ルビオの演説と死、そしてそれに続く匿名の放送が、シラクーザ市民の間である認識を形成したことは確かだった。
すなわち、市民とファミリーは相反する存在であり敵である、という。
実現できるものかはさておき、そういった対立構造の存在を改めて突き付け、また抉り出したのだ。
それは「沈黙の掟」に慣れ、目を閉ざし耳を塞いで口を噤むことにあまりにも馴染みすぎたシラクーザ市民にとっては、ある意味で新鮮で……同時に「面白い」興味の対象でもあった。
マフィアに支配される悲劇的な舞台、シラクーザ。そこに生きる自分のことをさながらオペラの登場人物のように見立てて、自己陶酔にも似た恐怖と憐憫に浸る。
逃避とも取れる歪んだ受け取り方かもしれないが……今まで暗黙のうちに済まされてきた諸事に向き合うことになった時に、真っ向から受け止めることができる人物というのは、存外少ない。
そもそも、それが可能な人物はすなわち英雄と呼ばれる類の狂人であり、概して「暗黙の了解」にもはじめから従わないものだ。カラチやルビオはこの部類だろう。
それを踏まえれば今まで沈黙を保ってきたシラクーザ市民がそのような英雄ではなく、ルビオの命を擲って叶えた演説が彼らに正しい意味では響かなかったのも当然のことだった。
だが同時に、そんなシラクーザ市民の中にも、彼の演説に本当の意味で心を揺さぶられた者がいたのも確かなことだ。
旧弊なシラクーザを打破せんと試みてきた若きファミリーの後継者。現在のシラクーザに疑問を感じ抗い続けてきた裁判官。
あるいは、そもそもシラクーザの外から訪れた、今は亡きシラクーザファミリーの末裔。
彼ら彼女らにとって──そしてそれ以外にもきっと存在する、無名の英雄達にとっても──シラクーザにおける市民とファミリーの関係は、言われるまでもないことだったかもしれない。
しかしそれを暴き、抗うために自らの人生と身命を投じたルビオは、彼ら彼女らの心を確かに打った。
──この国には、あんな形で死ぬべきではない人々がいる。彼らは助けを必要としていて、それに値する人物だ。
その深く燃えるような瞋恚こそが、きっとルビオがカラチから受け継ぎ、そして誰かに継承してほしかった志だったのかもしれない。
ファミリーに対する、そしてファミリーが牛耳る今のシラクーザに対する、決して絶えることのなく身を焦がす激情。
それは確かに、ルビオの死を種火としてシラクーザのあちこちに燃え移っていた。
ただ。
「どいつもこいつも、シラクーザにはファミリーかそれ以外かの区別しか無いと思ってやがる……俺達のことは眼中にも無えってのか?」
その憤怒と同じように……あるいはより激しく、己が身を燃やし尽くすほどの怨嗟を抱く者もまた、シラクーザには存在した。
感染者。
それはシラクーザも例外ではなく、感染者となればそれまで親しくしてきた人々から化け物を見るような目を向けられることだって少なくない。あるいはそれだけなら有情で、実際に不利益を被る形で差別を受けることだって珍しくもないのだ。
しかし同時に、シラクーザにおいて鉱石病・感染者といった概念は未だ人口に膾炙していないのも事実だった。
それはひとえに感染者問題がシラクーザで深刻化してから、人々がそれを受け止めるのが間に合わないほどに爆発的な速度で感染が拡大していったからだろう。
感染者問題の黎明期における未知から来る厭悪と迫害が、その混沌の中で人々に根付き……それが取り払われることのないままに、感染者はシラクーザでありふれた存在になってしまった。
つまり多くのシラクーザの住民にとって、感染者とは差別と迫害の対象ではあるのだが、同時に興味関心を向ける対象では全くなかったのだ。
彼ら彼女らのことを虐げこそすれ、その理由を考えることはもう無いし、そもそも虐げているということすら殊更に意識するようなものではない。
そのあり方は、ともすれば「沈黙の掟」にも似ていると言えるだろう。
口に出してしまえば、意識してしまえば。自分の現在が、砂上の楼閣よりも容易く崩れ去ってしまうことが分かるから。それゆえの沈黙、それゆえの無知だ。
ただ一つ、ファミリーという強者によって強いられた「沈黙の掟」と、感染者という弱者のために市民達が選び取った感染者差別では、その必然性も妥当性もまるで違うけれども。
だから──感染者達にとって、ルビオの演説は噴飯ものだったのだ。
ああ確かに、ファミリーと市民は対立しているし、市民は虐げられてきたのだろう。
だが、そんなことを論じる前に。お前達はどちらも、俺達感染者を差別し迫害してきたくせに……今になって、一丁前に被害者面をしてこの国を批判するのか?
