けれど雨は止むことなく   作:無明の旅路を照らす知識の灯火

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SR-12 雨にも負けず

 

「……何か言ったか?」

「いいや?多分ただの気の迷いだと思うよ。どうにもこの雨は気が滅入るからね……」

 

 鉄格子の向こう側でぴくりと耳を動かしてオレたちの来訪に応じたチェリーニアは、少し苛立っているようだった。それが何に対してのものなのかは分からないが、およそオレがその対象に含まれていることは疑いようがない。

 チェリーニアがシラクーザに来てからというもの、事が彼女にとって良い方向に進んだことはまず無かったし、そもそもシラクーザに戻ってくること自体がチェリーニアにとっては本意ではなかった。

 だというのにそのあちこちに姿を見せる奴がいるとなれば、鋭い目の一つくらい向けてくるのも当然というところだろう。

 思わずそれに身震いしてしまいそうになるが……何とか抑えつけて、ラヴィニアが進み出てくるのに道を譲る。

 

「今回のこと、ごめんなさい。手続き上はあなたの容疑は晴れたから、ここを去ることもできると伝えにきたのだけど……」

「いいや、こちらの方が面倒ごとを避けられると分かったからな。……それも、これまでのようだが」

「オレとしても申し訳なく思うんだがね?」

 

 冷たい目でオレを見るチェリーニアに対して、努めてにこやかに手を振る……流石に何の反応もないのは悲しいんだが?

 まるでオレが居ないみたいにラヴィニアと向き合っているチェリーニアに、少しばかり気を悪くしてしまうが。とはいえ自業自得なので何も言えない。

 ……このあしらい方、ラップランドへのそれと同じような感じだな?あれと同列なのは嬉しいというか悲しいというか、うん。

 

「ま、別に今すぐチェリーニアを引き立てる必要があるという訳じゃないからね。ラヴィニア裁判官の用事が済んでからでいいともさ」

「ええ、言われずともそうさせてもらいます。テキサスさん、あなたの旧い友人が本当にあの事件の犯人だったとお考えですか?」

「まだ真相を暴くことを諦めていないのか。……やりかねないが、理由は分からないな。あいつはああ見えて、自分なりに理由のある行動しか取らないやつなんだが」

「であれば、まだ事態を明らかにする余地は残っています。この一件で、最終的にベッローネとサルッツォは急接近しました……お互いがどこまで状況に関与し把握していたのかは分かりませんが、彼らは確かに利を得たのです」

 

 それから滔々と自身の推測を話すラヴィニアは、なるほど裁判官らしい。

 自分のアクセスできる情報をもとに、ベッローネとサルッツォが目下のところ怪しいということ……特にベッローネは、カラチ殺害以外の事件にも関与している公算が高いことを論証していた。

 実のところそれは全く正しい。これまで何度か触れてきたように、ベッローネのドン・ベルナルドはファミリーの存在しないシラクーザを切望しているがために、こうしてシラクーザを引っ掻き回そうとしているのだ。

 そういう真の理由まではまだ見抜けていないようだが、ただの裁判官──ファミリーの傀儡になるのが常のその立場にあって、ここまで推論できるのは本当に驚くべきことだった。

 

「……ですがいずれにせよ、ベッローネファミリーがどうしてこのような行動を取ったのかは分かりません。ですから私は、ベルナルドにそれを訊くべきだと考えています」

「そうか。お前にとって、ベルナルドは後ろ盾のようなものだと思っていたが……」

「もし彼が、公正と正義に悖る行いをしようとしているというのなら……それを止め、裁くことも私の役目ですから。それは誰であろうと変わらないことです」

「フッ、純粋な信念だな……そういうのは嫌いじゃない」

 

 心なしか穏やかな表情を浮かべたチェリーニアが、立ち上がってオレたちの方に近づいてくる。いくら狭い独房とはいえ、その奥からだと少し声も聞き取りづらいからな。

 あるいはそれを嫌うだけの近しさを、ラヴィニア相手には認めているということでもある。

 

