【書籍版1巻2/20発売】貞操逆転ハードモード異世界を鋼メンタル冒険者が生き抜く 作:風見ひなた(TS団大首領)
アルシェさんに科学知識の授業を始めた僕だけども、これがとんでもなく苦労した。
僕はこの世界の文明レベルの低さを見誤っていたんだ。
僕が当たり前のように持っている科学知識は、この世界においてはまったく当たり前のものではなかった。
この世界では赤外線なんてまだ概念がなくて、輻射熱の仕組みを説明できない。微生物が発見されてないから物が腐る仕組みが伝わらない。
そして何より苦労したのは、相手が何をわかっていないのかがわからないことだ。
共感性が死んでいることがこれほど裏目に出たことはないよ。
アルシェさんが理解できていないところがあるというから説明しても、全然理解してもらえない。お互いに根気強くよくよく話を聞いてみたら、そもそも大前提の大前提となる知識が発見されてなかったというね……。
まあそれでも夜までかかって授業を続けて、赤外線やら微生物やらこの世界の文明ではまだ観測できないものが「存在する」という仮定をなんとか飲み込んでもらって、一応の理解は得られたと思う。
やっぱりアルシェさんは超優秀な研究者だよ。
普通の学生が何の知識もないところからたった半日ほど授業を受けただけで、ボイラーや冷蔵庫の仕組みを理解できるわけがない。元は小学校の理科の知識すらおぼつかなかったんだよ? 何年すっ飛ばして飛び級してるのやら。
いや、それにしても小学校の理科の知識って結構高度な話だったんだね……。あの理科の教科書が、無数の研究者が数百年かけて研鑽し抜いた知識の蓄積だったということを思い知ったよ。
そして僕の方も、この世界がいかにわけのわからない世界かということを思い知らされた。ボイラーの仕組みを説明されたアルシェさんは、こんなことを言ったのだ。
「そこまでの火力を継続的に得たいのでしたら、薪ではなく火の精霊石を使った方が効率的かと思いますが……。何故そうしないのでしょう。予算的な問題なのでしょうか?」
「ひのせいれいせき」
僕はぽかんとしたマヌケ顔で繰り返したものだ。
いや、そういうものがあるとは知ってたんだよ。アパルトメントでアイリーンが火の精霊石のクズ石とやらのランプを灯してたからね。
でもそれがどういうものなのか、まるで理解してなかった。
アルシェさんは僕に懇切丁寧に説明してくれた。なんか、僕に知らないことがあるなんてすごく不思議だとでも思ってるような顔だったよ。
精霊石というのは自然の力が結晶化したもので、この世界の人なら誰でも、精霊石に働きかけることでその力を発動させることができる。魔法を勉強していない子供でも、火の精霊石を起動させれば大きな火を起こせるし、その威力は精霊石のサイズと純度が高いほど大きくなる。
精霊石は自然の影響が大きいところでよく発見される。たとえば火の精霊石は火山でよく見られるし、大きな落雷があったところには黄色い雷の精霊石が見つかる。僕がマジカルスタンガンと呼んでいる例の棒も、その雷の精霊石を使っているそうだ。……この世界でまだ電気が発見されてないだけで、正確にはそれは電気の精霊石なんだろうね。
この話を聞いてみて、どう思う?
僕はね、ぽかーんとしたよ。
なんだその非科学極まりない話。
熱がいっぱいたまっているところには、火の精霊石が結晶化するだって? エントロピーどうなってんだよそれ。電気の精霊石ってそれ、電池を発明する必要なくない?
