けれど雨は止むことなく   作:無明の旅路を照らす知識の灯火

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SR-35 「シルヴィア」

 

「──……」

 

 黒い怪物の一撃が、シルウィアの防御を薄紙のごとく突破して肉を裂くのを、()()は知覚していた。

 

 赤黒いオーラを纏った爪は、実体化した自分の毛皮すら容易く切り裂くだろうということを推察して、ソレは唸り声を上げた。

 幾千年にも渡る歳月を生きてきたソレですら見たことのない、黒々とした化け物。不滅なるソレを、滅することが能うかもしれぬ理外の存在。

 ともすれば本能的、原始的な恐怖と警戒の籠った低い唸りは、だが誰にも届くことなく霧散する。化け物の飼い主らしき緑髪のフェリーンも、その護衛のサルカズも、黒白の双狼も。その戦場にいた誰も、その声を知覚することはなかった。

 

 己に気付かないままの周囲を睥睨したソレは、背後の壁に身を預けるようにして倒れ込んだシルウィアに寄り添うように身を巡らせた。

 ざっくりと、深くまで刻み込まれた傷痕を舐める──それだけで、シルウィアの傷口は塞がった。傷が治った、というわけではない。己の身体ではないものに、そこまで干渉できるほどソレの力は強くないゆえに。

 だがそれでも急場凌ぎにはなるし、シルウィアが求めるのはそれだけで十分だということを、ソレは知っていた。

 

 シルウィアが苦痛を堪えながら立ち上がり、深く息を吸い込む。咳き込み、血を吐き出し、それを手で拭う。

 戦闘で乱れた灰色の髪が口元にかかるのを、鬱陶しげに払い除けてシルウィアはそれでも笑っていた──ソレは、シルウィアの足元で頭を垂れてじっと周囲を窺う。

 あの黒い化け物の攻撃がただの一度で終わりはしないことを、ソレは察していた。

 

「Mon3tr、追撃しろ」

「──!」

 

 同時に、ソレは己が力を解放した。

 人間の認識、認知。本来であれば滞りなく行われるべきものを、だが阻害し錯覚と惑乱に誘う。

 ソレがソレであるゆえに持つ、ある意味で権能とも呼ぶべき力だ。勿論、巨獣と呼ばれる存在のものに比べればいささか以上に見劣りするものではあるが。

 しかしそうであったとしても、己の同類も同種も持ち得ない、ソレをソレたらしめるものだということに違いはない。

 

 ……そんな力を、ソレは普段はシルウィアに貸し与えていたのだが。

 あるいは力を貸し与えるというよりは、力を貸すという方が正確かもしれない。シルウィアがソレの力を必要とした時に、必要としただけソレは力を行使してやっていた。

 そうする以外で、ソレは己の力を振るわなかったから……シルウィアが望む時に望むだけの結果が得られる。それならば、この力をシルウィアの力だと言ってもいいかもしれない。

 少なくともソレは、己が力であると同時にシルウィアの力でもあると認識しているから。

 そしてシルウィアも、ソレの存在を認知することなく自分の力だと思っているだろう。ソレは、シルウィアが自身のことを認識できないように、シルウィアの認知に介入していたゆえに。

 

 ソレと同じく文明の中に身を置いた同種が聞けば、惰弱だと激昂するような行動だ。

 己の力を、己の判断ではなく他者の判断で振るわなければならない……そんなもの、自分が爪牙になり下がったようなものだろう。

 そう言うだろう黒いオオカミのことを想起して、ソレは苛立たしげに地面を掻いた。

 ソレにとって、シルウィアの牙となることは別段と忌むべきことではなかったからだ。逆転して倒錯した関係だと笑いたければ笑えばいい。

 だが余人が何を言おうと、ソレにとってシルウィアは牙であり、主であり、同胞だった。

 

「ガァッ?」

 

 ──長い爪が、見当はずれの方向に振るわれて空を切る。

 

 シルウィアへの信頼と親愛ゆえに、ソレはシルウィアに貸し与えていた力を幾年ぶりかに己の判断で行使していた。

 本来の持ち主たるソレによる力は、シルウィアによるものと比べても数段と洗練されているものだ。たかが五年にも満たない歳月しか力に触れてこなかったシルウィアと、ソレがソレとなってから幾百万も月が巡る間ずっと力に親しんできた、それだけの差だ。

