けれど雨は止むことなく   作:無明の旅路を照らす知識の灯火

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SR-8 牙と牙、

 

 ミラノ劇場でのあれそれを終わらせてオレが帰路につこうとした頃には、もう日は傾いてウォルシーニの外壁の向こう側に半分ほど姿を隠していた。雨季のシラクーザでは珍しく、垂れ込める雲の存在しない澄み渡った空。

 それを夕陽が朱色に染め、まるで空全体が血を流したかのような恐ろしくも壮大な風景がオレの頭上に横たわっていた。

 だが、それは自然の雄大さと言うのとは少し違う。偽りの空、疎隔層、星のさや──そう呼ばれる何かが、このテラの本当の空を覆い隠しているからだ。おそらくは旧人類が遺したであろうそれは、来るべき破滅の目からテラを隠すためのものだったような気がするが。

 

 まあこいつが何のために存在するのかはさておいて、今オレが見ているのはかつての見慣れた空ではない訳だ。

 とはいえシラクーザはいつも曇天だというのもあって、普段ならそれを気にするようなことも無いのだが、今は1099年の10月半ばである。孤星でクリステンがホライズンアーク計画により疎隔層を打ち破るのが今年の11月と考えれば、この空を安穏と見つめることができるのもあと一月ほどしか無い。

 旧人類が作り上げた天蓋……そうと知ってなお本物の空と見紛うほどの芸術作品じみた完成度のそれに、オレだって感慨を抱かずにはいられないのだ。オレの前世すらも遥かに凌駕した科学技術を持った旧人類の彼らが一体何を思ってテラを見つめ、またそこに旧文明の遺産を残していったのか。

 かつてドクター(プレイヤー)として旧人類の計画の一端を垣間見た身だ。よもやオレがそいつらに関わる機会なんて来やしないだろうが、遠く思いを馳せるくらいは懐古として許されるだろう。

 

 ……そう呑気に考えながら、近道のある公園のベンチで黄昏ていたんだが。

 

「……ん?」

 

 突然俺の頭めがけて飛んできた矢を、咄嗟にナイフを取り出して弾く。一応は認識阻害のアーツを使っていたんだが、それを看破して攻撃してくるなんて一体どいつだ……なんて考える余裕があるのは、その矢が言ってしまえば粗雑な造りをしていたからだ。何せオレの安物のナイフが刃毀れしていない。

 なので、ファミリーどもが使っているようなボウガンのボルトには及ばないと言える。というかシラクーザで弓矢を使うやつはそう多くないから、それだけ矢は軽視されていて品質も悪いのだが。その点で、こいつはあまり驚異ではないとも言える。

 まあ逆に、このご時世にそれでも弓に拘っているだけの理由がある強者と当たる確率もそれなりに高かったりするが。今回の下手人もどうやらその類のようで、後ろの木の幹に深々と突き刺さった矢を見るに、矢の質には見合わない程の実力者のようだ。

 普通なら、無冑盟のクロガネのように矢も相応のものを使うものなのだが……。

 その疑問も、矢を放った狙撃手を見れば氷解した。

 

「ああ、アンニェーゼの牙か」

 

 あるいは、ルナカブ。狼主アンニェーゼの牙であり、他の狼主の牙を折るべくこのウォルシーニに訪れた荒野の住人だ。荒野の狩人である彼女は自然、その矢も高度な工業製品に比べれば劣るのは仕方がない。

 ちなみに狼主とは獣主のうち、狼の姿をした奴らの総称だ。彼らは遥かな昔から群れの頂点に立つべく互いに争っていたのだが、不死の存在である彼らにとって直接的な闘争は飽いてしまうものだったらしい。なので最近は、人間を「牙」として代理戦争させる悪趣味なゲームを催しているというわけだ。

 アンニェーゼはどうやら狼主のゲームに憂いていることが示唆されているが、狼主が相争うのは本能のようなものらしく、結局はこうしてルナカブを牙として動かさざるを得ないらしい。

