告白
「おはよう、先生」
アビドスからかなり離れた街、砂や砂漠なんて全く無縁の都市にあるDU地区。
そこに存在する連邦捜査部、通称「シャーレ」と呼ばれるビルの上階の中に存在するオフィスに、先生の姿があった。
「あ、おはようレイヤ。今日の当番よろしくね」
先生はいつもの様子で少し頬を緩ませながら僕の方を見つめる。
いつもと違うところと言えば、目の下に大きな隈が存在感を主張していることだろうか。
ホシノを取り戻した後、アビドスはしばらく平和な日常が訪れていた。
平和と言っても、慌ただしく、新しいことばかりだけど。
カイザーの理事はあの騒動後、すぐに指名手配され行方がわかっていない。
借金に関しては相変わらず9億のままなのだが、以前よりも少ない利子での返済になったため、多少は楽になるだろう。
さらに、非公式の委員会だった対策委員会は、先生の認証によって正式な委員会として承認された。その影響で、対策委員会はアビドス生徒会の役割を担うことになった。
ただ、生徒会長の座は依然として空席のままだった。
アヤネからは、ホシノか僕に生徒会長になって欲しかったらしいが、僕たちはその座につくことはなかった。
話を通したわけではないが、考えていることは同じだろう。
先輩がいたあの席を、守り続けていたいから。
それと同時に、先輩を失った自分を許せないから。
ホシノはともかく、僕は生徒会長なんてキャラじゃない。
大切な人を守れなかった僕が、誰かを率いる立場に立つなんて笑えない冗談だ。
「先生、隈すごいよ。何日家に帰ってないの」
先生はバツが悪そうに笑い、あたりのエナジードリンクの空き缶たちを見つめる。
「あはは....多分、3日くらいかな....」
先生はアビドスだけでなく、様々な自治区や学校の厄介事を担当している。
特に最近はミレニアム・サイエンススクールに頻繁に入り浸っているようで、どうやらゲームを作っているらしい。
本当に先生が担当するべきなのか、と僕は考えてしまうが、そこは先生の優しさが影響しているのだろう。
「それよりも、レイヤはどう?」
「あの時の怪我、結構痛そうだったから。腕の調子とか、どこか痛むところはない?」
僕は自身の左腕を見る。
黒い手袋とアームカバーの中には、醜い傷跡が広がっている。
あの後、僕はシロコを初めとしたみんなに腕の傷について話した。
昔に負った傷であること。それが原因でうまく物を持つことができないこと。
ユメ先輩の存在、あの夜にいた黒塗りの機械については触れず、ただ僕の傷についてだけを話した。
だけど、脇腹の傷に関しては話さなかった。
というより、話せなかった。
みんなのことは信頼しているし、先生のことも認めている。
だけど、それでも怖かった。
失望されるのが怖くて、唇が震えたのを今でも思い出す。
見かねたホシノが「レイヤは昔、ハンドガンを使ってたんだよ〜」と話を逸らしてくれたおかげで、それ以上深く言及することにはならなかった。
でも、その後の一週間はまともに学校に行くことさえ叶わなかった。
原因は脇腹の傷。爆発で傷んでいたのに無理やり動いてしまったため、反動がきつく嘔吐、吐血を繰り返してしまいほとんど動けない日が続いた。ホシノが毎日家に来て身の回りの世話をしてくれたおかげで比較的早く回復することができたけど、ホシノがいなければ僕はここにいなかったかもしれない。
「...うん、大丈夫だよ。腕の調子も...悪くない」
腕を動かしながら返事をする。特別調子がいいわけでも、悪いわけでもない。
身体の調子は、なんとか当番の時間までは持ちそうだ。
「なら良かった。レイヤの調子が悪いと、私も心配だからね。最近も学校休んでたんでしょ?」
「風邪を引いてただけだよ。怪我とは別」
咄嗟に嘘をつき、先生に自身の体調を悟らせないようにする。あの時の怪我が原因だと知ってしまえば、先生はきっと余計な責任を感じてしまうだろう。
優しすぎるから、きっと僕のことすら気にしてしまう。
今の先生にこれ以上の気遣いをさせたくない。
「ならいいんだけど....しんどくなったらすぐに言ってね?」
先生は少し眉を傾けながら僕の顔を見つめる。
やっぱり先生は優しすぎる。
「はいはい。仕事、溜まってるんでしょ。どれからやればいい?」
そう言って僕は先生の机に山積みになっている書類の山に手をつけ始める。
「えっと、この書類の整理からお願いしてもいい?」
数百枚はあろうかという書類の山を先生は指差す。
「了解、隣の机借りるよ」
僕は先生の隣にあるデスクチェアに腰掛け、紙の束に目を通す。
「ひぃん....助かる...」
