気がつくと、僕は暗闇にいた。
ここがどこなのか、どうやって来たのか、何をしていたのか、何も思い出せない。
「.....」
僕はゆっくりと歩き始める。
そうすれば、ここについて知れると思ったからだ。
方角さえ分からず、これが正しい道なのかすらわからないまま僕は進んだ。
程なくして、見覚えのある人が静かに佇んでいるのに気がついた。
「.......先、輩」
こんな暗闇に不釣り合いな人物だった。
僕はゆっくりとユメ先輩に近づいて、先輩に触れようとする。
しかし、あと一歩というところで先輩は砂のように崩れていなくなった。
「....そう、だよね」
ここがどこであろうと、ユメ先輩はあの時死んでいる。もう、どこにもいない。
僕の底に根付いた冷めた思考がそう告げた。その通りだ。
仮に僕が死んでいて、ここが死後の世界だとしても、ユメ先輩と同じところに行けるわけがない。僕は地獄に行くべき人間で、先輩はそうではない。
この先輩も、僕の弱さが生み出した愚かな幻想だろう。
そうして僕はまた歩き始めようと、足を踏み出した。
その時だった。
「レイヤ」
僕を呼ぶ柔らかい声が聞こえた。少しおせっかいで、心配性。なのに自分の命を顧みない、困った大人。
先生だった。
「おいで」
先生がそう言って両手を広げる。行くあてもなかった僕は先生のもとへと歩き出す。まるで止まり木を見つけた鳥のように。
「ひとりで抱え込まないで。私のこと、頼って」
近づくたびにそんな甘い言葉をかけられる。次第にここがどこなのか、何をやっていたのかすら、どうでもいいと感じてくる。
「....先生」
恐る恐る先生に手を伸ばす。先生はそれを両手で包みこみ、「ここにいる」と言わんばかりに握ってくれた。
「大丈夫。人に頼るのは怖いことじゃないよ」
僕は目を瞑り、先生の言葉に身を任せる。手が暖かい。先生の体温が僕にも伝わってくる。それが心地よくて、いつまでもここにいたいと思ってしまう。
「私は、レイヤの力になりた
パァン!!
先生の言葉は、耳を劈くような音にかき消された。驚いて目を開くと、先生の右目が赤黒く変わっていた。
「ぇ......っ....」
潰されたような声だけが喉から漏れる。直後、先生はどさりと音を立てて崩れ落ちた。
銃弾に貫かれたのだと、理解するのにはかなりの時間がかかった。
流れ出る血液が地面を染めていく。生々しい鉄分と体液特有の臭いが鼻につき、それが身体に入っていくたび胃液がせり上がってくるのを感じる。
「....ぅ.....そ....だ....」
また、守れなかった?
また、僕の前から大切な人が消えるの?
いや、いやだ。そんなの嘘だ。
うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ
「っ.....!!」
呼吸が苦しくなり、僕は飛び起きる。
視界が鮮明になっていくにつれ徐々に考えがまとまっていく。
「はあっ.....はっ.....っ....」
震える左腕を見る。そこには一生戻らないであろう傷跡が刻まれていた。
大丈夫。これは現実、現実だ。そう自分に言い聞かせた。
妙に鼓動が早く、本当に眠っていたのかと感じるほど汗をかいている。
「......夢、か....」
悪夢を見た。今までにないほどリアルで、現実なのかと思ってしまうほど。
ユメ先輩を失う夢なんてこれまで何度も見て来たのに、先生が出て来たのはこれが初めてだ。
それに。
「....いやな、夢だったな」
うまく言語化できないものの、自分の第六感が危険信号を発している。
夢のせいなのか、単なる睡眠不足なのか、それとも別の身体の異常なのか、僕には見当もつかない。
僕はまだはっきりとしていない脳内でゆっくりと身支度をし始めた。
「ごめんねレイヤ。わざわざこんな仕事任せて」
トリニティの自治区内、「通功の古聖堂」と言われる場所で僕は先生と共にいた。
ここでは今日、「エデン条約」と言われるものが結ばれる。なんでも、犬猿の仲と言われたトリニティとゲヘナが今後手を取り合うようにするものが件の条約らしい。
「構わないよ。先生にはホシノを助けてもらった恩があるから」
「先生として当たり前のことをしたまでだよ。恩なんて思わなくても」
「親友を助けてもらった人のお願いを断れる人なんていないよ」
ではなぜトリニティでも、ゲヘナでもないアビドス出身の僕がここにいるのか。
