雨季のシラクーザは嫌いだ。いつも曇天で薄暗いから視界に映る何もかもが色褪せているし、しとしとと降り続く雨は自慢の尻尾の毛並みをへたらせてくる。
雨季のシラクーザは好きだ。いつも曇天で薄暗いから太陽の下じゃできないことも平気でできるし、しとしとと降り続く雨は剣についた血を洗い流してくれる。
「あまり、派手に逃げ回らないでほしいんだが……」
「っ……」
太陽を覆い隠す灰色の雲から長雨の降りしきるウォルシーニの路地裏で。
右手の指の間に挟んだナイフを放り投げて、うろちょろと逃げ回るループスの男の目の前に突き刺した。シャツにジャケットで、ハンチング帽を被った朴訥そうな男の表情が恐怖に歪むのを見て昏い愉悦が湧き上がる。
今にも泣き出しそうなそいつは、この移動都市ウォルシーニの建設部で働くしがない役人だ。「賭け事もしないし借金もない、建設部のオフィスで普通に働いてるただの事務員」──そう自分のことを形容していたが、まったく間違いではない。いっそ珍しいまでに平凡な、誰の人生にも大した影響を与えることなく死んでいくような奴だ。
だが殺す。オレが殺す。
なぜなら、そういう仕事だからだ。ベッローネファミリーが主導権を握っているヌオバ・ウォルシーニ建設に波紋を投げかけるために投じられる一石、それがあいつの死だからだ。
依頼主がどうとか、そこに込められた思惑がどうとかはどうでもいい。テラとかいうクソッタレな世界で殺し屋なんていうクソッタレな職に就いたオレに与えられた、新しい仕事だということだけが重要だ。
あいつの命に付けられた値札はオレたちが一週間暮らせるかどうかくらいの端金だが、それでも多いくらいだった。マフィアの一員でもない市民の命なんて、このシラクーザじゃ掃いて捨てるような価値しかない。
「ベッローネの若旦那がどうとか戯言を吐かないでくれよ、今更そんな文句が通じるわけはないんだから」
「……!」
「夜空に双月が昇るように……シラクーザに雨季が来るように……オレたちはマフィアの奴らの影から逃げ出すなんてできない。いつだってそうだろう?」
シラクーザはマフィアの牛耳る国だ。行政府のトップであるグレイホールから市井の子供たちに至るまで、マフィアの影響が無い場所なんて存在しない。警察……はそもそも存在しないし、他の公共事業も大体はマフィアが噛んでいる。
だからシラクーザの市民たちは、大なり小なりマフィアに関わって暮らすことになる。それは直接的な協力というよりは、見て見ぬふりをするという類のいわば「沈黙の掟」がほとんどだが。
今回のこいつのように、マフィアが関係する事業の下請けなんかをしていると、そのマフィアと敵対している別のマフィアの標的にされることがある。市民からするとどのマフィアが関係しているかとかは知る由もないし知ってもどうしようもないから、そういうケースはもう運が悪かったと思って諦めてもらうしかない。
まあ、運が悪いだけで命を狙われるのは理不尽極まりないとは思うが。
「ま、お前の家族には手を出さんよ……だから、」
安心して死ね、と。
そう言い終わるかどうかで投げたナイフは、先のそれとは違って必中を期したものだった。眉間、心臓、ついでに右足。ほとんど同時に投げ放った三本が高速で飛翔して、哀れな建設部の男の命を刈り取──らなかった。
あまりの恐怖か心労かでふらついた男は、降りしきる雨でできた水溜まりに足を滑らせてすっ転んだ。それはもう見事にこけたものだから、ナイフは全部軸を外されて虚しく壁に突き刺さるだけ。
自分が偶然にも致死の攻撃を避けたことに数拍遅れて気付いたらしい男が慌てて転がるように逃げていくのを尻目に、オレはただ突っ立っていた。
とりあえず、そうした方が色々と都合がいいからだ。なんでそうなのかというのは、まあすぐ分かる。
ゆったりとした足取りで逃げて行ったやつを追う。
シラクーザにおいてマフィアに狙われた場合のひとつの対処法は、人通りの多い方へ逃げることだ。ほとんどのマフィアは市民がいようがいまいが人殺しに躊躇なんてしないが、それはそれとして目撃者が多いと面倒も増えるので、殺すメリットと手間の均衡が後者に傾けば見逃してもらえることもある。まあ大体は後日改めて殺されるが。