先生は面目ないと言った表情で顔の前で両手を合わせていた。
「ふぅ...こっちは終わったよ。先生は?」
書類の整理を終わらせ、先生に声をかける。
生徒会でも書類作業はずっとしていたので、そこまで時間はかからなかった。
「一区切りはついたかな。時間もちょうどいいし、ちょっと休憩しようか」
先生は体を伸ばし、椅子から立ち上がる。少し離れた位置にあったコーヒーメーカーに向かい、マグカップにコーヒーを注いでいく。
「レイヤも飲む?」
「...じゃあ、お言葉に甘えて」
「砂糖入れる?」
「スプーン一杯だけお願い」
「わかった、せっかくだしこっちでゆっくり飲もうよ」
先生は視線を大きなソファとテーブルに向ける。確かに落ち着いて休憩するのも悪くないだろう。
「...そうだね、少しだけ休もうかな」
僕は腰掛けていたオフィスチェアから立ち上がり、歩いてソファに向かおうとする。
その時だった。
どくん、と身体か嫌な跳ね方をする。内側から何かがせり上がって、息が苦しくなっていく。
「....っ.....げほっ.....ごほっ....ごほっごほっ....」
強く咳き込んでしまい、近くにあった机に右手を置き身体を支える。
咄嗟に口元を手で覆う。
見られてはいけない。これ以上、先生に余計な心配をかけてはいけない。
「レイヤ?大丈夫?」
先生が心配している。「大丈夫」と言いたいけど、息ができない、言葉すら発せない。
全身が嫌なくらい熱い。脇腹に何かを突き刺されたような激痛が走る。
「げほっ...ごぽっ.....」
口から液体が溢れる。それは熱を帯びていて、赤い。
指の隙間から血が流れて、白色の清潔な床をぽたぽたと彩り始めた。
「レイヤ!?!?しっかりして!!」
先生が慌てた様子で駆け寄ってくる。
それよりも早く、身体を支えていた腕の力が抜け、膝が折れて床に倒れ込む。
言わなきゃ。
「大丈夫」って、言わなきゃ。
「だ......じょ...........ぶ......ぅ.......っ...」
必死に手をついて立ちあがろうとするも、腕が震えてしまい立つことができない。
「大丈夫なわけないでしょ!!!無理に立とうとしなくていいから!!」
先生が僕の身体を優しく床へと導く。全身に酸素が回っておらずもう考えることすら難しくなっていた僕は、抵抗せずにされるがままになった。
「....ごほっ.......かは......っ......」
また血が溢れて、今度はぼたぼたと音を立てて床に散らばる。
目を開いているはずなのに、視界が暗い。さっきまであんなに熱かったのに、今は凍えるほど寒い。
「すぐ救急車を.....!!」
先生が慌ててスマホを取り出し、どこかに連絡しようとしているみたいだ。
「いい....か....ら....」
僕はスーツの袖を掴み、必要ないと伝える。逆流していた血が出きったのか、少しだけ呼吸できるようになり、かろうじて言葉を発することができた。
「..す..ぐ...収....まる....」
「でも.....!!」
「しん....じて......」
微かに残った意識の中で必死に訴えかける。
「信じて」なんて、僕が言えたものじゃないことはわかっている。でも、先生はきっとこれくらいしなきゃ言うことを聞いてくれないから。
「.....っ....分かった」
先生は苦虫を噛み潰したような表情で渋々同意してくれた。それを確認した僕は、自分の呼吸を落ち着かせることだけに集中する。
「....はっ.......はあっ....」
少しずつ脇腹の痛みが和らいでいく。それでも頭に靄がかかったような感覚は残ったままだった。
「....っ....たぶん....おさまった.....」
僕は先生にそう伝え、右腕を使って起きあがろうとする。しかしその動きは先生によって制された。
「無理しちゃダメ。私が運ぶから」
先生は背中と膝の裏に腕を回し、僕の身体をひょいと持ち上げる。
「先生....大丈夫.....だよ...ちゃんと....歩ける」
「頼ってって言ったでしょ。しばらくは安静にして」
珍しく怒ったような表情で先生は言った。
...確かに、貧血だろうか、身体が少しだるい。
「....わかった」
僕は先生の言葉を守ることにした。
「うん、いい子」
さっきまでの表情とは打って変わって、まるで自身の子供を見るような慈愛に満ちた顔で先生は僕を見つめる。
近くにあったソファにゆっくりと寝かされ、僕はそれに身体を預ける。
「お水、持ってくるね」
先生はそう言ってどこかへと向かっていく。
「....はぁ....」
僕は左腕を自分の額に置き、大きなため息をつく。
やってしまった。また、先生に迷惑を.....
