ヌオバ・ウォルシーニ裁判所。
シラクーザ全土を震撼させたベルナルド・ベッローネの息子にして、ヌオバ・ウォルシーニの実質的な支配者であるレオントゥッツォ・ベッローネが被告人として法廷に立つこの公判は、嫌が応にもシラクーザ中の注目を集めていた。
ファミリーと市民、非感染者と感染者の別なくあらゆる人間が、一体何が起きるのかを注視していたのだ。
だが、陪審員や傍聴席の人々の注目は、レオントゥッツォだけではなくもう一人……証人にも向けられていた。
灰色のコートに身を包み、堂々と法廷に立つループスの彼女は、だが一点だけ通常の証人とは大きく異なっていたからだ。
それはつまり、彼女の顔を覆っている灰色の仮面。
狼を模したようなデザインで各所に黒と白の縁取りを施されたそれは、芸術品にも似て美しかったが……明らかに、厳粛な裁判所には不釣り合いな華美だった。
「あれは……誰だ?この公判に証人として召喚される以上は、無関係ではないのだろうが」
「というよりも、何だあの仮面は。法廷をカルネヴァーレの会場だと勘違いしているのか?」
「カルネヴァーレ?もう半世紀以上開催されてない、爺さん連中の話でしか聞いたことがない祭りだぞ……ま、レオントゥッツォが用意した代弁者ということかもな。あいつの潔白を主張するための。それなら証人は誰だっていい。仮面を被っていようとな」
また、何よりも。
そんな不似合いな仮面をしているからだろうか、その下に隠された顔が誰のものなのか……彼女が誰なのか、それを分かった者は誰もいなかったのだ。
そうして正体不明の人物が証人として呼び出されたことそのものが、あらゆる人にとって不可思議であり、無視できぬことだった。
「静粛に!」
ざわつく聴衆をガベルを打ち鳴らして静まらせたラヴィニアは、法廷を見渡してから、仮面の女──シルウィアへと視線を向けた。
その下に隠されている灰色の瞳が愉快そうに爛々と光っているのを見て、ラヴィニアは内心で嘆息する。
もとより茶番と言われても仕方のないこの裁判だったが、そこにシルウィアを参加させるのは、それが彼女自身の要望だったからだ。
自分という分かりやすい悪役が居た方が何かと都合がいいだろう、と……それ自体はラヴィニアも認めるところだったし、シルウィアの提案を受け入れもしたが。
とはいえ、全面的に信用できるというわけではないから、気を抜くことはできなかった。
「彼女には、今回の公判における証人として出廷していただきました。彼女自身の安全のため、身元については私達裁判官以外には公開されていませんが、本件に深い関わりのある人物であることは確かです。そうですね、レオントゥッツォ?」
「ああ。彼女は父、ベルナルド・ベッローネの協力者であり、俺よりも父の計画について詳しいだろう。無論、今回の事件は父の計画のみによって引き起こされたものではないことは皆も知っての通りだが……それも含めて、説明をしてくれるはずだ」
そう言い切って、レオントゥッツォは不敵な笑みを浮かべるシルウィアを見た。
どうやら先の一件で吹っ切れたらしい彼女は、レオントゥッツォ達に協力的な振る舞いをしているが、たった一週間で全ての蟠りが解けるほど、シルウィアとレオントゥッツォは親しくはなかった。
シルウィアもそうあることを望んでいるようで、必要以上に誰かと接触しようとはしていなかった。もっとも、監獄に囚われている身として当然のことではあるのだが、シラクーザではむしろ珍しい部類である。
「ベルナルドの協力者だと?ベッローネの構成員すら奴の計画を知らなかったというのに……そんな奴が本当に居るものかね」
「だが少なくとも、裁判所はあの女の証言を真実と見做しているということだ。その真偽がどうあれ、その事実そのものが意味を持つ」
「いずれにせよ、あいつの証言を聞くしかない、か……」
ざわついていた聴衆が、ようやく落ち着いたのを見計らってラヴィニアは口を開いた。
「では、証言をお願いします。あなたとベルナルドが、いかにしてシラクーザへの反抗をなしたのかについて」
「承知しました。では、始めましょうか──」
シルウィアは、自身とベルナルドが何をしたか、について語り始める。
理路整然と、詳らかに、何が起きたのかという客観的事実のみを述べるその語り口は、さながら小説や映画のように聴衆の心を掴んで離さなかった。
