Last Rey -Ancient Fate-   作:蒼山とうま

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狐と弓取り

 桐望がリーマンと共に亘理へと走るのと同時刻。市街地はまさに第二次大戦末期のベルリンのように、瓦礫と炎、煙に満ちた廃墟と化していた。

 ロンメルは乗車するティーガーのハッチから半身を晒し、双眼鏡を使って辺りを見渡す。

 暗い。とにかく暗い。見るもの全てが闇に包まれている。こんな状態では、とても夜目を効かせていようが索敵は難しい。そこで、エンジン部のちょうど上に乗っている襲津彦に索敵を依頼した。彼は古代日本の英雄。夜戦についても自分より知識も経験もあるだろう、そう見込んでのことだった。

「襲津彦、ここから先に敵は見えるか?」

「いいや、不気味なまでにここらの区画は静かだ。撤兵したか或いは───」

 エンジンの排気熱にさらわれて霧散する。だが彼が言わんとすることは何となく察しが着いた。

「考えたくもないな」

 灰色の猛虎は瓦礫を踏み越え、駆動音を響かせながら前進する。重々しい鉄の音を響かせながら。

「桐望は什造の方に向かったらしいが、到着しただろうか?」

 ふとロンメルが問う。砲塔の後ろで弓を抱えて座り込んでいる襲津彦は、どころか視線すら変えずに呟く。

「さぁな。だが魔詛の供給量が減っていやがる。大方、負傷して離脱でもしたんだろ」

 ドライな口調を崩さない襲津彦。ロンメルはハッチから身を乗り出したままの状態で、操縦手に次の区画を右折するように指示する。

 ティーガーも、砲弾も乗組員も、全てロンメルの魔詛によって製錬されたものであるため、彼の命令に従順である。故にロンメルは、やりにくさを感じていた。

 自分を止めてくれる者が部下にいない。全てが自分の裁量ということに命令の通しやすさがある一方、自分が指揮・判断でミスをした場合はどうするのか。それを常に頭に入れておかなければならない負荷がかかっているのだ。

「アホ、そっちは行き止まりだ。お前は自分で自分を袋小路にするつもりかロン公」

 慌てた彼は、すぐさま左折するように指示を出した。運転手も相槌を打って、操縦レバーを左へと倒す。

「感謝する襲津彦。忠告がなければどうなってたことか」

 帽子を被り直し、ロンメルは後ろの荒っぽい男に礼を告げると、呆れ声に変換されて帰ってきた。

「ア?何、寝惚けてんのかお前。自分が袋叩きに遭いたくねぇから言ったんだ。お前が生きるか死ぬかは別モンだ」

 エンジン音だけがこだまする廃墟を前進する一両の戦車。

 ロンメルは、エンジンの微かな振動を足裏に感じながら、ふと思考の泥濘に足を踏み入れた。出色し自分より遥かに優れた将軍など、あの忌まわしき大戦の記憶を掘り起こせば他に山ほどいるのだ。

 ヒトラーの命に背き、パリを戦火から救ったディートリヒ・フォン・コルティッツ。

 フランス侵攻の電撃戦を立案し、東部戦線で冷徹なる知能の限りを尽くした、ドイツ国防軍最高の名将と謳われたエーリッヒ・フォン・マンシュタイン。

 そして、崩壊ゆく戦線を幾度も立て直し「総統の火消し役」と呼ばれた防衛戦の天才、ヴァルター・モーデル。

 彼らはいずれも、国家の命運を左右する盤面で駒を動かした、真の戦略家たちだ。あのアメリカ軍やソ連軍でさえ、彼らの冷徹で合理的な采配を底知れぬほどに恐れていたらしい。

 対して、自分はどうなのか。答えは単純明快にして、あまりにも残酷だった。自分は最前線の砂埃に塗れ、兵士と共に塹壕の臭いを嗅ぐことしかできなかった。彼らの足元にも及ばぬ一兵卒に過ぎない。

 戦術的な奇襲で名を馳せたとはいえ、大局を見据える眼力も、冷酷に犠牲を切り捨てる計算高さも、彼らには遠く及ばなかった。最後は国家に反逆を疑われ、家族を守るために自ら毒を仰ぐという、軍人としても政治家としても三流の末路を辿った男だ。

 なのになぜ、自分が今この戦場に立っていて、彼らがここにいないのか。

 なぜ、アストラントは数多の天才たちを差し置いて、この砂漠の敗残兵を()()したのか?

