Last Rey -Ancient Fate-   作:蒼山とうま

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傭兵の糧

 時間は少し遡る。

 12月15日の朝8時。ちょうど什造が出勤している頃である。一人の男が、若浦市警察署に招かれていた。

「ようこそお越しくださいましたマイクさん。ご指導ご鞭撻(べんたつ)、よろしくお願いします。」

 警察署と併設で設けられている警察学校のグラウンドに並ぶは、若浦警察学校に通う生徒と現役の機動隊員と銃器対策部隊員らおよそ80名。キッチリと縦横均等に並び、極寒の東北の地でも“気をつけ”の姿勢を崩さずに整列している。彼らは警察学校内でも選りすぐりのトップ層と若浦市内最精鋭であり、死界侵攻──若浦市事件が発生する12月15日は、暴徒鎮圧と武装犯確保のCQC(近接戦闘)の演習を行う日であった。

 そこに、アメリカ人の男が一人招かれていた。

 デザートカラーのベレー帽に同色の防弾チョッキ、迷彩戦闘服を身にまとった、ガタイがとても良いと言わざるを得ない男。その胸筋は、岩のように固く、太い腕はロープのような筋肉で覆われ、立つだけで影を落とすほどの巨躯。

 退役軍人であり、傭兵王として世界に名を轟かせ、今や世界中の軍や警察から指導を頼まれる男──マイク・リーマンである。

 彼は10数年前に地獄を見、その地で仲間を多く失った。退役した彼は、今は金で動く傭兵となっていたが、それには何か意味があった。彼にしか分からない意味が。

「PMCタクティカル・メディックス(TTMS)CEO兼戦闘団長のマイク・リーマンだ、今日は君たちに出逢えたことを嬉しく思う。共に有意義な日にしよう。以上だ」

 手短な挨拶。だがその声に、警官たちの背筋が無意識に正された。言葉以上に重いのは、彼が歩んできた現実であり、同時に死の重みそのものだった。

 この日、彼がここに招かれたのは、日本政府からの正式な依頼による。全都道府県の警察対テロ特殊部隊に対し、銃火器と戦闘技術の指導を行うため、2003年に訪日、全国を回って教育を施すのである。

 しかし、まさかこの数時間後──彼が銃を手に“死界”と交戦することになるなど、まだ誰も想像していなかった。

 いや、ただ一人。リーマンだけは、どこか達観した目でそれを予感していたようにも見えた。

 リーマンは早速、警官たちの実力の現状を見ることとなるが、海兵隊(マリーン)にいた彼からすれば、目も当てられない惨状であった。

 これではテロが起こった際に全員死ぬぞ、とも思うほど動きがノロかったのである。

「止めだ止め、そんなんだと5秒しか持たないぞ。ベトナム戦争の時の通信兵と同じくらいの寿命だ」

 リーマンが演習中止の号令を上げると、ある生徒が「戦場に行ってたからって偉そうにするな」とボヤく。それが耳に入ったようで、その生徒に向かって、

「お前のそのドン臭さじゃ、テロリストにはいい的だろう。あぁ、テロリストの制圧を難しくするって点においてなら、テロリストの肩入れならできるな。お前はそんな奴になりたいのか?」

 と静かに言った。その疑問符で終わる言葉には、異様な圧力とオーラが漂っている。戦場にひとたび出た男が、元の男ではなく全く別の男となって帰って来るかのようだった。その生徒は冷や汗をかきながら、いいえ!と答えた。

「なんだあの地獄耳のオッサン」

「やめとけ、背負い投げされて肩を脱臼させられるぞ」

 ボソボソとリーマンに文句を言う生徒を傍らに、リーマンは機動隊員らの暴徒鎮圧訓練と銃器対策部隊の武装犯制圧訓練を、腕を組み、藍色のフル装備の男たちの動きを、睨み目で見つめている。

