかいをかけるだろうに。
別に構いやしない。マルフォイは来年高等魔法試験を控えているし、そもそも父親が死喰い人として投獄されているし、そんな「お遊び」にうつつを抜かしてられないのかもしれない。
図書館で勉強を終え、長い道のりを歩く。服飾系の職を希望するなら、別に試験をがんばらなくてもいいのになあ……と思いながら。養父が「なにがあるかわからんからとりあえず勉強はしておきなさい。お前頭はいいんだから」と言ったせいもある。養父の基準で頭がいいというのは、ハーマイオニー・グレンジャーのレベルを指すのでは、なんてことも思う。誉められてもたいしてうれしくはない。
談話室に戻ってみれば、やたらとざわついていた。ざわつきもするはずだ。
ドラコ・マルフォイがハリー・ポッターに襲われたらしい。逆じゃなくて? と言わなかったサフィヤは偉いと思う。
そしてハリー・ポッターは決勝戦に出られず……しかし転んでもただでは起きないグリフィンドール。
あっさり優勝した。
グリフィンドールが優勝した恩恵が多少あった。マクゴナガル先生の機嫌がとてもよく、いつもビシバシ指導をするのに優しかった。普段、性格に難があるという意味ではない。公平な先生だと思う。が、公平かつ優しげモードなマクゴナガルのほうがありがたいのだ。
逆になんだか機嫌が悪そうなのが養父だった。理由は不明。余計なことを聞かず、言わず、見ざるでサフィヤは過ごした。胃が痛いとか腰が痛いとか歯が痛いとかそういうのだろう。年だし、とやり過ごすことにした。
政情が不安定なはずだったが、表面上はホグワーツ城での生活は穏やかだった。普通魔法試験が近づき、もうだめだと叫ぶ連中が増えるのは例年のことだ。
ドクシーの卵とか、頭がよくなる薬とか、集中力が増す薬とかの怪しげな薬を没収するのにサフィヤは忙しくなった。おかしくなりかけている五年生と七年生は医務室に引きずっていった。そしてある日、サフィヤは養父に呼び出された。
「……は?」
居心地よく整えられた室で、サフィヤは間抜けな声を出した。卓の上には瓶がある。中に入っているのは透明な液体だ。
「アクロマンチュラ?」
「そうだ」
胃だか歯だか腰だかはよくなったらしい、妙にふっきれたような養父は、それはもうご機嫌だった。
「森に生息地があるという噂はあったんだが、ハグリッドがその長老格を埋葬して……私も葬儀に呼ばれてな」
「蜘蛛の」
「ハグリッドだからな」
養父にとっては「ハグリッドだからな」で済む問題のようだ。いやだからってアクロマンチュラかよ。
「これはいわゆる参加特典だ」
葬儀の? 眼で問えば「そうだ」と返された。
「お前がほしがると思って。アクロマンチュラの糸……の元」
「抜け目ないねホラス」
どうせ埋葬にかこつけて採取したんだろう。ありがたく受け取って、ふと思いついて訊いた。
「毒液は? あれ貴重じゃなかった?」
「もちろん」
埋葬の時にそこまでするほど私は冷血じゃない……と言う養父ではなかった。
「採取したさ」
本当に抜け目ない。スリザリンの鑑だ。
飛ぶように「試験勉強グッズ」が売れ、没収し、ついでに馬鹿を医務室に放り込み、を繰り返しているうちに日々が過ぎていった。痛む頭に顔をしかめながらベッドにもぐり込み、痛みのせいか、瞼の裏に緑のまだらが浮かんだ。
それはふっと形を変え――髑髏となった。蛇と組み合わさった髑髏の紋に。
闇の印に。
は、と眼を開ける。なにか音が聞こえた気がした。夢の残骸が消えていく。朧な――嫌な感触だけを残して。
談話室に向かうと、上級生がぱらぱらと集まっていた。なにか物音がした。様子を見に行くべきか……。
下級生が起き出してくるから寝かしつけよう。外へ様子を見に行く者も必要だ。意見がまとまった。サフィヤは七年生の指示で様子を見に行くことになった。杖を片手に寮の外へ。地下を抜け、玄関ホールに出た。そこにはハッフルパフ生がいた。六年生の……確かマクミランだ。
「なにか聞いてる?」
声をかければ彼は振り向いた。サフィヤを見て瞬き、スリザリン生への警戒を一瞬浮かべ、しかしそれがスラグホーンの子だとわかると警戒レベルを下げたようだった。きついものが浮かんでいた目元が和らいだ。
「いや、物音がしたというから。様子だけ見ようと」
君もか? 問われ頷いた。
「うちの上級生は籠もりきりだ――」
「ねえ、アーニー」
小さな声が聞こえた。不安そうな声だ。パジャマ姿の下級生……ハッフルパフ生がわらわらとやってきていた。なにがあるかわからないというのに。
「妖精がね、闇の印がって」
「ほんとなの」
小さな子たちだった。そろいもそろって不安そうだ。マクミラン以外の監督生、それとハッフルパフの首席はなにをやっているんだ。
不安でたまらなくて、一番頼れる「お兄さん」を追いかけてきたのか。
マクミランがサフィヤを見る。そっと小さな子たちを隠すようにした。たぶん、この子たちはマグル生まれだ。だからサフィヤの目に入れたくないのだろう……。
――闇の印が上がったから
妖精の情報。厨房に彼らはいる。仲良しの生徒にわざわざ警告にきたのか。いや待てこんなところでのんびりしていられない。闇の印だぞ!