これからもずっと沈黙を保つというのならまだいい。ファミリーがお前達を、お前達が俺達を。納得なんかできるはずもないが、それでも弱肉強食の摂理だと一定の理解はしてやろう。
だというのに、自分達は虐げられたくないくせに、俺達のことは踏み躙ったままで触れもしないのか?そんな都合のいい夢物語が、本当に成立するとでも思っていたのか?
許されるはずがないだろう、そんなことが!
お前達がファミリーという存在を否定するなら。俺達が非感染者という存在を否定したって問題は無いはずだ。
お前達がシラクーザの基礎をなしているというのなら。俺達がシラクーザの根幹をなしているということすら、同じく自明だろう。
お前達が感染者を踏み躙るのが法で許されるなら、俺達が非感染者に報復するのも法で許されるべきだろうが!
ウォルシーニのどこかで、一人の非感染者が一抹の落胆と悲嘆とともに発露させたその怒りは、瞬く間にウォルシーニの感染者達に広まった。
それはきっと、ルビオの演説が市民の心を動かしていたことの現れでもあった。良きにしろ悪きにしろ、シラクーザ市民はどこか浮ついて地に足のつかない状態にあったのだ。それは非感染者も感染者も同じく。
そして非感染者がファミリーと市民の別で盛り上がっているからこそ、感染者達の怨嗟もまた深くなった。あんなにも不当に対して憤れるのに、感染者問題については目もくれないその矛盾と傲慢を、間近で感じることになったから。
そしてそれは、ウォルシーニだけではなくシラクーザにまで波及する高波だ。
シラクーザのありとあらゆる都市で、似たような怒りを上げる者がいた。それが果たしてシルウィアの手による仕込みだったのか、それとも抑圧され続けてきた感染者の怨嗟が噴き上げた偶然だったのかは定かではないが……それぞれの都市から発生したその波は、絡み合いシラクーザ全てを呑み込む巨大な渦を作り上げた。
今やシラクーザでは、感染者と非感染者の間の対立は顕在化されていた。無意識のうちに行われていた差別と迫害、それを抉り出し突き付けるように。
市民とファミリー、感染者と非感染者。本来ならば交わることのない二つの巨大なうねりが、しかし絡み合いぶつかり合って、シラクーザという国家そのものにまで牙を剥こうとしていた。
それは火種を蒔いたシルウィアですらもはや制御できず、止めることも出来ないほどに激しいものだ。
「オレの杜撰な計画ですら、こうも簡単にシラクーザ全てを焼く燎火になるなんてな。シラクーザそのものが、あるいは時代が。こうなることを望んでいたということか……まあオレは、時代を牽引するというよりは時代に引き摺られている感じだが」
そう自嘲して、シルウィアは空を見上げる。
あの一発の銃声がまるでシラクーザを覆う暗雲を払い除けたかのように、その切れ目から薄明光線の射し込む景色はさながら一幅の絵画のような美しさだったが……その光の当たらない場所は、変わらず雲の影が落ちて暗いままだった。
◇
ロドス・アイランド号は、それ自体が独立した移動都市であり陸上艦である。
単艦で行動することを前提に、搭乗者の居住区画をはじめとしてロドス・アイランド号だけで完結することを旨に運航されていると言ってもよい。
とはいえ超大規模の移動都市のように食糧生産を完全に内部だけで賄うことは不可能だし、まして移動都市である以上は燃料の補給は必須である。そういう理由から、人の出入りもそれなりにあるのだ。
そしてその出入りのそれなりの割合を占めるのが、トランスポーター達である。過酷なテラの大地を縦横に移動し、情報や物資を移送するだけの能力があると認定された国際トランスポーターは、テラの各地に支部を置き、また支援を派遣するロドスにとって無くてはならない存在だ。
