Last Rey -Ancient Fate- 作:蒼山とうま
投げ飛ばされた桐望は、瓦礫にまみれた車のボンネットに全身を打ち付け、そのまま天を仰ぐ。
「どうにかして什造を助けに行かないと…。散々啖呵切っておいてこのザマは、あまりにも格好が悪い」
近くで銃声がする。鋼をぶつけあい、擦り合う冷たい音もする。
「やれやれ。さっきので足はお釈迦だ、これじゃまともに歩くどころか襲ってくる雑魚も相手にできない。このまま無様に死ぬ運命か…」
半ば諦める。自分の足が潰され動かなくなったのは自分の責任、そう言い聞かせて。
ケタケタと骨のぶつかる音。何かが風をきってこちらに向かって来て、車にカツンカツンとぶつかっては落ちる音。乾いた竹のような音をしながら地面に突っ伏しているそれを見ると、矢。矢がそこら中に転がりまくっている始末。
「弓に射掛けられて死ぬのか、ならせめて、数体でも道連れに───」
桐望がボンネットから身を捻って転げ落ちたその時だった。ドン、ドンという発砲音と共におおよそ500メートル先にいた妖たちがバラバラと崩れ落ちた。
「おいそこの兄ちゃん、大丈夫か?」
桐望が声のする方を見上げると、焦げてボロボロになりかけの防弾チョッキに身を包んで、ライフルを手に持った外国人が一人。完全に傭兵という格好であった。
「何とか、大丈夫ですが───いかんせん足が動かず…」
その傭兵は足を見るや否や、近くに転がっていた木板に足を移動させ、それを包帯でぐるぐる巻きにした。痛みを感じる暇もない慣れた手つき。傷を見つめる彼の視線はさながら、手術をする外科医のようであった。
「お前、名前はなんて言う?」
不意に傭兵が名前を聞いてきた。驚いた桐望は一呼吸おいて「葦高桐望です」と答える。その声のなんと頼りないことであろう。それが先ほどまでダグザに啖呵を切っていた男と同じであるとは、お世辞にも言い難い。
傭兵はキリウラ、キリウラと反芻するように何度かその名を声に出す。そして、彼自身も包帯を巻く手を止めずに軽く自己紹介をした。
「マイク・リーマンだ。見ての通り傭兵だ。これから安全なところまで運ぶが───銃を撃ったことは?」
「アメリカで少し」
リーマンは、そうか、と言うと続けて上出来だと言った。
「今からお前を俺のピックアップトラックまで運ぶ、後部座席はちと狭いが男一人横になるには十分だ。だからそれまでの間、こいつでゾンビどもを撃ち殺せ。インベーダーゲームだ」
拳銃の銃身を持って、グリップの方を桐望に向けて渡してくるリーマン。その拳銃を受け取り、弾倉を確認した桐望は尋ねる。
「これは一体?」
「M1911だ。かのジョン・ブローニングが開発した最高の
渡された鉄塊は、想像以上に重く、そして凍りつくように冷たかった。弾倉をグリップの下に押し込んでスライドを引く。ガシャリ、という硬質な音が、桐望の冷え切った闘争心に火を灯した。
指先に残る硝煙の匂い。これこそが、今の自分を繋ぎ止める唯一の希望だ。
このタマで今からこの若浦を脱するまでの間、骸兵どもを殺す。殺さなければならない。
さっきまでの弱音はここに置いていこう。諦念もここに置いていこう。これから先の戦路には不必要なのだから。
風が吹き荒れ、地面に積もった粉雪が舞い上がる。
両脇を抱き上げたリーマンは「300メートルの勝負だ、行くぞ」と言った。桐望もそれに「OK!」と返答し、筋肉質の傭兵は動き出す。
リーマンに抱え上げられた瞬間、足に焼けるような激痛が走り、視界がチカチカと明滅した。
いくら日本人とはいえど、大人の男一人をズルズルゾロゾロとペースを落とさずに運ぶリーマンの怪力。その動きから、世界を席巻してきた傭兵であることは一目瞭然。
「どうだキリウラ、バケモンどもは見えるか?」
リーマンが桐望を引きずりながら、顔を覗き込むように見下ろした。対して見上げた彼は、いいやといいながら横に首を振って返答する。
「見えたぞ、思ったよりも近かったな」
