あれから一週間経って、オレはヌオバ・ウォルシーニ監獄の片隅にある独房のベッドに寝転がって天井を眺めていた。
監獄には少なからぬ数の人間が収容されている筈だが、オレの独房のある区画には全くと言っていいほど他の囚人が居ないので、静寂が重くのしかかってきて……それを振り払うように欠伸をしたオレは、ふとシラクーザの現状について思いを馳せた。
結局、ベルナルドとオレが引き起こしたヌオバ・ウォルシーニの混乱はシラクーザ全土に波及こそしたものの、分水嶺を越えることなく終結したらしい。
多くの市民、マフィア、感染者、非感染者が入り混じった狂乱の宴は、けれどもそれぞれに致命的な被害を与えることはなかった。それゆえ、お互いにとって退くに退けないという状況に陥ることはなかったのだ。
それは、事態を収拾するために東奔西走した多くの人々の功績だろう。
ミズ・シチリアはこれまで通りに、その武力で以て蠢動するファミリーを掣肘していた。おそらくはレオントゥッツォが彼女に向けて啖呵を切り、ヌオバ・ウォルシーニを借り受けたその直後から……シラクーザの都市で「一線を超えた」ファミリーの元には巨狼の口が送られていたらしい。そして、それでもなお止まらないファミリーは一夜にしてシラクーザから消滅したとも聞く。
まあ、そういうのは大抵が一発逆転に賭けた弱小ファミリーだ。まさかミズ・シチリア直々に手を下すなど思いもしていなかっただろうし、それに対抗する力などある筈もない。
対して十二家を筆頭に、大規模なファミリーはこの混沌にあっても、ある意味冷静に行動していた。彼らはこの混沌に乗じてミズ・シチリアに挑戦しようとしながらも、それが彼女の逆鱗に触れぬよう慎重に立ち回っていたのだ。
それは保身以外の何物でもなかったが、結果としてファミリーの持つ武力が振るわれることは……オレが想定していたよりは少なかった。
なので、ファミリーの狼達が秩序を失って本能のままに貪る貪欲な獣に堕することはなかったわけだ。それはオレとしては目論見を覆された形ではあるけれども、それはそれで構わないだろう。
また、市民の慰撫という点ではラヴィニアが率先してことに当たっていたらしい。
もとよりファミリーに対して忖度しない裁判官として高名だった彼女は、それを遺憾なく発揮して、渦中で起きた事件を処理していった。
ヌオバ・ウォルシーニの裁判所では日夜様々な事件が取り扱われるが、そのいずれにしてもマフィアに肩入れするような判決は下されることなく、法律に基づく公正な審理が展開された……と、聞いている。これは時折オレの所に来るお喋り好きな書記官が教えてくれたことだった。
彼女によれば、法廷での立ち回りに限らずラヴィニアはこの混乱の収拾に尽力しているらしい。
決して怒りに身を任せた無茶な行動は取らないように、と市民に対して説得して回ったり……それは本来なら裁判官の職務ではなく警察の所管であるべきなのだが、シラクーザには警察なんてものが無いからな。
ともあれ、ラヴィニアは市民の問題を解決しようと試みているわけだ。それはつまり、彼らの間に芽吹いたマフィアへの疑念と自分達の力の自覚に対して向き合い、それが誤った方へ進まないように見守るということでもある。
そしてロドスはというと、結局は感染者問題に手を貸してくれている。
首謀者、黒幕としてオレのことは市井に流布させていたわけだが、その無力化と捕縛にロドスが力を貸していた、ということは隠しきれなかったらしい。
なので下手に隠し立てするよりは、あくまで善意の協力者として、介在していたけれども主役ではないという立ち位置を選択することにしたわけだ。
まあそれだって十二分に凄いことだし、ヌオバ・ウォルシーニの行政府から感謝状を贈る予定があるとかなんとか。
そういう訳で、ロドスはシラクーザでその名が知られることになったから、仕方なしに事務所を置くことになったのだとか。
