シルウィアによるヌオバ・ウォルシーニの暴走──旧市街への進撃。
それをミズ・シチリアから知らされた時、レオントゥッツォは思わず呆然と聞き返した。
聞き取れなかった訳では当然ない。ミズ・シチリアの言葉は彼女が積み重ねてきた歳月相応の重みがあり、同時に嫌が応にも耳朶を打ってレオントゥッツォに届かせる力があったから。
だが、その言葉の内容を理解できなかった……あるいは理解したくなかった。
それはあまりにも荒唐無稽で、あまりにも暴力的だった。
常日頃から血に濡れた刃を涙雨で洗い流すシラクーザマフィアでさえ、きっと及びもつかぬ程に、だ。
なぜなら、移動都市とは人々の生活の基盤だから。それはファミリーと市民、感染者と非感染者の別なく同じこと。それを破壊しようというのは、たとえシルウィアがどんな目的を持って行動しているにせよ、あまりにも行き過ぎた行動だった。
そんな手段に訴えてしまえば、シルウィアの掲げる題目は全て無為に帰してしまう筈だ。
ファミリーなきシラクーザにせよ、感染者問題にせよ。どれだけ問題を提起して、理想を掲げようとも。その口で何を言おうとも、結局は何もかもを裏切り破壊しようとした嘘吐きにしかならない。
ファミリーにとっても、市民にとっても、感染者にとっても、非感染者にとっても。シルウィアは自分達のことを駒として利用するだけ利用して、最後に遊戯盤ごとぶち壊したルール違反者だ。
そして、違反者に対する嫌悪と反感は古今東西、あるいは人間と人外とを問わず変わらない。ザーロが狼主達により責められたのも、畢竟それが原因だった。
自分もそうなることを、まさかシルウィアが分かっていなかった筈もない。
自分が殉じる理想が、自分によって打ち砕かれることなど……それすら分からない愚物であれば、七年前にベルナルドは微塵の躊躇もなくシルウィアのことを殺していただろう。
だから、自分の行動が全くの矛盾であると理解し、それでもなおこうしてヌオバ・ウォルシーニを奪取したシルウィアの考えが、レオントゥッツォには分からなかった。
ベルナルドと同じ理想を掲げ、それに身を捧げるのだと思っていた。暴力を以てシラクーザに混沌を巻き起こし、変革を促すという手段も……決して十全ではなかったけれど、それを共有しているのだと。
だがこの行動は、きっとベルナルドが関わったものではない。シルウィアが独断で実行した、暴走とすら形容できる専横だった。
シラクーザの全て……共犯者だったベルナルドすらも裏切ってのこの行動が、何のためのものなのか。それを推測するには、レオントゥッツォはシルウィアのことを余りにも知らなかった。
──あなたに新しい移動都市を貸すのは吝かでは無いけれど、とはいえその前に壊れてしまっては大変でしょう?