それは数週間前のシャーレでの会話まで遡る。
「護衛を頼みたい?」
先生の口から放たれた言葉は、いつものような自身に満ちたそれではなかった。
思わず僕は鸚鵡返しをしてしまう。
「うん。流石に事が事だからね....」
先生はここ数ヶ月トリニティに出向いており、様々なところで引っ張りだこになっているらしい。詳しくは知らないが、頻繁に噂を聞くため、また何か厄介ごとに首を突っ込んでいるのだろう。
「近々、トリニティとゲヘナの間でエデン条約が結ばれるのは知ってる?」
「...詳しくは知らないけど、なんとなくなら」
「それの調印式に出席しないといけなくてさ。何も起きないといいんだけど、一応ね」
先生の表情はにかんだようなものから次第に真剣になっていく。
「...勘でしかないし、そうなるとは言い切れないんだけど」
「なんだか、嫌な予感がするんだ」
「そりゃあんなにいがみあってたトリニティとゲヘナが手を取り合うなんて考えにくいけど」
当たり前だ。先生の言っていることは正しい。逆に何も起きないわけがない。
先生はあははっ、と苦笑いをしたもののすぐに元の表情に戻ってしまった。
「それもそうなんだけど、そうじゃなくて、別の何かが起きるような気がして」
先生にしては相当慎重になっているようだ。僕は少しだけその態度が不審に思ってしまい、その真偽を確かめることにした。
「....何か根拠があるの?」
先生に釣られて僕も声色が少し下がる。
先生はバツが悪そうな表情をし、観念したように喋り始めた。
「...トリニティの子が、夢に出てきて言うんだ」
「.....『暗雲』」
先生はその言葉を強調し、言葉を続ける。
「『誰の手にも負えないような、二度と太陽を拝めなくなるような.....そんな暗雲が、今ゆっくりと押し寄せて来ている』」
「もしこの言葉が本当なら、私は先生として、大人としてそれを止めないといけない」
「でも、きっと私だけじゃ止められない。私は先生だけど、弱いから」
「だから、出会って来た中で一番賢くて、信頼できるレイヤの力を貸して欲しい」
先生の声色は変わることはなかった。
それは、このお願いがいつもの当番や書類作業とは訳が違うことを如実に示していた。
「....答えは、初めから決めてる」
僕は先生にそう告げた。
アビドスの借金問題、セリカ誘拐事件、カイザーの襲撃、そして何より。
ホシノを、助けてくれたこと。
先生のおかげで全てを取り戻すことができた。感謝してもしきれない。
さらに、出会ってから1年も経っていない僕のことを「信頼できる」と、この大人はそう言ってくれた。その言葉が、僕の奥底に眠っていた年相応の感情を揺さぶってより決意が固くなった。
「任せて。先生の安全は僕が守る」
今度は僕が先生に返す番だ。
僕は右手を強く握りしめ、高らかに宣言した。
「...本当に僕でよかったの?」
古聖堂のステンドグラスを眺めながら僕は尋ねた。
信用してくれているのは嬉しいが、僕が護衛向きの生徒であるかと問われるとそうではない。
「腕はこんなのだし、体力だってそこまであるわけじゃない」
腕の怪我も、お腹に残った傷も、護衛に対するマイナス要素でしかない。
「僕に命を預けてよかったの?」
どうしても消えなかった疑問を僕は先生にぶつけた。
「もちろん。レイヤは賢いし私のことをちゃんと信じてくれる。だからレイヤになら任せられるって思ったんだよ」
恥じらうことなく先生はそう言った。
「それに、レイヤは「視えてる」からね。それもあるかな」
「...そんなに期待されても困るよ。常に使えるものでもないし、視えたからって何かできるわけじゃない」
この眼だって、ホシノやゲヘナの風紀委員長が使えばもっと強力になるはずなのに。
「眼を抜きにしてもレイヤにしかお願いする気はなかったよ」
先生は僕の肩に手を置きながらそう答えた。
「....それはどうも」
慣れないことをされてしまい僕は無愛想にそう答える。少しだけ頬が熱い。
「あははっ、かわいい」
先生は相変わらずといった感じで僕を揶揄う。
護衛される側とは言えないほど気楽そうな先生を僕は少し羨んだ。
「護衛されてること、忘れてるわけじゃないよね?」
僕はそう言いながらXM7とバックアップ用に持ってきていたM17のチャンバーチェックをする。しっかりと薬室に弾が送られていることを確認し、M17はホルスターに、XM7は傍に置いた。
