入学初日に告白してきた美少女には、『好き』がないらしい。~欠けた感情を追い求めて~   作:true177

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File52:序章

 トマトスープを床にこぼした空が、生活のはじまる鐘の音を担っている。駅舎の屋上で固まっている風見鶏は、太陽が出てきたというのに鳴かない。

 梅雨が明けると、日本列島は夏のシーズンに入る。麦わらぼうしに風通しのいい服であ遊ぶ時代は終わり、紫外線対策と水分補給は欠かせない。

 

 ホームに立つ人はまばら。スーツケースを揺らす社会の歯車おじさんや、モデルもいないのに三脚を設置しているメガネくんがいるだけだ。

 

 龍太郎は改札の前、待合のベンチに腰をおろした。

 

(……何が必要か、聞くの忘れてたな……)

 

 一度亜希にも電話をしたのだが、備品を尋ね忘れていた。気づいたのは、もう手遅れの時間だった。

 

 ラグビーボール状にふくらんだカバンを地面におろし、緑色のカベ時計に目をやる。始発まで、まだ十分(じゅっぷん)はある。

 両腕を天高くまでピンと伸ばし、指をクロスさせた。肩が外れるギリギリを攻めて、だらんと垂らす。美紀と会うのにロボットになってはカッコ悪い。

 

 住宅街が広がっているのもあって、街はまだ眠っている。朝の情報番組がなけなしの視聴者に今日の気温を流している頃だろうか。

 

 ブロック塀の陰から、スーツケースを引きずる人影が現れた。逆光で姿が蒸発し、よくつかめない。

 白いフリルのついた服に、力強い手の振り。日常に組み込まれた動きではない。

 

「……まだ来てないのかな、龍太郎は……。ベンチに座ってるのはそれっぽいけど、あの龍太郎が早起きできるわけないし、ね……」

「ここにいるよ。亜希こそ、こんな興奮しかできない日にいつも通りができるな……」

 

 からかわなければ気のすまない幼馴染だった。ぱっちりと開いた目に、目ヤニも涙も残っていない。天地がひっくり返っても、彼女は支度をして登校していそうだ。

 早起きできない、は龍太郎の信用がないだけ。日曜日は『おはよう』と『こんにちは』を取り違える常習犯である。夜ふかし朝寝坊型の龍太郎にしては頑張った。

 

 頭からつま先まで、亜希の視線がまんべんなく捜索する。

 

「早いねー……。寝不足だと楽しめない、ゾ? あ、わかった! 新幹線で眠ればいいと思ってるタイプか……」

「おとといから、太陽と同じルーティンで生活してるから大丈夫」

「……それじゃあ、夜になったら寝ちゃう、ってことか……。残念だなぁ、晩御飯はせっかくバイキングなのに……。美紀とゆっくりできるチャンスなのに……」

 

 今日からは太陽と月を交互に乗りかえるので、気合で乗り越える。美紀との時間をみすみす睡眠に突っこむのはやりがたい。

 

 一人分の空席に、亜希はすっぽりおさまった。肩がぶつかることなど、取りあげもしない。背もたれを横にあると勘違いしている。

 

(……遠ざける気にはなれないな、亜希は……)

 

 理不尽なことをしても、結果がいつもついてきていた。狙いのない雑なちょっかいはかけてこずに、つまらなさそうな状況を狙って爆弾を降らせてくる。

 

 亜希に抱きつかれても、機械的にふり払えないだろう。彼女の詐欺に引っかかる一番手は龍太郎だ。

 

「……そうだ、成瀬からの伝言、預かってるんだった。今、いい?」

「ハヤナルちゃんから……? デスクトップのゴミ箱アイコンに入れちゃおうかな……」

 

 『伝えろ』という厳命を受けている。となりにいる勘のいい親友をスルーすれば、後でお叱りを食らうのは分かりきっている。

 バカ正直に報告しなければいい、という考えは間違いだ。なにせ、過去に目を見られて看破されたことがある。女王の推察力を侮ってはいけない。

 

「『わざと成瀬が忙しい時を狙ったな! この泥棒猫!』……だって……」

「ドロボウ、かぁ……。……言われちゃったね、龍太郎」

「この文脈は亜希しか入らないだろ、事の始まりが亜希なんだから……」

 

