けれど雨は止むことなく   作:無明の旅路を照らす知識の灯火

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SR-10 逃げるべきか、追うべきか

 

 ミラノ劇場。ウォルシーニ、いやシラクーザ全体に目を向けてもなおトップクラスであろう大劇場だ。

 おそらくはリターニアの流れを汲むと思しい、壮麗ながらどこか薄寒さすら覚える美しさの内装と調度。そして前世で言うところのルネサンス絵画が描かれた天井では綺羅絢爛のシャンデリアが煌めき、舞台上で役を被って踊り狂うオレたちのことを照らしていた。

 あいつは殺人者、こいつは裏切り者、そいつは傍観者。色とりどりの衣装を花と咲かせ、有象無象の役者たちが殺し殺されの劇を演じるその只中で。

 

「La──」

 

 ソラ(ヴィヴィアン)は、だが高らかに朗々と燃える気持ちを歌い上げる。

 恋人サルヴァトーレ、テキサスファミリーのドン・サルヴァトーレ、父の仇敵サルヴァトーレ。愛すべき男、畏れるべき男、憎むべき男。

 想いは絡み合って彼女を縛りつけ、荊のように傷付ける。過去という覆せぬ土壌に根を張った、黒々とした縛鎖。

 

「けれど……ああ、サルヴァトーレ。あなたはきっと、父を殺した手で私を抱くのでしょう。私にキスをしたその口で、あなたの敵の喉元を喰い千切るのでしょう!それがどれほどまでに私を焦がし、凍て付かせるのかも知らず!」

 

 ソラ(ヴィヴィアン)の父は悪人だったのかもしれないが、同時に良き父であり、また良き理解者でもあった。彼女は父のことを慕い、父がそう望むなら家業を継ぐことすらも厭いはしなかった──父は、ついぞそれを許さなかったが。

 そんな父は、だがテキサスファミリーと敵対し、当時はクルビアで新進気鋭のドンを務めていたサルヴァトーレに殺害される。そこには何らの陰謀も陽謀も無く、ただ悪人と悪人が殺し合った果てのつまらない結末でしかなかった。

 

 そこから数年の後。その艶やかさに磨きをかけ、今やクルビアでその美貌を知らぬ者などいない人物となったソラ(ヴィヴィアン)は、それが父を殺した人物だとも、テキサスファミリーのドンだとも知らずにサルヴァトーレに出会う。

 サルヴァトーレがその当初から、彼女の出自に気がついていたかは定かではないが……二人は惹かれ合い、恋人として褥を共にするに至る。

 だがオレたちがそうであるように、この世界は残酷だ。ソラ(ヴィヴィアン)は次第に恋人の正体に気が付き始め、また彼が父を殺した真犯人ではないかという可能性にすら思い至ってしまう。

 

 そして、それが真実そうなのだと気が付いたその時に。

 サルヴァトーレの愛人であった彼女を巡り、他ファミリーが仕掛けた攻撃に対するサルヴァトーレの苛烈な報復。そのやり口は、彼女が父の時に見知ったそれと全く同じだったからだ。

 

「どうして──どうして」

「あなたはそれでも私のことを愛してくれるかもしれないけれど、私にはあなたを今までの目で見ることなんてできないの。私はもう、あなたの愛してくれたヴィヴィアンじゃないのよ……!」

「だから……ごめんなさい、サルヴァトーレ」

 

 彼女は逃げた──それまでクルビアで得た富も名声も、最愛の男すらも捨て。

 サルヴァトーレは彼女のことを引き止めることもなければ、追うこともなかった。そこにあるのが非情と無情では決してないことは彼女にも分かっていたのだろうが、それでも彼女は涙を堪えることはできなかった。

 

「サルヴァトーレ……もっと早く、それとももっと遅く?どうやってあなたのことを知ったら、私はあなたと道を違えずに済んだのかしら」

 

 深く底の無い泥沼に、足を踏み入れる前に──あるいは、浸かり切った後に。

 

 サルヴァトーレは、ずっと変わらずシラクーザ人だった。彼は自身のことをそう定義していたからだ。

 だがソラ(ヴィヴィアン)はそうではなかった。彼女はクルビア人であり、シラクーザ人であり、またそのどちらでもなかった。彼女にとって、自分は自分でありサルヴァトーレはサルヴァトーレだったからだ……これまでは。

 もはやサルヴァトーレはただのサルヴァトーレではなく、そこにはシラクーザ人という形容が必ずついてくるようになってしまったのだ。

 その変化を受け入れるには、彼女とサルヴァトーレが積み上げた年月はまだ短かったし、またシラクーザという国家の歩んだ歴史は長かった。

 

「流されるそれは所詮血なのだと分かっているのは彼だけよ……私にだって、そこに血が流れていることなんて分からなかったものね」

 