「もちろんだよ。レイヤがちゃんと守ってくれるからね」
先生はそう言った直後、立ち上がり僕の手を取る。
「まだ暇そうだし、てきとうにぶらつこうよ」
突拍子もない提案に僕は少し困惑しながらも、断ることなくそのまま先生の後をついていくことにした。
「やっぱりすごいところだね」
「はい。この『通功の古聖堂』は長い間、廃墟として放置されていましたが....今回ここで調印式が締結されることが決まり、大々的な修理が行われたようです」
「その決定についてはトリニティのナギサさんと、ゲヘナのマコトさんが合意したものだと聞きましたが....」
僕と先生は現在、シスターフッドのヒナタという人物に古聖堂について案内してもらっている。
どんな場面で先生の命が脅かされるかわからないため、歩きながら眼を使って周囲の警戒は欠かさず行っている。
ただ、ここが古聖堂として古くからあるというのは本当なようで、僕はそれを眼で視て実感していた。
「あくまで噂ですが、この古聖堂の地下には大規模なカタコンベが存在するそうです」
噂などではない。実際に僕らがいる地上の下、距離にして数十メートルほど下の位置には迷路のような入り組んだ通路が敷き詰められていた。
「数十キロにも及ぶ地下墓地......『第一回公会議』の時の記述でも、終わりが見えないほどだったと言われていて....」
襲撃される可能性があるなら、この地下通路はうってつけの場所だ。警戒して視ておかないと。
僕は少しだけ警戒の度合いを高めることにした。
「.....あ、こちらの方は塞がれていますね。まだ修理中で危ないからでしょうか」
「いろんな歴史がある場所なんだね」
「はい。何せ、『第一回公会議』が開かれたことですから」
先生とヒナタが歴史について語り始め、僕はその時点で会話についていくのをやめた。
「すごい歴史だよね。やっぱりトリニティはすごいなぁ」
先生が目を輝かせて言う。まるで美術館に来た子供のようだ。
「まったく...先生、そろそろ始まるんで.....しょ.....」
「ん?レイヤ、どうかした?」
空気の流れがおかしい。さっきまでは微かに吹いていたのに、突然消えた。
全身が強張っている。僕はこの感覚を知っている。何かが向かってくるような、そんな感覚。
それは砂漠で先輩を見つけた時とよく似ている。あの時も眼を使っていて、ミサイルが撃ち込まれた。
「....」
嫌な予感ほどよく当たる。僕の想像した最悪の事態を裏付けるように、わずかだがなにかの飛来音が僕の耳に届いた。
飛行機かもしれない。きっとそうだ。
僕は自分にそう言い聞かせた。
でも、それはどんどんと大きくなっていく。まるでこちらに向かってきているかのように。
もし、これが襲撃だとしたら。
もし、これが仕組まれたものなら。
「....っ先生!!!」
僕は先生を柱の後ろに押し倒し、その上に覆い被さる。
その直後、僕の眼に映ったのは。
見たこともないほど巨大な円筒状の物体だった。
その言葉を最後に、僕の視界は凄まじい衝撃と共に崩れ落ちた。
「準備は?」
「.....問題無し」
どこからか聞こえる、声。
「は、はい!終わりました、チェックもできていますし、色々と確認も...」
「あの人形との接触の方は?」
4人の少女。
「....なら問題なさそうだな。全ては整った」
「こ、これから辛いことになるんですね、みんな苦しむんですね....ですが、仕方ありません」
「.....そう、それがこの世界の真実」
「巡航ミサイルは?」
「すでに発射済み。これから5分後に、ターゲット地点に着弾する」
「チームⅡとチームⅢは?」
「つ、通路の前で待機中です.....時間に合わせて、作戦地域に突入する予定ですね」
「古聖堂の崩壊と同時に突入。ミサキとチームⅡはトリニティを、ヒヨリはチームⅢとゲヘナの方を頼む」
「了解」
「チームⅡの方はツルギを警戒しろ。チームⅢの方はヒナに気を付けて動け」
「は、はい!分かりました!ひ、ヒナさんですね...!」
「チームⅠとチームⅤは....」
「ああ、通路に沿って地下へ。知っての通り、一番重要な任務だ」
「姫.....分かってる。気分は悪いだろうけど、もう少し我慢してほしい」
「えっと、サオリさんは...?」
「私は他に用事がある、それが終わり次第チームⅤに合流予定だ」
「では、散開」
彼女たちは止まらない。
この物語は始まったばかりなのだから。