けれど雨は止むことなく   作:無明の旅路を照らす知識の灯火

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SR-32 オオカミ達

 

 シルウィアが、ヌオバ・ウォルシーニの航路を書き換えたのと時を同じくして。

 

 レオントゥッツォは、一人でグレイホールの円卓の前に佇んでいた。

 先程までの、身体の底から湧き上がってくるような恐怖と震えは未だに抜けきってはいなかったが、それでも幾分かはましになっている。きつく、手袋越しでも爪が手のひらに痕を残すほどにきつく手を握りしめて、レオントゥッツォは周囲を見渡した。

 ホールの中心に座する巨大な円卓と、それを囲むように等間隔に配置された十二の椅子。木製で、職人の手によって丁寧に組み上げられ磨き上げられたそれらは、揺らめく蝋燭の灯りを反射しているが、それでもグレイホールを重く満たす肌寒さと仄暗さは払いきれていなかった。

 

 「政府というのは、グレイホールの円卓に敷かれたテーブルクロスのようなもの」──シラクーザにおいては、誰もがそう信じきっている。

 それはつまり、シラクーザを真に支配しているのは政府の役人達ではなく、ファミリーであるということ。ファミリーにとって都合が悪ければ、政府など何らの力を持ち得ないことを意味している。

 それは円卓を囲む椅子からも分かるだろう。その数は十二、すなわちシラクーザを牛耳る十二家と等しい。その円卓につくことのできる、グレイホールの真の主は彼ら十二人であり、決して役人ではないのだ。

 政府はその円卓の装飾に過ぎず、その彩色が派手で目に障るのならば、捨てて新しい物と取り替えればいい。

 シラクーザでは、開闢以来そう信じられてきた。ミズ・シチリアが暴威で以てファミリーを服従させてなお、ファミリーの表社会に対する優位は揺らいだことがない。

 

 そのことを、これまでのレオントゥッツォは何らの疑問も抱かずに受け入れてきた。

 それはそういうものなのだ、と。物を投げれば下に落ちるように、双月が天を巡るように、もとよりそう定められたものなのだと、そう考えてきたのだ。

 無論、レオントゥッツォとてその現状に無批判でいた訳ではない。カラチの秘書として学んだ日々は、レオントゥッツォに新たな視点を与えていたからだ。

 

 利益という鎖でファミリーを統御する彼のやり方は、従来のファミリーと市民の関係よりも遥かに「効率的」だった。

 ファミリーは安定して自らを支える基盤を獲得できる。そして利益という餌が与えられている限り、表立ってことを荒立てはしない。それはミズ・シチリアのルールに抵触する恐れがあるからだ。マフィアの争いでシラクーザの利益を損なうべきではない──自らに与えられた利益を放棄してまで他者を啄むその姿勢は、果たしてそのルールの範疇なのか?

 そして市民達にとっても、明確に数値化され提示された「利益」を供するだけで、それ以外の理不尽と暴虐から身を守れるのだ。それは今までの、決して文明的ではないやり方に比べれば遥かに安穏としている。

 お互いにとって、これまでよりも良い結果をもたらすのだ。それを効率的と言わずして何というべきか。

 レオントゥッツォがカラチのやり方から学んだのは、つまりはそういうことだった。

 

 だが、それは結局のところファミリーが市民に対して優位に立つという前提のもと成り立つ。

 ベッローネというシラクーザで最も力のあるファミリーの後継として生まれたレオントゥッツォにとって、それは疑うことすらできない大前提だったのだ。

 いくら市民とファミリーの在り方について考えようとも、レオントゥッツォは結局のところファミリーの側の人間でしかなかった。

 

 ──だが、今のレオントゥッツォにとって、その前提は儚く打ち崩されるべきものだ。

 カラチの死、ベルナルドの「裏切り」、狼主のゲーム、ルビオの演説……僅か一週間にも満たない間で、天災による濁流のように押し寄せたそれらによって、レオントゥッツォの価値観は大きく揺らいでいた。

