【書籍版1巻2/20発売】貞操逆転ハードモード異世界を鋼メンタル冒険者が生き抜く 作:風見ひなた(TS団大首領)
僕がジャニスに助言してから3日後。
3日間で野菜に関する資料や栽培試験の計画書を用意したジャニスは、ミドラー氏と一緒に伯爵様を説得しに向かった。計画書もなしでとにかくやりたいんです、なんて言っても説得力なんてないからね。僕も資料や計画書の作り方に入れ知恵したよ。
大学でレポート書いた経験も、中世でなら結構アカデミックな論文に映るものなんだね。読んだミドラー氏が、息子がこんなしっかりした書類を……と驚いてたよ。
そしてその結果は……説得成功。
伯爵様は男性に家督を継がせることにはかなり慎重になっていたらしいけど、ここまでの資料を用意してきたジャニスの熱意に未来を託す決断をしたようだ。今後女児が生まれるようなことがあっても、後継者はジャニスで決まっていて揺らぐことはない。
まだ家中に発表するのはしばらく先のことになるようだけど、同席していた伯爵様の腹心たちは男性後継者の誕生を喜んでくれたらしい。
というのも、仮に来年伯爵様が女児を出産したとしても、継承できる年齢になるのは20年も先。その頃には伯爵様は50代半ばで、この世界としてはもう老齢だ。それまでにもし伯爵様に何かあって幼君が立つようなことになってしまうと、最悪断絶の危機になりかねない。というか、既にジャニスが婿入りした先の貴族家に継承戦争をふっかけられる危険性を懸念して、内心恐々としていたらしい。
これでロングフィールド家は安泰だと、腹心たちは酒を飲み交わしたとか。
僕とジャニスも2人っきりで祝杯を挙げたよ。
それもジャニスにとって最高のプレゼントだ。
なんといってもつまみはベニテングタケを初めとする毒キノコたちなのだから。
ジャニスに【薬毒耐性】を付与してあげれば、うまいけど中毒必至の毒キノコも好き放題食えるって寸法よ!
「今日は僕とお前で心行くまで毒キノコパーティーだからな!」
「イエッヒー!!!」
興奮で既に目つきがヤバくなっているジャニスと、早速ベニテング串を頬張る。
「うっま……!」
ジャニスが口の端から涎を垂らしながら美少年台無しのアヘ顔を披露する。
この子、なんてエロい
いや、これマジでうまいな。これまで食べたキノコで一番うまい。直火で焼いただけだけど、噛むそばから口中にうまみが広がっていく。肉厚でプリプリしてて、食べ応えもばっちりだ。どんこしいたけに濃厚なうまみを加えたような味。
こりゃもう松茸とか食ってる場合じゃねえ。日本でも塩漬けにして自己責任で食べる人がいるらしいけど、こりゃ確かに毒があると言われても食いたくなるわ。
あ、【薬毒耐性】のない良い子は決して真似しないでください。兄貴との約束だぞ☆
毒キノコの中には1か月潜伏してから中毒症状出してくるやべー奴もいるそうだから、ジャニスの【薬毒耐性】はしばらくキープしておかないとね。もっとも、ロングフィールド家の人たちのことはもう一生忘れることはないだろうけど。
「はあー……感無量です。まさか憧れの毒キノコを食べられる機会に恵まれるなんて……」
「爵位継承とどっちが嬉しい?」
僕がニヤッとそんな意地悪を口にすると、ジャニスは同じくニヤリと笑い返してきた。
「同じくらい。兄貴のおかげで、3つ目の夢まで叶っちゃった」
「そりゃよかった」
ジャニスはこてんと枯葉の上に仰向けになりながら、ベニテングタケの串焼きをかじる。
「あーあ、兄貴がずっと一緒にいてくれないかな。そうしたら一生毒キノコ食べ放題なのに」
「ハハハ、僕はキノコの毒抜きマシーンじゃないぞ」
「そりゃそうですよ。兄貴はもっともっと大事な人ですから」
不意にジャニスは起き上がると、真剣な目つきを向けてきた。
「ねえ、兄貴。私は本気ですよ。ロングフィールドに来てくれませんか」