カラチ暗殺、サルッツォとの結託、ロッサティのドンに対する暗殺未遂、そしてルビオの演説を経ての第二中枢区画の分離と暴走。その背後にあった、マフィア・市民・感染者への煽動と対立も。
どれも、秘匿されていたというわけではない。むしろこの一週間で、それらのことを知らない人の方が少なくなったくらいだろう。
だがそれでも、その全てにベルナルドとシルウィアが関与していたというのは、法廷を騒然とさせるには十二分だった。
そうして喧騒に包まれた法廷を見て、シルウィアは仮面の下で変わらず笑みを浮かべていた。
「──さて、このようにしてシルウィア・アクエドリアが引き金を引いたヌオバ・ウォルシーニの暴走も解除されました。そのあとの顛末は皆様もご存じの通りですし、むしろオレよりも詳しいとさえ言えるでしょう。何分、ここ一週間は碌に外の情報に触れられていないのでね」
「……裁判に関係のない発言は慎むように。ではレオントゥッツォ、彼女の証言に対し異議申し立て等はありますか?」
「いいや。俺自身が推測するしかなかった部分についても、改めて当事者の口から聞けたのは重畳だった。その上で、だが……」
「そんな馬鹿げた証言が通用するか!認めるのは癪だが……ベルナルドはシラクーザで最も栄えたファミリーのドンだ。それが、ファミリーを共倒れさせるために自分ごと破滅したなどと!」
「静粛に。今回の審理はレオントゥッツォに関するものであり、彼女は証人に過ぎません。そのことをお忘れなきように。そしてその上で述べるならば、今回の法廷が開かれたのは、実のところ先の事件の責任を追及するためのものではありません。
むしろ問題はその後、この新都市の所有権に関するものなのです。そのために……彼女の証言は、ベルナルドとシルウィアの行動そのものを詳らかにしたに過ぎません。まずはその動機についても伺うべきでしょう」
思わず、といった風に席から立ち上がった陪審員を鼻で笑って、シルウィアは仮面を撫でた。
その陪審員は、今回の騒動で大打撃を受けたファミリーの構成員だった。これ見よがしに掲げられたファミリーの紋章は、今や何の権威をも伴っていないというのに……その滑稽さに、けれどもシルウィアとしても一抹の侘しさがある。
だから、それを払いのけるようにシルウィアは咳払いをした。
「これに関しては、ベルナルドとオ……シルウィアの間で若干の相違はあったけれど。第一に、計画を立案したのはベルナルドだった。シルウィアは後からそれに合流したに過ぎないという訳だね。それを踏まえた上で、シルウィアの方についてはオレから幾許かの説明をすることが出来る。
彼女は結局のところ、自分のことを信じていなかった。自分がこの大地に何らの足跡も残せないと、そう諦観していたわけだ。だからベルナルドの抱いた理想に共感して……というよりそれに縋って、爪痕を刻みつけてやろうとしたということさ。勿論他の理由もあっただろうけど、大きいのはそこだろうね」
「そんなことで、あんなに沢山の人が亡くなったんですか?それに、感染者の煽動とヌオバ・ウォルシーニの暴走はベルナルド氏ではなくシルウィア氏によるものだというお話でしたが、そこに彼女なりの思想が込められていないとは思えないのですが」
「……そうかもしれないね。あるいは感染者問題こそが、彼女の無力感の根源的な原因だったのかもしれない。それが今になってようやく爆発した、とか……もっとも、それを言うのなら彼女にとっての「シラクーザ」も同様だったけれど」
まるで他人事のように達観した様子で言うシルウィアは、だがそこに万感の思いを込めていた。
かつての自分が、どれだけ蒙昧だったか……それを自覚した今は、けれども直視しなければならない罪業だったから。
「ともあれ、シルウィアの動機はそういうものさ。彼女は結局のところ、現実というものから目を逸らしたいがためにあんな暴挙に及んだというわけ」
苦笑して、シルウィアはラヴィニアの方を改めて見直す。
本来であれば証人は常に裁判官に向けて話すべきなのだが、シルウィアはむしろレオントゥッツォや傍聴席に向けて話しかけていた。
「……では、ベルナルドに関しても説明をいただけますか?」
「ああ、それは勿論だが……オレよりもむしろ、被告人殿の方が詳しいのではないかな。何せオレは、彼の理想に真に共感できたわけではないし」
