転生者たちの終末事件簿~クトゥルフ・ファイル~ 作:どくいも
三連打ぁ!!!
【・とある転生者の過去、あるいは仮面劇の終幕】
彼が彼女と出会ったのは、中学生の頃だった。
当時、彼女は大学院生で、彼は地域のオカルト研究サークルに出入りしていた。
彼女は舞台美術の専攻で、どこか異国の紙や木片を集めては、不思議な仮面を作っていた。
粘土に釘を埋め、貝殻を並べ、墨で謎の文字を描く。
ある日、彼はその手元を覗き込んで、無遠慮にこう尋ねた。
「それ、何の仮面ですか?」
彼女は少し驚いて、それからふわりと笑った。
「これはね、“泣いてる顔を隠す仮面”。」
「泣いてるんですか?」
「ううん。でも、泣いてる顔は、仮面をつけてれば見えないから、安心でしょ?」
──その言葉が、彼の記憶に焼きついて離れなかった。
やがて歳月が流れ、ふたりは再会し、少しずつ距離を縮めた。
出会い直した彼女は年上の演出家になっていて、彼はすでに一端の神秘学の研究者であった。
彼女は表現を愛し、彼は構造を読む人間だった。
新しい言葉を使って演じる彼女と、過去の言葉の奥を読もうとする彼。
奇妙な組み合わせだったが、共にいる時間は穏やかだった。
ある日、彼は、彼女の誕生日に仮面を彫った。
不器用な手つきで、小さなノミを握りながら、
どこかで読んだ古い演目の、仮面を失くした王女の話をなぞって。
「これ、あなたに似てる仮面じゃないかも」
そう言いながら渡したとき、彼女は言った。
「誰にも似てないほうが、仮面は好きよ。私の顔にならなくて済むでしょ?」
彼女はその仮面を、しばらく使ってくれていた。
観客にはわからないように、ひとりで練習するときにつけていた。
そのことがひそかにうれしかったのをはっきりと覚えている。
そして──彼女は消えた。
争った形跡はなかった。
ただ、彼女の作業机の上に、彼が贈ったあの仮面だけが置かれていた。
彼女の失踪は報道されなかった。
しかし、彼はその後、独自に調査を続けた。
それで分かったことは、彼女が関わっていた小劇団は、ある“演目”を模倣していた。
神の名前を借り、観客のいない劇を捧げる、召喚に似た演出。
仮面が媒介だった。
舞台が門だった。
そして彼女は、誰にも見られないまま、劇の中に取り込まれた。
何があったのかは、わからない。
だが彼は悟った。
彼女は“役を演じたまま”、神話の構造に取り込まれてしまったのだ。
彼は絶望しなかった。
むしろ、その瞬間から目的が生まれた。
この世界の“劇構造”を正しく理解し、閉じなければならないと。
だから彼は学び続けた。
彼女の“脚本”の続きを、自分の命で書くために。
黄衣の王の召喚儀式に関わったのも、
神格を呼ぶ連中を内側から崩すためだった。
彼は誰よりも早く、舞台の終わらせ方を知っていた。
そして、最期の役を自分に割り振った。
死を選んだのではない。
幕を引くために、自らを“ラストシーン”に配置したのだ。
それが彼の、個人としての贖罪であり、劇場に対する終止符だった。
けれど、舞台の火が落ちて、命が燃え尽きる刹那──
彼の脳裏に、ふと彼女の笑顔が浮かんでしまった。
仮面をつけたまま、後ろを振り向かずに去っていった、あの背中。
「泣いてる顔は、仮面をつけてれば見えないよ」
彼女は、あのときすでに気づいていたのかもしれない。
自分の演じる役が、誰にも見届けられないまま終わることを。
だから彼は、最後まで舞台に立っていた。
彼女の芝居を、自分という観客をもって完成させるために。
―――――――
「……と思ってたんだがなぁ」
そして、教授は目を覚ました。
死んだ感覚は、はっきりとあった。
光でも、熱でも、痛みでもない。
ただ、「ああ、終わったな」と思う瞬間の輪郭だけが残っている。
それは舞台が暗転するときの照明の落ち方に似ていた。
役割が終わり、幕が下りる。
観客もいない。拍手もない。だが、それで良かった。
だから、次に目を覚ましたとき、少し混乱した。