振り向くと、一台のピックアップトラックが瓦礫の影に止まっていた。荷台はトラックシートで覆われ、後部座席の方にも何やら黒い棚のような影が見える。あれがこの傭兵が乗り回すピックアップトラック───民間車両の皮を被った装甲車ではないか。
既に弾丸のようなものの被弾痕がいくつか見られ、すすだらけになった車体。その不気味な程に輝く光沢は、桐望を現実から夢想へ逃避しようとする精神を繋ぎ止める錨となった。
「───待て」
リーマンが足を止め、瓦礫の影に隠れてしゃがみ込む。ゆっくりと顔とライフルを出してスイッチングをすると、瓦礫の向こうに、何やら動く物体が見えた。
その顔は明らかにこの世のものではなく、紫色の肌で頬から下の肉は削げ落ちていた。
「敵があの瓦礫の奥にいる、数は不明だが物音からするに10は居るだろう」
身を引いたリーマンが告げた。確かに、向こうの方から爆音に混じってなにか聞こえる。耳を澄ますと、「殺す」と言う単語だけ聞こえて、ギョッとした。
今更ではあるのは山々なのだが、あからさまに敵が殺意を持ってこの場にいるのだと思う。戦闘は避けられないだろうが、可能な限りは避けたいジレンマがあった。
「いいか、俺が飛び出して連中の不意を着く、その間にお前は気づかれないように物陰を使いながらトラックに乗り込め」
鬼のような形相のリーマンが瞳に写る。ゴツゴツした日焼けだらけの顔面。砂漠のように乾いた目は、戦場そのものが歩いていると言っても過言では無いものだった。
「乗り込んだのを確認したら、俺も速攻でトラックに乗り込んで離脱する。分かったな」
桐望は黙って二度三度頷いた。それしかできることはないし、この壊死に近い足は使えないから戦力にもならない。ヘルスケア・オブ・メーデーでも激痛のあまり歩けない。匍匐しか方法はないが、それもやむを得ない。
「合わせろよ。3─2─1─Goッ!」
傭兵が慣れた手つきでQBZ-95を構えながら瓦礫から飛び出す。直後、鼓膜を震わせる鋭い銃声が連続して響き渡った。
その音を合図に、桐望は地面を這い始める。両腕だけで己の体重を引きずる。壊れた足が地面を擦るたび、頭が割れるような痛みが走るが、今は止まるわけにいかない。
背後では肉が弾ける音と、あの世のものとは思えない断末魔が交差していた。
這い出て
「どっから湧いて来やがったテメェらァッ!」
戦場に立つ戦争帰りの男は、怒鳴り、当たりながらトリガーを引いた。硝煙臭い
紫の怪物の前方にいた骸兵は弾丸を体で貪り食って、満足したかのようにその場で寝込んでしまった。
マガジンに詰まった弾丸は、上へ上へと行列をなす人のように揉まれ押し上げられる。そして尻を叩かれて勢いよく飛び出していくと、とうとうマガジンに詰め込まれた鉛の塊は消えていた。リーマンはCover me!と叫ぶ。誰一人として援護する者はいないことを知りながら。
軍を退いてもなお、マイク・リーマンという男は、戦場に取り残されたままであった。
超常的な妖に、現代的な傭兵が襲いかかるその絵面のなんと不気味なものか。リーマンの奮戦を横目に、桐望も匍匐を続ける。アスファルトに散らばった瓦礫やガラスで足が擦れる。その度に破片がズボンを割いて脚に突き刺さるのだが、この時の激痛と言ったら、この先の人生で味わうことはほぼないだろう。
瓦礫の盾の向こう側で、ひっきりなしに聞こえる怒りの咆哮。感情のない、乾いた銃声に乗せられたそれは親友すら守れなかった男の弔銃でもあった。
「マイクさんも、結構やるじゃないか。まぁ、こんな状態の自分が言っても、何様だなんて言われるだろうけど」
そんなことをボヤきながらも、何とかピックアップトラックの影に来ることができた。
地面と車両の隙間から、骸兵どもの足が見える。桐望は痛む足に無理やりヘルスケア・オブ・メーデーを使う。骨をぐちゃぐちゃにされた足で無理やり立とうとするのだから、歩くことはおろか、膝立ちすらままならない。
千鳥足、千鳥足。
