【書籍版1巻2/20発売】貞操逆転ハードモード異世界を鋼メンタル冒険者が生き抜く 作:風見ひなた(TS団大首領)
新婚家庭のお婿さんの朝は早い。
まだみんなが寝静まっている早朝、僕はベッドを抜け出して寝間着から普段着に着替える。お貴族様の屋敷のベッドはふかふかの羽毛布団で、まだくるまっていたかったけど鋼の精神で未練を断ち切って起床する。
窓の外はようやく日が昇りかけたところで、かなり薄暗い。時期的には秋も深まる頃合いだが、吐く息が白くなり始めている。
やっぱりブリシャブ島って北海道かそれ以上に緯度が高いんじゃないかな。11月から2月の終わりまでの冬の寒さは厳しく、街の外を旅するのはかなりつらいとウェズ君が言っていた。なんでも雪がめちゃめちゃ降って、道路も凍ってしまうから馬車での通行にも難儀するのだそうだ。そりゃ北海道並みに雪が降るならそうだよね……。
アンゼリカさんが市民から患者を斡旋してくれる約束をしてくれたおかげで、他の貴族領まで冬の長旅をしなくてもひとまず食っていくことはできそうだ。
素直にありがたいことだけど、やっぱり一度は雪景色になった街の外も見ておきたい気持ちもあるんだよね。とはいえ現状は冒険者ギルドの馬車も壊れているし、街の外に出る用事もない。何か冒険に出るいい機会があればいいんだけどな。
つれづれとそんなことを考えながら、僕は炊事場に足を踏み入れた。
「おはようございます」
「あら、おはようございます聖者様。朝ごはんはまだできていませんよ。起こしに伺いますので、もう少し眠っていらしては?」
僕の顔を見た中年の女性メイドさんが、そんな挨拶をしてくる。彼女はデアボリカが雇っている使用人だ。
彼女の気持ちは嬉しいけど、僕は客人でもなければこの屋敷の主人でもないからね。
「いえ、僕たちのご飯は作らなくても大丈夫ですよ。あくまでも僕たちはこの屋敷に間借りさせてもらっている身なので、僕たち一家のご飯は僕で作ります。僕たちのことはお気になさらず、デアボリカのご飯だけ作ってあげてください」
「まあ……聖者様はしっかりなさっているのねえ」
メイドさんはそう言って感心したようなため息を吐いた。
いやあ、僕は自分のことかなりのうっかり者だと思っているんだけどな。線引きは大事だとわきまえているだけで。
今日はデアボリカの屋敷に引っ越してきた初日だ。昨日はアパルトメントとウルスナの下宿から荷物を全部運び込んできて、てんやわんやのうちに1日が終わってしまった。水売りの業者にもキャンセルしないといけなかったし、大忙しだったよ。アイリーンとウルスナも相当疲れたのか、特に夜這いなんかもされずに寝てしまったようだ。
デアボリカは僕たちが屋敷に転がり込むことに最後まで抵抗していたし、デアボリカの屋敷に引っ越すと聞いたウルスナも「あいつと同じ屋根の下に住むのか……」と苦虫でも噛み潰したような顔をしていけど、最終的には同意してくれた。
さすがデアボリカが自慢する屋敷だけあって、センスもいいし広々としている。僕たち3人分の個室を割り振っても、まだ部屋数に余裕があるくらいだ。むしろあいつよくこんな広い屋敷に一人で住んでたな。夜とか寂しくなって泣き出してそうだけど。
同じ屋敷に住むとはいえ、僕たちとデアボリカは家族ではない。そこはしっかりわきまえておかないといけない。名目上は領主が所有する屋敷をシェアハウスしているだけだ。こういう人間関係ははっきりさせておかないと、必ずトラブルになるからね。
だからご飯は別々に作るし、食べるときも別だ。
「あ、食材買ってきてないから少し分けてもらっていいですか?」
「いいですよー。牛肉とニシンの塩漬けはお嬢様に出すのでお譲りできませんが、それ以外なら自由に使ってください」
……うん。まあ、こういうこともあるよ。
明日からはちゃんと食材も自分で用意しておかないとね。
さて、使える食材はパンに卵、ベーコン、インゲン豆にチーズってところか。
うんうん、これはなかなかゴキゲンな朝食が作れそうだぞ。
何を作るかって? この食材ならもちろんイングリッシュ・ブレックファーストだよ。
イギリスの朝食の定番だね。
こんがりトーストしたパンに、ケチャップで炒めたベイクドビーンズとマッシュルーム、カリカリベーコン、半熟ぎみに焼いた目玉焼きを添えた王道の朝ごはんだ。トーストには薄くスライスしたチーズを添えてみたよ。
