カララギの斬神   作:全智一皆

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序章 斬神と腸狩り

 

 

■  ■

「……やはり釣れんか」

 

 カララギ都市国家。北端の山岳地帯。

 緑生い茂る森林で鳥の鳴き声が木霊する中、川に釣り糸垂らして待つ事数時間。未だ釣果(ちょうか)無しの男はそれが分かり切っていたのか、無感動にそう零した。

 見た所、男はかなりの老年だった。

 白色の着流しの上に柳色の羽織を通し、鼠色の帯で結んだ黒色の袴に草履という、カララギ都市国家の特徴であるワフー文化の中でも一般的な服装に加え、腰に差した一振りの刀から見れば、かの老人をカララギ都市国家の人間であると判断するのはさして難しくはない。

 事実、この男の出身はカララギだ。男の名はサラギと言う。とは言っても、正確には名がサラギという訳ではなく、あくまでも姓がサラギというだけであり、名はまた別なのだが、それを知る者は既にこの世には居ない。

 カララギの人々にとって、この老人は既に歴史の影に消えつつある老耄(おいぼれ)に過ぎないのだ。彼を憶えている人間などそれこそ彼と同じくらいに歳を食った人間くらいのものか、或いは彼と顔馴染みである亜人やバケモノくらいのものだろう。

 だからと言うべきか、男は首都から遠く離れた北端の山岳地帯の奥で、一人静かに隠居していた。

 

「……来たか」

 

 老人は釣竿から手を離さず、ぽつりと呟く。

 何かが風を切っている。何かが空を走っている。何かが木を駆けている。何かが近付いている。

 老人はあからさまに大きく溜め息を零し、尚も釣竿から手を離さなかった。

 それは未だ釣果の無い現状に対するものであったのか、或いは今こうして自分の下に忍び寄る獣に対するものであったのか。どちらかは分からない。

 気配は足を止める事なく進んでくる。限りなく無に等しく殺された気配からは、忍び寄るソレが手練である事の証明である筈だが、老人はこともなげにそれに気付き、しかし目も向けずにいる。

 気配を感じ取ってから僅か数分が経過した頃―――不自然だと思う程に、音が消え去った直後。

 

「―――!」

 

 黒い何かが、木漏れ日に照らされた刃を掲げて老人へと突撃した。

 ソレはあまりにも唐突で、突拍子もなく突っ込んできた。獲物を狩る獣の如くに息を潜め、気配を殺し、自然に紛れるまま、勢いを持って襲い掛かった。

 もはや回避など不可能。勿論、防御も無駄だ。即ち必死。今この瞬間より、死という絶対的なものが訪れる。

 ―――それがそこらの凡人であれば、という枕詞がつくけれど。

 

「普通に来れないのか、お前は」

 

 老人はただそれだけを述べながら、呆気なく奇襲を躱した。

 僅かに傾けた首は刃の切っ先を紙一重で躱し、それから間髪入れる事なく突き出された刃物を握る左手の手首を右手で、相手の首を左手で掴み、相手の勢いを我が物の如く扱って川へと叩き付けた。

 ―――一瞬。瞬きする暇すらもない、まさしく刹那に等しい時間の間で、対処は済まされた。

 

「だって普通に来たら、つまらないでしょう? それに、おじ様の中が見えないし、殺し合いだって出来ないわ」

 

 川に叩き付けられながら、黒い何か―――もとい、大胆に前をさらけ出した格好に黒いコートを羽織った、妖艶な雰囲気を漂わせる女性は、口元を綻ばせながら答える。

 対して老人は、心底から鬱陶しいと言わんばかりに顔を歪ませた。

 

「小娘に腹の中を見せる趣味も殺し合う趣味も無いと、再三言っている。いつまでも老人を困らせるな、馬鹿者」

「あら、振られちゃったわ。けどね、おじ様。狩りはまだ終わってないわよ?」

「そうか。俺はそうは思わんがな」

 

 そう言われてようやく、女性は己の身体の異常が気が付く。

 体に一切の力が入らない。腕も、足も、腹も、首も。どれだけ力を込めようとしても、まるでそれが何かに塞がれているかの様に筋肉へと伝わっていかぬのだ。

 