 まあウォルシーニにはザーロの牙であるベルナルドをはじめ、牙が複数滞在している。だから狼主の本能が刺激されてしまうのも無理はないのかもしれないが。

 

「それとあちらは……レッド。もうウォルシーニに来ていたんだな」

 

 その牙の一人が、ロドスのS.W.E.E.P.所属のオペレーターであるレッドだ。「オバアサン」なる狼主の牙であるらしく、シラクザーノでは最後の幕間で真狼というクラウンスレイヤーの師匠を殺していたようだが。

 そりゃいきなり真狼の居場所を特定できるわけもなし、描写されていた時点のそれなりに前からウォルシーニに来ていなければおかしいわけだ。牙には他の牙を感知できる能力があるようだが、細かい居場所を掴めるほど万能ではないからな。

 だから地道にウォルシーニを探査していたということなのだろう。この広い移動都市で、どれだけの時間と労力が必要になる作業なのやら……想像するだに気が遠くなる。まあ、だからこそこんな開けた公園にまで探しにきていたのだろうが。

 

 そして、であれば当然ながら、ルナカブとレッドが激突するということも起こり得る。何せ互いに他の牙を探しているのだから。

 シラクザーノではそういう場面はなかったが、オレという存在のバタフライエフェクトなのかもしれない。というかオレ自身もオレの行動の余波は把握しきれていないのだし、この位では驚きもしない。

 それに言っちゃなんだが、狼主関連はオレとしては余事であるし。

 

 まあどうあれ、オレの方に飛んできたのはルナカブがレッドを狙った流れ弾ということだ。それがドンピシャでオレの頭に当たるコースだったのはどんな偶然だという話だが。思わず*クルビアスラング*を口走ってしまいそうになったぞ。

 こうも悪態をつくのは、反射で矢を弾いてしまったせいでオレのステルスが解除されてしまったからだ。ルナカブからすれば自分の放った矢が中空で突然弾き返されたようなものなのだから、そこに注目するのも当然で。レッドにしても、急に相手の注意が一点に向けられればそこを気にかけるだろう。

 そういうわけで、オレの存在は二人の知るところになってしまったわけだ。別に二人から逃げ隠れしようと思ってアーツを展開していたわけではないのだが、今となってはそれも信じられないだろう。

 そんなオレは、状況的にとんでもなく怪しい存在だ。二人からすれば唐突に現れたオレに、鋭く突き刺さるような注視と敵意が向けられる。

 

「オオカミの匂い……?でも、アンニェーゼの牙に比べればぼんやりしてる」

「さっきまで気配も匂いもしなかったのだ。お前、何者だ?」

 

 図らずも一時休戦のように戦いの手を止めたレッドとルナカブの誰何の声に、オレは両手を挙げて降参の意を示した。

 何故って、狼主の牙はそれぞれの主の能力を貸与されることが多い。それゆえ常人のそれとは比べ物にならないほどに強く、オレとしてはそんな奴と戦闘なんてしたくないのだから。

 まして明日にはチェリーニアの裁判が開かれるという時期なので、流石に大人しくしておきたいのだ。

 

「ただの通りすがりのシラクーザ人……と言っても、信じてはもらえなさそうだが。オレとしては君たちの諍いに介入するつもりもないんだ」

「匂いが、濃くなった?それとも、薄めていた?」

 

 レッドが、オレの方を見てその眉を寄せた。まあちょっと前までベルナルドと同じ部屋にいたのだし、オオカミ……狼主の匂いがしてもおかしくはない。認識阻害のアーツはオレをオレだと認知するのを妨害してくれるけれども、流石に他人の匂いまではカバーできないということなのかもしれないし。

 オレ自身の匂いについては、それも含めて隠蔽できるのがこれまでの経験で分かっているしな。そうでなければ片手落ち、本末転倒で意味のないアーツになっていただろう。

 

「……混ざり合った、オオカミの匂い。オマエも、オオカミの仲間なのか?」

「君がクラウンスレイヤーのことを言っているなら、オレと彼女は全く違う立場にある。彼女は真狼の弟子のようなものだが……ケルシーと君の関係に似ているな。翻ってオレは……っ!」