少しくらい、借りを返したいのに。
「持ってきたよ、飲めそう?」
先生はすぐ隣に座り、テーブルに水の入ったコップを置く。
僕は少しだけ身体を起こし、コップを手に取り少しだけ飲み込む。
「....ありがとう。だいぶ...楽になった」
呼吸もほとんど正常に戻り、少しづつ正常な判断ができるようになってきた。
...先生の仕事を手伝うはずが、逆に先生に介抱されている。
結局いつものパターンだ。
「ほんとによかった...すごい心配したんだから」
先生はほっと胸を撫で下ろし、大きく呼吸をする。
でも、表情が和らいだのはその一瞬で、すぐに先生の顔が堅苦しくなる。
「で、これはどういうことかな」
真剣な面持ちで問い詰めるように先生は言った。
「....「なんのこと」って、とぼけても先生は納得してくれないよね」
「レイヤが言いたくいのなら言わなくていい。だけど」
先生の顔が近づく。鋭かった顔つきが、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「レイヤは生徒で、私は先生。先生は生徒の悩み事を解決する手助けをするものだよ」
「...きっと、レイヤの過去に関わってるよね」
図星。
より一層、先生の言葉が優しく、温度を持ち始める。
「私は、知りたいんだ。レイヤはいい子で、とっても優しい」
「一人の生徒として。一人の人間として。レイヤのことをもっと知りたいんだ」
「ダメ、かな」
言いたいことを言い終えたようで、先生の顔が元の位置に戻る。
先生の本心を聞いた僕は、心が揺らいでいた。
誰にも話すつもりはなかった、暗く、醜く、苦しい過去。
「...聞いても、面白い物じゃないよ」
僕は忠告する。
この忠告は先生のためなんかじゃない。自分を守るための忠告だった。
先生に過去の自分を受け入れられなくても傷つかないための予防線。
「構わないよ」
先生は少しだけ笑いかけ、こう言った。
「レイヤの話、聞かせて」
それは生徒を見る目でもあり、一人の人間「燐葉レイヤ」を見る目でもあった。
でも、その目線は未来でも、昔の僕でもなく「今」の僕に向けられたものだった。
ああ、先生はやっぱり似ている。
この人になら、話してもいいかも。
「....僕が、アビドスに入って間もない頃」
ぽつぽつと、自分の過去について語り出す。
「アビドスにはホシノともう一人、生徒会長がいたんだ」
「その人はバカで考えもなしに人を助けて、常にトラブルに巻き込まれるような人だった」
「でも、とても優しくて、誰よりも明るい人だった」
「あの頃の僕はきっと、あの人に救われてたんだと思う」
昔の場面が脳裏をよぎる。
先輩とふざけてホシノに鉄拳を喰らったこと。
怪しい人から一緒に先輩を助け出したこと。
みんなでアビドスの状況を変えようと誓ったこと。
そのどれもが楽しくて、当時の僕には宝物だった。
でも、そんな日は長く続かなかった。
「...ある日、その先輩がいなくなった」
「僕もホシノも必死になって探した。でも見つからなくて」
「ついに見つけた時、先輩は意識がなくて」
「....僕は、誰かからの襲撃を受けた」
ちくり、と腕に痛みが走る。
あの日のことを思い出し、身体が怖気付いているのだろう。
僕はアームカバーと手袋を外し、醜い腕を露わにする。
「...腕の傷は、その時にできたもの」
僕は左腕で先ほど飲んだコップを持ち上げる。持ち上がったそれは、中身の水が微かに震えている。
「これを持つのでも、少し震えたり、長く持てなかったりする」
「...接近戦を避けてるのは、それが理由?」
先生が尋ねる。
それはあくまで事実確認。今後の指揮に影響するため、確認をしているだけに過ぎない。
「...そうだよ。僕、近距離戦はからっきしだから」
きっと今戦えば、セリカにすら勝つことは難しいだろう。
それほど、片腕が使い物にならないハンデは大きい。
「それと、もう一つ」
そう言って僕はシャツを少しだけ捲り、お腹が見える状態にする。
そこにはもう一つ、大きな傷痕が脇腹に存在していた。
「.....っ」
あまりの痕の大きさに、先生は言葉を失ったようだった。