 銃器対策部隊員はライフルを持った武装犯役の警官に対して横一列に盾を構え、その後ろに、サブマシンガンを装備した隊員が待機して少しずつ前進。盾で押さえ、数名の男が

「確保確保!」

「容疑者確保!」

「手錠!手錠かけろ!」

 と声を張って、他の隊員が腕を拘束。そのまま、武装犯の暴れる腕にガチャリと、まるで歯車が噛み合せるような音を立てて手錠をかけていた。

「止めだ、止め」

 リーマンが静かに言うと、指導教官は「止め!」と声を張上げた。

「基本はできてるな。だが室内クリアリングでもねぇのに、そんなノロノロ動いてりゃ死ぬぞ。今回は一人だったから良かったが、これが集団だったらどうする?」

 部隊員は黙ってそれを聞いていた。

 敵が一人だからどうにかなった。だがそれは、自身の慢心と、複数人のグループによる犯行だった場合に犠牲が出ることを暗示している。

「昼休憩を1時間取る、終わったら再び訓練再開だ」

 砂が、隙間の所々に入った腕時計を見たリーマンはそう告げる。

 時計は12時5分を指し示していた。

「マイクさん、お疲れ様です。我々とお昼でもどうです?」

 1人の銃器対策部隊の隊員が弁当を持ってリーマンを誘うと、リーマンは「あぁ、一緒させて貰うか」と少し微笑んだ。

 日々訓練と取り締まりを行う警官たちの数少ない娯楽──それが食事である。辺りは笑い声や談笑の声で溢れているのを聞きながら、リーマンはふと軍人時代のことを思い出す。

 こういう大人数で、同じ空間で食事をする時には必ず、今は亡き親友の笑い声と「Lehman, Hey Lehman」というあの声がはっきりと聞こえるのだ。

 

 14年前──。

 当時18歳だったリーマンには、同年代で親友のジョセフ・L・バーンズという男がいた。基地にいる時に悪ふざけで女装したり、掃除の時にモップを銃でような構えをする陽気でムードメーカーだった彼は、ちょうど向こうの方でバカをやっている警察学校の生徒のような男で、訓練生内でもそれなりに有名な男だった。

 よくリーマンとは空挺降下中には物資の投げ渡しをやって教官にもよく怒られていたが、それでも悪ふざけは止めなかった。

 リーマンとは、似ているようで似ていない男だったのだ。

 同時に人間くさい性格を持ち合わせていた彼は、少尉任官後、リーマンと同じ班に配属され、湾岸戦争参戦する。進軍道中の村の子どもたちと釣りをしたりサッカーをしたりしていた。

 戦場に出ても日常を忘れず、日常を生きようとした男。ジョセフ・L・バーンズ。その男も湾岸でクウェートの砂の中に散った。

 ──クウェート国際空港の戦い。

 本来なら隊長であったジョン・メイソン・ホワイト中尉が、第2海兵師団第2突撃水陸両用大隊に属する第6小隊を指揮するはずであった。しかし、戦闘中に負傷しその治療により戦線を離脱。そのために臨時でリーマンが小隊長として率いることとなり、バーンズも小隊長補佐として実質的な副長のポジションと、同小隊第1班の副班長も務めた。

 イラク軍精鋭の決死の防衛により、苦戦を強いられる。その最中にあったイラク軍のT-62の砲撃により、リーマンの班に属する工兵ミゲル・オルティスが原型を留めない程の損傷を受けて死亡した。

「Lehman!There are enemies on the roof───」

 ズドンという音と共に、同じ班のイーサン・クロウリー2等軍曹が倒れ込む。彼のヘルメットは衝撃で吹き飛び、M700も手元からするりと解けてゆく。辛うじて意識はあるようだが、それも時間の問題だった。