 

 甲高い音と火花を散らして、ナイフとナイフがぶつかり合う。

 咄嗟に突き出したそれが、レッドの放ってきた攻撃を防げたのはほとんど偶然のようなものだった。最初期の高速再配置オペレーターであるレッドは、それを体現するかのように俊敏でまた神出鬼没だ。一瞬でオレの死角に回り込んでの一撃は、認識阻害のアーツで若干でも手元を狂わせていなければ致命の一撃となっていただろう。

 思わず冷や汗を垂らしながら、隠し持っていたナイフをばら撒く──中空でナイフは切先をレッドに向けて一瞬滞空し、わずかな後に射出される。少しづつ間を開けて飛翔するそれは、レッドを攻撃するというよりもオレから距離を離させるためのものだ。

 常々思うことだが、オレみたいな暗殺者は面制圧にとことん弱い。基本的に紙装甲高火力なユニットなので、回避のままならない範囲攻撃を喰らうと一発で撤退する羽目になりかねないからだ。

 それはレッドも同じことで、飛び退ってナイフを避ける。実は射出後でも軌道を変化させて追撃できるのだが、今は体勢を立て直す方が優先だ。

 

「オマエ、ケルシーのこと、なぜ知ってる?レッド、ロドスでオマエ、見たことがない」

「そりゃオレは基本的にシラクーザに籠っているからな……そういうことを聞きたいんじゃないだろうが、オレとしても答えの出ない問いだよそれは」

「……?いや、レッド、オマエを倒してから考える。オマエ、何かを知ってる」

「*シラクーザスラング*、やはりこうなるか……」

 

 レッドはオレのことをもう敵だと認定してくれたらしい、そりゃそうだ。

 思わずケルシーのことを口走ってしまったが、彼女はロドスのスリートップの一人だ。そしてレッドが属するS.W.E.E.P.の直属の上司でもある。その存在が秘匿されているという訳ではないが、レッドとの関係まで知っているのはつまりロドスの暗部まで把握しているということ。

 怪しい、なんてもんじゃないだろう。ついでにオオカミの匂いまで漂わせているとなれば、もう数え役満みたいなものだ。

 

 チェリーニアの裁判の前で、大人しくしておきたいと言っていたのは一体どこのどいつだったのやら。

 ことここに至っては、穏便に収めるということも難しいだろう。レッドの金色の双眸はオレのことを逃さぬとばかりに爛々と輝いている。

 ……本来なら望ましくはないんだが、仕方ないか。

 

「アンニェーゼの牙、ルナカブよ。今この場に限り、オレと協働してくれないだろうか?彼女の鋭牙はオレと君を噛み殺すことが能うだろうから」

「……お前も怪しいが、あいつに一人で戦うのが厳しいのは本当なのだ。お前は群れの仲間たちと同じくらい強そうだし」

「なら同盟成立だ。レッドを無力化するまで、だがね」

 

 一つ頷くのを合図にして、再びナイフをばら撒く。どこにそれだけの刃物を隠していたのかというと、まあ乙女の秘密だ──いや冗談だが。

 このシラクーザではいつも雨が降り続くから、コートやレインコートを着込んでいるのはそう珍しくない。そしてその下にナイフやアーツユニットを隠し持っているのも、また珍しくはないのだ。

 オレもその類で、わざわざCAMBRIANにオーダーメイドして誂えたこのコートは、大量の隠しポケットや吊しが仕込まれていてさながらびっくり箱の様相を呈している。だからナイフ以外にも色々とあったりするが、まあそれは今はいい。

 というかゲーム的には遠距離オペレーターが弾切れになるとかは基本ないのだから、オレもそれが良かったんだが……。

 

「まあ、これを切り抜けるには十分だと思いたいがね……」

 

 ぼやきつつ、アーツで投射したナイフをレッドに差し向ける。

 というか頼むから、穏便に終わらせてくれ──叶わない気もするが、そう願いながら。一体何にって?それはまあ、我らが愛しきシラクーザに、だ。

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