あ、ケチャップはまだトマトが食用として普及してないけど、マッシュルームと魚介から作ったものがあるからそれを使っている。日本ではケチャップといえばトマトだけど、実は他の食材から作った調味料もケチャップって呼ぶんだ。
メシマズ大国として知られるイギリス料理の中で、ブレックファーストと茶菓子のスコーンだけは別と言われるくらい美味しさに定評のある料理だよ。日本人にとっての白米・味噌汁・塩ジャケの焼き物と同じくらいのテンプレ感なんじゃないかな。
いやー、この大ブリシャブ帝国でも簡単に手に入る食材で作れるメニューがあってよかったよ。大して手間もかからない割にはバイキングみたいで彩りもあるし、これなら毎日でも作れるな。
……何かすごい視線を感じて振り返ると、メイドさんがぽかんとした顔でこちらを見ていた。
「聖者様……ものすごく手際がいいんですね。料理が上手なことも聖者になる条件なのですか?」
「え? いや、これくらい普通だと思いますけど……」
「それが普通の朝食なら私が今作ってるものは豚のエサで……いえ、なんでも……」
メイドさんは何やら居心地悪そうな顔で黙り込んでしまった。
一体どうしたんだろうか。こういうとき、共感性が死んでると他人の考えていることがわからなくて不便で困る。
ま、いいか。とりあえず2人を起こしてこよう。
家庭料理をおいしく食べるコツは、アツアツのうちに家族そろって食べることだからね!
「おはよ、アイリーン。もう朝だよ。さ、朝ごはん作ったからみんなで食べよう」
「ウルスナ、朝だよ。寝酒飲んだろ、ちょっと酒臭いぞ。下着だけで寝たら風邪ひいちゃうぞ。ほら、顔を洗ってしゃきっとしよう」
そんな感じで2人の部屋に入って優しく起こしてあげた。
で、食堂が空いてたんで朝食を配膳してみたんだけども。
目の前に置かれた朝食をまじまじと見て、2人は何やら固まっている。
「……え? これ、ユージーンが作ったのか……?」
「そりゃそうだよ。僕たちがメイドさんに作ってもらうのは話がおかしいだろ。ありあわせのもので恐縮だけど、結構おいしくできたと思うよ」
「そう……なのか……」
ウルスナはなんとも言い難い顔で、朝ごはんに視線を戻した。
一方、アイリーンは困惑したように料理と僕を交互に見ている。
なんだかこれ、本当に自分が食べていいの? っていう顔だった。
「えと、これってデアボリカの朝ごはんだよね……? あたしのは……」
「なんで僕があいつのために料理してやらなきゃいけないんだよ。これはアイリーンとウルスナのために作ったの」
「そ、そうなんだ……」
「冷めると美味しくなくなるよ。ほらほら、早く食べちゃおうよ」
僕に促されたアイリーンは、ナイフとフォークを手に取るとベーコンを切り分けて口に運ぶ。そして肉を噛みしめながら、やおら顔を伏せたまま嗚咽を漏らし始めた。
え、何!? なんで朝ごはん食べながら泣いてるの!?
「
アイリーンはボタボタとテーブルの上に雫を零しながら、言葉を絞り出すように口を開く。
「ふかふかのベッドでぐっすり寝て、朝になるとエプロン姿の旦那様が優しく起こしにきて、贅を尽くした豪華でおいしい手料理を食べさせてくれる……そんな幸せがあたしなんかの身に起こるなんてことがありえるの……!?
本当のあたしはまだ孤児院の冷たい床の上で寝ていて、冒険者ギルドのルーキーになったのもユージィと出会ったのも夢で、これからカビの生えたカチカチのパンを他の子たちと分け合う一日が始まるんじゃないの……?」
「いいんだ、いいんだよアイリーン。夢じゃない、これは現実なんだ。お前は幸せになっていいんだよ……」
いつになく優しい顔で、ウルスナがアイリーンの肩を抱きながら頭を撫でていた。
「でもウルスナ、こんなの信じられないよ……。あたし、別に特別なことなんか何もしてないんだよ。ただユージィが好きで追いかけてたら、こんないいおうちに住めることになって、何もしなくてもこんな贅沢な手料理が出てきたんだよ……。こ、こんなの、ありえなくて……」
「いいんだ。お前を選んだ男は最高の男だったんだ。そんな男に選ばれるように努力したお前の努力が報われたんだよ。俺も自分の男を見る目の確かさにびっくりしてるところだよ」
「うっ、うっ……」
2人は抱き合って何やら涙している。
ええ……? なんで朝ごはんくらいで泣くのさ。
≪説明しよう!