それこそ一部のトランスポーターは、ロドスと個別に契約を結んで活動していることもあるくらいには。
その日、ロドスに訪れたトランスポーターもその類だった。
彼女が運んできたのは、シラクーザからロドス・アイランド宛の手紙と、それと同じ送り主と思しき小包が一つ。
それだけならば、然程おかしい物ではない。ロドスには比較的少ないとはいえシラクーザ出身のオペレーターや患者も在籍しているし、彼ら彼女らに向けて郵便が届くことも珍しくはないからだ。何となればそのトランスポーター自身がシラクーザ出身者だったりするし。
ただ、その配達が他のそれとは決定的に異なっていた点が一つ。
ロドス・アイランド製薬、医療事業部門、ケルシー女史。配達先にはそう記されていたし、依頼主はトランスポーターとの契約の際に確かにその名前を口にしたという。
つまり、送り主はロドスのことをそれなりに知っており、かつその上でCEOであるアーミヤではなくケルシーに接触を図ったということになる。
ケルシーがただの医者ではなく、様々な事柄に関わってきていることはロドスの中でも暗黙の事実だったから、それだけなら過去の因縁だと考えることもできた。というか郵便物を管理する部門の職員はそう考えて、危険物が入っていないか入念に検査をした後にケルシー宛に艦内配送を手配した。
だが、ケルシーにとってもその配達物は思い当たる節のないものだったのだ。シラクーザは若い国家であり、リターニアから独立してから百と少しの歳月しか経ていない。そしてその僅かな期間にあって、ケルシーがシラクーザを訪れたことはただの一度も無かったからだ。
「そもそも、ロドスによる組織としてのシラクーザへの調査・介入は打ち切られて久しい。彼の国はシラクーザマフィアと呼称される集団が牛耳っており、彼らは自らの領地を侵す者に対して容赦無く報復を行うことが常だからだ。それは彼らの言う「面子」の問題であり、またそうしなければ勢力を維持できない不安定さを物語っているが……」
「ですが、そんなシラクーザからどうしてケルシー先生宛に手紙が届くのでしょうか?あちら側からしても、今更ロドスに対して接触を取る必要はないはずです。それにケルシー先生を名指しで、というのも奇妙ですし」
「それゆえ、実際にこの手紙と添付された小包を開封するべきだという結論に至ったんだ。ドクターがクルビアに向かい不在である以上、我々に降りかかる様々な政治的圧力に対して抵抗するための手段は少なく、また脆弱であると言うことは認めなければならないからな。仮にこれがシラクーザにおける権力者からの書簡であり、向こうが何らかの思惑を持っている場合に、それに対して後手に回ることは望ましくないと言えるだろう。またそうでなくとも、シラクーザという閉鎖的な国家から私個人に向けて送られたこの荷物に対して、シラクーザの権力者が注意を向けるということも考えられる」
「はい……大事無いと良いのですが」
頷いたケルシーが慎重な手付きで小包を開封した時、まずケルシーとアーミヤの目に入ったのは赤い布切れだった。
ケルシーはシラクーザを訪れたことこそないものの、シラクーザにおける寓意によるメッセージという伝統──沈黙の掟の遵守を要求するために新聞紙に包んだ鱗獣を送り付ける、など──については知っていたから、それを一目見て眉を顰めた。その布切れが、明らかに何かを包んでいることは分かったからだ。
