全身の神経を針でくまなく直接刺激されているような、耐え難い痛みに苛まれてオレの意識は覚醒した。
それまでにも怪我を負うことはもちろんあったが、それも五体満足で切り抜けられた程度のものだったから、こうまで酷い痛みは初めてだった。あまりに辛くてそれを堪えるために歯を食いしばったり声を出そうとしたりするのだが、その行動自体がさらに痛みを引き起こすので結局は痛みに悶えることに変わりない。
正直なところ死んだ方がマシなのではとすら思ったが、あの後でチェリーニアがどうなったのかが心残りでたまらなかったので、何とか意識を繋ぎ止めて目をうっすらと開く。
「……無理せず安静にしておけ。医者の話ではお前は怪我の治りが早いそうだが、それでも一週間は身動きが取れないそうだ」
「チェリーニア……!君は無事だったのか?あの後で一体何があった?ここは何処なんだ?それに……うぐっ」
「質問は簡潔にしてくれ……私は大事ない。ここはレム・ビリトンとの国境地帯の村だ。住人が偶然私たちの近くを通りかかって連れてきてくれた。お前が動けるようになるまで、ここで世話になることにしている」
「そうか……そうか。それは、良かった」
白く清潔なベッドの上で今なお全身を蝕む激痛に耐えながらではあるが。ひとまずチェリーニアが無事だったというのは、オレにとって何よりも朗報だった。
腕や足に包帯を巻いているようだが、普通に立って話せているあたり後遺症も無かったということだろう。オレのベッドの傍で、壁に背を預けて煙草を吸っているあたりはいつものチェリーニアだ。
……怪我人のいる部屋で煙草とか、医者に怒られそうな感じもするが。まあオレは喫煙者ではないが、シラクーザでは煙草とか葉巻とかを吸う奴らも少なくないので、それほど目くじらを立てて怒るようなものでもないと思う。
というかそれをいちいち気にすることができるほど、今のオレに余裕がないというのが大きいが。
「ああ……すまなかった、オレのせいで、君をこんな目に、巻き込んでしまって。君だけなら、こんなことには……ならなかっただろうに」
痛みに途切れ途切れの、聞き苦しいものだっただろうが……チェリーニアはオレの言葉を聞き取れたようで、呆れたように嘆息して。
「気にしていない。それよりも、同行者を見殺しにする方が寝覚が悪いからな」
「はは……らしいと言えば、らしいかな……」
「とにかく、今は休んでおけ。どの道、最寄りの移動都市までの交通手段を確保するまではここを離れるわけにもいかない」
「ありがたく、それに甘えさせてもらうよ……」
オレの意識が、再び昏く底無しの闇に落ちていくのに時間はかからなかった。ただし今度は、それにどこか安心感すら感じていたが。
◇
何度か断続的に覚醒と気絶を繰り返し、いつの間にか太陽と双月が七度ほど交代した頃に、ようやくオレはベッドから立って動けるくらいには回復していた。
高度何百メートルとかいう高所から落下した割には驚くほどに早いが、これはテラ人の身体の治癒能力が高いのと、あとは医療系のアーツの存在が大きな理由だろう。オレはそっち方面には明るくないからよく分からないが、とりあえず外傷系に関しては前世よりも治療が簡単な印象はある。
翻って病気の治療になると、あまり技術が発展していないような感もあるが……これは
ともあれ、ベッドで臥せっている必要が無くなったならすぐにでも退院しなければならない。何せ病床には限りがあるし、あとは自力で何とかできるオレのような患者はさっさと追い出さなければやっていけないので。
そういうわけで、チェリーニアが村人に貸してもらっていた宿泊先に転がり込むことになったのだが。
「……たった一週間の滞在の割に、物が多いね?」
「資金稼ぎに村の人の困りごとを解決してやっていたら、礼として色々と貰ったからな。お前も好きに使うといい」
「はは、君らしい。ならオレもそれを手伝った方がいいな……ここから最寄りの都市はアレッツォかな?いずれにせよ、旅銀は多い方がいいだろうしね」