「ええと……」
ジャニスは串焼きを放り捨て、僕の両手を握ってくる。
「私は未熟者です。兄貴のように導いてくれる人がいてくれると心強いし、試験栽培も兄貴の知見が欲しいと……いや、そうじゃない。そういうのは理由付けなんだ」
自分でも何を言いたいのかまとまっていないのか、ジャニスはぶんぶんと頭を振った。大丈夫だよ。何が言いたいのかは、僕にだってわかってる。
「……私は、ただ兄貴と一緒にいたいんです。ずっと私の隣にいてくれませんか」
僕の手を握るジャニスの手は、びっしょりと汗ばんでわずかに震えていた。
緊張してるんだな。それくらい僕のことを好きになってくれたのか。それは……なんとも、言葉にしにくいくらい光栄だ。僕もジャニスのことが好きだ。出会ってからわずか3日に過ぎないけど、魂で深く結びついているのを感じる。
ジャニスの側近になって、一緒に農業する日々を考える。きっと楽しいだろうな。
毎日水や肥料に頭を悩ませて、害虫やモグラに一喜一憂して、作物が実ったら新しい料理を披露して。種を取ったら次の作物のために畑を整備して、きっとあっという間に年月が経ってしまって、それはきっとスローライフなんて言えないような、激動の日々で。そしていつかおじいちゃんになったジャニスと一緒に、お互い歳を取ったなって笑い合うのだ。
それはなんて素敵な日々だろう。
だけど。
「ごめん。それはできない。僕はサウザンドリーブズに帰らなきゃ」
「……どうして? 何故です、兄貴。あそこに何があるって言うんです? 兄貴ほどの方が、あんな性悪女の良いようにされるなんて、私には我慢できません! ま、まさか……あの女に恋をしているとでも……!?」
「んなわけねーだろ!? いくらお前でもぶっ飛ばすぞ!?」
こっちにも女を選ぶ権利くらいあるわ。何が悲しくてあんな他人を騙してエロ衣装着せるような策士気取りの美人局に惚れなきゃならんのだ。
「あ、ですよね……よかった。でも、それなら何故?」
ほっと安堵の息を吐きながら、ジャニスは疑問をぶつけてくる。
そうだなあ……自分でも言葉にしづらいんだけど、あえて言うのなら。
「まだ冒険を終わりにしたくないから、かな」
「冒険……ですか」
「そう。僕はとても遠いところから旅をしてきたんだ。故郷にいたときから、僕は世間知らずでね。いろんな物語を読んで、そこに出てくる冒険者にずっと憧れてた。この国では冒険者はモンスター駆除業者のことだなんて知らなかったから、名前どおり冒険旅行をする人たちなんだろうって思っていたんだ。で、サウザンドリーブズに来て半年ほど冒険者やってみたけど、全然向いてなくてさ。夢破れたり、って感じだね」
自嘲して笑う僕の話を、ジャニスはじっと聞いていてくれた。
「でもどういうわけか聖者なんて持ち上げられることになって、気付いたらデアボリカにあちこち引きずり回されることになった。あいつのいいように使われているといえばそうなんだけど。
そうして訪れたロングフィールドは、とても素晴らしい土地だった。領主一家は愛情深く互いを想い、貧しい人は少なく、土地は作物を育てるのに向いている。親友もできた。思わずここに住み着いちゃおうかと考えるほどに住み心地がよかった」
「…………」
「そして僕は、この国に来て初めてワクワクしたんだ。これが僕がずっとずっとやりたかったことだった。未知の土地を訪ね、知らない人と出会い、喜びを分かち合い、ときには苦労もして、新しいものを知ること。これが僕にとっての“冒険”だ。
僕は
これからも、まだ行ったことのない場所で、きっとまだ見ぬ人々との出会いが待ってる。ようやく僕の冒険は始まったところなんだよ。
ロングフィールドはあまりにも居心地が良すぎて、やることもいっぱいありすぎるから、ここに腰を落ち着けたが最後、きっと冒険旅行はできなくなる。ジャニスの申し出はすごく嬉しいけど……僕はまだ冒険を終わらせたくないんだ。本当にすまない」