スラム育ちのアイリーンにとって、そもそも結婚できるという可能性そのものがほぼノーチャンスだったのだ! なんとか憧れのお兄さんを押し倒して子種をもらってひとりで育てるつもりで部屋に押しかけたところ、何故か向こうからプロポーズされてしまって、さらに上流階級の屋敷に引っ越しさせられて、愛情たっぷりの豪華な手料理をふるまわれているのだ!
まるで家出してきた宇宙人のお姫様を匿ったらなし崩しに婚約者にされてエッチなTO LOVEる満載の日々を送るショタ主人公のような、あまあまラブコメ玉の輿状態である! あまりの現実感のなさにアイリーンが自分の正気を疑うのも仕方のないことであった!
余談だが、この形式のブレックファーストはこの時代にはまだ発明されておらず、アイリーンたちから見ればただの豪華な食事である! なお、この国の貧民には朝食という概念すらなく、お腹が空いたら倒れないうちにありあわせのものを口にするのが常識だといえば、アイリーンがどれだけ感激しているかわかるだろう!≫
ええと。その、なんだ。
「いいから冷める前にご飯食べて……?」
「いただきます!!」
まるで誰かに盗られるのではないかというくらい、凄まじい勢いでご飯をがっつくアイリーン。
勢いよく食べてくれるのは作った側からしても気持ちがいいね。
ウルスナも非常に丁寧なナイフ運びながら、食べるペースがものすごく速い。
時折チラチラと隣のアイリーンに視線を送っているのは……もしかして自分の分まで手をつけてくるのではないかと警戒している?
それにしても前々から思ってたけど、ウルスナって食事のマナーがしっかりしてるね。普段がガサツすぎて、逆にギャップがすごい。ひょっとして結構いい家の出だったり? いや、まさかね。場末の酒場で生乳放り出して挑発してくるチンピラがそんな高貴な生まれのわけないや。
さて、僕も自分の分をいただくか……。
そう思って料理に手を付けた矢先に。
「おい! お前たち居候の分際で、私よりいいものを食べるとは何事だ!?」
この屋敷の元々の所有者が肩を怒らせて、ずかずかと食堂に入ってきた。
「うげっ」
ウルスナからいかにも嫌そうな視線を向けられるデアボリカである。
「うげっとはなんだ、うげっとは!? 私はこの屋敷の家主だぞ! 居候のする態度か、それが!」
「朝から元気だなあデボ子は」
「デボ子!? もしかして私のことか、それ!?」
なんか一昨日にアンゼリカさんからシメられて落ち込んでたと思ったけど、すごい元気になったね。
やっぱり他人と一緒に住むことでいい刺激を得られたんだろうか。
そう考えると、僕たちが引っ越してきたことも悪いことではなかったようだね。よしよし。
≪説明しよう!
ただの防衛本能である! 野生生物の巣穴に外敵が侵入したことで、生命活動が活性化する感じのアレだ!≫
まあそれはさておき。
「順番に答えるけど、別にデアボリカよりいいものは食べてないよ。牛肉とニシンの塩漬けはデアボリカに出すけど、それ以外の余った食材は自由に使っていいってことで分けてもらったんだから」
「卵とか使ってるだろうが! 贅沢だろ!」
この世界、卵は高級品なんだよね。僕の感覚で1個500円くらいする。
でも僕だって結構高給取りだし、お嫁さんには栄養のあるものを食べて元気で暮らしてほしいからね。
「わかったわかった、卵の分は後でお金を払うよ。なんなら他の食材の分も支払ったっていい。それで満足だろ?」
「うう~……」
何やら唸りながら、デアボリカは僕のプレートをじっと見つめている。
「やっぱり納得いかんぞ! なんだその美味そうな料理は! 私の朝食よりもよほど美味そうでホカホカじゃないか!」
「あー……」
まあね。僕も隣でメイドさんが鍋に牛肉を放り込んで、3回くらい茹でこぼししてたのには目を疑ったね。どうやらこの国の食文化では、そうやって肉を茹でては湯を捨ててを繰り返すのが高級な料理と考えられているらしい。
出汁という文化が存在しないうえに水が貴重だから、水をたっぷり無駄遣いするのが貴族の贅沢な料理法になったんだって。
それじゃ肉のうまみが抜けてスカスカだろうけど……まるで落語の『目黒のサンマ』だよ。
多分メイドさんも美味しくないことには気づいてるんだろうね、あれ。
今思うと絶対に豚のエサって言いかけてたよ。
「じゃあどうすれば満足なんだよお前は。言っておくけど、僕は料理のクオリティを落とすつもりはないぞ。お嫁さんには僕にできる最高の料理を食べさせてあげたいからね」
「私の分も作れ!」
「やだよ。なんでお前の分まで作らないといけないんだ。僕はお嫁さんと友達のためにしか料理しないよ」
僕がきっぱり断ると、デアボリカはむきーと顔を真っ赤にして地団太を踏んだ。
「お前、居候! 私、家主! 居候従う家主!」
興奮のあまり片言になってるんだが。
この翻訳スキルどういう訳をしてるんだ……?