「そうだな。俺も父の全てを理解している、等とは到底言えないが、父の理想には心動かされるものがあった。今こうして、俺がこの場に立っているのもそれが理由だしな。
……つまり、父は「ファミリーの存在しないシラクーザ」を実現するために、これだけの騒ぎを起こしたんだ。それはきっと、父が何十年にも渡って秘め続けてきた願いだったのだろうが……」
「残念ながらそれは片手落ちに終わってしまった、という訳さ。だからこそ被告人殿はオレ達の計画を妨害し、阻止したのだろう?」
「ああ。もし全てのファミリーが再起不能になる程の損害を与えることができたとしても、市民達はファミリー無き生活というものを想像できないだろうからな。そうなれば結局は、再びファミリーと呼ばれるべき存在が現れるだけになってしまう」
「そのことを理解していた彼は、ベルナルドの企みが暴かれ、阻止された後にミズ・シチリアに対してとあることを申し入れた。それはすなわち……」
シルウィアの言葉を引き継ぐようにして、レオントゥッツォは口を開く。
陪審員と傍聴席の人々を見渡し、彼らのひとりひとりに言葉が届くように、はっきりと。
「それは「ファミリーの存在しない都市」を作り上げるために、ヌオバ・ウォルシーニを借り受けたいということだ。確かに、ファミリーが既に浸透しているところからその影響を取り除くことは難しいかもしれない。だが真っ新な、誰の手もつけられていない場所ならば、父の理想……いや、俺自身の理想を実現することも不可能ではないだろう」
「だがオレとしては、疑問を抱かずにはいられないね。どうしてミズ・シチリアが彼の要求を呑むことになったのか?そこに何らの合理性も存在しない筈だというのに。そして……彼女からの施しでしかないそれで、本当に「ファミリーの存在しない都市」なんてものを実現できるのか、と」
「なぜ彼女が俺達を排除しなかったのか、は簡単な話だ。お前達の行動は、彼女にとってはルール違反の反逆行為に他ならなかった。だが俺達は……言ってしまえば、彼女に許された範囲での行動でしかない。その上で、彼女に真っ向から挑戦を叩きつけたんだ。それがシラクーザでは、存外に珍しかったらしいがな。
そして、これが不可能なのではないか、という問いについてだが……少なくとも俺は、そんなことはないと考えている。確かにファミリーというものがシラクーザに深く根を張っていることは事実だろう。それをお前達が当然のこととして受け入れているのもな。だが、それはあくまでも認識の問題なんだ。あまりに慣れ親しんだがために、不変のものだと考えているだけに過ぎない。たとえファミリーを根こそぎ滅ぼすことができずとも、俺達の望む形に変えていけばいいだけの話だ」
「……本当に、それが出来ると?借り物の力で?」
「俺の手元にある力が、ミズ・シチリアから施されたものでしかないというのは否定しない。だが、現在のシラクーザにおいては、こうしなければ俺達はグレイホールのテーブルクロスのように取り替えられてしまっていただろう。そしてそうであるなら、たとえ施しに過ぎずとも、俺はそのチャンスに手を伸ばさずにはいられないんだ」
レオントゥッツォのその言葉に、けれどシルウィアはくつくつと笑う。
噛み殺したようなその笑みは騒々しい法廷内にも不思議と通り、誰もがシルウィアへと視線を向ける。
腹を抱えるように、今にも呵呵大笑しそうなその様子は、舞台上の役者のように大袈裟だったが、それだけ分かりやすいものでもある。
眉を顰めたラヴィニアは、ガベルを打ち鳴らしてシルウィアを睨む。
「……何かありましたか?」
「いやさ、そこまで大見栄を切るのは結構なことだけれども……そこに至るまでに、解決するべき問題も残っているだろうと思ってね」
笑いながら──その笑みを見せつけるように、シルウィアは仮面を引き剥がす。
その下に隠されていた、新聞を通じて今やシラクーザ中に知られた顔を見て、法廷が幾度目かの喧騒に包まれる。
シルウィア・アクエドリア──決して許されるべきではない、大罪人。
「な、あの顔は……!」
「何が協力者だ、シルウィア・アクエドリア本人じゃねえか!」
「……そういえば、まだ裁判にかけられていないのでしたね」