 亜希は手で口を隠し、笑い声を漏らしていた。敵の弾をはね返して、味方に被弾させていくスタイルだ。ひどい、ほんとうに。

 

 出し抜いて美紀とふたりきりの旅行も思い浮かんだが、チケットを持っているのは亜希だった。大黒柱はすべて亜希で、彼女なしに成り立たなくなっている。

 

 ホームには、反対方向の列車が止まっていた。アナウンスが、数分間の停車を告げている。サラリーマンたちにとっては、たまったものではないだろう。

 

 亜希に、手を取られた。

 

「……ねえ、龍太郎くん。あのジェットコースター、乗ってみたいなぁ……」

 

 前橋某サンに似ているようで似ていない。べたついた声質までは再現できなかったようだ。

 

 口をニヤつかせる異性の同級生は、龍太郎で遊んでいた。

 

(……俺に何をしろ、って……? ジェットコースターが好きかの判定、とか……?)

 

 ゴキブリに意を介さない少女なら、多少の刺激には動じなさそうだ。ひ弱な印象とは離れて、誘ってくるかもしれない。

 

 亜希の目のハイライトがしぼんでいく。

 

「はい、タイムアップ。『してみたい』って誘われたら、間を空けずに『いっしょにしよう』だよ。考えられると、何かあるのかって勘ぐっちゃうから」

 

 何も言い返せない。人に好意を持たせようとしている人間が、不安を感じさせてしまってどうするのだ。

 

 反論をせず耳を傾けた龍太郎に、亜希はひとりうなずいた。

 

「言い訳しないのは良いこと。気になる人といるんだったら、その人の目を自分に向けさせないと。……それじゃ、第二問、いくよ?」

 

 望むところだ。問題ないときに失敗を恐れ、いざ本番で右に左に揺れるほど情けないことはない。

 

「……龍太郎くん、その……、この池、泳いでみた……」

「いっしょに……しちゃダメ……だな。ほら、そこに『遊泳禁止』って書いてあるだろ?」

 

 惚れている人に主導権をとる問題で、ひっかけを出していいものか。してやったり、と亜希の顔に書いてある。なぜか今ばかりは表情が読めた。

 

 濁っていないからといって、柵に囲まれた水たまりを『泳いでみたい』とは。うきわを持った水着姿の美紀が、はだしでトコトコやってくる……。

 

(……プール、あるんだっけ……。あったとしても、水着がないんだけど……)

 

 思考を捻じ曲げられてはいけない。平穏でない想像は、殻にこもってするものだ。

 

「正解、なんだけど……。美紀、こんなこと言わないね。ほら、ダメなことはダメだ、ってわかるから」

 

 わからない人間がいてたまるか、とは言いかえせなかった。いた。龍太郎の高校に、地位が脅かされるからといって人に傷をつけようとした輩が。

 

 龍太郎が、ふたたび時刻をチェックしようとした、その先っちょ。膝に手をついて息を荒げている女子がいた。改札でストライプになり、かんじんの顔が見えない。

 

 一駅先まで、自転車でやってくる。亜希に一言ぶつけたそうだった成瀬ならやりかねない。おおかた、ホームで待っていると推察して駅に入場し、出られなくなったのだろう。

 

「……龍太郎くーん! あきー! 電車、あとちょっとで出ちゃうよー?」

 

 横でなりきりごっこをする幼馴染とは比べものにならない、やや丸まった声。龍太郎が恋する美少女だった。

 

 改札を隔てたホームにいる美紀に、声が出なかった。横のお騒がせ者を見ても、黒目が点になっていた。

 

 電車が停まっているのは、反対ホーム。美紀が乗ってくるはずのない列車だ。駅のどこかに最初から隠れていたとしか思えない。

 亜希と合流したのは、駅の東口。

 

(……いつもと、逆……?)

 

 龍太郎の最寄りは西口であるが、亜希を待たせてはいけないと逆側で待っていた。

 

「……まずいね、龍太郎」

 

 ベンチを立ち上がった亜希の手には、もう電子マネーがにぎられていた。

 

 美紀も巻き込んだ、階段スプリント大会が始まった。

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