現在の場所も、時間もわからない。
天国や地獄、次の人生かとも思ったが、そういうのではなさそうだ。
しかし、答えはすぐにわかった。
何故なら、すぐに答えの方から来てくれたから。
────【ある程度の願いが叶う場所】
「……うん、彼らしい素晴らしくわかりやすいネーミングセンスだ」
空間に浮かび上がった文字を見て、彼はそう言った。
そして、納得した、つまり、ここは「そういう場所」なのだと。
あの後、死んだはずの自分を351が拾い上げ、ここに入れたのだろう。
まったく余計なことをしてくれたとも思ったが、それが彼自身の願いか、他の転生者の願いなのか、はたまたは内なる自分の走馬燈による願いなのか。
ハッキリ確かめる気にならない程度には、疲れきっていた。
だからこそ、彼は静かに願ってしまった。
木の椅子。
読みかけの書物。
渋い紅茶に、はちみつ入りクッキー。
さらには、壊してしまった懐中時計。
すべてがすべて、思い出のように現れるも、実際に触れられるものばかりであった。
その一瞬、願いが本当にかなった実に無邪気に喜んだ。
が、彼はすぐにとある最悪な考えに思い至り、すぐに思考をやめようとした。
――だが、遅かった。
そこには、【彼女】がいた。
椅子に座って、まるでずっとそこにいたかのように、彼女はいた。
手には、教授がかつて贈った木彫りの仮面が握られていた。
言葉を失った。
声が出ないのではなく、心が言葉を出す前に沈黙していた。
「あなた……また、ひとりで抱え込もうとしてたでしょ」
彼女は微笑んでいた。
優しい顔だった。
けれど、それは“記憶の中の彼女”と寸分違わぬそのままだった。
それは、明らかに異常だった。
教授の身体の芯に、ざらついた寒気が走る。
これは都合の良すぎる妄想だ。
それはわかっている。
彼女は死んだはずだ。
自分の仮面を残して、舞台の向こうへ行った。
それを知っていたはずなのに──
なぜ、今、ここにいる?
なぜ、笑っている?
――そして、なぜ自分は、それに対する【最悪の解答】を持っている?
教授は立ち上がろうとした。
けれど、足が動かなかった。
体が、空気に沈んでいくように重たかった。
「やめてくれ……やめてくれ……これは……間違ってる……これは、俺の……」
──願いだ。
頭の奥に、それがこだました。
これは、自分の“願い”そのものだった。
彼女が死ななければいいと。
彼女が演目から降りてくれたらと。
あのとき、死の直前にほんの一瞬思ってしまった、弱さ。
それを、あの【神】は叶えてしまったのだ。
全知でも、全能でもない。
ただ、転生者の思考を拾い、力で現実を書き換える存在。
――妻がいなくなる前に、ここへ連れてこれたら――
自分がほんの一瞬でもそう思ったから。
【妻が失踪したのは、願いでこの空間に転送されたから】ということになってしまった。
「……バカげている……!!」
それは到底、許されるべきことではなかった。
自分はここまでに至るまで、相応の非道を働いた。
多大な覚悟もしたし、多くの犠牲も出した。
それが、自分のこの願い故に起きただなんてあっていいわけがない。
なによりも、舞台は終わったはずだ。
彼女は最期まで、仮面のまま劇を終えた。
自分は、その証人であり、観客だった。
「あ……」
それなのに──今。
彼女は、仮面を外していた。
彼女は、教授の目をまっすぐ見ていた。
その視線を受けて、教授はようやく、自身が泣いていたことに気づいた。
声もなく、肩が震えていた。
涙が仮面の内側に溜まり、静かにあふれていた。
『……泣いてる顔は、仮面をつけてれば見えないよ』
昔の言葉が、幻聴のように蘇った。
けれど今、仮面は外れていた。
仮面をかぶらずに、泣いてしまっていた。
だから──抱きしめられた。
その現実が許されないと知っていても。
間違いだと理解していても。
これはきっと、演目ではない。
誰かが書いた筋書きではない。
彼女の抱擁がそれを肯定してくれた。
自分自身のわがままな祈りによって始まった演目。
