その日、変わらず暗雲の下に抱かれたウォルシーニで、一発の銃声が響き渡った。
それ自体は決して珍しいことではない。
確かに銃はシラクーザにおいてそれほど流通していないが、携行可能な拳銃程度であれば、ある程度の伝手と資金さえあれば誰でも入手することが可能だった。まして暴力と文明の入り混じるシラクーザでは、その引き金は羽獣の羽よりも軽い。
ボウガンに比べれば発射音が目立つから、使う側からも使われる側からも、あるいは知らぬふりをする側からも面倒に思われてはいたが。それでも一週間に一度くらいは、市街のどこかで銃声が木霊するのが常だったのだ。
ただ、今回の銃声はまったくそれとは違っていた。
ウォルシーニ中──いやシラクーザ中に、その乾いた発砲音は響き渡っていたからだ。
都市全体に張り巡らされたラジオ網、そして移動都市間に一定距離毎に配置されたトランスポーター達の超遠距離通信を複数回経由することによって、シラクーザのあらゆる都市でそれが聞こえるように仕込まれていた。
ウォルシーニでのラジオ放送は、ベルナルドの影響が色濃いラジオ局によるものだったが。それ以外の全シラクーザへの中継は、シルウィアが貿易商としての伝手を利用して、今日この時のためだけに築き上げた超大規模な通信網だった。
絶えず都市が移動し、また天災や人災の蔓延るこのテラの大地で、常に機能する広域通信は構築することが不可能に近い。ロドスが導入しているような高性能な通信機ならばそれなりの距離を繋ぐことはできるが、それでも都市間の商用通信網に応用するほどには流布している技術ではないし、まして導入コストも難易度も高すぎるのだ。
だが、逆に言えば。
この瞬間だけ……ルビオの演説と、その自殺をシラクーザ中に届かせるというのならば。リスクと費用を度外視すれば、シルウィアにとっては可能だった。
「悪いね、お前の死すらオレ達にとってはただの呼び水なんだ……許してくれとは言わんよ」
そう嘯いてシルウィアは、ルビオに黙祷を捧げた。
そこに込められていたのが、果たして本当にルビオに対する弔意だったのか──他の誰かに対するものだったのかは、本人にすら分からないが。
ただシルウィアの思惑がどうあれ、もうシラクーザ中に電波に乗って広まってしまったルビオの演説は、消し去ることなど出来はしない。
あるいはファミリーは、公的な記録からこの放送を消すことこそ出来るかもしれないが、人々の記憶から消すなどということはどだい不可能だった。
それはルビオという一人の平凡なシラクーザ市民が、だが命を賭してまで伝えようとしたからこそ、だ。
「ベッローネとサルッツォが手を組んでミズ・シチリアに叛逆する……そのために、今までの抗争を仕組んでたっていうのか?」
「……俺の息子は、そんなことのために殺されたのか?あいつらが「権力」とやらを握るために?」
「暴力に基づくことのない秩序、か。そんなものがシラクーザで実現できると思うか?」
「さてな。だが少なくとも、我らが母なるリターニアのような他国家では、マフィアのような暴力組織が公然と陽の下を歩いてはいなかった。それを踏まえれば……」
「そもそも今のシラクーザの方がおかしい状態にある、とも言えるか」
「くそ、あの野郎言いたいだけ言って逃げやがった。好き放題しやがって……」
「やめとけ。お前が今更どうこうできる話かよ?ああいうのは、ドンみたいなお偉いさん方が頭を使って対処するもんなんだよ……まあ、俺としても思うところはあるけどな」
「なんだ、お前もあそこで騒いでる奴らみたいに義憤にでも目覚めたのか?」
「まさか。それこそ今更って話だろうに……ただ、お偉いさんが「権力」に取り憑かれてるってのは、ちょいと悲しいと思ってな。俺達がやってるのは暴力を振るうので変わってないっていうのにさ、それを色んなお題目で誤魔化して覆い隠そうとしてる……それが「権力」のためなんだろ?もっと俺達のしたことに誇りとかを持って向き合ってほしいよな」