「Holy shit!」

「I'll treat the sergeant!Cover me until I get behind cover!」

 近くにいた同班の衛生兵ザック・レイノルズが倒れたイーサンを運ぼうと彼を抱えあげたその時、弾丸が彼の腹を撃ち抜く。ウッと短い断末魔をあげたあと視線の方向に倒れ込み、うつ伏せのまま動かなくなった。意識の有無の問題では無い。遠目から見ても、生を感じられなかった。

「Zack! Hey, Zack!? What's the matter!」

 朦朧とする意識の中、イーサンはザックの体を揺らすが返事がない。そして、彼がリーマンを呼ぼうとした時頭に激痛が走った。何やら生暖かい物が額を伝って鼻頭まで降りてきている。

 微かにする鉄のニオイ───ああ、そういう事か。ハハ、参ったなこれは。

 ゆっくりと彼の体の動きは鈍くなる。ザックを揺らしていた片手はそのまま、亡き戦友の背中に添えられたまま。

 班の仲間が次々に倒れる中で、リーマンはイラク軍を相手に孤軍奮闘していた。しまいにはとうとう彼自身も足を負傷、右足の感覚がなくなってしまった。

 それに気づいたバーンズは、銃撃の中で、すぐにリーマンの元に駆け付けて彼の胸ぐらを掴んで背中の方に回して担ぎ上げると、敵に背を向けて後方まで走り出した。

 大の大人──しかもそれに数十キロの錘をつけた男を運んでいるため、無防備になった彼は敵からすれば「どうぞ撃ってください」と言っているようなものであり、それを理解しているリーマンは、環境音にかき消されぬように叫んだ。

「俺のことはいい、お前が砂になるくらいなら俺がなる」

 しかし、バーンズは笑って返事(こたえ)る。

「バカ言え、お前が死んだら誰が60人の小隊を率いるんだ」

 と。リーマンは唖然とした。それに続けてバーンズは言う。

海兵隊(マリーン)は仲間を見捨てない。無論、許可のない死も許されないが」

 リーマンはその言葉に対して、反射的に「お前だって許可なく死んだら許されねぇぞ!分かったらさっさと降ろせ!」と怒鳴った。その怒鳴りはバーンズの自己犠牲の精神に苛立ったわけでも、リーマン自身の無力さに苛立った訳でもない。むしろ、この戦場という世界の縮尺の理不尽さに苛立っていたのだ。

 30秒程度、リーマンはバーンズの肩の上に揺られながら、周囲に響き渡る戦車の轟音、銃声、叫び声を聞いていた。

 周囲では、「小隊長が負傷したぞ、カバーしろカバー!」や「副長を援護しろ!」と怒鳴る男たちがM16やミニミ機関銃を敵に向けて乱射、制圧射撃をして、バーンズが衛生兵のいる戦闘区域後方まで援護する。

 周囲には転がるイラク兵の死体。燃える飛行機だったモノ。ターミナルへ砲撃を続けるM1エイブラムスと遮蔽物やスモークに隠れながら前進する米兵たち。

 臨時とはいえ小隊長という身でありながら負傷したリーマンは、本来の小隊長であるホワイト中尉に合わせる顔がないと反省し、バーンズを危険に晒していることにやるせない気持ちがただただ募るだけであった。

 爆風で舞った砂が口の中でジャリジャリと音を立てて砕ける。口の中の水分を全部持っていかれる、とても食したくない味が嫌になり、唾とともにそれを思いっきり吐き出した。

 もう少し。もう少しでバーンズは助かる──そう思っていたその刹那、バーンズは背後を狙撃手(スナイパー)に撃たれ、うつ伏せに倒れる。リーマンはバーンズの腕から力が抜けるのを感じながら、彼の方の上から投げ出され、熱く硬いコンクリートの上に叩きつけられた。

 リーマンの盾となって死んだ。ただ一言の「You Can」という言葉だけを残して。その言葉が何を意図していたのかは、バーンズ本人にしか分からない。

 分からないし、理解したくもなかった。

 しかしながら、このバーンズ(親友)の死が後にリーマンが傭兵として、異常なまでの戦果を挙げる糧となったことは確かであった。

 