「マクミラン」
「なんだよ」
「さっさとその子たちを連れて引っ込んでいろ」
一応穏健派なのだがサフィヤは。さてどうしようか。闇の印が上がったということは、死喰い人か例のあの人がホグワーツの領地に入り込んでいる? ということは、念のため……。
鼻を鳴らして、マクミランの背から顔を出しているその子を眺める。おびえたように顔が引っ込んだ。
「おい――」
「僕はなにも言っていないけど。そこのおちびが臆病なだけだよ」
ガキは寝る時間だマクミラン。きつく言う。さげすみを濃く乗せて。歯を食いしばり、反駁するかと思ったマクミランは、サフィヤを見た。ふと眼が合い――マクミランは瞬いた。怒りの色が消える。それだけでなくかすかな親しみがとって代わった。
「わかったよ。君が言うならそうしよう」
サフィヤ。
なんなんだ。下級生を促し、去っていくマクミランを見送った。さっきまで怒っていなかったか? 実にあっさり言うことを聞いた。サフィヤの意図を理解したのだろう。闇の印が上がったなら、マグル生まれは危ないだろうから寮に籠もってろという真意を。アーニー・マクミランは成績上位だったはずだ。
下手に校庭に出るのは馬鹿のすることだ。ひとまずサフィヤも撤退して、情報を持ち帰ったほうがいい。踵を返そうとして、轟音に振り向いた。身をよじる。木っ端が頬をかすめ、熱い痛みがはしった。避けなかったら首に刺さってたかもしれない。
「我ながら悪運が強い」
呟き、今夜何度目か口を開けた。玄関ホールに煙が立ちこめている。正面玄関の大扉が破られていた。おぼろげな影が駆け、外へ飛び出していく。何事だよ。そうこうしているうちに新たな「誰か」が軽やかに階段を蹴り、飛び降りる。眼を細めて見てみれば、薄らぐ煙の中、玄関ホールを駆け抜け、校庭に飛び出したのはハリー・ポッターだった。
緊迫した状況も忘れて呟いた。
「陸上選手でもいけるんじゃない」
ハリー・ポッター。選ばれし者。
数分後、そんな戯言も言っていられなくなった。不死鳥の歌が響き、サフィヤは不吉な予感を覚えて外へ出た。夜空に浮かぶのは闇の印。不気味な緑の輝きがサフィヤを染める。ダンブルドアが死んだ。叫びが聞こえる。死んだ。死んでしまった。ダンブルドアが。
サフィヤは何かを呟いた。嘘だろか、とうとう……か自分でもわからなかった。
大変なことになったと言ったのか。やっぱりか、と言ったのか。
わかっているのは、これから否応なく変化が訪れるだろうということだ。困ったことになった。
途方に暮れてまたも空を見る。なにか希望がありはしないかと。
そのとき、空を支配する緑色を閃光が切り裂き、砕いた。散っていく緑が、黄金に色を変える。煌めく星のように孤を描き、四方八方に尾を引いて落ちていった。
誰かの魂の軌跡のように。