「……いえ、わかります。それはきっと、私が植物学者を目指しているのと同じ気持ちだ。兄貴の心もまた、自分の行きたいところへ羽ばたいているところなんですね。それなら、私が邪魔をするわけにはいかない。私も人に言われて夢を諦めるなんてできないから」
「ありがとうな、ジャニス」
僕が頭を下げると、ジャニスは父親譲りのどこか困ったような笑顔を浮かべた。
「あーあ。兄貴が女なら、絶対に求婚して引き留めたのにな。それか、私が女に生まれてても良かったかも」
「おいおい、それじゃ僕たちはこんな出会いはしてないよ。きっとこんなに仲良くなることもなかっただろうね」
「ああ、そうか。じゃあ男同士で良かったんだ」
「そうだよ。昔から言うだろ、男と女の関係は恋が冷めれば終わりだけど、男同士の友情は永遠だって」
「ふふっ。なんですかそれ、初めて聞きましたよそんな言い回し。……でも、すごく良い言葉ですね」
僕とジャニスは拳をぶつけ合うと、心の底から笑い合った。
「さ、飲み直そうぜ。男の友情に乾杯!」
「乾杯!」
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「さあ、僕がソウルメイツに教えるのも今日が最後だ! このリズムを忘れずに胸に刻み込め! 僕がいなくなってもこのリズムを歌い継ぎ、体操を続けるんだぞ!」
『ウッス!!』
ブートキャンプもいよいよ7日目。今日が最後の教練だ。
ソウルメイツたちもすっかり逞しくなって……。
「もも上げいくぞ! ヘイ! ワン・ツー! ワン・ツー! ワン・ツー! 心から楽しんでいけ! 笑顔を絶やさずに! いいぞ、キレッキレだ! 最高!」
『ヘイ! ワン・ツー! ワン・ツー! ワン・ツー!』
ムキッ♥ ムキッ♥ ムキッ♥
いや、マジで逞しくなりすぎだろ。なんか全員ボディビルダー並みのマッチョボディになっとるぞ。確かに一週間でお前らの脂肪を燃やし尽くしてやるとは言ったよ、うん。
だけどそれはあくまでセールストークであって、多少腹筋が割れるくらいまでいけば御の字くらいのつもりだったんだよ。
まさかこんなモリッモリのマッチョメンになるとは思わないじゃん。
オッサンたちのガタイは今や僕よりでかいし、ジャニスたちショタ組も鍛え抜かれた鋼のような細マッチョになっている。一週間でこうはならんやろ。
この世界の男は潜在的にマッチョになれる素質を持っているのか、それとも魔力を持っていると肉体がすごい勢いで成長するのか……。いやあ、僕も鍛えるのに結構時間かかったんだけどな。こう短期間で追い付かれると立つ瀬がないや。脱帽だ。
とはいえ、そんな僕をまだ兄貴と慕ってくれてるからありがたい限りだね。最後の最後まで指導頑張るよ。
今日の指導が始まる前、ミドラー氏が僕のところに来て「ゆうべは初めて妻を最後まで満足させられたんです」って、どこかはにかんだような笑顔で教えてくれたしね。
元々はミドラー氏に伯爵様を満足させられるだけの持久力をつけるのが目的だったわけだから、当初の目的は完遂できたわけだ。本当に良かった。
僕も一肌脱いだ甲斐があるってもんだよ。それを聞けただけで、このブートキャンプは大成功だ。
……ちなみに、なんかもう参加者は妾たちどころか屋敷中の時間を作れる使用人が集まってきているし、僕たちから離れたところで女性陣が人垣を作っている。
衛兵たちが護衛しながらチラチラ見てたのは知ってたけど、今やチラ見どころか屋敷中の女性が堂々と涎を垂らさんばかりのにやけ顔でガン見してるからね。人数が集まると大胆になるなあ。
あ、さすがに伯爵様はいないよ。多分執務室の窓からオペラグラスで見てるんじゃないかな……。
≪説明しよう!