 自分は、この歪なシラクーザでどうあるべきなのか?ファミリーの長?一市民?それとも……。

 

 その葛藤を、けれど克服する切っ掛けになったのは、ベルナルドだった。

 ファミリーの存在しないシラクーザ、という理想のために命を捧げた父。そのやり方は確かに野蛮で不足ばかりだったかもしれないが、その掲げた夢は決して嗤われるべきものではない。

 そしてレオントゥッツォにとっても、それは身命を賭すに値するものだった。

 

「フッ、俺も結局は親父の息子だったらしいな……同じ理想を追って、何もかも擲とうとするなんて」

 

 ここ最近の混乱から掃除の手も入っていないのか、剥き出しの木机に薄く積もった埃を指でなぞってレオントゥッツォは笑う。ほろ苦く、決して闊達とは言えない笑みだったが、同時にどこか晴れやかな笑みでもあった。

 それはやはり、レオントゥッツォ自身がベルナルドのことを誇りに思い、また慕ってきたことの現れだろう。

 

「あるいはシルウィアさんも、親父の夢に共感したのかもな。まあ、やり方まで同じようにしなくてもよかっただろうが……」

 

 ベルナルドとの最後の語らいとなった、教会の一幕にて。

 レオントゥッツォは、シルウィアがベルナルドの共犯者として暗躍を続けてきたことも教えられていた。発端が七年前のテキサスファミリー粛清にまで遡ることは驚くべきことではあったが、それ自体は半ば察しのついていたことだ。

 カラチ暗殺の下手人はシルウィアだったが、今になって思えばベルナルドが信を置く彼女だからこそ、だったのだろう。

 極め付けはルビオの演説の後に流された放送で、ノイズ混じりで音質は良くはなかったとはいえ、あの声を聞き間違えるはずはなかった。

 だから、シルウィアがベルナルドに協力していたことは既に分かっていた。

 

 だが、感染者と非感染者という新たな対立の軸を持ち込んで状況を更なる混沌に陥れたのは、ベルナルドにもまして乱暴なやり方だと思う。

 というのも、シルウィアが感染者を煽動して利用しようとしている、という噂が今日になって急速に広まりを見せているからだ。そしてレオントゥッツォも、それが真実に近しいものだと考えている。

 否定したい気持ちもあるが、状況から判断して……これほど急速に感染者の行動が暴力的になることは考えにくく、何者かの干渉は認めなければならない。そして、それによって最も利益を得る者が誰かと考えると、シルウィア以外にはあり得ない。

 シラクーザファミリーのほとんどは感染者の構成員を少なからず抱えていて、それゆえ不和が大きくなり統率を欠いているところも多い。そうでなくとも、暴徒化した感染者達はファミリーにとっても手に余るものだ。

 翻ってシルウィアは、部下が感染者のみであり影響は最小限。そして、この混沌を招来することを誰よりも望んでいた筈だ、ベルナルドと道を同じくしているのならば。

 

 ファミリーの一員ではなかったし、ラヴィニアのように親密でもなかったが、それでも少なからず浅からぬ付き合いのあった相手だ。

 そんなシルウィアの及んだ蛮行に、やるせなさを感じてレオントゥッツォは嘆息した。

 

「だが、それもまたシラクーザらしいか──ッ!?」

 

 唐突な振動に、レオントゥッツォは堪らず蹈鞴を踏んだ。

 移動都市に暮らす以上、多少の地面の振動には慣れていたが、これほどまでに大きな揺れは経験したことがなかった。

 バランスを崩し、慌てて体勢を立て直そうとして。

 

「……」

「なっ──巨狼の口、だと?」

 

 その身体を支えてくれた人物に礼を言おうと顔を向けて、レオントゥッツォは思わず絶句した。

 白くのっぺりした仮面に、オオカミの意匠があしらわれた杖状のアーツユニット……それはミズ・シチリア直属の武力である巨狼の口のシンボルだった。

 彼女達が動くということは、それはすなわちミズ・シチリアによる粛清である。シラクーザでは、そういう暗黙の認識がある。

 