 あの灼砂の惑星での、苦く辛い出来事を思い出したリーマンは小さくため息をついて、カップに溜まったコーヒーを一気に飲み干す。

 コーヒーの深い苦味が口の中に広がるのを感じながら、再びフゥっと息をついた。白いモヤが熱とともに雪の降る虚空へと消えていくのを見つめたその時だった。

 一人の警官が「おい、なんだありゃ!?」と指をさしながら叫んだ。

 指をさされたその方向には、灰色の煙とその周囲にどこからともなく現れた無数のドラゴン。周りの警官はざわつき、何人かは数歩後ろに退いた。生徒と機動隊員、教官らは一瞬でこの世のものでは無い“異端”に恐怖を感じ、足をガタガタと震わせる。震わせずとも、無意識に足の筋肉を張るような者も居た。が、リーマンは瞬時にただ事では無いことを判断して、すぐに自分の車へと走り出した。

「あっちょっとマイクさんどこへ!?」

「お前らは早く市民逃がせ!早くしろ!」

 怒鳴りながら走るリーマンは、自分のピックアップトラックに乗り込むと、鍵を挿して左に手首を回す。重低音のエンジンが目覚め唸る。アクセルを踏むと、タイヤがゆっくりと周りだして校庭には砂煙を引き立たせて校地を最短距離で駆け抜けて、その煙を目指しピックアップトラックを走らせるのだ。

「ちょっと!リーマンさん!」

 1人の生徒が呼び止める。リーマンは車を停めて、サイドガラスを下げて声がよく通るようにした。

「自分も連れてってください、きっと役に立ちます!」

 その生徒の熱心な目を観るや否や、リーマンは即答する。

「悪いな、助手席はもう埋まってんだ――QBZ-95(コイツ)専用でな」

 言葉を詰まらせた生徒は、さらにピックアップトラックの後部座席はどうなのか、問う。

「じゃぁ後部座席はってか?爆薬とボディアーマー(IOTV)が場所取りしてる。人間が座るとこなんて、最初からねぇぞ、あぁ、外の荷台なら人は乗れる。ガキくらいのやつしか乗れねぇがな」

 口角を上げてアクセルを踏むと、その重々しいエンジンを上げながら生徒を置き去りにして、警察学校の正門へと真っ直ぐ突っ込んでいく。

「どこに行くのですか!?」

 1人の女性警官の声を背後に、リーマンのピックアップトラックはとうとう正門を越えて、みるみるうちに黒炎渦巻く若浦のビル群へと身を投じていった。

「あの傭兵マジかよ…」

 数人の警官は顔を青くしながら、リーマンの黒いピックアップトラックの荷台をただただ、見つめているだけだった。そこに1人の警察教官が来て、一言言った。

「なんでったって、親友亡くしてからアンナンなんだってよ」

 その教官は続けて「さて、我々も仕事だ。市民を避難させるぞ、通報なんか待ってはいられん!」と喝を入れ、警官たちは反射的に「はいッ!」と応え、散り散りとなる。それぞれがパトカーに乗り込んで若浦市内全域へと散らばったのだった。

 

   * * *

 

 什造はデザートカラーの煙幕(スモーク)をバックに、ゆっくり歩きながら他の契約者を潰して迫るダグザの、その圧倒的な力に飲み込まれそうになっていた。

 自分の生存本能が、ここで反抗すれば自分は殺される、死んでしまう!と叫んでいる。しかしここで逃げては、救えるはずである目の前の名も知らぬ人たち(守るべき戦友)を見捨てることとなる。