グラビアアイドル体型の美女集団がレオタード姿でキレッキレのフィットネスダンスを踊っているようなものである! 昔のCMで言うと武〇士ダンサーズだ!≫
……ふいー、クールダウンまで終了。
よし、これで全プログラム終了。
旦那さんとお妾さんたちソウルメイツに脱落者はなし。みんな見事なエクササイズぶりだった。
見てますか、ビリー隊長。貴方のブートキャンプは、異世界に立派な根を張りましたよ……!
ん? なんかみんな僕の方を見てきてるけど……?
すると彼らを代表して、ミドラー氏が声を張り上げた。
「兄貴、最後にお言葉をお願いします!」
あ、なるほど。確かにこれで最終日だし、何もなしでお疲れ~はい解散、だとなんか締まらないね。
さて何を言ったもんか……ああ、そうだ。
「ソウルメイツ諸君、今日までご苦労だった! 立派な筋肉を手に入れたこと、僕も心から嬉しい! 僕たちのソウルメイツの絆は今、筋肉を通して永遠のものとなった!」
「ウィーーーーーー!!!」
「兄貴、ありがとうございます!!」
「この一週間のことは忘れません!」
「兄貴の教えをこれから領内すべてに広めていきます!」
「兄貴最高! 筋肉最高!! ソウルメイツ最高!!!」
僕はうんうんと頷いてから、声を張り上げる。
「鎮まれ!!」
ピタッと歓声が止まり、静寂が満ちる。
「君たちは筋肉というかけがえのない人生の宝を手に入れた。自分に自信が付いた者もいるだろう。筋肉を見せびらかして歩きたくて仕方ない、という者もいるんじゃないか? わかるぞ、僕もそうだった」
ソウルメイツたちの中に頷いている者や、肘で隣をつついてる者が見える。
うんうん。そうだよね。筋肉は男にとって宝だからね、自慢したいよね。
だが。
「……しかし、これだけは覚えていてほしい。汝、慢心することなかれ! 力が付いたからといって、自分より貧弱な体格の者を見下したり、自分一人でその筋肉を手に入れたと悦に入ることは、ソウルメイツとして恥ずべきことだ!」
僕の言葉を受けて、ソウルメイツたちの間にピリッとした空気が走った。
痛いところを突かれた者もいたのだろう、ケツの穴をキュッと締めて背筋を伸ばしている。
「君たちの筋肉は、ソウルメイツと励まし合って手に入れたもののはずだ! 君たちの筋肉は、伯爵様が与えてくれた食事や給料で育まれたもののはずだ! 自分の筋肉を支えてくれた者たちへの感謝を忘れるな! 友に感謝を! 伯爵様に感謝を! 食材となってくれた命に感謝を! 筋肉を取り巻くすべてに感謝する精神が、明日の筋肉を作るのだ!! ……これが僕の最後の教えだ、以上! 解散!!」
『ウッス、兄貴! あざーしたーーーーッ!!』
……体育会系の言葉遣いとか教えてないんだけど、どっから湧いてきたんだろうなあ。
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そして、僕たちがロングフィールド伯爵領を去るときがやって来た。
僕たちの馬車を見送るのは、ミドラー氏とジャニス。その後ろにズラリと成立して、白い歯を光らせながら胸を張るマッチョ軍団と化したお妾さんたち。
そして彼らの先頭に、ローズ伯爵がいた。
伯爵自ら見送ってくれるとは……。
そう思っていると、伯爵様が僕の前へと歩み寄ってきた。
「随分と骨を折ってくれたようだな、聖者殿。家中の問題に首を突っ込むとは。病気を治すことは依頼したが、そんなことは頼んだ覚えがないぞ?」
「僕がやりたかっただけなので、お気になさらず。それともご迷惑でしたか?」