 だが、志果たせず交渉のテーブルにつく前に排除されることなど、レオントゥッツォにとって決して認められるものではない。

 たとえ敵わないとしても……そう考えて、太腿のホルスターに収めた二丁のアーツユニットに意識を向ける。

 

 そのレオントゥッツォの覚悟を見て取って、けれどミズ・シチリアは嫋やかに笑った。

 

「ふふ、そう警戒しなくていいわ。アグニルもベンも出払っていて、動かせる手勢があまりいなかっただけだから……別に巨狼の口だって、切った張ったしかできない訳じゃないわ」

「……」

「あら、そう。ご苦労様、いつもの仕事に戻りなさいな」

 

 ミズ・シチリアに何かを密やかに伝えるなり、元からそこに居なかったのように気配を薄れさせてホールから出ていった女の姿を辛うじて目で追って、レオントゥッツォは深呼吸した。

 巨狼の口の存在は知っていたしその意味も十二分に知っていたつもりだったが、実際に相対してみれば、その知識など何の役にも立たなかったからだ。

 その事実に思うところは勿論あるが……だからとて、レオントゥッツォはここで心折れるわけにはいかなかった。ベルナルドから受け継いだ理想を果たすか、それに殉じるまでは。

 

 その決意を乗せて、レオントゥッツォはもう一度グレイホールの円卓に目を向けた。

 今、円卓にはテーブルクロスは敷かれていない。だが同時に、その椅子に座っている者も誰もいない。

 

 ──レオントゥッツォは椅子を引き、それに腰掛けた。

 

 

 ◇

 

 

 ラップランドにとって、ある種の詩的な表現を用いるならば、自分はテキサスの過去だった。

 それはつまり、テキサスがいつだってラップランドよりも一歩先にいて、ラップランドの予想を超えてくるということだ。

 サルッツォに滞在していた時も、テキサスファミリーの粛清でも、そして今のウォルシーニでも。

 シラクーザとの向き合い方で、テキサスは常にラップランドよりも先にいた。ラップランドにはできなかった決断を、テキサスはいつも下すことができた。

 

 だから、ラップランドがシラクーザを語る時、そこには必ずテキサスが存在していた。否定するにせよ、肯定するにせよ、シラクーザとテキサスは同時に俎上にあげられるものだったのだ。

 

 そして、自らがシラクーザを捨てて、それを壊すというのなら──絶対に、テキサスは避けては通れない筈だった。

 ラップランドにとって、テキサスはすなわち悪夢だ。シラクーザの泥沼から逃げ出せなかった過去の自分をまざまざと思い知らされるから。

 そして同時に、テキサスはシラクーザに己を引き留める楔でもあった。良きにしろ悪きにしろ、テキサスという存在がラップランドをシラクーザに……あるいは「文明」に、繋ぎ止めていたのだ。

 だから、シラクーザに別れを告げるなら、最後にはテキサスとの訣別が待っていることは分かっていた。

 

 負ければ命を失い、シラクーザの桎梏から解放される。

 勝てば命を奪い、シラクーザの全てを壊す狂人が完成する。

 

 そうなることを、ラップランドは分かっていたし──テキサスも、それは分かっていた筈だった。

 生き残るのはただ一人だけで、それは互いの生命を賭けた贈り物なのだと。

 

 ──だが、遂に己が手でテキサスを下し、その命を奪うに至って。

 そのテキサスの瞳に名残惜しさを見た時に、ラップランドは双剣を振り下ろすことができなかった。

 

 テキサス……ラップランドにとっての「テキサス」は、そこには居なかった。

 全てを捨て、俯瞰し、逍遥と生きる「テキサス」。だからこそラップランドはそこにシラクーザを見出し、固執してきた筈だ。

 こうして再び、一方しか生き残れない戦いに身を投じているのもそのためだろう。

 そうしてこそ、完璧な「ラップランド」が生まれるのだ。そう信じていた筈だ。

 