そのセオリーに従って、大通りの方に逃げていく男はまあ運がいい。何せ、そこには高名な──あるいは悪名高きペンギン急便の面子がいるからだ。
「お兄さんどうしたの?そんなずぶ濡れで飛び出してきて!」
「こ、殺し屋に追われてるんだ!もうすぐそこまで来てる……!」
「殺し屋ぁ?そらまた物騒な……って危ない!」
赤髪のサンクタ、エクシアに問われて呑気に受け答えしている男を狙って投げたナイフは、盾に弾かれて甲高い音を立てたが結局は地面に転がった。オレンジ色の髪をしたフォルテ、クロワッサン。ペンギン急便では唯一の重装オペレーターなだけあって、その防御力は抜けなかったらしい。
後方に控えている金髪の……種族は事務所NGだったかはソラだろう。直接的な戦闘能力はないので今回は放置でいい。
つまりは後衛のエクシアと前衛のクロワッサンを突破して、あの男を殺さなければならないのだが……これがまあ難しいだろう。本来ならオレ含め複数人であたる予定だったのをオレ単独の仕事にしているから、それほど手数がないのだ。二人を片付けてから、となると流石に時間がかかりすぎる。そうなると今回のお仕事は失敗、ということになるだろう。
「お嬢さん方、そいつをこっちに渡してくれるとありがたいんだが……」
「言うてあんさん、殺し屋やってんねやろ?そう言われて素直に渡すはずあらへんよ」
「義を見て為さざるはなんとかってね!お姉さんこそここで退いてくれるとありがたいんだけど!」
「そうはいかないのが、この稼業の面倒なところでね……っと」
不意打ち気味の一撃はクロワッサンが掲げた盾で防がれ、あちらも臨戦態勢になった。エクシアの守護銃──クリスヴェクターがこちらへ向けられ、通常の装薬では考えられないほどの連射速度で弾丸の雨が襲ってくる。それを身を捻って避けつつ、あたりそうな弾丸だけ至近で
流石は常日頃から龍門でドンパチやっているだけあって、この程度の攻めでは小揺るぎもしない。かといって本気だの全力だのを出すわけにもいかないし、そもそも面倒だ。
「ここがシラクーザだということを理解しての行動なら、オレは敬意を表するがね。どうにも君たちのはただの蛮勇だな」
「どういうこと?」
「オレの後ろにいるやつ、あるいはそいつの後ろにいるやつ。そういうのを分からずに無闇に首を突っ込むのはやめといた方が賢明だ、って話だ。シラクーザでのいざこざは、大抵が背後にもっとデカい抗争がそびえてるものだからな」
言って、エクシアの連射が止んだ束の間の静寂にクロワッサンの盾を蹴って跳び上がる。今着ている灰色のスーツが風にはためくのが感じられるが、一瞬のそれの後に着地してダッシュする。
狙いはもちろん、件の男だ。エクシアを沈黙させてもいいが、ただでさえ時間をくっているのにこれ以上余計な手間をかけたくはない。
再び始まった連射をジグザグに走りながら避け、また止めながら掻い潜る。ループスの──あるいはテラ人の身体能力は、かつてのオレのそれとは段違いに高い。少なくとも、怖気付いて碌に逃げることもできていない男に手が届くまでの間では、オレに致命傷を与えることはできない。
「すまんな──」
なんの中身もない空虚な謝罪とともに振りかぶった刃は、しかしまたしても男に刺さることなく弾かれた。これで今日何度目だ、と内心毒付きながら飛び退って体勢を立て直す。
ガベル……にしてはやたらと大きい槌を持ったスーツ姿の女が立ち塞がり、金色の鋭い目をオレに向けてきていた。
「あなた、どこのファミリー?民間人に手を出すなんて!シラクーザには秩序があるということを忘れたんじゃないでしょうね!」
「いいや十二分に承知しているともさ。あんたの言う秩序は、オレを阻むもんじゃないってことまでな」
ラヴィニア・ファルコーネ裁判官。あるいはペナンス。
重装オペレーターの中でも屈指の攻撃性能を持つだけあって、本来なら非戦闘員の癖して普通に強い。まあオペレーターは大体がそんな奴だが。なんでちょっと前まで学生してた奴が最前線で体を張ってるんだと……まあテラが過酷で残酷な大地なので仕方ない。