ルビオの演説は、確かにシラクーザの市民の心を動かしていた。
それは単純に、誰かが公然と「沈黙の掟」を破ったという先例になったからだ。マフィアに対して堂々と批判し、そのために命を落とすことも厭わなかった姿勢は、ある意味で英雄的だった……それに流され感化されるのは、市民にとってそう難しいことではない。
加えてシルウィアは市民の間に、自分の配下を紛れ込ませていた。いわゆるサクラだが、ファミリーに対する反感を煽るような、そういった発言をあちこちで行わせたわけだ。
そもそもシラクーザの市民は、マフィアに対する不満を恐怖によって抑圧して生きてきた者が大半だ。そこで身近に、その不満をぶちまける者がいれば……付和雷同と言えば聞こえは悪いが、概ねそういうことだ。
シルウィアはそうなることを見越して、自らの貿易網を利用してシラクーザ各地にサクラを仕込んでいたわけでもあるし。
本来の歴史では、ルビオの演説に伴う混乱自体はおよそ半日で収拾される。
その後に続くヌオバ・ウォルシーニすなわち第二中枢区画の分離という火種は、それとは比べ物にならないほど長く燃え続けたというのにも関わらず、だ。
それはつまり、ルビオの演説とヌオバ・ウォルシーニの分離は市民にとっては連続した事象だと捉えられていなかったということになる。市民達はルビオの演説を消化し、その後にあるいは他人事としてヌオバ・ウォルシーニの騒ぎを見ていたのだ。
だが、ウォルシーニはおろかシラクーザ全体にまで広まったルビオの演説を、たった半日で火消しするなど不可能だ。それはいかなミズ・シチリアとて。
よって当然、市民達の興味関心はルビオの演説……つまりはマフィアと市民という対立に向けられたままで、ヌオバ・ウォルシーニの分離を迎えることになるだろう。
ファミリー同士が利権と権力を求めて争い合う、ある意味で最も現代のシラクーザらしいその一幕に。
それは、ベルナルドが望む「ファミリーなきシラクーザ」を実現するための確かな一歩だった。
──ただ、シルウィアはそれだけで是とはしなかったが。
「あー、あー、聞こえてるかな?さっきまでルビオ食品安全保障部長が放送していたチャンネルをそのままお借りしてるんだが……しっかり届いてるみたいだな、階下が騒がしいし」
「どうも親愛なるシラクーザ市民の皆さん、先程のルビオ元部長の身命を賭した演説はそれはそれは素晴らしいものだった。オレもうっかり聞き入ってしまうくらいにはね」
「そこで皆さんにとっては蛇足かもしれないが、まずは幾つかの補足をさせてもらうことにしよう。何、大した時間は取らせないともさ」
「まず第一に、彼が旧友のカラチの死へ憤り、背後に潜むベッローネとサルッツォへの復讐のために今回の件を暴露したということ……これは確かに事実だが、同時に全てではない。ルビオにとって、ファミリーとはその二家だけではないからな」
「彼はファミリーが牛耳る今のシラクーザそのものへの怒りをも抱いていた……同時に、自分だけではそれに抗うことが出来ないということも分かっていたが」
「だから彼はこの演説では、ベッローネとサルッツォの謀略を暴露するだけに留めた。今の彼に出来る、最大の抵抗とはすなわちこれだったから」
「だが彼にとって、ベッローネとサルッツォの権威を貶めることは本来なら余事だった。彼にとって最も重要なのは、自分と同じように今のシラクーザへの怒りを持つ者を、その意志を鼓吹することであるから」
「自分では不可能だった、だが他の誰かなら……彼は自身の手の届く範囲を理解していて、それでも理想を諦めきれなかった夢追人だったとも言えるだろう」