現在は急ピッチで土地の選定から根回しまで進行中である──と、オレの独房にまでわざわざ足を伸ばしてくれたケルシーが言っていた。半ば元凶であるオレへの怨嗟みたいなものが込められていた気がするが、まあヌオバ・ウォルシーニに事務所を置く分にはいずれレオントゥッツォから打診があっただろうし、遅かれ早かれという感じだ。
その他の都市については……まあ、今は多事多端ゆえ、ということで後回しにしても誰も文句は言わないだろうし、許して欲しい。
それはつまり、シラクーザ中の目が今やヌオバ・ウォルシーニに向けられているからだ。
もとより、長らく二十二しか存在しなかったシラクーザの移動都市に新たに加わる二十三番目の移動都市として注目はされていた。それは新たな利権であり、決して無視できるものではなかったから、特にマフィアにとっては重要だったので。
だが何よりも、ミズ・シチリアの「新都市に介入するな」というマフィアへの厳命と、それを破った者への苛烈な報復は、嫌が応にも万人の目をヌオバ・ウォルシーニへと向けさせることになった。
ファミリーの存在しない移動都市、それは一週間も経たずしてシラクーザの衆目の的となったわけだ。
だが、レオントゥッツォやラヴィニア達のような事情を知る者を除けば、その内実は闇に包まれている。
どうしてミズ・シチリアはファミリーを新都市から締め出したのか、それならば一体誰が新都市のトップに座るのか、今後の去就は……分からないことだらけで、それを知りたいと願うのは、マフィアだろうと市民だろうと変わらない。
それは当然、レオントゥッツォも承知の上で。
「失礼します、シルウィアさん。間も無くレオントゥッツォさんの公判が開始されますから、出廷の準備をしていただきたく」
だから、レオントゥッツォは自分を被告人としての裁判をラヴィニアに開いてもらい、そこで事件の説明と自分の所信表明をするという手に出たわけだ。
それは一種のパフォーマンスであり、それ自体が法廷の恣意的な利用に当たるのかもしれないが……そのパフォーマンスを行うこと、そのものがレオントゥッツォの意志の表明でもある。
何せ、ヌオバ・ウォルシーニをミズ・シチリアから借り受けたのは他ならぬレオントゥッツォなのだから。
弾みをつけて、独房の硬いベッドから身を起こす。
独房の扉の小さな窓の向こうに目をやれば、裁判官がオレのことをじっと見つめていた。
その背後には厳つい刑務官が四人も控えているが、オレのことを警戒しすぎというか……今更、脱走しようなんて思わないが。武器もアーツユニットも取り上げられて、何の下準備も無しに脱獄を出来るほど器用ではないのだし。
これは卑下とかでなく、純然たる事実として。
「ああ……もうそんな頃か。どうにも時間の感覚が無くなってよくないね、ここは。今まではこんなに長く滞在することもなかったものだから、実感しにくかったけれど」
「本来そういうものですから。マフィアの皆さんは直ぐに保釈されて出て行くので、お気付きにならないようですが」
「オレにはもう何の後ろ盾も無いからね。本来定められた期間はここに居るさ、そういう法律だし」
「……実は、あなたの保釈を求める声もあったのですよ。マフィアのやり方ではなく、署名を集めて提出するという真っ当な方法で……お恥ずかしながら、我々の方に、どうやって対応すべきなのかの知見が無かったのですが」
「へえ、物好きも居たものだね。もっとも、その人達には悪いけれど、オレは出獄するつもりも無かったが」
刑務官が開けた扉を潜って、独房から出る。
油断なくオレに向けられるその視線は、それだけオレが警戒されているということで、少しこそばゆい。
まあ、それが彼らの仕事なのだし当然と言えば当然ではあるが。