そう言い残して去っていったミズ・シチリアの後ろ姿を目の裏に浮かべ、レオントゥッツォは深く長く息を吐いた。
ミズ・シチリアの含意は分かる。ヌオバ・ウォルシーニを自分の物にしたいのならば、自分の手で奪還してみせろということなのだろう。
言われずとも、みすみすシラクーザの移動都市が失われていくのを見守るほどレオントゥッツォは臆病ではないし、何より自分の理想のために必要な手札をここで破り捨てられるわけにはいかなかった。
「……聞いての通りだ。俺はこの新市街がむざむざと失われるのを看過するつもりはないし、それを止めるために動く。皆さんも、出来るのなら協力してもらいたいが──」
「まさかここまで来てあなたを置いて逃げ出しはしないわ。分かっているでしょう、レオン?」
「私はお前の指示に従おう。知人が道を外れるのを見ているだけ、というのも寝覚が悪いからな」
「ハハッ、ボクはシルウィアの思想に興味ないけど……ボクより先に、そんなやり方でシラクーザを壊されちゃつまらないしね」
三者三様の理由ではあったが、彼女達の結論は同じだった。
シルウィアを止め、ヌオバ・ウォルシーニを奪還する。
言葉にすれば単純だが、それが一筋縄では行かないということは、誰もが理解していた。
──司令塔からは、今なお太古の威圧が放たれている。
◇
「チッ、邪魔が多いな……!」
壁に大穴が開いた、司令塔上層のメインルームにて。
アスカロンは止め処なく向かってくるマフィアの構成員を蹴散らしながらそう悪態をついた。
シルウィアが煽動しこの場に誘導しているマフィアは、言ってしまえば有象無象だ。これまでにアスカロンが殺してきたサルカズ達に比べれば雲泥の差がある弱卒に過ぎない。
だが、兎にも角にも数が多い。これまで司令塔内部に入り込んできたのがベッローネのみだったとは思えないほどに、マフィア達が一気に押し寄せてきているのだ。
そうして複数のファミリーが入り混じって相争い、目につく者全てが敵のような大混戦で、当然ながらケルシーとアスカロンも彼らにとっては排除すべき敵だった。
むしろ明らかにマフィアの関係者ではない様相と気配だから、集中的に狙われて衆矢の的になっているとすら言える。
それに加えて、ちらほらとマフィア以外も混ざっている──体表に黒々とした源石の結晶を生やした異形、感染者。
もとはマフィアの構成員だったのか妙に動きが手慣れている者から、昨日今日思い立ったような素人まで様々だが、いずれにせよアスカロン達に攻撃を向けてくるのは変わりない。
血で血を洗うこの闘争と、シラクーザ全体を巻き込んだ狂気の祭典に酔っているのか……血走った目で襲いかかって来る感染者達は、ただひたすらに眼前の敵を打ち倒すことだけを考えているようだった。
マフィアと感染者。その両方を嗤って、アスカロンは自らを影に溶け込ませた。
振り上げた短剣を下ろす先を見失って狼狽しているマフィアの首を掻き切り、その血を撒き散らして周囲の目を眩ませる。それだけで、アスカロンに向けられる殺意は弱まり数が少なくなる。
アスカロンにとって、この程度は戦場とも呼べないようなぬるま湯でしかない。バベルの頃のカズデルで、ロドスの頃のロンディニウムで。そこで潜り抜けてきた鉄火場に比べれば、今の混戦など何の脅威でもないからだ。
数にあかせた攻撃、それ自体はアスカロンも脅威だと認めている。だがそれは、一定の装備と練度を持った兵卒が、一定の連携を保って行うからこそ脅威たりえるのもので、今この状況とは断じて違う。
協力して敵を殺したと思えば、次の瞬間には互いに剣を向け合う……そんなものが、数の暴威を体現できよう筈もない。
「……アスカロン、一度後退しろ。周辺の敵を一掃するまで、彼女に攻撃を届かせるのは難しいだろう」
しかしそれでも、シルウィアへの攻撃を遮る藩屏としては十二分だった。
それは、シルウィアがマフィアや感染者を盾にしてケルシーやアスカロンから逃げ続けているからだ。
いくらアスカロンといえど、幾重にも続けて向かってくる敵を全てすり抜けて、シルウィアだけを狙うというのは難しい。
あるいは通常の戦闘であれば可能だったかもしれないが、この乱戦においてはいささか難易度が高かったとも言えるだろう。目に映る全てが敵、という混沌とした状況の中では隠密というのも難しい。