 だがここに居るのは、友人のために自らの死を惜しむ、ただの一人の人間としてのテキサスだった。

 そして、それに刃を突きつける自分も。ただ自由に生きることを望む、ただのラップランドだった。

 

 それを理解して──お互いを、ただのテキサス/ラップランドだと認識して。

 

「じゃあ、ボクにも友達らしいことをさせてよ。久しぶりかな、それともこれが初めて?どっちでも最ッ高だね」

「ああ。グレイホールまではそう遠くないが、レオントゥッツォを一人にしておくのも、良くはないだろう」

 

 ラップランドの差し出した手を取って、テキサスは立ち上がった。

 直前まで刃を交え火花を散らしていたとは思えないくらいに、しっかりとした握手だ。それは、テキサスとラップランドが17年前にブルネッロの葡萄畑で初めて出会った時に交わしたものと同じくらいに、無垢で高潔だった。

 

 ラップランドはこれ以上ないほどに口の端を吊り上げて笑っていたが、そこには一片の狂気もなく、純真な歓喜の念があるだけだ。

 テキサスは微苦笑を浮かべただけだったが、そこにはきっと万感の思いが込められていた筈だ。友人の新たな門出を祝うことは、もとよりそういうものだ。

 

 そうして、二人が影を並べてグレイホールへと歩き出した時に。

 

「っ!」

「この匂い……シルウィアだね。まさかキミがここまで大胆なことが出来るなんて考えもしなかったけど、キミもこの七年で成長したってことなのかな?ッハハ、これだからシラクーザって国はたまらないんだ!」

 

 ザーロと相対した時とも似た、身体の奥底からとめどなく湧き上がってくる根源的な恐怖。思わず傅き跪きたくなるようなそれは、太古より魂に刻まれたものだ。

 その威圧が、新市街を一瞬で覆い尽くしたのを肌で感じ取って二人は司令塔を見上げた。あるいはそこにいるだろう、灰色のオオカミを。

 

 シルウィア──二人の物語においては、さほど大きな配役でもないエキストラのような存在だ。

 彼女が居たからといって、テキサスのシラクーザからの逃避という選択が変わったわけではないし、ラップランドのシラクーザへの妄執にも似た嫌悪が無くなったわけでもない。

 シルウィアが居なくとも、テキサスとラップランドは友人であり敵になっていただろう。そのことは、ともすればシルウィア本人よりも二人の方が分かっている。

 

 だが、ラップランドは司令塔の中にいるだろうシルウィアに向かって笑いかけた。

 テキサスと、そして自分と似たような境遇にありながら、シラクーザという泥沼に残ることを是としたシルウィア。それは、異なる道筋を歩んだ自分だったかもしれない姿だ。

 あるいはシルウィアは、二人のようになれないということを分かった上で、テキサスとラップランドに接してきていたのだろう。そこに絶望するでもなく、ある種淡々と。

 その上で、今回のウォルシーニでの一件で、シルウィアは結局のところ二人のためにも手を回していた。そこにシルウィアなりの目的があったのだろうけれど、行動自体の価値は変わらない。

 

 決して深い関係ではなかったが、シルウィアはラップランドを排斥しようとしたのではないし、むしろ好意的に接していたとすら言えるだろう。

 なら、それだってある種の友人関係と呼んでも良い筈で。

 テキサスとはまた違うかもしれないけれど、そんな旧知のシルウィアのためにも何かしてやろうかと考えるくらいには、ラップランドはシルウィアに気を許していたのかもしれない。

 

 ……あるいは、それだけこの現状に高揚を覚えていたというだけかもしれないが。

 

「まあ、まずはキミの用事からだけどね。確かケルシー先生が残ってたみたいだし、そんなに急ぐことでもない感じかな?それに、この尻尾がざわつく気配は……」

「そうだな。ミズ・シチリアとの交渉をひと段落つけてからの方がよさそうだ」

 

 頷いて、白と黒の二人のオオカミは身を翻してグレイホールへの道を疾駆した。

 

 

 ◇

 

 