 それは、(すなわ)ちダグザというあのバケモノに、他人の命を売るということを示していた。そんなことは自分が腐ったとてやりたくは無い。いや、やらない選択肢であった。

 一歩一歩着実に近づく破壊神の気迫に、何度も飲まれそうになる。什造は一定の距離を保つのに精一杯で、義輝も顔には表さないものの、やはり内心は焦っているようであった。

 ──早くヤツを殺さなければ。

 ──早く契約者(仲間)を救わねば。

「降伏するか、死ぬか。好きな方を選ばせてやろう。神としてそれくらいしないとな?せめてもの慈悲だ」

 前置きもなく、いきなり提示されるダグザからの提案。什造の内心はなんとも言葉に表せない怒りでいっぱいであった。

 神だから慈悲を()()だと?ふざけるな。いきなり攻めてきた上に民間人を虐殺しておいて、よく言うものだ。

 心臓と胃の間がキリリと痛み、脳みそから首にかけて熱を帯びるのを感じた。

「お前のとこの王様は何考えてるか知らねぇけど、お前がただ平凡に暮らしてた人間を殺しまくるような軍団の御大将って言うんなら、ここでお前を倒す。神だろうと何だろうと、無関係の人間を殺したならその罪を償え」

 交渉決裂。

 無用無価値。

 これは、死界への宣戦布告である。

 ダグザへの宣戦布告である。

 歪んだ希望を彼に言った。

 真っ直ぐな絶望を彼に言った。

 既に数時間にわたる戦闘で心身は疲弊し、着ている灰色のコートは裾が擦り切れボロボロになっていたが、什造の信念は擦り切れなかった。

 ほぅ…?と唸る茶色肌のヤツは、重々しく長ったらしい棍棒を肩に担ぎ上げながら憐れみの目をこちら向けた。次の瞬間にはその棍棒を振り下ろしてきて、地面を叩き割るだろう。

 什造はそれを耐えるべく、体に力を入れてみる。逃げることなんてしたくはないし、するべきではない。

 振り下ろされた棍棒によってコンクリに耐え難い衝撃が伝わり、そこから走る亀裂が什造の方へと向かってくる。それと共にカッターのような風が容赦なく吹き付け、視界を遮って、ダグザと什造の間に煙の壁を隔てて、互いにその姿を隠すこととなった。

 什造は、その風の中で舞い上がった瓦礫を必死かつ咄嗟に身を捻って避けた。

 土埃が舞い、体をコンクリと砂利に強く打ち付けながら転げ回るその姿はあまりに滑稽で、ネズミかハエが人間から必死に逃げ回るかのようであった。

「交渉決裂って分かるや否やすぐ殺そうとするの──ホント戦闘狂って感じだな…ッ!」

 啖呵を切ったはいいが、正直自分に勝ち目は無い。

 足がすくんで、とても歩けそうにない。

 戦闘能力の差は歴然で、ダグザ(向こう)は神話でデスワークをこなし、場数を踏んでいる。対する什造(こちら)はデスクワークが精々であり、戦場のせの字も知らない什造にとっては未知の領域──というよりも、元来不必要な領域であった。

 ダグザは、間髪入れずに棍棒を振り下ろし、あるいは薙ぎ払って什造を殺そうとする意志を明白にし、対する什造は魔詛弾(カーズ・バレット)を右掌から放つ。義輝もタイミングを見計らって、ビルの壁を用いた辻斬りのような三次元機動でダグザの体に数多の切り傷を作るのだが、どれも決定打とはならない。刃が通じないと言うよりか、斬ってもすぐに再生するのだ。