「だから、ルビオの演説を聞いて何か思うところがあった者は、彼の遺志を継いでくれるとオレとしても嬉しいものだ」
「そして第二に、そんなことをしてもマフィアに擦り潰されるだけだと考える者も多いだろうが……結論から言えば、マフィアの支配を覆すことは、市民の皆さんのやり方次第では可能だということも伝えておこう」
「ファミリーとはつまり、擬似的な家族関係を紐帯に構築される組織だが。ここで考えてみてほしいのは、どれだけ規模が大きくとも、たかがいち家族だけで移動都市を支配することが叶うのか、という問いだ」
「多くの人はこう答えるだろう──不可能だ、と。そしてそれは事実だと言える。なぜなら、ファミリーは真に移動都市、ひいてはシラクーザを支配したことなど無いからな」
「彼らが及ぼす支配の手は、結局のところ極めて狭いものでしかない。そこで、それを補うためにあなた方市民の構築した基盤を裏から操ることで、シラクーザ全体に支配を及ぼそうとしているに過ぎない」
「これで「シラクーザを支配する」などと、誇大妄想じみていると言わざるを得ないだろう」
「あるいは支配に限らずとも、普段の生活に目を向けてもいい。着る服、食べる物、住む家……これらのうち一つでも、マフィア達が生み出すことは無い。彼らは市民が生産したそれを収奪して、ようやく生き永らえるだけの存在に過ぎないとも言えるだろう」
「詰まるところ、彼らはあなた方市民の力が無ければ存在することすらできない。今までは、暴力という表面的な力でそれを覆い隠してきたが……きちんと考えてみれば、彼らはあくまでシラクーザという国家における弱者でしかないということは明白だ」
「ゆえに、皆さんの中で、ルビオの死を悼み彼に共感するものがあれば……どうか、臆することなく立ち上がってほしい。この旧弊に凝り固まったシラクーザにおける新たな兆しとして、それでも命を落とした彼の志を継いでやってくれ」
「それがシラクーザの……あなた方のために身を捧げたルビオへの手向けにもなるだろうし、ね」
「……そろそろサルッツォの手勢がこの部屋に乗り込んできそうな勢いだし、お暇させてもらうことにするよ」
「まあ長々と喋ってはきたが、最後は皆さんの決断次第だ。シラクーザの未来のために、あるいはそこを生きる市民達のために。より良いと思う選択をとってくれると嬉しく思う」
ラジオはそれきり沈黙し、ノイズを吐き出すだけだったが……シラクーザの市民達の記憶にはルビオの演説と、それに続いた何者かの放送が確かに刻み込まれていた。
◇
「あら……ルビオ部長も、存外に思い切りのいい人物だったのね。私達に阿って顔を伺うだけだと思っていたけれど」
「いいじゃねえか。限界まで腹の裡を隠して耐え抜いて、最後の最後にそれを爆発させた……そういう反抗は、俺の性に合ってるしよ」
「天下の「帝王」ラッパーであるあなたなら、そう言うでしょうけど。シラクーザに生きるいち脚本家としては驚くべきことなのよ、これは」
「ハッ、だからこの国は湿っぽいってんだ。おかげで昔のことを思い出したがな……今の俺は天才ラッパー・エンペラー様にしてペンギン急便のトップなんだぜ、極北の氷原で滑り回ってるような奴じゃねえ。あの馬鹿オオカミとは違うってんだ」
「この国の雨季が気の滅入るものなのは否定しきれないわね……まあ、それはいいわ。そのペンギン急便の社長としてのあなたに頼み事があるのよ」
「ん?仕事の依頼なら正式な手続きを経てお願いするぜ」
「そうじゃないわ、むしろ逆ね──私を、ペンギン急便で雇ってくれないかしら」
「……ほーう、そういうことか。中々気骨のある奴じゃねえか、気に入った!ちょうど人手も足りねえってんでアルバイトかインターンでも募集しようと思ってたんだ、ウチの従業員になるからにはこき使ってやるから覚悟しろよ?」
「ええ、望むところよ」