 クルビアの、だがシラクーザのように篠突く雨の中。一人の慟哭と啼泣は、誰にも聞こえることなく霧散する。

 

 暗転。

 

 

 ◇

 

 

「お疲れ様。心配事も多いだろうにしっかりと演じ切っていたようで驚くばかりだよ」

「いえ、こういう時だからこそしっかりしなくちゃいけませんから。それにシルウィアさんも見違えるほどでした」

「それこそ君のおかげかな。龍門一のアイドル様の時間を独占していたんだから、あのくらいは出来ないとあっちこっちから怒られるだろうし」

 

 ミラノ劇場の舞台裏、楽屋にて。

 幕間の小休憩でそこに撤収したオレたち役者は、思い思いに次の出番までの時間を過ごしていた。裏切り者を演じていたやつは律儀に台本を読み直しているし、傍観者を演じていたやつはそれに絡んでは軽くあしらわれている。他にもあちらこちらで喧騒は響くが、それもオレのところに届くころにはただの判別不可能な夾雑音になっていた。

 「実在のファミリーの名前を出してはならない」という暗黙の了解を破った初めての作品である『テキサスの死』第一幕の初演というだけあって、役者たちにかかるプレッシャーも相当なものということだろう。いつもならもっと賑やかで、華やかな雰囲気に包まれた楽屋なのだが……。

 

 ただ、そんな中でも気丈に振る舞うソラはやはり一種の清涼剤のような感じだな。鬱々とした空気を吹き飛ばし、心なしか軽くしてくれる。

 劇団員のやつらも、現状……バックについているベッローネファミリーの公然の弱体化の割には、それほど暗い雰囲気ではないしな。

 ちなみにベルナルドは積極的に劇団に危害を加えさせるつもりはないが、損害が出たら出たで仕方ないかと流すようなタイプの人間である。つまり彼らの心配事は全くもって正しかったりするのだが。

 

「それにしても、カタリナさんはどうしてこんな展開にしたんでしょうか?……いえ、意図は分かるんですけど……」

「オレも伝聞でしか知らないけれどね。サルヴァトーレとヴィヴィアンの関係は、このオペラと同じような結末を迎えたんだそうだ。そういう意味で史実に即していると言えるだろうが」

 

 史実のヴィヴィアンは、結局サルヴァトーレを離れて他の男と共に家庭を築くことになる。そうしてできた息子は、果たしてヴィヴィアンの影響があったのかは分からないがマフィアを目指すようになり、そのファミリーはテキサスと轡を並べるほどに強大化した。

 その息子とサルヴァトーレは、時に反目し争い合うこともあったが、ヴィヴィアンのとりなしにより収まったという。これを見るに、ヴィヴィアンとサルヴァトーレの関係もきっと完全に途切れたわけではなかったのかもしれないが。

 ちなみにその娘が、まさにこの脚本の作者であるジョヴァンナである。そういうわけでこのオペラ、彼女の自伝とも言えなくはない。ジョヴァンナ自身はほとんど登場しないし、むしろチェリーニアの方が多いくらいではあるが。

 まあそれはともあれ。

 

「だがこんな悲恋ものは、脚本としてはあまり優れたものだとは言えない……というのも分かる。何せ、二人は別れた後も結局は関係を完全に断ち切ることができず、ちょくちょく顔を合わせていたようだし。しかもそこで劇的なエピソードがあったというわけでもない。そういうのはヴィヴィアンの息子の領分だからね」

「はい。カタリナさんなら、もっとドラマチックな筋に仕立てることも出来たと思うんです。私は今の脚本の方が好きかもしれないですけど」

「まあ、確かにあいつなら脚色も色々と出来ただろう。ヴィヴィアンはむしろサルヴァトーレを追いかけ、波乱万丈の末に結ばれる……とかね。そうすると(ヴィヴィアン)チェリーニア(サルヴァトーレ)・テキサスでいい感じに対比になるし」

 

 というか、それが本来のシラクザーノにおける『テキサスの死』である。対比関係が見事に現れていて、読んだ時には思わず笑ってしまったくらいの代物だったのでよく覚えている。

 サルヴァトーレに歩み寄ったであろうヴィヴィアンと、チェリーニアを連れ戻したソラ。どちらもシラクーザの泥沼の中にあって、こうも違う結末の物語が重なり合うのは時代の妙、天のいたずらとしか言えないが。

 しかし、今オレたちの演じる『テキサスの死』の脚本はそれとは違うわけだ。それが何によってのものなのかは、見て見ぬふりをしたいところだが、まあ。

 

「ただそれをしないというのは、カタリナなりにそうしたい理由があったからだと思うよ。史実をそのまま見せるということに何らかの意味を持たせたかったのかもしれないし……例えば、愛するべき人から逃げ出したこと──そうするを余儀なくされたことへの後悔とか」