 シルウィアであれば不可能だった規模の、認知の深くにまで干渉するその力。

 

 黒い怪物が当惑し、やけに人間じみた唸り声をあげているのを尻目に、ソレは再び音の伴わない咆哮をあげた。

 身体を霧に変じさせて虚空から急襲せんとしたサルカズが、目算を誤ったように不恰好な姿勢で地面に落ちる。中空に生成され、射出された剣雨が捻じ曲がった軌道を描いて壁に突き立つ。宙に無数に浮かんだ同種の成れの果てが、マフィアの構成員を喰い殺して血肉を貪る。

 どれもこれも、ソレの力によるものだった。自分の存在を誤認させるだけではなく、対象のあらゆる認識を書き換え翻弄する理外の力だ。

 

「これが、本来の持ち主の力か。ともすれば北方の悪魔にも匹敵する認知干渉だな。どうして君がそれほどの力を得たのかは私が抱かざるを得ない疑問だが……」

「そんなことを言っている場合か、ケルシー。アレは一体何だ?先程の狼主とも違うだろう」

「……その問いに対して、私は十分な回答を返すことができない。狼主、あるいは獣主全体に関して我々が知ることはあまりに少ない……アレが彼らと同じ存在なのか、それとも違うのかを判別するだけの基準を構築するための材料が不足しているんだ」

「アッハハ、学者先生は大変だね。ボクからしたら、あんなのの正体なんて直感的に分かるものだけど……あの傲慢な視線なんて、本当にザーロそっくりだよね!」

「アレの正体が何であるにせよ、その行動原理は明らかだ……すなわち、シルウィア・アクエドリアを守護すること。アレはそのためだけに、己が身を裁ち魂を裂き、果ては己を己たらしめる力すらも分け与えた」

「……どうしてそんなことを?」

「それこそ、考えるだけ無駄なことだと思うけど。アレにとってシルウィアが気に入った相手だった、それだけじゃない?」

 

 否。違う。そのような軽薄浅薄なものでは断じてない。

 

 そう独白したソレは、不愉快そうに再び咆哮をあげた。傍のシルウィアが耳を抑えてふらつくのを見てようやく止めたくらいには、長く耳をつんざくような遠吠えだった。

 こうも食い気味に否定をしたのは、ともすればソレ自身が白狼のと同じようなことを考えていたからかもしれないが……誰にも真相は分からない。ソレですらも、ソレの感情を正しく認識できてはいないゆえに。

 だがいずれにしても、ソレがシルウィアのことを気に入っているということ自体は確かではある。さらにその根源的な理由は、分からないが。

 

 ……ソレは、ふと己が過去について想起した。

 

 ソレがソレであるよりも遥か前、この大地に生ける命の多くが今とは異なるカタチをしていた太古の時代。

 いつかソレとなるものもまた、同種の多くとともに荒野を駆け巡り、狩りをして血肉を喰らっていた。その生き様に何らの疑問を抱くこともなく、ただあるがままに生命を謳歌していたのだ。

 

 だが……ある時、全てを押し流し、あるいは呑み込む厄災が大地を襲った。

 生命の尽くは息絶え、大地にはそれらの残骸であったものだけが残った。

 ソレとなるべきものも、肉体を失い永劫の眠りについた。

 ……つく、はずだった。

 

 ソレが再び瞼を開いた時、ソレは肉体を失ったまま、しかしソレとして存在していた。

 あるいは、魂とでも呼ぶべき存在だろう。もっとも、そのような語彙はソレの中には存在していなかったが。

 当時のソレにとっては、面倒な肉体という軛から解放されたということしか分からなかった。肉体ならざるソレ自身をどう形容するかは、ソレ自身には分からなかった。

 

 だがそんなことは些事だった。

 ソレが眠りについていた間に、大地は全くの様変わりを遂げていたからだ。豊かな自然をたたえていたはずのそこは、しかし黒く悍ましい鉱石によって覆い尽くされ──その鉱物こそが、ソレらを滅ぼした元凶だということを、ソレはとうに気がついていた。

 そして何よりも最大の変化は、変わり果てた大地に暮らすかつての群れの仲間達……あるいは仲間だったはずの者達。

 魂はソレらと同じ物のはずだというのに、その容れ物はかつてとは全く異なっていて、辛うじて耳と尾にその名残が見えるだけ。あの黒い石が何かしたということは、容易に想像のできることだった。