「これは……」

「大方、俺が修めているのが剣術だけだと思っていたのだろうがな。生憎、小娘に遅れを取ってやる程、老いてはおらん」

「―――うふ、ふふふ。そう。やっぱりおじ様は素敵ね。昔からずっと変わってない」

「それはお前もだろう。もう少し大人になれんのか」

「酷いわ、おじ様。私、あれから大きくなったのよ? 前とは違うわ。おじ様になら、特別に確かめさせても良いわよ?」

「精神面での話だ、馬鹿者が。そういう誘いは俺の様な老耄ではなく、そこらの若い男にでも言ってやれ」

「うふふ、釣れない人。でも、そういう所がおじ様らしいわ」

 

 相変わらず何を考えているのか分からん奴だ。

 老人はハッキリと吐き捨てて、パッと手を話して何事も無かったかの様に釣りを再開し始めた。

 

「……あの、おじ様?」

「なんだ」

「おじ様が手を離したのに、まだ動けないのだけど……」

 

 女性は仰向けのまま、川の冷たい水の中に浸っている。老人が手を離したのだから、既に身体の自由は取り戻している筈だというのに。

 ―――かち、と。老人の左腰から僅かに鳴った鉄と鉄が打ち合う音を、女性は決して聴き逃しはしなかった。

 

「今の一瞬で斬られた…?」

 

 それは女がもう何度も目にし、そして未だ見切る事の出来ぬままの刹那だった。

 意識の間を縫う様に解き放たれた一閃は、女が持ち得る尋常ならざる身体機能を容易く両断してみせたのだろう。

 だが、老人はそれを誤魔化す様に、

 

「さてな。大方、老人を困らせた天罰か何かだろう。暫く川で反省していろ」

 

 目を移してやる事もなく、釣竿と川に向き合っていた。

 大して困りもしなかった癖に天罰など言い張るのかと、エルザは柄にもなく不服な表情を浮かべた。

 

「今、冬なのだけど……あぁ、でも、冬に川に浸かるのも良いかしら」

「本当に救いようのない奴だな、お前は。加虐も被虐も双方共に快楽を見出すのか。それともなんだ、郷愁でも抱いたか?」

「私、おじ様のそういう所は嫌いだわ」

「そうか。それは喜ばしい事この上ないな」

 

 涼しい顔で聞き流し、釣りを続ける。

 老人と女の付き合いはかなり長い。と言っても、男からしてみればそう大した年月でもないのかもしれないが、世間一般的にはかなりのものだ。

 だからこそ、この雑な扱いが出来る。まぁ、単にこの老人がそういう性格であるという点はどうしても拭い切れないけれど。

 

「あぁ、そういえば」

「なにかしら?」

「お前、かなり名が知れているらしいな。確か『腸狩り』だったか」

「あら、知っているの? 嬉しいわぁ、おじ様に認知されるなんて」

 

 心底から喜ぶ様に。

 女―――腸狩りは、花咲く様な笑顔を老人へと向けてみせた。

 『腸狩り』エルザ・グランヒルテ。殺した相手の腹を捌く猟奇的趣味を持った暗殺者その人こそがこの女であり、そして―――幼少期を老人の下で過ごしたかつての同居人でもあった。

 

「知人から聞いただけだ。俗世から離れ過ぎてボケない様に、とな」

「あの狼さん? 名前は確か―――ハリベルだったかしら?」

「あぁ」

 

 ハリベル。

 別名『礼賛者』。カララギ都市国家における最強の『シノビ(忍び)』であり、ルグニカ王国最強にして歴代最強と言われる剣聖ラインハルトと同格であるとされる狼人の男だ。

 今からかなり前の事になるが、彼を憶えている数少ない知人であるハリベルはちょくちょく彼の下に訪れては色々な話をしていた。

 

『サっさんはもうちょい外出た方がええと思うけどなー』

『余計なお世話だ。こんな老耄が街に居る必要もないだろ』

『それとこれとは話が別やん。なんも都市で暮らせって言うてる訳ちゃうんよ。たまには出掛けたり、外見た方がええでって話』

『ならお前が逐次知らせに来い』

『そんな横暴な…』

 

 まぁ、こんな過程があってハリベルはちょくちょく隠居している知人の下にやって来ては俗世の話を話す様になった訳で。

 そして、そんなハリベルから、かつての同居人であるエルザが腸狩りとして名を轟かせている事を知らされたのだ。

 

「とは言え、小娘である事に変わりはないが。まだ詰めが甘い」

「手厳しい指摘ね。ふふっ、懐かしいわぁ。あの頃もよく躾られたものね」

「出会い頭に襲い掛かる狂犬を躾なければ、何を仕出かすか分からないからな。まぁ、結果としては何も変わらなかったが」

「本当に、我ながらよく生きていると思うわ―――」

 