「あのさあ、デボ子。僕たちは確かに間借りしてる身かもしれないけど、お前だってそうなんだぞ」
「なんだと!? この屋敷を建てたのは私だぞ! っていうかまたデボ子って言ったなお前!」
「屋敷を建てたのは確かにお前かもしれないけど、今のこの屋敷の所有者はお前のお母さんだろ。じゃあお前も僕たちも、領主にこの屋敷に住む権利をもらってることには変わりないじゃないか。僕たちの立場はイーブンなんだよ」
「私は領主の娘だぞ!? お前ら平民と対等なわけないだろ!」
僕たちのやりとりを眺めていたウルスナが、冷たい目で口を開いた。
「でもお前は犯罪者だろ」
「ぐっ」
突然飛んできた言葉のナイフに、デアボリカがよろめく。
「本来なら横領罪で処刑されてもおかしくないところを、親と姉にかばってもらって生き恥をさらしてる身じゃねーか。平民以下だろそんなの。お前には貴族である資格なんかとっくにねーよ。何をいまだに偉そうな顔してんだ、ユージーンに飯をねだれる立場か。てめえは豚のエサでも食っているのがお似合いだよ」
「ひっ……ひっ……」
「あのウルスナさん、そのへんで……」
言葉のナイフにぐさぐさと刺されて過呼吸を起こし始めたデアボリカを見かねて、僕は思わず割って入った。
というか、やたら事情に詳しいけどもしかして一昨日のやりとりをどっかから覗いてた? いや、伯爵家でも天井裏に潜んでたし、今回もやっててもおかしくはないか。
「お、追い出してやるぅ……! 母上に言いつけて、お前ら絶対に追い出してやるからなぁ!」
「へっ、こんなシケた街なんか出て行ってやるって吠えておきながら、都合が悪くなったら親頼みかよ。言っておくけど、俺はもうお前の部下でもなんでもねえんだ。思ったことは遠慮なく言わせてもらうからな、元ギルマスさん」
「ううー……!!」
幼児退行を起こしたデアボリカは、涙目でウルスナを睨みつける。
うーむ、ウルスナとデアボリカってこんなに相性が悪かったのか。
とはいえ、ウルスナも相当これまで不満を溜め込んでたんだな……。いつもはもっとカラっとしてて、気風のいい奴なんだけど。
アイリーンはおろおろして2人のやりとりを見ている。
これは僕が調停してやらなきゃだめかな。
「まあまあウルスナ、気持ちはわかるけどあんまり虐めるのも可哀想だよ」
「だってよぉ、ユージーン。お前だってこいつにどれだけ振り回されたか……!」
「デアボリカは社会的立場も財産も何もかも失った、無力な素寒貧なんだ。親の情けで見逃された命だけしか持ってない哀れな生き物を、これ以上責め立てるのは気の毒じゃないか」
「ぐふっ」
僕の弁護を聞いたデアボリカは、胸を押さえてその場に倒れ伏した。
何やらコヒューコヒューと荒い息を吐いて白目を剥いている。
「あれ? どうしたのデアボリカ?」
「……ユージーン、見事なトドメだったぜ」
ウルスナは何やら顔を引きつらせながら、親指を立ててきたのだった。
もう味がしなくなったと思ってからも無限に味が出るデアボリカちゃんガム(10円)
ちなみに平民に朝食という文化が生まれたのは産業革命期です。
中世では朝ごはん食べられるのは貴族の特権でした。