「いいや。正直、病気を治してくれたことよりありがたかったとも。おかげで夫は自信がついたようだし、ジャニスは目に光が灯った。妾たちもイキイキと過ごしている。私の心労もなくなったが、私には家の中が明るくなったことが何よりも嬉しい……。犯されそうになったというのに、まさか病気だけでなく、家族の心まで癒してくれるとは。やはり貴君は本物の聖者だよ」
そう言って、伯爵は深く頭を下げた。
い、いやいや。さすがにそれは困る。領内で一番偉い人が平民に頭なんて下げちゃだめだよ、威信に関わるじゃないか。
僕があわあわしていると、頭を上げた伯爵様はふふっと小さく笑った。
「おや、聖者殿には怖がらせようとするよりもこうして下手に出る方が効くようだな。貴君が慌てる顔は初めて見たぞ」
あ、この人こういう笑顔もできたんだ……。
むしろこの柔らかい笑顔が彼女本来の表情なのかもな。ミドラー氏や家臣が尽くすわけだよ。
「後継者については、今のところはジャニスに任せることにしたよ。いずれ嫁を迎えることになるが、当主の地位を嫁に移すか、ジャニスのままいくかは今後の実績を見てからだな。力不足と思えば容赦なく取り上げるぞ、覚悟しておけ。私としては孫に期待するという手もあるのだからな」
「ええ。ご覚悟を、母様。今後の実績でぐうの音も出ないくらい認めさせてやりますとも」
ニヤリと笑うジャニスに、母親はよよよと泣き崩れるポーズを取った。
「ああ、可愛いジャニスがたった数日でなんとも不遜になってしまった。一体誰のせいなのだろうな、聖者殿?」
「心強い後継者ができてよかったじゃありませんか」
何やら後ろの方で「後継者? 何の話だ、聞いていないぞ」という呟きが聞こえたがスルーする。そういえばデアボリカには、ミドラー氏やジャニスとの関係は何も言ってなかったな。そもそも報告しろとも言われてないし、まあええやろ。
「本当に世話になった、聖者殿。貴君はロングフィールド家の恩人だ。時間ができたらぜひまた来てほしい、今度は友人として心を尽くしてもてなそう」
「ありがとうございます。もちろん喜んで招待に応じますとも」
「まあ……貴君さえ良ければ、友ではなく妾でも私は一向に構わんがな?」
そう言って、伯爵様はパチッとウインクを送ってみせる。
そこにはあの夜に見せた妖艶さの面影はない。なんとも可愛くてお茶目なお誘いだこと。
おいおい……と慌てるミドラー氏を視界の端に収めつつ、僕は頭を下げた。
「恐れながら、謹んで辞退させていただきます。魅力的なご提案ですが、そうなると僕はジャニスの友人ではいられなくなってしまいますので」
「フフ……そうかそうか。母として、息子からようやくできた友を奪うわけにはいかんな。お前ほどのいい男を逃すのは断腸の思いだが、息子に免じて諦めるとしよう。どうかこれからもジャニスの良き友であってくれ」
ほっと胸を撫で下ろすミドラー氏の様子がおかしくて、僕は思わず吹き出してしまいながら頷いた。
「ええ、もちろんです」
そんな僕の両手を、横から出てきたジャニスがぎゅっと握ってくる。
「兄貴! 本当にまた来てくださいよ。私はずっと待ってますから!」
「はいはい、わかってるよジャニス。……ところで、何で君はいつも僕と指を絡めようとするの……?」
そして後ろで見ている冒険者たちは、どうして麗しいものを見る顔で「あら~」とか「ここに
≪説明しよう!
お慕いしている
そうして別れを惜しんでいると、後ろからえへへとデアボリカが首を突っ込んできた。
「……ところでお願いしておりました、例のアイテムのことですが……」
「ああ、あれか。わかっておる。家宝の『湧き水の宝珠』を貴君に進呈しよう」
は?