わずか一週間の間で、住人たちから仕事を任されるくらいに信頼を勝ち取ったらしいチェリーニアには脱帽というか、まあ納得というか。
まあどうやったって、オレたちが本拠地に戻るまでには時間も金も必要だ。なら、その時間を使って金を稼ぐというのは理にかなってはいるのだが……だからと言って、それが実際にできるのかは別の話だ。
マフィアをやっているオレたちは裏の社会の住人である。そして、裏と表は本来であれば混ざり合うことなく分たれているべき二項対立だ。ミズ・シチリアが暗黙のうちに定めたその掟を別にしたとしても、表社会の住人にとって裏社会は忌まわしい影のようなもので、普通なら関わり合うことも避けたい厄介ごとなのだ。
だというのにチェリーニアは、まるで今までちょっと遠出していただけのように村に溶け込んでいるという。それがどれだけ難しいことか……長きにわたって浴び続けた血の匂いは、いくら洗おうと落ちはしないのに。
その証拠というか。チェリーニアに倣ってオレも小銭稼ぎを試みたのだが、どこか怯えられているというか避けられているというかで、あまり上手くいったとは言えない。肉体労働なら多少問題があろうと受け入れてくれるところも多いとは思うのだが、オレは何とか歩けているだけで身体はボロボロだし。
なのでアーツを無理矢理に転用して、身体を動かすことの代用に充てたわけだが……まあ、アーツの制御を鍛えるのには役に立った。つまりそれくらいにはしんどかったわけだ。
「はあ……命の恩人に言うのもなんだが、あの医者がオレたちの足元を見てるんじゃないかと疑いたくなるな?」
「医者の貴重な田舎だとそんなものだろう。私からすれば、日常的に怪我人や死者の出るシラクーザの都市部の方がおかしいくらいだ」
「それはそうだけどね。返済に追われている身としては文句の一つも言いたくなるさ」
オレの治療費と、最寄りの移動都市までの旅費を稼ぐまではオレたちは身動きが取れなかった。いや、チェリーニアは自分の旅費さえ稼げばさっさとオレを置いて帰ってしまうこともできたのだが、そうはしなかったから。
先述の通りオレはそこまで仕事にありつけたわけではないので、ありがたい話ではあったが。同時に申し訳なくもなるな……。
ともあれ、そういうわけでオレとチェリーニアは結局一月ほどその村に滞在することになったわけで。
都市部の喧騒から離れたその日々は、オレにとってもまた新鮮なものだった。前世でも都会暮らしだったし、こっちでもファミリーの基盤がある都市部でばかり暮らしていたからだ。
こういう辺境の村にも、ファミリーの影響が完全に無いというわけではないが……それはどちらかと言うとただのチンピラに近い弱小ファミリーが殆どだ。どうせ大した稼ぎにもならないので、大きなファミリーは田舎には基本目もくれない。
なので、ファミリーの蔓延る都市部に比べると本当にシラクーザなのか疑わしくなってしまうくらいには安穏とした場所だった。あるいは本来であれば、シラクーザはこうあるべきだったのかもしれないが。
そしてそんな暮らしの続いた中のある夜。
オレはふと、目が覚めて寝床から抜け出した。これといった理由はない。まだわずかに残った痛みのせいだったかもしれないし、雲ひとつない夜空に煌々と輝く双月の光に目が冴えてしまったからだったかもしれない。
どうであれもう一度寝付けそうになかったオレは、何とはなしに傍のベッドを見てチェリーニアの姿がそこにはないことに気が付いた。それ自体は別に大したことはないのだが……何となく気になって、チェリーニアの匂いを追って外へ出た。
……匂いがどうとか言うとなんか変態じみて気持ち悪いが、ループスは嗅覚に優れたやつが多い種族でもある。例えばレッドは匂いから本来なら分かるはずもない情報を獲得したりと、ただの嗅覚とは思えないほどに優れた能力を持っている。オレは流石にそこまでではないが、猟犬みたいに匂いを利用して追跡するくらいなら出来る。
なので別にそういうフェティシズムがあるわけではない……信じてもらえるんだろうか、この説明で?
