けれど雨は止むことなく   作:無明の旅路を照らす知識の灯火

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SR-42 決着

 

 直剣とナイフをジョヴァンナに突き付ける。

 

 それは決して自棄で、勝ち目の無い戦いに身を投じて自殺しようというのではない。

 

 勿論事実上の問題として、オレがジョヴァンナに……そしてチェリーニアに勝てる可能性は万に一つも無いだろう。

 だからオレはこれまで、それを一つの幕引きだとみなしてきたし、そうあるべきだと考えてきた。散々好きに生きてきた、オレへの報いだと。

 

 だが──己が罪に向き合わない者には、死すらも罰になり得ない。

 罪は決して罰を以て裁かれることなく、その炎はオレの身を焦がし続ける……きっとそうなる筈だった。

 魂なんてものが存在するのかは分からないし、オレが死んでもう一度生まれ変わることがあるのかも分からないが。もしそれがあり得るのならば、無限とオレの魂は灼かれて苦しみ続けることになっただろう。

 地獄の炎なんてものよりも、重く絡み付くような泥濘のような。

 それに囚われて、安息など遥か遠く劫罪に苦しみ続ける、そういう結末だ。

 

 オレの「力」。今まで目を逸らしてきたそれを、ジョヴァンナが直視させたことは間違いが無い。

 よもやオレのことを、そう形容し得るとは……目から鱗、と言うべきだろう。蒙を啓いたと言ってもいい。

 それは祝福のようでいて、オレにとっても耳障りのいいものだ。まさか自分のことを肯定されて、それで嫌に感じる奴なんてそういない。

 

 だが……力を振るう者は、その結果にも責任を負うべきだ。

 結果から目を背けて否定してきたオレにとっては、すなわち責任もまた背を向けて考えないようにしてきたもの。

 けれども、それはオレの心を守るための怠惰と逃避だと……ああ、何も間違ってはいない。

 

 シラクーザに、そしてオレの所業に向き合った以上は。

 それをまさか、知らぬ存ぜぬで通すことなんて。

 どう足掻いても、出来はしない。

 

「そら、受け取るといい」

「これは……制御コンソールの物理鍵?ですがそれだけでは、航行システムには入れないでしょう」

「よく言う。あなたに付き従っているエンジニア達が、コードをとうに割り出しているでしょう?でなければ、わざわざオレの時間稼ぎに付き合うこともなかった筈だ」

 

 アーツで勢いよく飛んでいった鍵を、ラヴィニアが掴み取る。

 エンジニア達からベルナルドとオレの手に渡ったそれは、ラヴィニアを通じて彼らのもとへと戻るだろう。

 そして、ひいてはこのヌオバ・ウォルシーニの制御権も。

 それぞれの、あるべきところへ。

 

 まだ阻止限界まで時間の余裕はある。

 物理キーを返し、制御コードもじきに割れる以上は、ヌオバ・ウォルシーニがウォルシーニに衝突するという事態は起こり得ないだろう。

 そこまで含めて、チェルノボーグ事変と同じような結末に終わるわけだ。

 

 それは結果だけ見れば、オレがはじめに想定していたものと変わらない。

 黒幕は打ち倒され、ウォルシーニは大きな被害を受けることなく、ヌオバ・ウォルシーニはレオントゥッツォ達の手に渡る。

 そしてロドスは、オレという感染者の「敵」を討った英雄としてシラクーザに地歩を得る……そうせざるを得なくなる。

 

「は、それでも……同じ結果でも、こうも見え方が変わるとはね」

 

 ここに至るまでに払ってきた犠牲。

 そしてこれから、オレのせいで生み出されるだろう被害。

 それにもまた、向き合うべきだというのなら……オレは、決して退くべきではない。

 たとえ成就することのない泡沫の夢だとしても、きっと誰もが否定する甘い理想だとしても。

 それがどうせ不可能だと、諦念を根底に残したままでいるのではなくて、それでもオレならば可能なのだと。オレだけでもそう信じてやらなければ、オレに報いが下らないだろうし、彼らも報われないだろう。

 

 宿命に定められ、諦めた結果の失敗と、それでも抗った末の敗北。

 どちらの結末が優れているのかを論じる資格はオレには無いだろうが。

 