それもそのはずだ。生死を彷徨うほどの傷を見た事がある人間の方が珍しいだろう。
「....驚いた?」
僕は興味本位で先生に訊いた。
先生ははっとして、「ごめん」と短く謝った。
「気にしないで。多分、それが正常な反応だから」
「...これも、その時にできた傷」
僕は自分の傷を触りながら答える。
「かなり重かったみたいで、後遺症があるんだ」
「内臓まで深く届いちゃったらしくて、臓器不全で常に薬を飲まないといけない」
「さっきの吐血も、その症状の一つ」
「...どれくらいの頻度で、今みたいになるの?」
恐る恐るといった感じで先生は僕に尋ねる。
「....そこまで多いわけじゃない。多くても月に3回くらい」
「今日のはホシノを助けた時に受けた怪我の影響もあって重めだったけど、いつもはもっと軽い」
「...だから、心配しなくても大丈夫だよ」
慣れない笑顔を作り、僕は先生の方を見る。
先生は困ったような顔をして、僕のお腹と顔を交互に見ていた。
「それは....みんなには伝えてるの?」
先生が口を開く。
「...ホシノと、先生だけだよ」
少し声が震えてしまった。
拒絶されてしまった時のことを考えてしまった。
「...ほかの子には」
「怖くて、言えてない」
先生はそれを聞いて、少しだけ表情が和らいだようみに見えた。
「...おかしいかな」
僕が先生に尋ねると、先生は僕の頭を優しく撫でてこう言った。
「...全然、おかしくなんてないよ」
「ただ、レイヤのそういう年相応な反応、久しぶりに見たなって」
続けて先生は答える。
「ありのままの自分を受け入れてもらうのって、とても勇気がいるし、すごく怖いよね」
「私だってそれは同じ」
「でも、少なくとも私は受け入れるよ」
「ありのままのレイヤのこと」
髪を撫でていた手が今度は頬に向かう。
「どんな過去があっても、どんな傷があっても」
「レイヤは、私の大事な生徒だよ」
「話してくれて、ありがとね」
暖かい、太陽のような笑顔を僕に向けながら先生はそう口にした。
やっぱりこの大人は違う。一緒にいると絆される。
身体中が妙な感覚に包まれて、どこか、心地いい。
なぜだろうか。
「.....やっぱり、あなたは変な人だ」
「ふふっ、よく言われる」
悪戯な笑みを浮かべている先生のおでこに向けて僕は容赦なくデコピンをお見舞いする。
「あだっ」
「褒めてない」
「ひぃん..ひどい」
「でも、辛くなったらすぐに言ってね。私はレイヤの味方だから」
「...ありがとう」
僕は目線を逸らしながら、感謝の言葉を告げる。
「でも心配だから、今日はここで大人しくしてて」
「でも」
その続きを言いかけたところで、先生が被せるように言う。
「でもじゃない。約束」
先生は小指を差し出し、指切りを提案してくる。
どうやら今日はダメみたいだ。
僕は観念して、先生の小指に自分の小指を重ねる。
「わかったよ。今日は大人しくしとく」
「うん、約束ね」
そう言って、先生は僕のすぐ隣に資料を持ってきて淡々と作業を始める。
「....」
横になりながら仕事をこなす先生を見つめる。
この人は、本当に優しい。
アビドスのことも、僕のことも。
関係のないことのはずなのに、率先して解決しようとする。
先生は僕らとは違いヘイローがない。銃弾を一発でも受けて仕舞えば命すら危ない。なのに先生はそんな恐怖すら感じさせず、僕たち生徒を鼓舞するように自身に溢れた振る舞いをしている。
(本当に....敵わないな)
解けていく意識の中でそんなことを考えながら、僕は瞼を閉じた。
「お前のせいだ」
声。
「話すべきじゃなかった」
二重の声。
「お前の過去に先生を巻き込んだ」
一人は、私。
「一人になるのが嫌で、先生をこの問題に引き摺り込んだ」
もう一人は、先輩。
「話さなければ、先生は幸せだったのに」
これは、後悔ではない。
「話さなければ、一人で終わったのに」
これは、叱責ではない。
「だから、全部お前のせいだ」
これは、単なる事実。
「先生を守れなかったのは、お前のせいだ」
そう、ただの事実だ。
これから始まる悲劇が起こした、事実に過ぎない。