ここに及んで、僕が知ってる科学知識ってこの世界では役に立たない可能性がでてきたよ。それはそもそも地球とこの世界で物理法則が違う可能性があるってことで。
この世界の絶対零度は本当に-273℃なのか? もしかして-5000℃くらいあったりしないか? 摩擦係数は本当に地球と同じなのか? もし仮に摩擦係数が地球より小さいのなら、図面に描いたネジなんて役に立たない。
内心不安でドキドキしながらアルシェさんの話を聞いた限りでは、おそらくこの世界の物理法則は精霊石とかいうトンチキな物体と魔力なるものが存在すること以外は、地球とほぼ近しいことがわかった。まあ魔力が存在するだけで異常ではあるのだが。
なんだろうね、この違和感。
精霊石と魔力の存在だけが、世界からぽっかり浮いてる感じがある。
これが世界は平らで巨大な亀の上に支えられてますとか、四季を司る神々が季節を動かしてますとか、おファンタジーな世界観ならいっそ納得もいくんだけど。
なんかこう……そう、後付け感があるんだよな。元は地球とほぼ同じ世界だったところに、後から精霊石やら魔力やらの概念が付け加えられたみたいな。
あ、そうそう。それでラジエーターを作る話は結局どうなったかというとね。
「これは無理ですね」
「無理かぁ」
「お屋敷中に張り巡らせることができるほどの精度を担保できませんね……。何しろ職人によってパイプの太さがバラバラなんです」
「サンプルを見せて、これと寸分同じものを作ってって言ってもダメかな?」
「無理ですね……。何しろ手工業で作っているものだし、職人も熟練から新米までまちまちなので」
残念ながら、この世界の鍛冶技術は僕が望むレベルに達していなかった。
パイプを作ることはできても、規格を合わせたうえで大量に作ることはできないんだって。
大量生産が可能な時代ならいけたんだろうけどなあ。残念無念。
久しぶりにこの世界がハードモードだってことを思い知らされたね。
「そもそも話を聞く限り、そこまでの大工事をするならユウジの一存では無理だろう。屋敷は領主の持ち物なのだから許可を申請する必要があるし、結構な金額になるぞ」
話を聞いていたアミィさんにも諭されてしまったので、この話はお預けだな。
それにしてもアミィさんも、よく話についてきてるよね。言っちゃなんだけど衛兵なんて脳筋でもできる仕事だろうと思ってたけど、考えを改めないとな。
「そっかぁ……じゃあ代わりにストーブを作ってもらおうかなあ」
「ストーブというのは?」
「こういう感じの鉄の鋳物で、中で薪を燃やして暖を取るんだ」
僕は手近にあった紙にさらさらとペンを走らせ、だるまストーブの絵を描いた。
これも僕からすれば古式ゆかしいものだね。昭和初期くらいに使われてたんだっけ?
石炭や薪なんかの燃料を入れて燃やすことで暖を取る、シンプルなストーブだよ。
「部屋の中央に置くと、暖炉よりも効率よく部屋を暖められるよ。めちゃめちゃ熱いから、触れないように気を付けないといけないけどね」
「なんだ……これは普通に作れるのではないか? 最初からこっちでよかっただろう」
「排気のための煙突が必要なのと、下から灰を掻き出さないといけないのが面倒かなと思って」
アミィさんのツッコミに、僕は言い訳する。やっぱりラジエーターの方が文明的なんだよね。
「いや、これはいいな。私は気に入ったぞ。冬の詰め所が寒くてかなわなかったんだ、これはぜひ軍にも欲しい。これ、作れたらいくつか発注していいか?」
「ええ、これなら大丈夫です。火の精霊石を使えば煙突も灰の掻き出しも必要ありませんし」
アルシェさんの言葉に、僕は目を丸くした。
「え、精霊石ってそんなにエコなの?」
「エコ……というのはよくわかりませんけど、煙も灰も出ませんから。単に起動している間は熱を発するだけですし、熱量も操作する側が調節できますから、薪や石炭を燃やすよりも便利かと思いますよ」
マジかよ。精霊石すげーじゃん。
さすが魔法が存在する世界だね。科学文明よりもある意味で便利なのでは?
……いや、下手に魔法が存在するせいで、科学が育ってない可能性もあるか。しかも精霊石がストーブに使えることが、たった今発見された感じだし。
僕がそんなことを考えていると、アルシェさんがぱちんと手を叩いた。
「あ、そうか! これで冷蔵庫も作れますよ! これを作ったとして毎日氷をどこから調達するんだろうと思ってたんですけど」
「あー……」
なるほど、そう言われればそうだ。
氷屋なんてこの世界に存在しない。氷式冷蔵庫が普及したから登場した職業だもんね。
デアボリカが氷の魔法を使ってたし、あいつに毎日氷の塊でも作らせればいいか。どうせやることなくて暇だろ。
「先生、氷の精霊石を使えばいいんですよ! 氷の精霊石を入れておけば密閉状態なら結構日持ちがするはずですし、冷蔵庫の中の温度を調整することもできます。ひんやり程度に冷やすことも、カチカチに凍らせることも自由自在ですよ!」
「……なるほど。氷の精霊石、そういうものがあるのか」
なんかすごい便利なんだね、精霊石。
これは一家に一台ストーブと冷蔵庫の時代がきちゃう?