「横槍を入れるようで申し訳ないが、そのベッローネとサルッツォは今日会食を催すそうだよ……サルッツォがベッローネを招く形だが。ベッローネの屋敷ならともかく、サルッツォにはラヴィニア裁判官も手出しはできないと思うけれど」

「……先程も思ったのですが、あなたは昨日からずっと収監されていたにしては色々とご存知のようですね?」

「昔からそういうやつだ。ずっとシラクーザにいるくせに、なぜかサルゴンやサーミにも詳しかったし……初対面のはずの私のことも、どこかで知っていたような素振りだった」

「サルカズのサイクロプスは、遠見のアーツを使えるそうだが……それに似たものってことにしてくれてもいいさ」

 

 ちなみにサイクロプスの遠見は千里眼というよりは未来視に近いが、破滅的な予言を得てもそれを覆すことはできないという。さながらカッサンドラのそれだが、そういうところまで含めてオレとしては親近感があるというか。

 過程は変えられても、結末だけは変わらない──スカーアイにしろアルゲスにしろ、その破滅だけは避けられなかった。いや後者に関してはまだまだ先の話ではあるんだが。

 だから全ては無意味だなんて言いたいわけじゃないが、むしろそれに反駁したいのだが。とはいえ傍から見ていて無常感に苛まれるのもまた事実だ。

 

「まあ、オレがなんで知ってるかはさておき。ベルナルドとレオントゥッツォは、もうラヴィニア裁判官の手の届かない場所にいるし……今ベッローネの屋敷に行っても、ディミトリくらいにしか会えないだろうことは確かだが」

「しかもこのタイミングで二家が会合するとなれば……手を組む、ということだろうな」

「ですが……それはミズ・シチリアの……いえ、シラクーザの秩序に真っ向から反することです。まさかベルナルド、あなたは本当に……」

 

 ファミリー同士が手を組んで抗争を仕掛けてはならない。

 ミズ・シチリアがマフィアたちに課した掟のひとつがこれだった。事態が大きくなり、シラクーザ全体を燃やし尽くすような戦火が起きることが無いように定められたそれは、今まで遵守されてきたのだが。

 そもそもミズ・シチリアの統治を嫌うアルベルトにとっては、いつそれに反目するかという問題でしかなかったのだろう。それがたまたま、ベッローネが弱体化し付け入る隙ができ、またシラクーザの秩序を乱していた今というタイミングだっただけで。

 もとより秘密裡に進められ、こうして露見するに至っても事態の動く速度はとてつもなく早い。今更になってそれを止めることは、ラヴィニアには出来はしないのだが。

 

「それで?ラヴィニア裁判官は、これで本件を裁判所の資料棚で埃を被らせる決心でもついたかな?」

「いいえ。たとえもう事態がルビコンを越えてしまっているとしても、それが私の信念を曲げる理由にはなりません」

 

 揶揄うようなオレの言に、かえって鋭く黄金の瞳を燃やしてラヴィニアは言う。

 決して曲がることのない芯を持ったラヴィニアは、たとえ無為であろうとも事態を収拾することを諦めるのを是としなかったのだ。おそらくは何であろうと折ることの叶わない、高潔な正義と人倫の。

 ただ……いくら頑丈な信念だろうと、それが立脚する土台が崩れてしまったのなら。折れずとも倒れ、二度と戻らなくなることだってあり得るだろう。

 

「むしろ、よりベルナルドに会わなければならない理由が強まったとすら言えるでしょう。彼には本件について説明してもらわなければなりませんし……」

 

 そこでラヴィニアは言葉を止めた。何かを言おうとしたが、それを言うことをラヴィニア自身が恐れているようだった。

 言うことで、取り返しのつかないことが起こっているのを認めてしまうか……実現させてしまうのではないかとそう思ったからだろう。

 

 ラヴィニアはベルナルドの庇護下にある裁判官だ。だからこそ彼女は、公正を掲げてファミリーに不利な判決を下すタイプの裁判官をしていても、他のファミリーたちに殺されることがなかったのだし。