そんなことをとりとめもなく考えながら裁判官殿の先導に従って金属の冷たい廊下を右に左に進み、階段を上り下りしてようやく建物の外に出たと思えば、休む間もなく車に押し込まれる。
左右を刑務官が固め、万が一にもオレが逃げ出さないようにと警戒しているが……同時に彼らは、オレが襲撃された際に身を挺してでもオレを守ることを命令されている筈だ。
前世で言うところの証人保護プログラムのようなもので、マフィアの奴らが報復でオレを殺そうとするのを阻止するのも彼らの役目だから。
本来なら恨むべきオレを、けれども命を擲ってでも守る……そんな矛盾した任務に、けれど名乗りを挙げた彼らは尊敬すべき人物だろう。ラヴィニアが見出すだけのことはある。
ついでに証人保護と言えば、オレの独房があんな辺鄙な場所にあったのも同じような理由だし、車中のオレが顔を覆う変な仮面を着けさせられているのもそういう理由らしい。
仮面については、なんというか……これ着けてる方がよっぽど怪しい気もするが、まあ身元が割れなければそれでいいのか。
狼みたいな意匠のそれに、ついと指を滑らせながら、窓の外の景色を見やる。
一週間前にはあちこちで爆発や火の手が上がって、そこかしこで流血沙汰が起きていたにも関わらず、今やそうと知らなければ分からないほどに整然と復旧された街並み。
雨上がりの水溜まりが陽光を反射して煌めいて、それを跳び越える子供達の甲高い笑い声が、エンジン音に負けじとオレの耳朶を打つ。
……これをもたらしたのは、市民達の力に他ならない。
シラクーザの雨が火を消し、血を洗い流したのではない。ヌオバ・ウォルシーニは雨の少ない都市として、この一週間でも知られるようになったから。
つまりこれは、市民がその手で成し遂げたのだ。決してそれはマフィアの血濡れの手ではなく。
破壊の跡地から、ファミリーの関係しない新たな生活を構築すること。
その象徴として、再建された市街は眩く輝き続けるだろう。
そして、そんな通りを車で疾駆し、裁判所へとひた走ること十分ほど。
まるでミノスの神殿みたいな造りをした、ヌオバ・ウォルシーニ裁判所の屋根が街路樹の上から見えるくらいになって、車は速度を落とした。
「間もなく裁判所に到着しますから、移動の準備をお願いいたします」
助手席に座っていた裁判官が、オレの方をミラー越しに見つめて言う。
そこに込められているのは、オレという重犯罪者への怒りの念だろうが……それを決して爆発させない理性は、新しいシラクーザを担うに相応しいだろう。
まあオレが言うのも今更という話ではあるけれども。
「……本件での証言はあなたの量刑にも影響しますから、虚偽を述べることのないように。ラヴィニア裁判官は優しい方ですが、それは第一に公正であることに立脚していますので」
「分かっていますとも。量刑を抜きにしても、オレとしてもラヴィニア裁判官に思うところはあるのでね」
「であれば、よいのですが」
それきりお互いに無言で、オレ達は裁判所の中へと足を踏み入れる。
正体を隠しているのに、まさか正面から入るわけにもいかないから、幾つかある裏口のうち一つを使ったわけだが……厳重な警備をされていて、それだけ今回の公判が重要であるということを示しているだろう。
それは当然で、レオントゥッツォがヌオバ・ウォルシーニの市長候補として本格的に行う初めての演説の場がここになるわけだ。それは、最終的に彼がヌオバ・ウォルシーニを実際に運用するための基盤を築き上げるということで。
そんな舞台に、オレも役者として立つことが来ようとは。やはり、人生とは分からないものだ。
聴衆や陪審員のひしめく法廷内に、足を踏み入れながら……オレは仮面の下で、密やかに笑っていた。
シラクザーノの後日譚である、ヴィジェルの回想秘録「訪れる未来」に相当する部分を書いて、本作は一区切りとする予定です。
あと二、三話というところでしょうかね。