 教会の長椅子に、静かに背筋を伸ばして座るその後姿を目にした時、ラヴィニアは彼が──ベルナルドが実は死んでいないのではないかと、そう思ってしまった。

 それ程までにベルナルドは重々しく、さながら一国の王のごとく威厳を伴っていたからだ。

 まさか理想に命を捧げ自殺した殉道者だとは思われない程に、その姿には今なお情熱の残滓が息づいていた。

 

 だが、それでも。

 力なく椅子に投げ出されたその手を見れば、ベルナルドが既に泉下の住人となってしまったことは嫌でも思い知らされる。

 穏やかな表情で、満足して……いいや、きっと満足はできていないのだろう。彼は道半ばにして斃れることになったのだから。

 しかし、顔に浮かぶ表情はベルナルドが自らの死に対して何らの恐怖も後悔も抱いていないことを物語っていた。それはきっと、息子であるレオントゥッツォに未来を託すことが出来たからだろう。

 

 継承、それこそがシラクーザ。

 かつてサルヴァトーレ・テキサスが語ったように、ベルナルドの志はレオントゥッツォへと継承された。

 ならば、ベルナルドにとってもはや思い残すことなどない、ということはラヴィニアにも分かる。

 

 分かる、けれど。

 残される者の気持ちを、考えてはくれなかったのかとラヴィニアは内心で問いかけた。

 あるいは、先立たれるのはいい。けれど、理想を自らの裡に留めたままで誰にも明かしはしなかったことに、口惜しく悔しく感じてしまうのだ。

 自分はそれほどに、不甲斐ない存在でしたか?同じ夢を追うこともできたのに、そうしなかったのはどうしてですか?

 

 そんな思いが湧き出でて、けれどやり場のなく霧散しては再び湧き上がる。

 ラヴィニアはそんな鬱屈した感情の中で、ふとベルナルドの脇に置かれた懐中時計に目を向けた。

 ベルナルドのようなファミリーのドンが持つにはいささか質素で、見窄らしいとも言えるそれ。そこに刻まれた名前を見て、ラヴィニアは軽く息を呑んだ。

 

 Silvia Aquadria(シルウィア・アクエドリア)──カラチ殺害における実行犯として、ラヴィニアが取り調べを担当した容疑者だ。それ以前にも、建設事業部の役人を襲撃していたところに出会したこともある。

 彼女の懐中時計が、ベルナルドの傍に残されているという事実。それはつまり、シルウィアがベルナルドのもとで働いていたということであり、また死の間際に側に居ることを許されるほどに近しい関係にあったということだ。

 それは、ベルナルドが間違いなく今回の首謀者であるということを否応なしに突きつけていたし、シルウィアがベルナルドから理想を共有されていたということを示唆するものでもあった。

 

 ──結局は、暴力的な手段を選んでしまったのですね。だから、掃除屋の方には理想を教えたのでしょうか?

 

 どうして……どうして。

 理想を実現するために、法と秩序ではなく暴力を以て叶えようとしたのか。

 その疑問が、ラヴィニアの胸中で堂々巡りをしては心のあちこちにこびりつく。

 

 しばらく、そうして沈黙を保ち──ラヴィニアは、ベルナルドの手を取った。

 彼に別れを告げ、自分の決意を伝えるために。彼の理想を受け継ぐために。

 

 どうしてベルナルドが、暴力という手段を選んだのかは分からないけれど。自分は法の秩序を手段として掲げたいし、ベルナルドはそうしたラヴィニアをこそ見込んで庇護していたのだろう。

 ならば変わらず、自分は自分のやり方で正義を貫いて、理想へと邁進するべきだ。

 そういう決断を下すことができるくらいには、ラヴィニアはベルナルドのことを信頼していたし、ベルナルドのことを理解していた。

 

 だからこそ、今こうなってしまったことが悲しいけれど……それをきつく呑み込んで、ラヴィニアは踵を返し教会から出て、グレイホールへと車を走らせた。

 

 ベルナルドは去り、残されたラヴィニアは進むしかないのだ。

 