 自暴自棄ではなく、確たるオレの意志で──オレは、後者を選ぶべきだろう。

 

「すまんね、こうまでしてオレのことを気にかけてくれて。そして今まで、オレは君のことを……率直に言えば、見下していたことも謝らなければならないだろう。チェリーニアに比べれば、どうせ大した配役でもないだろうと」

「知っていたわ、そんなこと。あなたの性格を考えれば、そうでもなければ私に接触してこないでしょうし……でも、謝罪するというのなら受け取るし、許しましょう」

「ありがとう。……だが何よりも謝らなければならないのは、そうもオレのことを思ってくれている君の差し伸べた手を、振り払わなければならないことだけれど。もうオレは戻れない……いや、戻らないんだよ。そう決めたゆえに」

「……シルウィア」

 

 僅かに俯いたジョヴァンナを一歩下がらせるように、チェリーニアが前に出る。

 流石と言うべきか、その視線は寸分も揺らぐことなくオレに向けられていて、それはその双剣も同じだった。

 

「もう何を言っても無駄だ、ジョヴァンナ。ああいう目には見覚えがある……崖から転がり落ちる岩のようなものだ。言葉では止められない」

「そういうことだ、チェリーニア。理解してくれているようで嬉しいが……ジョヴァンナ、君は」

「ええ、ええ、分かっていたわ。あなたはきっとそういう人間だってことも」

 

 そう言って顔を上げたジョヴァンナの、けれども凄絶な双眸に息を呑む。

 オレのように無力を嘆くのではなく、我意を突き通すための、ある種傲慢な。

 

「だから、殴ってでも止めるしかないということも想定はしていたわ。……覚悟することね。あなたの道と私の道がこういう形で交わってしまった以上、痛み無く安らかには終われないもの」

「こちらの台詞かな、それは……殴るから、殴り返してくれよ。そうでなければ意味が無い」

 

 それきり、口を噤んだジョヴァンナと、その隣に立つチェリーニア。

 

 視線を交え、思わず笑みを溢し。

 

 地面を蹴り、アーツでオレを押し出して、身体を二人の方へと躍らせる。

 二人もオレの方へ突撃してきていて。

 

 ──交錯。

 

 それは、たった一瞬だった。

 

「やはり……敵わないか。君達とオレでは、自分に向き合って生きてきた歳月が違うものな」

 

 背中から地面に倒れ込む──金属の冷たさが、コート越しにも伝わってきてオレの火照った身体を冷やしてくれていた。

 何を喰らったかすら分からない、圧倒的な力量差を突きつけられた結果だ。

 ただ気が付けばオレの四肢からは力が抜けていて、アーツも効果を発揮する前に霧散させらていた。

 

 これまでも敗北したことは無数にあった。それを、そういうものだと受け入れることも。

 だが、そこにはどこか鬱屈とした気持ちがあった。負けることが分かっていて、事実そのようになったのだから、何も気に病むべきことなど無い筈なのに。

 

 けれども今は、これ以上なく晴れやかで。笑い出したくなるほどに、愉快な感情で満たされていた。

 あるいはそれは、満足だと言ってもいい。

 成功のため、勝利のため……そうして全力を以て、何かを最後まで一気通貫したことは、オレにとってこれが初めてだったかもしれない。

 だからだろうか、負けるつもりもなく負けたというのに、そこには澱んだ感情は微塵も無かった。

 

「さあ、一思いにその刃を振り下ろしたまえよ。まさかこの期に及んで、一人を殺すことを躊躇うわけにもいくまいし……それに、君でなくとも処刑人は誰でもいいが。ラヴィニア、レオントゥッツォ、チェリーニア、ラップランド……あとはロドスの方々でもいい。ここまで好きにしてきたんだ、オレも相応の結末というものを迎えるべきだろう?」

 

 上を向いて倒れ伏したオレを見下ろすジョヴァンナにそう言うが……ジョヴァンナは、一歩退いて。

 代わりに進み出たのが、二人──レオントゥッツォとラヴィニアだった。

 オレに対する怒りは、きっと二対の視線にも込められていたけれど。それにも関わらず、二人の手には何らの武器も握られてはいない。

 