まるで、そこに居たのがシルウィアだとは気づいていなかったように。いや、事実として気づかれていなかったのだろう。
そうでなければ説明のつかないほどの、蜂の巣をつついたような混乱だった。
「静粛に。そしてあなたも、不要な混乱を引き起こす行動は取らぬように」
「承知しました、ええ。ですが皆さんもこう思っておられる筈ですよね、つまり……ここにシルウィア・アクエドリアがのうのうと生きているのにも関わらず、これからのことを語るなんて馬鹿げているのではないか、と。
未来に向き合うには、まず現在に向き合わなくてはね。そうでしょう?」
「フッ。まさかあなたからそう言われるとは思っていなかったが……そうだな。皆さんが俺の行動に対して様々な疑問を投げかける前に、そちらに答えなければならないだろう」
レオントゥッツォはシルウィアに鋭い目を向けながらも、穏やかな口調で滔々と語る。
「彼女の罪状自体は、先に述べてくれた通りだ。市民を煽動し、感染者を煽動し、果てはヌオバ・ウォルシーニを暴走させた。それは決して許されるべきものではないだろう。だが同時に、これをもう一度見返してみると……彼女は、一貫して市民の皆さんや、感染者の皆さんに対しての罪を重ねているということが分かる。ファミリーに対する策略自体は、父のものが骨子となっているからな」
「それに何の意味がある?シルウィアが裁かれるべき存在であることは変わらないだろう!」
「彼女への裁決が必要なのは確かだ。だが問題になるのは、それを誰が下すのか、ということだろう。彼女によって踏み躙られてきた市民と感染者、まさかその意志を無視することなどできまい。それでは彼女と同じに堕してしまうからな。
だが残念ながら……現在のシラクーザでは、彼らの存在は軽んじられ、踏み躙られている。そういう意味では俺達は皆、潜在的には彼女と同じなんだ。だというのに、このまま彼女の裁判を行えば、市民と感染者は変わらず無視されたままだろう」
「だから彼らが力を取り戻すまで、オレのことは裁けないって?とんだ理想主義者だな」
「それは褒め言葉として受け取っておこう。どうあれ、俺の目指すシラクーザのあり方はそういうものだからな……俺も、あるいはラヴィニア裁判官も、彼女に対して裁きを下すべきだという考えは変わらない。だが今それをしてしまえば、公正とは程遠いものとなってしまうことも確かだ。ならば、それは決して彼女にとって罰とはなり得ないだろう」
そこでレオントゥッツォは言葉を区切り、シルウィアに向けていた意識を法廷全体へ……そしてラジオを通じて彼の話を聞いているだろう全員へと向けた。
その上で、彼がもっとも伝えたいことを、覚悟と決意と共に口に出す。
「だから、「ファミリーの存在しない都市」を……皆が力を持つことのできる都市を、尚更に実現しなければならないと俺は考えている」
それが聴衆の意識に染み込んだのを待って、レオントゥッツォはさらに続ける。
「そして、裁くという点では──俺自身についてもそうだ。俺は皆さんに代わって一人で決断を下してしまったからな。俺も同じく、お前達によって裁かれるべきだろう」
「けれども、それは今のシラクーザでは不可能だから、自分も裁きを免れる、と?」
「現時点ではそうだ。だが、いつの日かお前達は俺達を裁くだけの力を手にするだろうし、そうなると俺は確信している。むしろお前達が奮起する理由となるのなら、喜んでこの身を捧げよう。
その果てに、シラクーザの未来を決める力さえも、お前達の手に渡るかもしれない……そのための第一歩として、俺はヌオバ・ウォルシーニが存在していると考えているんだ」
シルウィアは、レオントゥッツォのことを目を細めて見つめていた──彼の歩みがあまりにも眩しかったから。
「よって……新都市は、ファミリーに不満や疑問を抱く者、感染者問題に義憤を抱く者、あるいは俺達に疑いを持つ者全ての参入を歓迎しよう」
この裁判の模様は、レオントゥッツォがヌオバ・ウォルシーニ市長候補として公の場で初めて行った演説だと見做され、大いに反響を呼んだ。
そこには正負様々なものが入り混じっていたが、この独壇場となっていた裁判が、最終的にヌオバ・ウォルシーニが新たなる時代の幕開けとなるきっかけとなったのは間違いのないことだった。
──すべては、始まったばかりだ。
あと少しだけ続きます。