「什造、此処は一旦退いた方が良いかもしれぬ。刃の通ぜぬ戦をしたとて、悪戯に我が方の戦力を減らすのみぞ」

「義輝…。ここで俺らが逃げたらどうなるか分かるか?戦況は変わらないどころか、もっと被害増えるだけだ。それこそ義輝のいう()()じゃないのか?」

 あのヘラけた什造の姿はどこにもなかった。普段のお巫山戯ムードは消え、完全に戦闘に集中している。さながら人格が変わったとでも言うべきであろうか。

 彼は是として神に立ち向かい、自らが神殺しとなろうとしている男の言葉に剣豪将軍は言葉を失い、しばらく沈黙するだけだった。

 チラリチラリと雪が降り出し、什造の顔に触れ始める。その雪々は、彼の体温で溶けて水となり、彼の頬を伝って地に帰ってゆく。

 勝利の女神・ニーケーでもチャンスの神・ガイロスでもいいのだが、()()()()()がこちらに微笑んでくれれば、どんなにいいことか。そう思った什造は度重なるダグザの攻撃で傷付いた顔で、義輝の顔を見た。

 ギリシャには“幸運の女神には前髪しかない”というコトワザがあるという。その意味を什造は頭の中で理解した。しかし理解したのは脳みそだけで、体は一切の理解を拒んで無価値なものと切り捨ていた。什造はようやく、そのコトワザの意味を体で理解した。

 ダグザへの攻撃は通じず、逆にこちらが一方的に攻撃を受けている最中。一台のピックアップトラックが、空に渦巻くドラゴンを撃ち落としながら接近していた。遠く、小さいながらも救援が来たという事実に気づいた契約者は思わず安堵の表情を浮かべた。

 あのピックアップトラックに乗っているのは、言わずもがなあの傭兵王であった。左手でハンドルを持ったまま上半身を車の外へと出し、QBZ-95(愛銃)の引き金を引いて、近くで斬り合う骸兵を撃ち倒している。

「どうしたァッ!イラン軍よりも弱っちいぞッ!この死に損ないドモはァ!」

 ドリフトで車体を滑らせながら停車させ、素早く降車。車首と銃口が垂直に交差するような配置。グリップをグッと握りしめたその冷たく鋭い視線は、明らかにダグザへと一直線。そして、ボンネットを遮蔽物にライフルを、1番目立つダグザ(クソ野郎)に向けて放った。半ば無理やり火薬の爆発に押し出され、銃身中のライフリング(腔線)で回転させられた弾丸は、ダグザへ群れを成して突進していく。

「ダグザ殿。ウジが湧いてでてござります、ここは壊をもってこれを排すべきでは?」

 ダグザの影から現れる一人の男。その容姿は緑で蔓の紋が両胸付近に描かれた陣羽織を羽織り、その下には黒い甲冑。顎髭がボーボーかつ典型的な髷で頭部は髪が無く、顔つきは明らかに野心むき出しの胡散臭い顔かつ、その声は信じられるかられないかの中途半端な高さと速さのものであった。

 発言からダグザの仲間──つまり死霊であることは言うまでもない。

「ヒサヒデ、またハエがたかったのか?」

「左様でございます。鉄砲を持った害虫でございまする」

「ならばお前が行け、害虫を排してこい」

 ダグザの声に口角を上げて、その男は「我は武力よりも策略が得意でござります。故にここはダグザ殿の手勢が牛をもってこれを鎮めて見せましょうぞ」と答える。そしてヤツは呼んだ。バケモノを呼んだ。

 リーマンの目の前には数体の牛頭の怪物───ミノタウロスが3体立ちはだかっていた。

「さぁ、美濃多路州(ミノタロス)どもよ、その巨体であの人間を囲いなぶり殺せ」

 咆哮と共に、大斧を持った牛男たちは傭兵王に突貫し、大きくその斧を振りかざす。

「外国人!ソイツからすぐに離れろ、俺が吹っ飛ばす!」

 什造が怒鳴るように叫び、すぐさま魔詛弾(カーズ・バレット)を撃つ用意をするが、その傭兵は「シロートは引っ込んでろ!」とそれを一蹴した。什造はその気迫に飲まれ、すぐに手を下ろした。