「それに関してだが。俺とラヴィニアで話した結果、あんたはここで殺すべきじゃないという判断になったんだ。あんたがしでかしたのは、紛れもなくヌオバ・ウォルシーニに対する叛逆だし、それは決して許されるべきではないが……だからこそ、俺達はあんたをここで殺さない。殴られたから殴り返す、なんてのはマフィアのやり方と何も変わらないからな」

「ええ。ですから、あなたには後日法廷での正式な裁判を受けていただきます。それまでの期間、あなたの身柄は裁判所が拘束することになりますね」

「この件については、テキサスさんやラップランドさん、ジョヴァンナさんの了承も得ているし、ロドス・アイランド製薬の方々にも認めてもらった。それと、ミズ・シチリアにもな……あんたはヌオバ・ウォルシーニでの重犯罪者だが、ヌオバ・ウォルシーニは現状、俺達が彼女から借り受けているものだ。だから、彼女ではなく俺達があんたを裁くべきだという理屈だな」

「そこのベッローネの御曹司には感謝したほうがいいよ、そうじゃなきゃミズ・シチリアはキミのことを消してただろうし……もしかしたら、それより酷いことになってたかもね?」

 

 愉快そうに遠くから声を掛けてきたラップランドには悪いが、オレとしてはそれどころではなかった。

 オレを、殺さずに?裁く?

 まさかそんなことが、あり得るとは!

 

 シルヴィアとジョヴァンナのお陰で、オレはオレ自身の矛盾に目を向けることになった。

 その上で、あくまでオレのやってきたことに背を向けず、彼女達の敵であることを選択した。

 裁きと罰を求めて、ではなく……せめて自分には、矛盾したくなかったからだ。

 その果てに死ぬことがあろうとも、それは罰ではなく、ただ終焉であるべきだと。そう考えて……。

 

 けれども、まさかこんな結末を迎えることになるとは、思いもしていなかったから。

 死を以て裁きとなすのではなく、まさか法と秩序によってオレを裁くなんてのは……ああ全く、ここまで啓蒙されてもまだオレはマフィアだったらしい!

 

「アッハハハハ!いやさここまでオレの予想を覆されるとは、全くもって……ああ、本当にこの舞台は面白いな」

 

 愉快、痛快で堪らない。

 

 こうも短い間に、オレの世界は色付いていた──この残酷な天地の間には、だがオレには思いもよらないものがまだまだあったらしい。

 だというのに何もかもを知ったつもりで、諦念を語るなど、どれだけ馬鹿馬鹿しいことだろう?

 何も知らず、けれど諦めることなく立ち上がったレオントゥッツォ達に比べれば……全くもって、何もかもがオレの負けだった。

 

 完膚なきまでの、いっそ清々しいまでの敗北だ。

 そして敗者は敗者らしく……勝者に降るべきだろう。

 

 立ち上がって、あるいは這うようにしてコンソールの方に身体を動かす。

 ハッキングしていたらしいエンジニアが怯えた様子で逃げ出していくのは申し訳ないが……まあ、彼らの仕事もこれで終わりだからな。許して欲しいとは言わないけれども、そう逃げずとも……。

 

 まあ、いい。

 既に物理キーが挿入され、アクティブになったコンソールにオレの書き換えた制御コードを入力する──"Crepi il lupo"。

 それだけでヌオバ・ウォルシーニの航行システムが立ち上がり、航路が記された地図が投影される。

 ウォルシーニまでの距離は未だ遠く、だが阻止限界点までは残り僅かだ。ヌオバ・ウォルシーニは既存のシラクーザのどの都市よりも高速だったからだが、本当にギリギリだったわけだ。

 

 それを一瞥して、停止命令を叩き込む。

 一切の安全を無視した急制動にオレを含めた全員が蹈鞴を踏むが、こうでもしなければ間に合わないからな。

 我ながら、こんなところまでよく粘ったものだが……それよりも、そんなオレを止めた彼ら彼女らのことを褒めてやるべきなのだろう。

 

 だから── 

 

「オレの敗けだ。おめでとう、新しきシラクーザの住人達。去るべき旧時代の住人からの、せめてもの門出の祝福を!」

 

 両手を広げて、堂々と、そして晴れやかに。

 オレは笑いながら、新しき時代の到来を寿いだ。

 

 

 ◇

 

 