 だがラヴィニアは、ベッローネにすら公正で厳格な判決を下していた。それはつまりベッローネにとって不利益であり、普通なら庇護を失い野垂れ死ぬのが運命だっただろう。

 そうならなかったのは、ベルナルドがラヴィニアと交わした約束があるからだ。公正の方が暴力よりも効率が良い、という理由によるものだが、それでもラヴィニアにとっては得難いものだっただろうそれ。

 いつかベッローネがシラクーザを支配した暁には、全ての裁判の公正が損なわれることのないようにする──ともすれば御伽噺ですらあり得ないような甘い夢想は、だがベルナルドのラヴィニアに対する期待の現れであり、何よりも彼自身の想いの込められたものだ。

 だからラヴィニアは、ベルナルドのことをファミリーのドンであるにも関わらず慕っていたのだろう。

 

 ……だから、今こうして公正ではなく暴力を選んだベルナルドを、ラヴィニアは認めたくなかったのだ。

 

「だがどうやって?まさかサルッツォの屋敷に単身乗り込むとは言わないと思っているが」

「……そこでどうして私を見る」

「別に?シラクーザを離れた君が、龍門で運送業者をやっていることを思い出しただけさ」

 

 オレの言葉に嘆息したチェリーニアは、傍のテーブルに置かれた紙にさらさらと書き付けてラヴィニアに投げ渡した。

 雨にも負けずお届けします。 ──「ペンギン急便」

 おそらく龍門での事業所の住所なんかも書かれているが、実はオレとしても初見なのでしっかり覚えておく。後で使えればいいが……。

 

 ともあれ、テキサスファミリーの末裔だとかベッローネの用心棒だとか、そういった立場ではなく。ペンギン急便のテキサスとして、チェリーニアはラヴィニアに力を貸そうとしているわけだ。

 それはオレがどうこう言おうと言うまいとチェリーニアはそうしただろう。そもそもチェリーニアはそういう人間だから。純粋な信念を貫く人が、理不尽にも虐げられるのを黙って見ていることのできない……そんな善人なのだ。

 

「はあ……シルウィアの言うことはさておいても、私の勤め先のペンギン急便は人の護送も業務内容に含まれる。初回に限り無料でのサービスも承っているぞ」

「それは……いえ、ぜひお願いします。代金については、私が満額支払うことにしますけれど」

「拝承した。内容はラヴィニア・ファルコーネ裁判官をサルッツォの邸宅に訪問しているベルナルドの所まで送り届けること、で問題ないか?」

 

 わずかに逡巡を見せたラヴィニアは、だがすぐにチェリーニアに向かって軽く頭を下げた。

 チェリーニアは頷き、徐に立ち上がったが……。

 

「ああ、ちょっと待ってくれチェリーニア」

「……なんだ?」

「まさか君は、サルッツォに真正面から喧嘩を売りに行くのにそんな身軽で行くつもりなのか?いくら君が強いとて、多少の準備は必要だろうに……というわけでちょっとチェリーニアのことを借りていくよ、ラヴィニア裁判官。どうせ会食はまだまだ始まったばかりだしね……」

 

 こっそりと解錠しておいた鉄扉を開け放ち、チェリーニアの手を引いて廊下に連れ出す。実は結構な力で抵抗されたが、それでもこうして連れ出せたあたり本気ではなかったということだろう。

 せっかくこうして剣を向け合うことなく出会えたのだから、少しばかり旧交を温めるくらいはまあ許してくれるということらしい。

 そういうところが、ただ逃げたというのとは違うから……チェリーニアのことはどうしたって嫌いになれないのだ。

 

「七年と五ヶ月ぶりなんだ、まあお互いに思うところもあるだろうが……」

 

 今ばかりは、昔みたいに気安く接することができれば嬉しいんだが。そう思いながら、オレは軽くスキップしてチェリーニアを先導する。

 

「……そう分かりやすくはしゃぐところも、お前は変わらないな」

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