そして同時に、その赤い布についてもケルシーには見覚えがあった。
「やはりか……」
布に包まれていた物……一本の無骨な、しかし僅かに刃毀れして欠けたナイフ。
それはケルシー直属のS.W.E.E.P.小隊の特殊オペレーター、レッドに制式装備として支給されていたものだ。ロドスの工業技術の精を集めて鋳造された、生半な力や技量では傷ひとつ付かないはずの。
そのナイフが、持ち主であるレッドの衣服の切れ端に包まれているのだから……その上司であるケルシーとしても、最悪の事態を想定せざるを得なかった。
数拍おいて同じ推論に至ったらしい、僅かに目を見開いたアーミヤを手で制して、ケルシーは蜜蝋で封印されていた封筒を開き中の手紙を取り出した。
シラクーザの暴力を第一とする気風とはいささかそぐわぬ、むしろリターニア貴族たちが好んで使うような持って回った言い回しを大量に盛り込まれて書かれたそれは、要約すると以下のような内容だった。
すなわちレッドはシラクーザを訪れており、そこで「牙」なる人物を殺害しようと試みていた。
送り主はその「牙」と共闘してレッドを無力化したはいいものの、ロドスのオペレーターである彼女を殺害することは今後のロドスとの関係に禍根を残しかねないし、送り主としても個人的に受け入れ難い。
しかしシラクーザではレッドを受け入れることは出来ず、また再び「牙」の殺害に動く可能性が高いため、送り主のもとで身柄を預かり続けることも難しい。
それゆえ、ロドスがシラクーザとの交流を避けていることは重々承知しているが、レッドの回収のためにシラクーザに人を派遣して欲しい。
また送り主としてもシラクーザの感染者問題について心を痛めているため、これがロドスとの交流のきっかけとなれば、火事場泥棒のようで心苦しいが幸いである。
そのようなことがやたらと長く遠回しに書かれていたのだ。おそらくは、ケルシーのもとに届くまでの過程で「牙」についての情報が無闇に広まらないようにするための、一種の暗号化のようなものだろう。
事実、その「牙」……あるいはその主である狼主について既に知っているケルシーにとっては、さほど難解なものではなかった。アーミヤも同じく、それほど読むのに苦労はしていないようだったし。
どうしてケルシーが狼主について知っていることを知っているのか、という点においては非常に怪しいし、他にも幾つかの疑問点こそあれど。手紙の内容自体は一本筋の通ったものではあった。
レッドを預かっていることの証拠としてその装備の一部を添付していたというわけで、彼女がシラクーザで殺されていたというわけではないのは、ケルシーにとってもアーミヤにとっても安堵すべきことであったし。
手紙の内容が真実であるかはまだ分からないが、レッドを無力化し装備を奪えるような人間が、わざわざ虚偽の手紙を送ってまでロドスをシラクーザに呼ぶ公算は比較的低いと見積もられていたのもある。
だからケルシーもアーミヤも、どのような人員を編成してシラクーザに派遣するべきか、ということに考えをシフトさせていったのだが──
「……!」
手紙の末尾、これまた長い締めの言葉と挨拶のさらに後。
便箋の欄外に、ぽつんと書かれた一つの単語──ケルシーが手紙の隅から隅まで精査しようとしなければ気が付けなかったような、不思議と意識にも記憶にも残らないそれに。
ケルシーは、レッドの装備の入った小包を開いた時以上に険しく、目を細め眉を顰めた。
──懐かしきAMa-10へ。
後半の一幕に関しては、時系列的にはここよりもっと前の出来事です。
話の流れの都合でここに挿入する形になっています。