 ラヴィニアが連れてきたエンジニア達が慌ただしくコンソールを操作しているのを見ながら、オレは壁際で座り込んでいた。

 当然ながら武装解除され、拘束されてはいるが、殊更に厳重な監視をされているわけでもないのは、少し意外だが。

 それは第一に、人手が足りないというのもあるだろう。航路の修正にも外の騒ぎの収拾にも人員を割く必要があるわけで、オレの監視に割く余裕がないということだ。

 まあ実際、手足を縛られただけでも非力なオレでは脱出は難しいし、その辺は上手いこと見極められているようだな。

 

 そういうわけで、遠巻きにオレのことを見ている奴こそ居るものの、オレの近くに来る奴はおらず、まして話しかけてくる奴なんて居なかった、のだが。

 

「お久しぶりですね、シルウィアさん。モンテルーペで会って以来ですが……どうして私がここに来ているのかと、あなたは疑問に思っていることでしょう」

「ああ……ベントネキシジオス。確かにそうですね、オレの知る限りではあなたはこの混乱の渦中には現れなかった筈ですが。まあそういうこともあるでしょう、事態はあまりに逸脱してしまったので」

「その推察は、ある意味では当たっており、ある意味では外れていると言えます。つまり、私が司令塔に訪れたことはミズ・シチリアの命令によるものであり、この混乱と結びつけて良いでしょう。しかし一方で、私があなたのもとを訪れたことは私自身の個人的関心によるものであり、この混乱とは無関係のものだと言えるでしょう。しかしいずれにせよ、その混乱は既に収拾されつつありますから、私がそこで果たす役割は特にありません」

 

 ベントネキシジオス、長いし覚えにくいので大体の人間はベンと呼ぶが。

 ミズ・シチリア直属の巨狼の口の構成員にして、彼女の旧友ではあるけれども、別に味方というわけでもない。

 それは、自分も含めてあらゆるものを俯瞰して見ることが出来てしまうゆえであり、「苦闘する者を応援することも、悪しき者に旗を振ることもしたくはありません」「私に絶えず問わせ、疑わせ、思考させ、嘲笑させるのはまさにこれ(矛盾)なのです」なんて言うくらいには変人だ。

 その上で、そんな自分を見苦しいと思う自殺志願者であり、それを自分の手でなすのも見苦しいと考えて、命が自分に打ち勝つことを望むという……一貫した矛盾を抱える存在でもある。

 

 自殺志願者、という結果だけ見ればかつてのオレと似たようなものだが。

 透徹した客観によるベントネキシジオスと、揺らぐ主観によるオレでは天と地ほどの違いがある。

 個人的には、あちらの在り方には憧れを覚える部分も無くはないが。

 

 ただ、表面的にでも似通っていたからなのか、ベントネキシジオスとオレの間には多少の関係があった。

 それは、たまにピッツァ屋や酒場で出会した時に同席するくらいのものではあるが……こうして会話することも、まあ何度かあった。

 

「ふむ。では、個人的関心というのは?」

「あなたの物語に観客というものが存在するのなら、あなたという存在を、矛盾し捻くれ難解で薄っぺらい人物だと考えることでしょう。一人称視点によって綴られた物語はその人物の思考を詳らかに明かしてくれますが、そこに合理性や正当性が存在することは担保されていませんから。あまりにも入り組み、交雑し、相殺しあう思考は、詰まるところ何も考えていないのと変わらないと受け取られることは不思議ではないでしょう」

「それはそうですが。オレにも、オレの思考を全て理解できているわけではないですし……実はコイントスやサイコロで行動を決めていると言われても、さほど驚きはありませんよ」

「作品を偶然に委ねるということも、また一種の芸術性と呼べるでしょう。事実、そのような作品も昨今のクルビアでは流行しているようですから。ですが、こと物語というものを扱う分野においては、それはあまり有効な手段ではありません。

 他の分野においては、あくまでも偶然性とは作品の背後に潜むもの。たとえ適当にばら撒いた絵の具がキャンバスに落ち、その模様が作品となったとしても、作品として提出されるのはキャンバス上の絵の具の集合です。偶然、という存在はその形を決定づけた要因ではありますが、決してそれだけでは作品は成立せず、「偶然」と「絵の具」は異なるものです。だからこそ、作品として成立すると言えるでしょう。

 しかし一方で、物語において偶然とはその一部となり、同化し、判別できなくなってしまいます。ある人物が人生を左右する決断を下す場面で、そのどちらもが彼女にとって等しく価値がある選択だった時に、作者が投げたコインの表裏でそれを決めたとしましょう。無論彼女はそのことを知る由もありませんし、観客もそれは同様です。彼女の行動は、果たして偶然によるものか必然によるものか?それを判断することは誰にも出来ませんし、作者でさえ不可能です。作者が投げたコインが裏だった、そこに必然性が介在していないと誰が言い切れるでしょうか?