 

 そんな彼らが、荒野に築き上げたモノ。

 かつて荒野に生きた魂を継ぎながら、その上に文明と呼ばれる物を生み出したのだ。

 

 ソレは歓喜した。

 肉体を失うまでソレの生き様において重要だったのは、肉を喰らい、血を啜り、狩りに戯れることだったが……死後に快楽は無し、とはよく言ったものだ。身体を持たぬソレは、もはやいずれも出来ぬ非実体の存在でしかなかった。

 そしてそれゆえに、文明という新たな概念はソレの目と心を楽しませる筈だと期待したのだ。

 

 事実、彼らの生み出すものはソレの無聊を慰めるには十二分だった。

 音楽、絵画、物語、信仰、金銭……かつてのソレや同種には決して生み出し得なかった物。

 ソレはあらゆる対象を享楽のために消費し続けた。かつての同種達が互いに殺し合い、果ては代理人を仕立て上げる等というくだらないゲームを催していた時も、ずっと。

 

 ……だが、だからこそ、ソレは文明というものを忌み嫌うようにもなったのだ。

 

「っ……何だ、この耳鳴りは……?」

 

 なるほど確かに、文明の生み出した物は素晴らしいだろう。ソレでは決して届かぬ高みにすら手を伸ばしていると言っていい。

 そのことは、ソレとて否定するつもりはない。

 

 だが同時に、それ以外の文明の側面は、尽くが血腥く悍ましいものだ。

 権力、裏切り、虚詐……どれもこれも、ソレにとってはくだらない戯言だった。

 

 ゆえに、ソレは文明を愛でつつも厭悪するようになった。真新しい文明の産物の数々は、だがそこに身を置きたいとは思えなかったのだ。

 

 同時に、ソレは自らが生まれた荒野のことも同様に、愛おしく思いながら忌み嫌っていた。慣れ親しんだ暴力のみで満たされた空虚な場所に、だが戻りたいとは思えなかったのだ。

 

 荒野を離れ、文明にも馴染めず……ソレは、ただ孤独であり続けた。

 あるいはソレが得た力も、その事実の反映だったのかもしれない。すなわち、誰とも同じ世界と視点にいないがゆえに……誰からも認識されないし、ソレも誰をも認識できない。

 ソレがソレたる在り方は、つまるところそういうものだった。

 

「なっ──お前は、まさか……」

 

 そしてだからこそ、ソレはシルウィアを見出したのだ。

 文明に生まれた狼。けれど文明に馴染むこともできず。

 荒野に憧れた狼。だが荒野に生きることもできず。

 

 荒野に生まれたソレと、文明に生まれたシルウィア。始点こそ違えど、文明と荒野の狭間に揺蕩うのは同じだった。

 ソレにとっては、数千年のソレとしての生き様の中で初めての「同類」。

 ソレとはシルウィアであり、シルウィアとはソレである。

 そのことに、ソレは歓喜した。ともすれば、文明というものに出会った時以上に。

 

 そして、シルウィアに己を見出したがゆえに──

 

「狼、主か……!」

 

 ──ソレは、自らをシルヴィアと名付けた。




シルウィアもシルヴィアも、綴りはSilviaです。後者の方が時代が下った読み方ですが。


・体力が0になった時、体力を徐々に回復する。回復中、「血債」が一定値蓄積される度に【罔両】を発動する。体力が最大値まで回復すると、第二形態に移行する。

第二形態
・スタン、浮遊無効
・第二形態に移行した際、「狼主」シルヴィアを召喚し、「粛清の時」発動まで永続する無敵状態を獲得する。「狼主」シルヴィア撃破後、【秘牙】【罔両】が永続的に無効化され発動できなくなる。
・攻撃力が上昇し、攻撃対象数+1、攻撃範囲が拡大する。【相矛盾】の効果が「血債」によらず最大値で適用されるようになる。
・【荒野の牙】(攻撃回復):味方ユニット一体に物理ダメージを4回与え、防御力を低下させ、「血債」を増加させる。
・【文明の爪】(自動回復):味方ユニット二体に、体力が徐々に減少し「血債」を徐々に増加させる状態を付与する。
・[???]
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