 ラヴィニアはグレイホールに入る前に、ちらりと教会の方を振り向いて──重い扉を潜り、暗いグレイホールの中へと足を踏み入れた。

 

 

 ◇

 

 

 ミズ・シチリアは、グレイホールの冷たい円卓を挟んで、自らの前で理想を語った四人の若者を見やった。

 

 彼ら彼女らがシラクーザを変えたいと願う理由はそれぞれだったが、導き出された結論は同じだった。

 

 ファミリーの存在しないシラクーザ……それが本当に可能なのかは、ミズ・シチリアであっても分からない。

 今にも彼女が全力を以てすれば、眼前の若い狼達を鏖殺することは容易いだろう。そうでなくとも、その影響力を削いで手足を捥ぐことだって可能だ。

 だが、それでも。

 そうしたとして、彼らの理想が潰えるのかは、ミズ・シチリアにも確信が持てないことだった。もし自分が彼らの立場にあったとして、それだけで本当に終わりになるだろうか?

 

 それでお終いだ、と考える自分がいる。いや終わりではない、と否定する自分もいる。

 だがいずれにしても、自分が何をしようとも四人の若者達が諦めることは決してないということをミズ・シチリアはよく分かっている。

 なぜならば、かつてラテラーノから帰って「銃と秩序」を定めた自分こそがそうだったからだ。全てのファミリーを服従させ、同じテーブルにつかせる……その理想に向けて邁進していた自分が、野心と情熱を他者の抑圧で失うものか。

 

 で、あるならば。

 それに対する手段はただひとつだけだ──すなわち、正面からその挑戦を受けて立つ。

 彼らの心を折ることができないというのなら、彼らの行動がまったく自分には届かないものであると、幾度でも思い知らせよう。

 自分の築き上げたシラクーザこそが、最も成功したシラクーザなのだと、そう示すこと。

 それこそが、ミズ・シチリアが選択した彼らへの向き合い方だった。

 

「平和な時代に、次のミズ・シチリアは生まれないでしょう。そして私がいる限り、シラクーザは安穏を享受するでしょう。なら、私が居なくなれば、この平穏な時代を維持する存在はいなくなる。私の築き上げた時代は、私とともに滅び去る……それを惜しいと思うことはないわ」

 

 レオントゥッツォが僅かに目を見開くのを見ながら、ミズ・シチリアは淡々と語る。

 自身が旧時代の番人である、という自覚は勿論ある。時代が過ぎ去れば、自分は居なくなるだろう。自分が居なくなれば、時代は過ぎ去るだろう。

 その自負があるからこそ、ミズ・シチリアはレオントゥッツォ達に向き合って言う。

 

「ベルナルドは、私の時代が生み出した妄執だった。あなた達は、それを継承して私の時代に抗おうとしている。私はそれを全力で迎え撃ちましょう。もしあなた達が本当に成功したその時は、そのまま成し遂げさせてあげましょう」

 

 そこに込められたのは、決して自らの時代が負けるはずがないという自負であり、誇りだ。

 だが同時に……ミズ・シチリアは、自分がラテラーノから帰ってきた時に覚えていたような、不安と期待をも感じていた。

 

「まあ、そのためには……旧時代のシラクーザの住人である彼女のことを、まずは止めなければならないでしょうけれど」

 

 ミズ・シチリアは苦笑し、ちらと視線を逸らす──その先には、ヌオバ・ウォルシーニの司令塔がある。




公式からとんでもない爆弾が投下されたので、設定を見直す必要が出てきました……。
具体的には獣主関連ですが、一応は辻褄を合わせられる、と思います。多分。

それはさておき、本作に関わる話をすると、多分今回初めて主人公の名前のスペルを出したと思います。
Silviaで「シルウィア」読みなのは、古典ラテン語の読みを採用したからです。Vulpisfogliaが「ウルピスフォリア」になるのと同じ理屈ですね(古典ラテン語における「v」の発音はワ行だったのが、時代が下るにつれヴァ行に変化していったそうです)。名前を決めた時はウルピスフォリアについては全然知りませんでしたが……。
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