 かの『斬神(ざんしん)』に拾われて、育てられるなんて。思いもしなかったわ。

 

 

 

 

 エルザが彼と出会ったのは、まだ彼女がその腸と血の温かさに気付いてから間もない頃の事だった。

 北の国グステコで生まれた彼女と彼が出会ったのは、本当に単なる偶然だ。

 今の様に隠居する前、退屈凌ぎでこの世界を旅してみるかという思い付きから始まった旅で訪れたのがグステコで、そして其処で最初に出会ったのがまだ幼いエルザだった。

 

「これは……」

「あら、見つかっちゃった」

 

 グステコの首都、その路地裏を通り掛かった彼が目にしたのは、実に形容し難い凄惨な光景だった。

 路地裏という一帯を彩るのは、赤と白。そして横たわる人間の腹から垂れる臓物。血と肉の鉄臭い匂いは吐き気をすら催すものだったが―――彼は顔を歪める事すらしなかった。

 

「これは、お前がやったのか」

「ふふ。おじ様には、私以外がやった様に見えるの?」

「見えんな。十中八九、お前が犯人だ。その歳にしては随分と猟奇的な殺し方をするものだから、つい確認を取ってしまった」

「暖かいのよ、これ。これだけが私を暖めてくれるの」

「そうか」

「おじ様も―――私を、暖めてくれるわよね?」

「さぁな。生憎と、その様な猟奇極まる暖め方など俺は知らん」

 

 ―――先手を切ったのは、やはりエルザだった。

 臓物を零して転がる男から盗ったのであろうナイフを逆手に構え、さながら獲物に飛び掛る獣の如くに疾走する。

 速い。凡そその歳の人間に出来る動きではない。彼は一目で彼女が人間ではない事を見抜き、試してみるかと呟いて鞘を走らせる。

 詰まった間合いは、両者を瞳で捉える。だが―――エルザの攻撃が彼を捉える事はなかった。

 鞘から振り抜かれたのはたった一閃。されど一閃。

 たったそれだけの斬撃で十分であるが故に、一閃に留まった。

 

「―――え?」

 

 力が抜けて、情けなく地面に倒れ込む。温かさなど欠片もない、ただただ冷たいだけの白い絨毯に身を投げ込まれた彼女の視線は、不意に消え失せた手を向けられる。

 血、血、血、血。そこには、暖かな血だけが流れていた。

 右手も。左手も。

 右足も。左足も。

 それら全てが―――彼女の下から、泣き別れていた。

 

「な、にが―――」

「なんだ、見えなかったのか。吸血鬼ならば見えると踏んだんだがな」

 

 振り抜かれたのは、確かに一閃だった。

 鯉口を切り、鞘を走らせ、標的に振るうまで一瞬。数秒にも満たぬ刹那。

 まるで円を描く様な軌跡だった。老人はその抜刀で以て、彼女の左手から左足へ、左足から右足へ、右足から右手へと刃を通し、根元から斬り捨てたのだ。

 

「どうして、ソレを…?」

「その齢で出来る動きではなかったからな。ならば亜人か、人に化けた何かだと踏んだまでだ。まさか雪国に吸血鬼が居るとは思わなかったがな」

 

 ―――すごい。

 四肢を斬り捨てられた彼女が抱いたのは、絶望でも恐怖でもなく、そんな単純でひたすらに純粋な感情だった。

 あの温かさと幸せを感じてからというもの、エルザは猟奇的殺人を繰り返した。碌な衣服も持たない女というそれだけで、下衆な輩は幾らでも集まってくる。今回だってそれを利用した。

 見られた以上、生かしてはおけない。だから殺そうとした。だが―――結果はどうだ?

 四肢を斬り捨てられ、満身創痍だ。四肢は再生しつつあるが、例え回復し切ったとしてもこの男は再び一瞬で全てを斬り飛ばすだろう。

 

 だけど―――見たい。

 この人の腸を見たい。この人の血を浴びたい。この人で温まりたい。

 そう思えば、不思議と力が湧いてきた。あぁ、自分は今どんな顔をしているのだろう。恍惚としているのかもしれない。満面の笑みを浮かべているのかもしれない。

 けれど、そんな事だってもはやどうでもいい。今はただ―――この人を殺して、温まりたい!