生まれたばかりの子鹿のような足取り。ぎこちない足取り。額に汗を滲ませながら、何とかピックアップトラックの側面から生え出た取っ手を掴んで、ドアノブを引いた。
ガチャッ。
鍵が空いた音がする。銃声が響く中、確かに車の施錠が解除された音がしたのだ。
「邪魔だ!まだイラン兵の方が練度高かったぞスラットどもッ!」
傭兵の声がビルの谷間にこだまする。怒りに任せた彼の叫びは骸兵を跳ね飛ばし、桐望が見た紫肌の
「マイクさんマジか…」と引き気味に言っては見るものの、他の人から見た自分自身も多分ああいうものなのだろうと思って、そういう気持ちになった。
勢いよくドアが開けられる。車内に身を入れながら「すまねぇ、遅くなった」と先程の声の主が戻ってきた。
「マイクさん、結局ガバメントは使いませんでした」
そう言って、鉄塊を返す。手のひらから消えるズッシリとした重み。その手には硝煙のニオイだけが、微かに残っているだけ。
「そうか。ならよかった」
「良かった、ですか?」
「あぁ。いいか、軍人がハンドガンを使わんといけねぇ時っていうのはだな、銃がジャムったか5メートル圏内に敵がいる時だ。長物は至近距離じゃ、取り回しの問題上使えん。それにだ、キリウラの場合は足が言うことを聞かねぇだろ?そんな状態で発砲せざるを得ない状況なんざ、俺は作りたくねぇ」
リーマンは鍵穴にエンジンキーを差し込んで、手首を軽く捻る。眠りから覚めた鉄の騎馬は、2人の男と飼い主の武器弾薬を乗せて前へ前へと突き進む。背中がシートへと引っ張られて、体はピックアップトラックと共に行くが、意識だけがワンテンポ遅れてついてくる感覚だ。
瓦礫の山溶かし、そこらじゅうに倒れた街路樹や放棄された車。暗闇にボッと光る炎だけが所々にあって、その閃光が闇夜を照らしている。
まだ遠くで爆音が聞こえるが、車の音にかき消されてほんの微かにしか聞こえない。
什造は大丈夫だろうかと、心配になる。自分だけがこうして戦域を離脱することを何度も心の中で謝罪した。今でも什造は、あの赤褐色の巨漢と斬り合っているのだろう。ロンメルと襲津彦も、骸兵相手に硝煙と炎にまみれていることだろう。
なんてことだ。なんという失態を。このままでは俺は───。
体がシートに押し付けられる。頭から脊髄を伝って、ももの当たりまで何やら重々しいもので繋がれているような感覚がしている。その最中であっても、あの傭兵の背中は恐怖で丸め込まれたりなどしていなかった。
「キリウラ、一応このままワタリに向かう。そこでメディックに診てもらえ」
雪が降っている。車内にはワイパーのゴムとガラスが擦り合う音が響いている。目の前の彼はハンドルのすぐ隣にあるラジオの波長を合わせながら運転を続けていた。
「リーマンさん、どうしてわざわざ助けてくださったのです?」
車は男を2人運ぶ。もくもくとタバコをふかしながら。タイヤがアスファルトを噛み締めて、ミチミチと音を立てる。その中でリーマンは数秒黙り込んだ。
「人を助けるのに理由が逐一必要か?」
思いもよらない回答に、桐望は思わず「え?」と返す。
「だから、人を助けるのに一々理由がいるのかと言ってんだ」
一瞬の困惑と思考の停止。気の迷いと動揺。肩をガッと掴まれて、揺さぶられているかのような感覚がした。
「いや、その…」
言葉を詰まらせていると、多い被せるように運転席の彼が言った。
「兵士だろうが傭兵だろうが、命のやり取りする奴は皆冷酷だと思われてるらしいがな。少なくとも俺は、生きるために殺して、生きるために守る。死んだ友人から借りた命だからな、1人でも多く命守んねぇと、アイツに合わせる顔がねぇんだ」
思わぬ独白に声が出せくなった。気迫に飲まれたというのとは程遠い、なんとも言葉に表すことの出来ない波に揉まれたかのようだった。だがひとつ確かなのは、この男の見る世界は自分とは全く違う、住んでいる世界すら全く違うという漠然とした事実だけであった。
車は速度を上げて、大橋を渡る。途方の炎がみるみる焚き火のごとく小さくなってゆくのを、桐望はただ呆然と眺めるほかなかった。