そういうわけで、目標の殺害はますます無理筋だ。クロワッサンも戻ってきてるし合計ブロック数6とかどうやって突破するんだ砂行かトラフィックタワーに乗り込めとでも。
……やろうと思えばゴースト兵とかクラウンスレイヤーみたいなこともできなくはないが、そこまでするかというと……。
「まあ……今回はラヴィニア裁判官に免じて諦めよう。だがゆめゆめ忘れるな、オレたちマフィアの手は長くまた多いということを」
「待てー!」
身を翻して跳び上がり、壁を蹴って三角跳びの要領で建物の屋根まで上がる。あとは屋上伝いに移動すれば、そう簡単には追跡できないだろう。あちらとしてもオレを追うよりかはあの男に事情を聞く方が優先だろうし。
それはともかく、今回の仕事は失敗だ。偶然に偶然が重なるような奇跡の結果ではあるが、標的を殺せなかったというのは変わらない。
そしてそういう不出来な殺し屋は大抵が口封じで殺されるものだが……ほら。
「カポネとガンビーノ。シラクーザを追われたシチリア人が、生粋のシラクーザ人であるオレを殺そうとはね」
「……お前!」
路地裏でどうやらオレを張っていたらしい二人の後ろに無音で着地してから話しかけてやれば、驚いた様子でこちらを振り返る。
鼻をあかしてやったようで小気味いいが、これは単に二人がオレを始末しようとしているのを
「どこの「クソバーテン」からの依頼かは知らないが、お前たちの不幸には哀悼の意を表そう……オレの口封じには力不足だよ」
そのままナイフを投げて、二人を牽制する。ギリギリで当たらないように止めたつもりだったが、ガンビーノの毛が少し切れて雨季のシラクーザの湿った空気にとらわれていた。こいつもループスなんだよな……とテラの複雑怪奇な種族事情に思いを馳せながら、喉元に突きつけたナイフを少しだけ動かして二人の肌を撫でる。
実のところこんな安物のナイフの一本二本でカポネとガンビーノを殺すとなると厳しい。これからラップランドに振り回されていくことになる二人だが、龍門でいち勢力を築きつつあったりと別に弱いわけではないのだ。上には上がいるというだけで。
ただ、一旦落ち着いて話をするくらいならこれでも十二分と言えるだろう。
「別にオレだってお前たちと殺し殺されたいわけじゃない。クソバーテンも本気でオレを殺そうとしたんじゃないだろうしな」
「首元に刃物向けて言うことかよ……」
「だって殺してないだろう?そもそも仕事でもないのにわざわざ戦うなんて面倒なんだ」
オレの言葉にやや鼻白んだらしいカポネの方へ歩いて行って、止めていたナイフを回収する。それで息を深く吸い直した二人が武器を構えてオレに向き直るのを好きにさせておいて、オレは少しの逡巡のあと口を開いた──雨季の湿った空気に囲まれているはずなのに、どうにも喉が乾き切ったように声が震えている気すらしたが。
「お前たちの本当の雇い主──ラップランドに会わせてくれ。それでこの場は無かったことにしよう」
オレがわざわざ色々と手加減なりをして仕事をしくじってまで会っておきたかった人物。彼らがクソバーテンことディミトリ、ひいてはベッローネファミリーには明かしていないもう一人の雇い主。
オレがその存在を知っているのは、まあそれを知っていたからだ。馬鹿みたいな言い回しだが、事実そうだ。まあより正確に言えば、このテラの大地に生まれ落ちる前から、ということになるが。
……まあ、前々からメタいことを散々言ってきたから大体は分かるだろうが。オレことシルウィアはこのテラ──アークナイツの世界に零れ落ちた転生者だ。このクソッタレな世界で、それに抗おうともしないクソ野郎でもある。
だからこれは、そんな人間が適当にシラクーザでの物語に首を突っ込むだけのくだらん三文芝居だ……が、まあ三文役者は三文役者なりに舞台で踊ってはみせたいもんだな。
主人公:フルネームはシルウィア・アクエドリア。灰色の髪のループス。アークナイツの世界への転生者で、原作はそれなりに遊んでいた。ウルサスとかヴィクトリアとはまた違った方向で腐った国家に転生してしまったので、色々と諦めている。