 なぜ?なぜ?なぜ?

 終わりのない疑問符が、ティーガーの駆動音よりも重く、深く、頭蓋の裏側で反響する。論理的に考えれば、死界の軍勢に対抗するためにはマンシュタインの頭脳か、モーデルの防衛術が必要不可欠なはずだ。

 頭の中で、かつて自分が歩んできた砂漠の熱砂と、目の前に広がる瓦礫の冷たさが交錯する。人間の歴史が下した評価、戦果という名の数字だけが全てでは無いというのか。はたまた、この血と硝煙に塗れた魂に、自分だけが気付いていない何か突出した「業」や「適性」があったとでもいうのか。

 答えは出ない。暗闇に包まれた若浦の廃墟は、かつてのベルリンのように沈黙したままだ。

 ロンメルは、手袋に覆われた拳を一度だけ強く握りしめ、辿り着けぬ解答を探し悶えることを強制的に打ち切った。今の自分は、哲学に耽る思索家ではない。この鉄の獣を駆り、前進し続けなければならない一兵卒なのだから。そう言い聞かせ、彼は再び双眼鏡を暗闇の先へと向けた。

 それから数分。ティーガー戦車は瓦礫の中を突き進むが、一向に敵が見えない。爆音も次第に減ってきている。きっと、大半の契約者は物量に押されて死んだのだろう。そうロンメルは思う。一方の襲津彦は呑気に徘徊している自信に歯がゆくてたまらなくなり、拳を砲塔の分厚い鉄板に叩きつける。ガンッと響くような鈍い音が一瞬車内を蹂躙した。

「おいロン公、一旦このうるせぇ振動止めろ。どうせ手回しで動かさなくても、お前の意思ですぐに発動は回んだろ?」

 古代の猛将から提示された要求は、ロンメルにとって自分の足を切る様なもの。通常なら、到底受け入れることはできない。だが目の前で要求するのは、野生の勘を具現化したような男。その意味が分かれば、言わずもがなその意図も解るものだ。

「わかった、どれくらい止める?」

「ざっと30秒ってとこだ、ここら一帯殺気が漂っていやがる」

 ロンメルは操縦手にエンジンを切るように指示を出し、低く唸り声を上げていた虎は眠りについた。エンジンが切れた瞬間に襲いかかる静寂。ビル間を駆ける風に殴りつけられた粉雪が、勢いをつけながら顔面にぶつかってくる。

「ペッ、んだ雪じゃまともに弓も引けやしねぇ」

 般若のような目つきで辺りを見渡す。幸いに雪はそこまで酷いものではなく、視界が遮られるものではなかった。狐は寒さに耐えかねてハッチを閉めたのか、既にそこに居なかった。

 顔に突き刺さるような白い雨を真っ向から受け、髪を靡かせながら狩人は感を研ぎ澄ます。弓を抱いて立膝のままそっと目を閉じる。

 静まり返る地、止む降雪、そして穏やかになる風。集中すればするほど、この景色の解像度が高まるものだ。モノクロの3Dマップのように無機質だが、しっかり()()()()()地形を捉え、網膜に映し出される。五感を研ぎに研いだ襲津彦だからこそできる芸当だった。

 そしてその座標図に黒いモヤがひとつふたつ。薄く現れては消え少し濃くなって現れ、また消える。明確な“敵”だという報せ。壁の無効だろうと、地の下だろうとこれは関係なかった。勘は裏切らない、それが葛城襲津彦が戦場で死なない大前提だった。

「雪踏む音、これふたつ。いずれの音も武士(モノノフ)か。うち一人は───(おなご)だと?ふざけやがって」

 エンジンカバーの上で、静かに姿勢を維持しながらも血管を浮き立たせた。次の瞬間、ピッと放たれた一筋の銀光が空を切り裂きながら、狩人に突進をかます。

「ッチィッ!」

 腹から身を捩って何とか躱す。襲津彦が軌道から外れた矢は、そのまま婉曲した灰板にぶち当たって先端が欠けた。

「弓兵に弓打つったぁ、飛んだ命知らずだな」

 睨み目を穿つ先に影がふたつ。極限集中のときに見たモヤだ。ひとりは弓を持った小柄な女武者、もうひとりは───見覚えのある男だ。面識があるという訳では無いが、アストラントに居た頃に資料として見たことがある。北方のお口に住む民族の長と記憶しているが、名前が出てこない。

