世界が制止する
かつて白銀の砂を空に吹き上げていた風は凪ぎ、遠方より鳴り響いていた地鳴りのような大きな音も静まり、そして重力すらも既に消え失せていた。遠からず世界はその役目を終え消え去るだろう。
そんな何もかもが死に絶えたような白銀の砂漠の空を72の流星たちが煌めきながら流れていく。
死に行く世界にあって尚も生命の輝きを見せるこの流星たちはかつてイーノックと呼ばれた人であった。
最後の旅を終え、72の白い欠片となった彼はこの姿になって薄れ行く自我を自覚しながら、最期に自らの旅路を振り返っていた。
農家の息子として生まれ、ただの人として慎ましくも満たされた生活を送っていた28年間。
━━私の家族と故郷の皆との変わり映えのない日々。今思えばそんな何の変哲もない日々が如何に幸福で満たされたものだったのか理解できる。私が天界に行く事を隠しきれなかった時に、思う事はあっただろうに送り出してくれた家族は幸福に天寿を全うできたのだろうか?
後に親友となる天使ルシフェルに誘われ天へと昇り、天界の書記官を務めた日々。
━━初めてルシフェルに会った時は、黒い衣を纏った彼のことを死神だと勘違いしてしまったんだったな。彼に「天使が白い衣を着けているって誰が決めたんだ?」と言われて自らの決めつけを恥じたのも今となっては懐かしい……。
結局、彼以外に黒い衣を纏った天使は天界では見なかったし、大体の天使は白い衣を纏っていたようだが……。
7人の天使が堕天し、その捕縛を神に申し出て、旅の果てに全ての堕天使の魂を捕縛し、契約の天使としての力を覚醒させた365年の旅路。
━━あの旅で私は大いに迷い、足掻き、苦しみ抜いた。多くの人との出会いと別れ、数えきれない回数の死。そして自らの迷いとの対峙。それら全てが今の私を形作っている。
神より堕天使捕縛の褒美として人としての生を全うする時間を与えられ、妻を迎え子供に恵まれた60年余りの幸福な人としての人生。
━━我が妻イシュタール、そして我が息子メトセラ。どうか二人の次なる生が幸福に満ちたものでありますよう……。
そしてルシフェルの堕天からなる自身と彼の最後の旅と、世界を再創生するためのルシフェルとの最後の戦い。
━━ルシフェル、貴方とは本当に長い付き合いだったな……。私の旅にはいつだって貴方が側に居てくれていた。
今最後の戦いを終え、この世界の時間は再創生までのわずかな時を残すだけとなった。そしてまた、777年に渡る人間と堕天使、私とルシフェルの長い付き合いも今終わりの時を迎えようとしている。
━━思い返せば、私は一生をかけて旅をしていたのかもしれないな。
これまでの旅路を思い返した私は自身から分たれた72の欠片が世界に散らばっていくのを見届け、自らの終わりが近づいている事を感じていた。
最後の一欠片となり希薄となった意識の中で最後に私は新たな世界での自身を想った。
━━新たな世界で私はどのような旅をするのだろうか……。
数秒の後、イーノックの意識は消え去り、そして世界は光に包まれ、全ては消滅した。
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『私のミスでした』
澄んだ声が聞こえる。
『私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況』
意識が浮上し、それに伴い私は眼前の景色を認識する。
『結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて』
白い装束に身を包んだ少女が私の前に座っている。その服と身体の至る所に土埃や赤黒い染みが付着している。
『……今更図々しいですが、お願いします』
彼女を知っている気がする。私の記憶にはないその姿を、その声を私は知っている気がする。
彼女の背にある窓から差し込む曙光に照らされるその青とピンクの不思議な配色の長髪。
口元に浮かべたその悲し気な微笑。
『イーノック先生』
そして、その私の名を呼ぶ高く澄んだ声を私は知っている気がする。
『きっと私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません』
少女の名前も何も知らないというのに、私の心が彼女へ親近感を覚えている。
『何も思い出せなくても、おそらくあなたは同じ状況で、同じ選択をされるでしょうから……』
彼女の懺悔にも似た言葉を聞く度に身に覚えのない喪失感と後悔の念が私の内側を満たしていく。
『ですから……大事なのは経験ではなく、選択』
私と彼女の関係がどうだったのかは分からない。
『あなたにしかできない選択の数々』
私が何のためにここにいるのかも分からない。
『責任を負う者について、話したことがありましたね』
だが、彼女のこんな姿を見たくはなかったと、こんな話をさせたくなかったと私の心が強く告げている。
『あの時の私には分かりませんでしたが……。今なら理解できます』
それに、もっと単純に、
『大人としての責任と義務。そして、その延長線上にあった、あなたの選択』
今にも消えてしまいそうな笑顔で自らの過ちを語る少女を、
『それが意味する心映えも』
他人であるはずの私に、確かな信頼を向けて自らの理想を託そうとする少女を、
『ですから、先生』
まだ青く、輝かしい未来で溢れているべき年頃なのに、世界の全てを背負ったような様子で痛々しい微笑みを向ける目の前の少女を、
『私が信じられる大人である、あなたになら、この捻じれて歪んだ先の終着点とは、また別の結果を…………』
私は見過ごすことなど出来ない。
『そこへ繋がる選択肢は……きっと見つかるはずです』
それならば今ここで私がするべき行動はたった一つだ。
『だから先生、どうか……?』
彼女の言葉を遮るように私は手を差し伸べる。
「理想を夢見た者に、神は絶望という名の試練を与える」
『 ! 』
「試練を越えよう。君だけではなく私だけでもない、君と私の二人で」
意識せずとも私の口から言葉が紡がれた。まるで彼女にずっとこの言葉を伝えたかったかのように。
息を呑む音がした。俯いていた顔を上げ、驚きに目を見開いた少女の顔が破顔する。
『……ふふふ、違いますよ先生。私とあなた、だけじゃなくて、
━━ああ、やっぱり君には笑顔が似合うな
記憶はまだ定かではない、彼女のことだっていまだに思い出せない。だが、今心に感じたこの想いこそが私の答えだろう。
さあ、もう一度理想を紡ぐため、そして今度こそ、この輝かしい笑顔を守るために、全てを救おう。
私と彼女の、新しい旅の始まりだ━━
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コンコンコンとノックの音が連邦生徒会のロビーに響く。
「失礼します」
その声の後にロビーに入室した私、七神リンは窓の前に立ち、外を眺める人物に声をかける。
「お待たせしました、こちらの所用でお時間を要してしまい申し訳ございません」
こちらの都合で待たせてしまった客人、本日より着任される先生に声をかけるも窓の外を眺めたまま反応がない。
「あの、先生?イーノック先生?」
私に名前を呼ばれたからか、イーノック先生はピクリと反応しこちらに顔を向ける。
浅黒い肌に堀が深い顔立ち、そしてそのターコイズブルーの瞳が私をまっすぐに見つめる。
「イーノック先生、大丈夫ですか?もし御気分が優れないようでしたら仰ってください」
心配し体調を確認する私の言葉を受けた彼は、ゆっくりとその体をこちらに向けながら力強くこう返答する。
「大丈夫だ。問題ない」
例えどんなに離れていても
例え憶えていなくても
例え姿が違っていても
私たちはいつだって一緒です