ミドラー氏は見覚えのある布袋を取り出すと、デアボリカに手渡す。
受け取ったデアボリカは大はしゃぎだ。
「おお……! これがあの名高い『湧き水の宝珠』! ありがとうございます、これでサウザンドリーブズは一層の発展を遂げられましょう!」
おい待てや。
「それはこれから野菜の試験栽培に必要なもので……!」
割って入ろうとした僕を制したのは、他ならぬジャニスだった。
「いいんですよ、兄貴。うちの庭園には川が流れていますからね。水ならあそこから引けばいいだけです」
「だけどさぁ! それはミドラーさんの婿入り道具なんだろ!? ミドラーさんの思いが詰まったもんじゃないのかよ! それを……」
「いえ、構いません」
ミドラー氏はそう言って、ゆっくりと頭を振る。
「兄貴、私たちは貴方からいささか受け取りすぎました。病気を治してもらい、家中の問題を解決してもらい、いくつもの知識までもいただいた。伯爵家たるものがただ恵んでもらうだけでは面目が立ちません。こちらからも価値あるものを贈らねばならないのです」
「恵むなんて……僕はそんなつもりじゃ」
「ではこう考えてください。一方的に与えるだけの関係は、友人とは呼べないと。私たちを友人だと思ってくださるのなら、どうか贈り物を受け取ってください」
「ミドラーさん……」
「貴方に出会えて本当に良かった。この宝珠よりも、私たちにとっては貴方との出会いこそが宝物に呼ぶと相応しいのです」
ぐっ……。
僕は我知らず瞳の端に浮かんできた雫を、親指でそっと拭った。
ああ、僕もだよ。この温かい人たちに出会えたことが、異世界で一番最初に見つけた宝物になったんだ。
「そうだぞ。ロングフィールド家とホットテイスト家は固い友誼で結ばれた関係だからな! ありがたく贈り物を受け取ろうじゃないか、ハッハッハ!」
お前は黙ってろよ三流エロ詐欺師。
いや、お前さあ……お前……。マジで? この空気に口挟んで来るの? 【精神耐性】に汚染されてる僕よりも空気読めてないぞお前。
デアボリカはやっぱりここで無礼打ちにされてた方がよかったんじゃないかなあ。
とはいえ、こいつがいないと僕が贈り物として受け取れるものもないだろうし、バランスを取る意味ではこれで良かったんだろうか? うーむ……。
まあ、伯爵家のみんなも納得してるようだし、よしとしておくか。
「それではみなさん、お大事に!」
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――Biblos用語辞典より
【鍛錬派】
大ブリシャブ帝国の成立初期にブリシャブ島で誕生した、新教の宗派のこと。
聖書を信仰の要とする新教の基本要素に加えて、「体を鍛えること」「隣人を賛美すること」「他者に感謝すること」の3つを信仰の軸としている。
当時の大ブリシャブ帝国では厳格派が主流となっており、娯楽が抑圧された状況にあった。そこに登場した鍛錬派は独特のリズムに合わせて筋トレするという、今でいうダンスエクササイズのような儀式を伴っていた。この儀式は民衆に新しい娯楽として受け入れられ、厳格派への反動から爆発的に流行した。
創始者は「ビッグブラザー」と呼ばれる人物で、現在では「大師兄」と呼ばれている。これは人間はみな神のもとで兄弟であり、その中にあってすべての者を導く偉大な長兄という意味だと解されている。しかしその正体は謎に包まれており、現代においても研究者の間で議論が絶えない。
また質素な食生活を旨とした新教の宗派には珍しく、健康的な美食を推奨しているのも特徴である。特に脂身の少ない肉料理や野菜、魚の摂取を勧めており、これは信仰の広まりと共に大ブリシャブ帝国の食文化に変化をもたらした。現在の大ブリシャブ連合が世界一の美食国と呼ばれているのは、この宗派の影響が大きいと言われている。
カステラ地方でよく食べられているトルティーヤにそっくりな太陽オムレツや、シャルスメル料理に使われる
古代ロマン帝国から失伝した入浴文化を、ナーロッパ文化圏でいち早く復興させたのもこの宗派である。最低でも3日に一度は入浴せよという教義を守るために、都市圏では相次いで公衆浴場が再建された。特にロングフィールドの公衆浴場は歴史が古く、そのおかげか同地の疫病発生率は群を抜いて低かったという記録が残されている。
草創期は男性器信仰の側面を持っていたため、新教・旧教を問わず邪悪な異端としてみなされていた時期もあった。しかしこれはビッグブラザーによって広まる前に抑制されたと伝わっており、異端認定した教皇庁もすぐにこれを取り下げている。なお、確かに生殖力向上の効果はあったようだ。
のちにこの宗派は大ブリシャブ帝国の国教である国聖会に取り入れられ、多数派となって現代に至っている。