「うーん、私としてはむしろ逆ですね。たとえ一度逃げ出しても……そういう考えだって読み取れると思います」

「……チェリーニアを追う君が、その解釈をするとはね」

「もう一度帰ってきた時に、前と全く同じ方法で接する必要なんて無いと思いますから。頬に平手打ちしてやるのだって、十分アリな選択だと思いませんか?」

 

 そのソラの言葉に、瞬きをして。それから一拍おいて理解が追いついて、思わず拍手でもしてやりたくなった。

 オレと同じく原作を知っているんじゃないかなんて下衆の勘ぐりをしてしまいたくなるくらいに、ソラの言うことは正しい。チェリーニアがシラクーザに抱く感情、それは深く世を倦む瞋恚の炎だ。死ぬべきではない人が死に、それをどうとも思わないこの国に対する、沸々と燃えるそれ。

 今はまだチェリーニア自身でさえ自覚していないだろうそれに、根拠のない推測とはいえ思い至るあたり、まったく敵わないね。そもそも、そういうものではあるんだろうが。

 

「眩しいね、君たちは。ジョヴァンナもそういうところに惹かれたんだろうが……」

「?ジョヴァンナさんってどなたのこと──」

 

 指を口の前で立てて、ソラの言葉を遮る。

 それは、傍に置かれてカラチ殺害事件の裁判の様子を実況するラジオの声をよく聞くためだ。いつもなら、シラクーザのラジオは知られてもいい情報しか流さない。今回の裁判も、ラジオは大したことを言ってはいない……が、こればかりは話が別だ。情報統制なんぞする暇もないような急転直下の大事件が起きるのだから。

 

「緊急速報です!先ほど、一台のトラックが突然法廷へと壁を破って突入しました──」

 

 シラクーザの都市裁判官とはすなわちミズ・シチリアの意志であり代行者。ましてその牙城である裁判所は、たとえファミリーであろうとも手出しすることのできない聖域である。

 その外だと裁判官が車のトランクに詰め込まれたりしているが、裁判所内部ではそんな暴挙を行うファミリーはいない──その道理を解さない狂人か、ミズ・シチリアに反抗する愚人を別にすれば。

 今回の下手人であるラップランドが果たしてどちらなのかはさておいて、裁判所に直接攻撃を加えるような真似をされては裁判も継続することはできない。ましてそのラップランドが、カラチ殺害の真犯人は自分であると名乗りを上げてくれば、予定していた判決を下すことなど出来ないだろう。

 チェリーニアを自己の申告のみで逮捕し裁判にかけていた以上は、同じく自己の申告のみのラップランドも俎上に上げなければ道理が通らない。これが水面下での動きなら黙殺もできただろうが、裁判所にトラックで突っ込むところを衆目に見られてはそれも不可能だ。

 まあつまり、チェリーニアたちの計画は見事に横槍を入れられた形になるだろう。

 

「……ああソラ、申し訳ないけどオレはこの公演が終わったらしばらく裁判所の世話になりそうだ。次の公演までには間に合うと思うが、今日の打ち上げは欠席すると皆に伝えておいてくれ」

「はい?……って、ラップランドさん!?」

 

 ラジオがやや遅れてラップランドの存在を伝えたのを聞いて驚愕しているソラには悪いが、カラチ殺害の咎でオレも多分しょっ引かれる。原作だとカポネとガンビーノがラップランドの密告というか告発というかで捕まってたが、あのポジションに近いだろう。

 別に出獄はすぐ出来るし、なんなら脱獄だって余裕で出来るが、公演中に水を注されるのは嫌だからな……ちょっとボルティニアあたりに命令して、捜査を撹乱させたりしておくか。第一幕が終幕するまでおよそ二時間と少しくらいだが、それくらいはオレ抜きでも持ち堪えてもらわないと今後困るし。

 

「ま、今は目の前の大舞台に集中しよう。この世はすべて舞台(All the world's a stage)ってね……劇中劇も演じきれないんじゃ、どうせ碌な結末になりはしないさ」

 

 オレからしたら本当に劇中劇だ……これまで上手く役をこなせてきたかは、全くもって疑問だが。




『テキサスの死』についてはヴィヴィアン/ソラとサルヴァトーレ/テキサスの対比・類比が綺麗だと思います。
本作ではあえてそれを崩してしまいましたが、作者なりに別の解釈を盛り込みたいところです(出来ているかは不安ですが)。

あとちょっとした疑問なんですが、ドンが変わるとファミリーの名前も変わるものなんでしょうかね?ベルナルドやヴィヴィアンの息子(ジョヴァンナの父)は下っ端からドンに成り上がっていったことが描写されているんですが、彼らのファミリーはそれぞれベッローネ、ロッサティで彼らの家名と同じなのが気になって。元からそうだったとは考えにくいですし。
逆にドンになると家名が変わるのかもしれませんが。


最近はシラクザーノ本編からは少し外れていたので、ここからは本筋を進める予定。
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