「武者と言や武者か?まぁいい、俺は神功皇后に仕えた(おみ)、葛城襲津彦。両方、無名戦士として死ぬのはゴメンだろ。名を名乗れ。それくらいはさせてやる」

 2人は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしながら、互いに顔を見合せた。そして面白おかしいものを見たかと言うように笑いだした。

「こんなアホがまさか生界の守備兵にいるとはな!あたしゃ気に入ったよ!」

 腹を抱えて笑う女武者。その隣で、既に笑うのを辞めた異民族の男が名乗りをあげた。

「悪路王。その名阿弖流為(アテルイ)。貴様の首を貰いに来た」

 蛮勇とヤマトで嘲笑われたあの男か。そう内心思う襲津彦は、弓を背の弓入れに押し込み腰の直剣に手をかけた。

「おいおい、真弓の襲津彦が弓使わないでどうすんだ?おっと、あたしゃ板額、板額御前(はんがくごぜん)さ!」

 耳がピクリと動いた。弓使いならば、板額御前と聞いて知らないはずがない。平家屈指の弓兵───言わば平家版那須与一だ。

 弓取りには弓取りの、戦士には戦士の「死に様」がある。それなのに、よりによって平家という華やかな武家文化の象徴のような板額御前が、悪路王のような蛮勇と組んで、死界の軍勢として薄汚れた戦場に立っている。

 ───んで奴がなぜ死界軍に居やがんだ?いや、そんなことは後でいい。今はこのクソどもを殺して桐望と合流だ。

 停車したままの戦車の上から2人を見下ろす襲津彦と、それを見上げる阿弖流為、板額御前。高さはほんの2m少しばかり。あの二人を仕留めなければ、死の果まで追いかけてくるという漠然とした確信があった。

「煩ぇぞ、蘇みてぇな顔しやがって。盟神探湯の煮え湯でも掛けてやろうか」

 弓取りというプライドを逆撫でされた襲津彦の血管に、ピキピキと血が昇る。襲津彦自身、それを感じ切っていた。

「クカタチィ?はっ、煮え湯掛けられるんならかけてみな!あたしはそんなもんじゃ怯まないけどね!」

 ロンメルは鉄の棺桶の中。きっと、短気な者なら出てきて戦えと言うだろう。が、襲津彦はそう言わない。言ったところで戦力になりはしないからだ。

 彼の得意は戦車や野砲など近代兵器を用いた()()()()()で、こんな至近距離で剣を交える戦いは不得意に等しかった。つまり、ここからは火刑蛮将の出番ということだ。

「弓の利点がかませねぇなら弓を使う意味がねぇだろ」

 怒髪天を衝く襲津彦は、柄と鞘に手を添えたまま剥製と化す。その姿は、戦車という無機質な鉄の塊の上で、異様なほどの存在感を放っている。彼が身を固めたその瞬間、周囲の空間からあらゆるノイズが消え去った。雪さえもその殺気に触れることを拒むかのように、彼の肩口で溶け、蒸気となって消えていく。これは彼が三韓征伐で幾多の敵を焼き払ってきた、あの()()()()としての戦闘態勢だった。

 阿弖流為は無言のうちに重厚な構えを取り、その瞳からは一切の感情が排されている。かつてヤマトの軍勢を震え上がらせたその剛腕と振い落された鉄剣は、この狭い戦場において、ティーガーの装甲すらも砕きかねない質量を帯びていた。

「貴様がその気ならば、此方とて楽天観では居られぬな」

 一方、板額御前は先ほどまでの快活さを内側に押し殺し、弓を腰に下げたまま、まるで獲物の隙を虎視眈々と狙う山猫のような姿勢をとる。彼女の目には、襲津彦の直剣が描くであろう斬撃の軌道が、すでに数秒先の未来として映し出されているかのように。