 

「あぁ―――いい、良いわ! 好きよ、おじ様! 私は貴方が大好き!」

「そうか。だが、この歳になって幼子を相手する様な趣味など俺は持たん。別を当たれ」

「いやよ! 私は貴方が欲しい! ねぇ、お願いだから貴方の腸を私に見せてちょうだいっ! その血で、腸で、どうか私を暖めて!」

「断る。俺がお前の為に死んでやる義理はない」

 

 戦いなど起こりはしなかった。蹂躙すらなかった。

 そこで起きたのは、単なる遊びだ。大人と子供がただ遊んでいるという、それだけの事でしかなかったほだ。

 彼は一度だって、エルザ・グランヒルテを殺すべき敵であると見た事はなかった。ただ遊ぼうとじゃれつく子供―――そうとしか見なかった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「まだ立つのか。存外にやるな。そろそろ気絶する頃合かと思ったが」

 

 吸血鬼の特筆すべきは、尋常ならざる身体能力ではなくその高い再生能力だ。

 首を落とされる事さえなければ、四肢が無くなろうが腹を裂かれようが、少しすればまるで何事もなかったかの様に傷が回復する。

 だが、それはあくまでも肉体の話。どれだけ肉体が再生しようが、その傷口から零れた血液までもが再生するという訳ではない。

 肉体の作りは人と同じだ。故に出血が多量すれば、それ相応の影響というものが現れる。出血多量で死ぬ事こそないが、それでも今の彼女はもはや立つ事がやっとの状態にまで弱り切っていた。

 

「ま、だ……わたしは、あなたの、はらわ、た、を………………」

 

 差し伸ばした手は、誰に取られる事もなく。

 朦朧とする意識の中、刀身を鞘に納めて無感動に自分を見下ろす老人を最後として、エルザ・グランヒルテはその意識を落とした。

 

「ようやく倒れたか……まだ幼いというのに、ここまで持つとはな。流石は吸血鬼と言うべきか。成長を考えると末恐ろしいな」

 

 とは、言うものの。

 老人は決して彼女を殺そうとはしなかった。

 後の事を考えるならば、今ここで彼女を殺す事こそが最善だ。吸血鬼として成長した彼女を生かしておけば、このグステコにおいて脅威となる怪物が誕生するだろう。

 だが、彼は別にグステコに対する思い入れなど無いし、態々自分の手を煩わせてグステコの為にそこまでしてやる義理もなかった。

 というか、そもそもの話だ。

 彼がグステコの為にそうしてやるのならば、そもそも彼女は既に死んでいる筈だ。先の一閃で首を斬り落とせば、それだけで終わったのだ。わざわざ彼女の興奮に付き合ってやる必要だってなかった。

 にも関わらず、彼はそれをしなかった。それは何故なのか?

 ひとえに―――彼が、まともな人間ではないというそれだけの事だった。

 彼の中にある()()が。

 彼を彼たらしめる()()|が。

 彼の本能の為に、彼女を生かしたのだ。

 

「……このまま出れば何を言われるか分からん、か。面倒な事に首を突っ込んだな……仕方ない」

 

 倒れ伏せた彼女を肩に担い、男は壁を蹴って屋根の上へと軽々駆け上がり、グステコで旅をしている間に取った宿まで駆け抜けていった。

 この時はまだ、この少女を大人になるまで生かしておく等とは、決して考えてもいなかったのだ。




サラギ(斬神)
カララギの北端にある森林地帯に庵を構える老人。かつて『斬神』と呼ばれた男。今や誰に憶えられている訳でもない、ただの老耄(自称)。誰もその正体を正確には知らず、その名前も年齢も誰も知らない。本人は人間だが、顔馴染みは人間よりも人外の方が多い。
幼いエルザの遊びに付き合い、疲れ果てた彼女を介護して暫く育てた。ついでに軽く揉んでやった(本人的にはその程度)。

エルザ・グランヒルテ(腸狩り)
言わずとしれた腸狩り。リゼロでも屈指の人気キャラの一人。
幼少期にサラギと出会い、その強さに惹かれて挑むも戦いすらさせてもらえず敗北。そのまま拾われて暫く育てられる事となった。
腸狩りとして成長した今でも月一にサラギの下に訪れては殺そうとして失敗し、そのまま雑談したりご飯を食べたりしている。
まだ原作前だが、サラギに師事(サラギ本人はそうは思ってない)したお陰か原作より数倍強くなっている為、スバルは原作より苦しむ事となる。
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