それにしてもアルシェさんの応用力は大したものだ。
科学知識をあっという間にこの世界ナイズで実用可能なものにしてしまった。
やっぱりこの世界のストーブと冷蔵庫の発明者はアルシェさんってことでいいよ。
「ただ……」
自信に満ちた表情でアイデアを口にしたアルシェさんが、へにょんとへたれた。
「精霊石はランニングコストが高すぎて……試作分を用意するのが難しいかも……」
「いいよいいよ、お金ならいくらでも用立てるよ」
冷蔵庫に加えてこの世界で冷凍庫まで作れる可能性があるなら、僕はいくらでも払うよ。なにしろ冷凍庫はぜひほしい! あれがあれば保存期間は段違いだし、アイスクリームだって作れちゃうんだ。
すると、アミィさんがふぅむと腕を組んだ。
「いや、単に需要の問題でな……。火の精霊石はそれこそ明かりにもなるし、爆弾としても使えるから軍事物資として衛兵隊でもいくつか保有している。それを回してもいいのだが」
「え、爆弾に使えるの……?」
そんなもんをストーブに使って平気なのかな。
まあ、使い方の問題といえばそうだが。
「氷の精霊石となると、まったく需要がないからな。なかなか手に入らんだろう」
「え、これまで保存庫に使ったりしてなかったの?」
昔の日本でも氷室とかあったし、ひんやりしたところは物が腐りにくいってのは体感として世界共通で認識してるような気もするけど。
「この国は寒いからな……。食い物がなかなか腐りにくいんだよ」
「ああ、なるほど」
そうかぁ。なかなか手に入るものでもないのか。
でもあると知ったからには、絶対に欲しくなったぞ。なんとか手に入れる方法を考えなきゃな。
「とりあえず次はだるまストーブの図面を引いてくるね。それで、そっちはいつくらいに出来……」
僕がそう言った瞬間、アトリエの扉が大きく開いて2人の女が入ってきた。
「あっ、いた! ユージィ、なんであたしたちに黙って別の女のところに出かけてるの!?」
「俺たち新婚だよな!? 早々からよその女の家に入り浸ってんじゃねえよ!」
あ。僕のお嫁さんたちだ……。
僕はあっという間に2人に捕獲されると、左右からぎゅーっと抱きしめられてしまった。アイリーンはがるるとアミィさんとアルシェさんに威嚇しているし、ウルスナも警戒した視線を2人に送りながら僕の顔を胸の間に押し付けている。
うん。どうかこの2人を空気読めない女と責めないでほしい。
もし結婚したとして、お嫁さんが結婚初日から自分の知らない男の家に行ってしまい、夜まで帰ってこなかったとしたらどう思う? 嫌だよね? 僕は嫌だよ。嫉妬のあまり脳みそが爆発すると思う。
だからこれは妥当な扱いなんだ。簀巻きにされて馬車の座席に放り込まれたとしてもね。
「では、話の続きはまた今度に……」
「二度と単独でこんなとこ行かせねえからな!」
「今度来るときはあたしたちも一緒だからね!」
そうか。愛はときに息苦しいものなんだね。今日は勉強することがいっぱいだったなあ。
「よし! 今夜が初夜だ!」
「やったー! お兄さんだーい好き♥」
え? なんて?
僕の疑問は、左右から猛烈なキスの雨を降らせてくるアイリーンとウルスナの肉の温もりに包まれて消えていくのだった。まあお嫁さんが可愛いならなんでもいいや。
嵐のように雄士たちが去っていった後、残されたアミィは首を傾げていた。
「はて、新婚……? 聞き違いだろうか。彼は私の婚約者のはずなのだが……」
気にはなるが、今度会った時に確かめるとしよう。
何しろ自分も今日あったことを報告するという仕事が残っているし、忙しい身の上なのだ。
アトリエの主に挨拶してから辞去しようとしたアミィは、アルシェがじっと図面に目を落としているのに気付いた。
ボイラー、だるまストーブ、冷蔵庫。
順繰りに視線を移しながら、彼女は何やらじっと考えている。
「高熱と極低温……。温度による密度の差によって、流体を移動させる……。パイプに温水ではなく、水蒸気を流したとしたら……? もしかしたら、圧力を生じさせて、大きな物体に一定の力を加え続けることができるのでは……?」
こうなるとこの女は長い。
自分の世界に入って出てこなくなったアルシェに肩を竦めると、アミィは幼馴染に声を掛けてアトリエを辞したのだった。
「あまり根を詰めるなよアルシェ。いい夜を」