しかもシルウィアは、マフィアや感染者達からは殆ど攻撃されていない。まるでそこに居ないとでもいうかのように、いっそ不自然な程に彼らの注意はシルウィアから逸らされていた。
その理由はアスカロンにも感じ取れている。シルウィアに意識を向けることができなくなるように、自分の認知に干渉されているような感覚があるからだ。
先程までの戦闘でも、一度はそれで決着を逃したのだ。そしてそこで失敗した以上、二度は無いと宣告したし、事実そのようになった。確かに注意を向けることは難しかったが、それを踏まえた上で攻撃を仕掛ければどうということはなかった。
だが今のシルウィアを捕捉するのは、その時よりも遥かに難しくなっていた。
注意を向けるのが難しい、どころではない。
不可視になっている訳ではないし不可知になっている訳でもない。確かにそこに存在しているということは知覚できている筈だ。
しかし、それを認識し頭で処理する段になると、途端に難易度が跳ね上がる。
確かに存在は知覚できる、だがその事実そのものがどうでもよく感じられて、そこに頭の処理能力を回すことを阻害されているのだ。
その状態で、シルウィアを捕捉し攻撃するというのはかなりの無理筋だ。
視界の端でぼんやりとしか知覚できない路傍の石を、それでも正確に認識し分類せよと言うようなものだ。しかも周囲が積極的に注意を惹いて邪魔をしてくる状況で。
ましてそれを乗り越えても、シルウィアは認識阻害の出力を瞬間的に上昇させることでアスカロンの捕捉から逃れようとする。
ザーロにも似た威圧と重圧が前後に伴うから、それを発動されること自体は容易に分かる。しかし、むしろその圧のせいで、シルウィアを捉え続けることを困難にしていた。
そもそもシルウィアを捕捉し、そこに到達するのに手間がかかる。その上で、たとえ刃の届くところまで近付けても再び仕切り直される。
これまで数度、それが繰り返されていた。
それは決して、ケルシーとアスカロンが劣勢な訳ではない。
マフィアにも感染者にも二人に敵うような実力者は居ないし、そもそもこの乱戦だっていつかは戦力が払底して終わることになる。
そうなればシルウィアに対処することは、そう簡単ではないが……そう難しくもない。
ただし、それには相応の時間がかかることは自明だ。
シルウィアの言が正しいのならば、衝突を回避するために残された猶予は一時間ほど。それまでにシルウィアを片付けることができるかは、また別の問題だ。
押し寄せ続けるマフィアと感染者をそれまでに排除するには、ケルシーとアスカロンでは手数がどうしても足りていなかった。
「これがケルシーが言っていた力か。理解していても面倒だな……」
居並ぶ敵を鎧袖一触に切り捨てて、それでもなおシルウィアとの間の距離は縮まらない。それに嘆息して、アスカロンは刃についた血を振り払った。
それは司令塔の床を濡らしたが、すぐに誰かに踏まれて滲んで消えていく。
怒号と嗚咽が木霊するメインルームでは、それはありふれた物でしかなかった。誰も一顧だにしない程には。
そして、部屋の片隅で壁に身を預けて荒い呼吸に肩を上下させるシルウィアは、床と壁を真紅に染める鮮血にふと目を細め、ほろ苦く笑っていた。
それがどういう意味合いなのかは、ともすればシルウィアにも分かっていなかったかもしれないが……密やかに、けれど漏れ出た笑い声は、アスカロンとケルシーにも届いていた。
「アッハハハハハ!」
「──!!」
だがその笑みにつられたような、狂気を孕んだ哄笑とともに突っ込んできた白い影に、シルウィアは勢いよく飛び退る。
そこに突き刺さった奇妙な形をした刀を見て、シルウィアは何事か呟いたようだったが、それは誰にも聞かれることなく霧散していった。
「やあシルウィア、随分と雰囲気が変わったみたいだね。あんなに長くシラクーザに服従してたのに、今になって反抗期でも来たのかい?」
「……」
「だんまりなの?折角ボクがキミのために動いてあげようっていうのに」
ラップランドに続いてメインルームに突入し、マフィアを蹴散らしているテキサスとレオントゥッツォの方へと視線を向けたシルウィアは、ナイフを自身の周囲に旋回させる。
驚愕したような、しかし一方でどこか安堵したような。
そんな綯交ぜになった感情を、けれど押し隠して──シルウィアはただ、笑うだけだった。