 QBZ-95のホロサイトを覗き込む。若干青に着色された視界の先には、言わずもがな茶色い地毛を生やした毛が生えた牛が3頭。

 リーマンはすぐに地面を後ろへ蹴って、距離を取る。コンマの差で頭を刃が頭を掠めて地面に叩きつけられた。その軌跡に鉄の匂いを残して初撃は外れたものの、残り二本の斧はリーマンを捕らえて一直線。

 2発目は軌道的に当たってしまう。3本目はギリギリ避けられるであろう。

 すぐさま、QBZ-95の引き金を引いた。ドッと肩に車が衝突したかのような衝撃が走る。硝煙のニオイが、ツンと鼻を刺すように煙と共に漂いながら、空気へと消えていった。嗅ぎなれたニオイだが、どこか懐かしい気分になる。それはリーマンの骨の髄まで、戦場に支配されていることを暗示しているということであった。

 最期の一瞬まで戦場に生きなければならない。それが傭兵王マイク・リーマンに定められた運命であった。

 一瞬のうちに放たれた5発の鉛玉は、二撃目を振るうミノタウロスの右手首へ吸い込まれ、穴を開け、出血させるに至った。尤も、ミノタウロスには、見たことの無いライフル銃(武器)に自身が傷つけられることなど、想像する()()すらなかった。ミノタウロスはその激痛が走った瞬間に、テセウスに殺された数千年前のことを思い出す。その時の悔しさから怒りを顕にしてリーマンにその剛腕な腕から繰り出される打撃を食らわせる。リーマンは低く唸り、腕にフルオート射撃で弾薬を撃ち出して反撃。

「見ろヒサヒデ、ラビュリントスから解放しておいただけあって中々の暴れっぷりだ!」

 ダグザは高笑いをし、後ろの男も歯をむき出すような笑いをしながら手には爆弾、腰に刀を携える。その様子はさながら、今にもダグザの背を討とうとしているように見えるものてあった。

「ダグザ殿。今こそ好機、牛男どもが撹乱している故、骸兵を動かされよ。今動かせばその骸兵は伏兵となりあの兵士を殺せばこの戦は勝てまする」

 ダグザはムッと眉間に皺を寄せて言い返す。

「黙れ、そのようなことは戦に誉れを求める俺に言うか」

「は、以後慎みまする」

 二人は、目線の先に広がる火の闘技場の真ん中にいる、リーマンとミノタウロスたちの武闘を眺める。余裕があるのはダグザが圧倒的武力で契約者(コヴェナント)をねじ伏せるのと、ヒサヒデが骸兵でダグザの周りを数個の小隊に分けて、四方を固めていたからである。

「見るがいいヒサヒデ、伏兵などという小細工をせずともあの人間はミノタウロスでしとめられそうだぞ。もっとも、ギリシャの怪牛3匹を相手にあれほど粘るあの男には経緯を評さねばならんがな」

「は、仰る通りかと。してダグザ殿、打っては出られぬのでしょうか?」

 ヒサヒデの顔をチラリと覗き込むように見るダグザは、その焦げ臭い戦場の匂いを肺いっぱいに吸い込むと、返答する。

「戦うに相応しい武人が出ない限りは棍棒を振るうつもりは無い。向こうで戦っているアイツはそれに値しない」

「──左様でございますか。では、我はシャレット様への定時報告を致しまする」

 ダグザはただ「頼んだぞ」の一言だけを無愛想に答えた。

「さて、殿の命令故、あのケルトには死んでもらわねばな」

 蔦紋を刻んだ陣羽織は発光し出し、何か得体の知れないワザを出してくるかのようであった。

「上手いこと囲うたか。去る前の置き土産をあの戦士に」

 ヒサヒデはミノタウロスという壁に囲まれたアメリカ人を見ると、そこへ先程持っていた爆弾(茶釜に火薬を詰めたもの)を投げた。放物線を描いて投げ飛ばされた茶釜は、静かに、かつ確実にそのまま肉壁に囲まれた空間へと急降下で向かってきていたのだった。

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