 とかく、このように物語とは元来偶然と縁の深い存在ですから、そこに作者が偶然性を加えることは却って悪手となりうるのです。特にあなたの場合のような、一人称の語り手を置く場合には」

 

 そこで一息ついたベントネキシジオスは、ちらと周囲の喧騒を一瞥して、再び口を開いた。

 

「勿論、このような長々とした語りなど聞いてはいられない方が大半でしょうから、私の関心に話を戻すとしましょう。あなたは常に矛盾した人間でしたが、シルヴィアとジョヴァンナという二人の存在により、一つの軸を見出したのでしょう。それはあなた自身の行なってきたことから目を逸らさずに向き合う、という至極単純なものであり、将来的には通用しなくなる可能性のある脆いものではありますが、いずれにせよあなたは自分の行動に関して矛盾というものを排そうと試みています」

「……まあ、そうとも言えますね」

「私は全てを知っていると考える観客の方も居られるでしょうが、そのような意味では舞台上に全ての情報が提示されるオペラの評論を書いている方が皆様の印象にも合っているでしょう。現実の私は全てを知っているのではなく、ただ推測をしているだけですから。しかし、あなたは矛盾していながらも非常に分かりやすい存在ですから、それなりに私の理解も正しいと言えるでしょう。

 その上で、多くの方が疑問に感じていることですが……あなたはどうしてラヴィニア裁判官に鍵を渡したのでしょうか?あれによって、彼女達がヌオバ・ウォルシーニを停止させることはほぼ確実になりました。それはつまり、あなたが独白するところの「犠牲を無為にする」ことではないでしょうか?あなた自身が、あなたに対して裏切りを働いているとも言えますね。これを矛盾と呼ばずしてどう形容するべきなのか、頭を悩ませている人も居ることでしょう」

 

 その言葉に、オレは思わず目を瞬かせた。

 言われてみれば確かに、という形だったから。

 ただしそれは、今までみたいに目を逸らしていたからではなくて、むしろあまりに自然にオレがそれを受け入れていたからだったが。

 

「アッハハ、それは簡単なことですよ。オレはオレ自身を信じることにしていますからね……あのような小細工を弄するのは、らしくないでしょう?」

「なるほど。そうあるべき、そうありたいという願望の発露ということになるのでしょう。あなたが抱いた理想……偽りのない心の奥底からの願い。であれば、私からこれ以上問うことはありません。いつかその願いが芽吹くことを祈っておくべきでしょうね」

 

 それきりベントネキシジオスは口を開くことなく、気が付けば居なくなっていた。

 

 物語とは元来偶然と縁の深い存在である……それはつまり、オレが信じてきた宿命論へのアンチテーゼだ。

 それを伝えるのはベントネキシジオスの目的ではなかったかもしれないが、オレとしてはそれこそが曇天を割く光明のようなものだった。

 

 ふと、壁に空いた穴から外を見る。

 

 ──航路を修正したヌオバ・ウォルシーニが向かう先では、雲が逃げるように散っていって、果てしない蒼穹がのぞいていた。




Crepi il lupo は、直訳すれば「くたばれ、狼」みたいな意味です。
ただし In bocca al lupoが「狼の口に飛び込め」という意味で、転じて「頑張れ」「幸運を祈る」という意味を持っているので、それへの返答として用いられることが多いようですね。
「やってやるぜ」くらいのニュアンスなのでしょうか?

ちなみに、「幕開く者たち」の「花火実行委員会」に出てくる設計図をよく見てみると"C", "R", "E", "P", "I", "♡", "I", "L" となっているのが読み取れたりします。
鷹の仕込んだ小ネタでしょうか。
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