まあともあれ、そうしてチェリーニアを追って小高い丘の上に辿り着いたオレは、そこの斜面に寝転がって空を眺めていたチェリーニアを見つけたわけだ。
偽りの天蓋であるにも関わらず、あるいはだからこそ、前世のそれよりも壮麗で美しい星空の下で。
微かな星明かりに照らされたチェリーニアは、だがその星々の美しさすら霞むほどに綺麗だった。
「立っていないで、お前もこちらに来たらどうだ?横になった方が空はよく見える」
「ああ……ならお邪魔するよ」
チェリーニアの隣で、同じように空を見上げた。
そうと知らなければ無窮に広がっているのだと勘違いしてしまいそうな星のさやは、眼下の小さな村に焚かれた灯火を吸い込んで黒々とただ佇む。オレたちなど知らぬとばかりに悠然と雄大な、その威容に圧倒されてオレはただ口を閉ざすしかなかった。
チェリーニアもオレと同じく何も言わずにただ空を見ているが……それはオレのように呑まれているのではなく、ただ絵画を眺めているような目だった。美しいものをただ美しいものとして捉えるような、ある意味で純真無垢な。
それを見てオレの気持ちも軽くなったから、ふと口を開いた。
「……今更な話なんだが、どうしてオレをわざわざ助けようと思ったんだ?一歩間違えれば君もろとも大地の染みになっていただろうに」
「前にも答えただろう、寝覚が悪いからだ。お前は私の手の届くところにいて、今にも命を落とそうとしていた……それを見殺しにするのは、気分の良いものではない」
「それがこのシラクーザでどれだけ得難い考えか分かっているのか?……いや、余人がどうあれ君には関係のないことかもしれないが。それでも、どうしてそんな考えをしているのやらオレにはさっぱり分からんからな」
「さてな。クルビアにいた時も、こうしてシラクーザに来てからも、私は自分が何か変わったとは感じていない。だから、なぜと聞かれても答えようがない」
お互いに空を見たままで会話を交わす。だからチェリーニアの方を伺うことはできなかったが、少し辟易とした感じが漂っているのは分かる。
シラクーザという口にすればたった数節の言葉が、チェリーニアの望むと望まざるとに関わらず付き纏ってくることに対する倦厭の気持ちだった。
「皆は私のことを、いかにもシラクーザ人らしいと言うんだ。剣を振るおうと、言を発しようとどんな時も。だが、こうして「シラクーザ人らしくない」行動を取っても、結局はシラクーザ人という言葉が私のことを表すのに使われるのは変わりない」
「ああ……なるほど。まあそういうのは、言いたいやつが好きに言っているだけだが……」
いったん言葉を区切ったオレは、上体を起こして遥かな星空ではなく眼下に広がる村へと目を向ける。
世闇に紛れて襲撃してくる賊だの獣だのを退けるために絶えず灯火の焚かれぼんやりと照らし出されているその姿は、だが電飾やネオンで煌びやかに輝く都市部の明るさとは全く違う。
そうしなければいけない、という切迫された所以のそれは、美しさよりも空恐ろしさの方が先に来てしまうからだ。
「君ももう気づいているだろうけど、こういったシラクーザの辺境地域ではファミリーの血腥い暗闘なんてものは縁遠い。利益がどうこうという話を抜きにしても、そんなことに現を抜かしているようじゃまず生きていけないような過酷な環境でもあるからね」
「そうだな。野生の獣の類から匪賊まで、この一週間だけでも見飽きるくらいだった」
「オレからしたらまったく「文明的」じゃないが……だが、ここもまたシラクーザだ。地理的、歴史的、行政的にそうであることに疑いはないし、彼ら自身も自分のことをシラクーザ人だと認識していることは明らかだしね。……これを見て、シラクーザにファミリーが不要とまで言い切れるのかはオレには分からないけど。少なくとも、オレたちの慣れ親しんだシラクーザとはまた別の形で、シラクーザが存在しているというのは確かな事実だ」
ベルナルドは、ここにファミリー無きシラクーザの夢を見た。オレはそこまで極端にはなれないが、これもシラクーザであるということは確かに認めるべきだと思う。
文明と荒野、対立する両極のような概念ではあるが……実のところ、それが綺麗に分たれていることなどそうはない。シラクーザの都市部がその混迷を表向きうまく隠しているのに対して、こちらは坩堝を曝け出しているというのが違いではあるが。
どちらにせよ、シラクーザというものがそう簡単には定義もできないものであるのは確かだ。それは本来なら、形容に用いるべきではないほどに。
「だから、オレはあえて君のことをシラクーザ人らしいと形容するよ。それは都市の陰惨というよりも、清濁暗明の入り混じった諸相としての、だが。もとより何事もそういうものだしね」
「フッ。それでは結局、大した意味のない表現になっている気がするが」
「それでいいのさ……シラクーザ人らしい、なんて土台そういう言葉だよ。君に対する賛美を言葉にするのが嫌だからって、シラクーザなんて曖昧なラベルで覆い隠しているだけの」
オレと同じように上体を起こしたチェリーニアが咥えた煙草の火が、吹き荒ぶ風で明るくなったり暗くなったりを繰り返しているのを尻目に。
オレは星々の煌めく夜の空に向かって開いた手を伸ばしたが、すぐに掌を閉じてそれを地面に投げ出した。ひんやりとした草原が熱を奪っていくのが気持ちいい。
……本当に綺麗な、オレを押し潰さんばかりの大空だった。
◇
「ちなみにオレは君のことを褒めるならきちんと言葉にするよ、真っ先に来るのは多分「顔がいい」だけど。……そんな目で見ないでくれ、純粋に一目惚れってだけだから」
「はあ……一気に話の説得力が無くなったな」
テキサスが喫煙者なのは(一応)独自設定です。コーデとか見るに、シラクーザにいた頃は吸ってたんでしょうか。