 戦車内に待機するロンメルは静かに、しかし確実に周囲の状況を把握していた。襲津彦のと聞きなれない男女のとで交わされる言葉の弓合戦。

「そんくらいテメェにでも分かんだろが」

 その言葉が雪の中に消えた瞬間、襲津彦の踏み込みが炸裂する。戦車という不安定な足場を、彼はまるで平地のように駆け抜けた。襲津彦の直剣は、ただの鉄の塊ではなくかつて三韓の地を焦土と化し、抵抗する者の首を次々と落としてきた処刑の刃だ。その刃を血塗れの益荒男からたたき落とすなど、不可能に近しい。

 だが板額御前は、襲津彦が踏み込んだ瞬間にその()()が異常であることを直感した。剣を振るうのではなく、身体そのものが弾丸となって突進してくる───その物理法則を無視したような動き。阿弖流為が迎撃のために大振りの一撃を放とうと腕を動かしたが、襲津彦の剣先は、その剛腕が振り切られるよりも速く、阿弖流為の頸動脈をかすめ取ろうと走る。しかし目の前の刺青を入れた蛮将は、あろうことか背面方向目掛けて、勢いよく瓦礫を蹴飛ばした。

 迎撃のために振るった悪路王の一閃は虚しく空を切る。予想外の軌道に板額御前も矢番え放つが、襲津彦の残像に刺さるだけ。

「エンジン回せ!」

 ロンメルの怒号が飛んだ。ゼロサムゲームなら、最初から戦わないのが賢い選択だと、本能的に理解できた。

 ガタッという金網を踏むような音を響かせて、襲津彦がエンジンルーム天板に乗ったと同時に、西欧の将軍は叫ぶ。

戦車前進(パンツァー・フォー)ッ!」

 ぐうっと後ろに引っ張られ、暴力的なトルクで50トンの巨体が前に少し浮き、襲津彦が跨る尾の方は逆に沈みこんだ。眠れる獅子が再び動き出した瞬間、車内の赤い照明灯が明滅した。

「ウオッ…!?」

 襲津彦がバランスを崩して両手をつく。ロンメルはそれをキューポラの隙間から「掴まってろ」と言うだけだった。

 阿弖流為は一瞬呆気にとられて、板額御前も何が起こったか分からぬまま硬直していたが、数秒後には我に返り、その鉄の虎を追う。

 ピーッと指笛を吹く板額御前の背後から、立派なたてがみの白馬(と言っても骸兵の一瞬だが)が現れる。並走するそれに跨る板額御前は弓を背に差し、代わりにその馬が背に乗せた薙刀を手に取る。

「トォッ!」

 けたたましく叫ぶ板額御前は、轟音とともに首を180°反対に向ける、無垢な怪物目掛けて追撃する。その勢いは、文字通り現代に蘇る武士(モノノフ)のそれである。一方の阿弖流為も、生前よりの愛馬・阿久利黒(あくりぐろ)に跨って、平安女武者の後を追う。煌びやかな朱色の大鎧の後を追う、熊毛襟の毛皮を来た山賊のような巨漢。この2人を生きて返すことなど、ロンメルは到底考えていなかった。

「次の路地を右折、そしたら右の建物を打ち崩せ。砲塔上の機銃は使う必要はない」

 戦車長が指示出しすると、ゆっくりと砲身が上部へ、右へとメカメカしい駆動音を車内に響かせながら回転させる。

「襲津彦、今から速度維持したまま右折する!振り落とされるなよ!」

「誰が振り落とされるかよ、火刑蛮将舐めてんのか」

 ロンメルはフッと笑い、そのまま車内で指示を飛ばし続けた。

 ティーガーは十字路に差し掛かり、減速しないまま右折を開始。瓦礫の山に乗り上げ、手が生えた椅子に尻を持ち上げられる。車外の襲津彦も砲塔後部にある突起物に捕まって、車両背後に迫る騎兵二騎を見つめながら居た。

「臆したか真弓の襲津彦!軍神が聞いて呆れるではないか!」

 向こうで女武者が何か言ってやがる。今すぐにでも射掛けてやろうか、クソが。

 強烈な横Gに引き伸ばされそうな身体を、その原型を留めるのがやっとだ。少しでも気が緩めばすぐにでも飛ばされる。そう思うのは、朝鮮半島を駆け巡り、幾つもの城を焼いた経験の必然たる警告であった。

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