ならば、たとえそれが神の犯した奇跡であっても、自分の手で最後まで受け止めてやる。
教授は、彼女の背に腕を回した。
あのときと同じ、すこし細くなった肩だった。
世界は静かだった。
観客は二人だけ。
でもそれでいい。
この一幕だけは、例え誰に否定されようとも──きっと、本物だ。
―――――――――――――
【・とある旧支配者の記録】
静けさが、波のように其の地を包んでいた。
大地はもう、ひと続きではない。
大気は裂け、時の流れも不確かだ。
それでも──この場所だけは、崩れなかった。
かつて、神が眠った都市、世界が終わる夢を見た場所。
――ルルイエ
今、その中心に、彼はまた眠っていた。
――クトゥルフ
深き眠りの支配者。
世界の悪夢と、世界の再起動の臨界に在る存在。
その身体は、かつてよりも穏やかだった。
寝息は整い、呼吸と共に、世界の欠片が空中に浮かんでは静かに結び直されていく。
大地の皹を縫う者がいた。
時間の折れを巻き戻す者がいた。
自分の聖地を他と繋ぎなおす者もいた。
大きな神も、小さな神も。
地底の目も、石視の王も、怠惰な神も、這い寄る混沌も。
吹雪の徘徊者も、汚れの噴泉も、見えざる引力も。
そして、多くの名のある神々も、忘れられた神々、あるいは、名を持たなかった存在たちも。
静かに、地球の“欠片”を繕っていた。
彼──御業一神も、その中にいた。
明滅するでもなく、語るでもなく、ただ「在る」ことで、全てをゆっくりと支えていた。
私はその光景を、信徒たちと共に見ていた。
瓦礫ではなく、海の上に建て直されたルルイエの高台から、
この“修復の神事”を、ひとつの奇跡として見届けていた。
信徒たちは、誰も声を出さなかった。
跪く者も、立ち尽くす者もいた。
それぞれの姿勢で、ただ、その“現実”を目に焼き付けようとしていた。
地球は、もうほとんど原形をとどめていない。
人の作った都市も、言葉も、制度も、記憶すらも。
けれど、そこに眠る命と祈りの“かけら”は、今、再び織り直されようとしていた。
これは、祝福ではない。
贖罪でもない。
ただのやり直しだ。
信徒達は、見ている事しかできない。
けれど、見ているからこそ、ここにいる意味がある。
──いずれ、この光景は忘れられる。
地上の人々は、これを夢だったと断じるだろう。
もしくは、思い出す術も持たず、ただ“安らぎ”として受け取るかもしれない。
でも、それでいい。
人は、忘れることで生きていける。
忘れなければ、世界は動かない。
それでも、いくつかの記憶は残る。
何かがいた気がする。
あのとき、空に何かを見た。
なぜだかわからないが、信じてしまう何かがある──
その“わからない確信”こそが、
きっと次の時代の信仰になるだろう。
他の神々の信徒たちもそうだ。
力の大小は問わず、ただひたすらにこの光景を目に焼き付け、祈り続けている。
だから私は願う。
どうか、忘れないで。
言葉ではなくていい、形ではなくていい。
ただ、今、この風景を“本当に見た”ということだけを──心のどこかに残していてほしい。
ルルイエの石が、静かに脈動する。
クトゥルフが寝返りを打つたびに、世界の基盤が少しずつ修復されていく。
これは神々の劇ではない。
観客もいない。
ただ、あまりに静かな作業の連なり。
けれど──私は知っている。
この沈黙こそが、本当の“祈り”であることを。
神が語る時代ではなく、
人が見届ける時代でもなく、
神と人が共に“黙って修復する時代”が、今だけは確かに存在した。
だから、忘れないで。
私たちは、ここにいた。
あなたたちも、ここにいた。
世界が、もう一度始まるその手前で──
“祈り”ではなく、“記憶”を捧げた存在として……。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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