高円寺に目をつけられた水泳の授業が終わり、その日の夜。携帯端末に一件の着信が入った。
「んも?」
歯磨きの途中だった浅羽は歯ブラシを咥えたまま端末の画面に目を落とすと『櫛田 桔梗』と表示されていた。応答ボタンを押し、耳に当てる。
「もしもーし」
『もしもし、こんばんは。櫛田桔梗です』
「こんばんは、櫛田。どうしたの?」
『夜遅くにごめんね?浅羽くんにどうしても相談したい事があって・・・・・・・』
「相談?」
『うん、率直に聞くね。浅羽くんは、堀北さんの笑うところ見たことある?』
「んー、ないなー」
浅羽は放課後のことを思い出す。櫛田が複数の女友達と一緒に堀北をカフェに誘ったが問答無用、一刀両断に誘いを切り捨てていた。それを見かねた平田が綾小路と浅羽に堀北と女子の仲を取り持つようお願いをしに来たのを、今度は綾小路が『平田が直接言え』と軽く突っぱねていた。誰が見ても堀北は日に日にクラスから孤立している。あと一ヶ月もすればクラスの腫れ物となるだろう。こればかりは堀北個人の問題なので特に何も言わなかったが。
『私ね・・・・・堀北さんと友達になりたいの』
「あんたの気持ちは分かるよ。最初は色んな子が声をかけてたけど、今はあんただけだもんね」
『よく見てるんだね、堀北さんのこと』
「まあ隣の席だからね」
女子は女子で入学初日からグループ作りに躍起になっていた。スクールカーストというものだろうか。男子よりも派閥、縄張り意識のようなものが強いのか、20人ほどのこのクラスでも4つ程の勢力が出来上がっている。大勢と仲良くしつつも、どこか牽制し合っているような。ただその中でも例外なのはこの櫛田だ。どのグループにも顔が利き、それだけにとどまらず絶大な人気者になり始めている。堀北に対してもあくまで物腰柔らかく、友達になろうと粘り強い行動を続けている。
「放課後、堀北に迷惑だのなんだの言われてたじゃん。あんまりしつこいと、次どんなこと言われるか分かんないよー?」
堀北が歯に衣を着せるタイプじゃないのは分かる。下手をすれば、今以上にきつい言葉を浴びせられるだろう。
『協力・・・・・・してもらえないかな?』
「うーん、してあげたいけどちょっとキツイよ、アレは。ごめんね、他をあたってくれる?」
『協力してくれたら学食のスペシャル定食ご馳走してあげるよ?』
「あんまり舐めないでくれる?櫛田。僕がたかが学食で靡く人間だと思ってんの?」
『え、違うの?』
「全くその通りだよ!協力する!なんでも言って!」
色気より食い気の浅羽を知っている櫛田が垂らしたデカすぎる釣り針に、まんまと引っかかった浅羽は二つ返事で掌を返す。
「で、具体的にどうする?友達になりたいって言っても、ああいう人間は骨が折れると思うけど」
『そうだね・・・・・・まずは堀北さんの笑ってるところを見る、かな?』
「笑ってるところね〜・・・・・」
改めて考える。笑顔を見せる行為は、相手に少しでも気を許しているからこそ出来る事だ。そんな関係になれば必然、それは友達と呼べるかもしれない。笑顔を見るという点に着目するあたり、櫛田は人のことをよく分かっているかもしれない。
「笑わせるためのアイデアはある?」
『それは・・・・・これから二人で考えようかなって』
「ん、わかった。こっちもなんか考えてみる」
『ほんと!?良かった、浅羽くんに相談して正解だったよ!』
飯に釣られただけなんですけどね、コイツ。
『あっ、もうこんな時間・・・・・・もう少しお話したかったけどそろそろ切るね?』
「ん、じゃあまた後で」
『うん、おやすみっ』
そう言って通話を切る。櫛田のひょんなお願いにより、浅羽は堀北の笑顔を見るための手伝いをすることになった。果たしてそんなことが可能なのか疑問が残るところだが、全てはスペシャル定食のためだ。
§
Q:堀北さんを笑わせるアイデア、出して
A:わ、わかんないっピ・・・・
あーでもないこーでもないと話し合うこと数日。ない頭を使い捻り出した浅羽は一つの作戦を閃いた。その名も『女の子なんてカフェでコーヒーでも奢ったら絆されるでしょ。知らんけど』作戦である。
偏見も甚だしいことこの上ないが、『女の子と言ったらカフェ』という方程式が成り立っている残念な彼の頭ではこれが名案だったらしい。本人曰く、
『これで勝つる!』
との事。そして当日。
「堀北さん、私と友達になってください!」
「何度も言っていると思うけど、私の事は放っておいてほしいの。クラスに迷惑をかけるつもりもない。それじゃいけないの?」
結果はお察しである。
「・・・・・一人ぼっちの学生生活なんて寂しすぎるよ。私は、クラスの皆と仲良くしたいな」
「あなたがそう思うことを否定するつもりはない。でも、それに他人を巻き込むのは間違ってる。私は一人を寂しいと感じたことはないもの」
「またまた〜。櫛田もこう言ってんだし、折れてくれよー」
「浅羽くんは黙ってて」
「なんでさ・・・・」
ジロリと堀北は浅羽を睨む。
「それに、仮に仲良くなることを強いたとして私が喜ぶとでも?そんなものの中に友情や信頼関係が生まれるとは思えない」
堀北のあんまりな物言いにはさすがに浅羽も眉を顰める。
「今までちゃんと伝えていなかった私にも落ち度がある。だから今回の件は責めない。だけどあまりにもしつこいようなら、その時は容赦しないから覚えておいてちょうだい」
そう言うと、一口も飲んでいないカフェラテの入ったコップを持ち、立ち上がった。
「私、堀北さんとどうしても仲良くなりたいの。なんか、初めて会った気がしないっていうかーーーー堀北さんも同じように感じてくれてたらな、なんて思ってる」
「これ以上は時間の無駄よ。私にとってあなたの発言全てが不愉快なの」
やや語気を荒げ、堀北は容赦なく遮った。櫛田は思わず言葉を飲み込む。
「櫛田さん。あなたが無理に私と関わらなければ、私は何も言わない。約束する。あなたはバカじゃないのだから、この発言の意味が分かるかしら?」
『それじゃ』と一言残し、堀北は店を後にした。騒がしいカフェの中、浅羽と櫛田の二人が取り残されてしまった。
「・・・・・・・」
ストン、と無言で腰を落とす櫛田に視線を向けた。
「参ったな、取り付く島もないや」
相当心にきたのか少しぎこちない笑顔を向ける。
「ごめんね、浅羽くん。私のせいでこんな事に巻き込んじゃって」
「気にしないでー、今回は残念だったけどね」
「堀北さん、もしかして自分から一人になろうとしてるのかな・・・・・」
「さぁ?」
堀北が出て行った方を見た。堀北があそこまで櫛田を拒絶する理由がわかった気がする。
この櫛田という人間は、腹の中を『隠す』のが殊更上手い。当たり障りのない言葉を選び、美辞麗句を並び立て、懐に潜り込むことに長けている。それが逆に癪に障るのだろう。
(清廉潔白な人間なんていないと思うけど)
「私たちも帰ろっか」
「ん、せっかく外に出たんだしどっか食べに行こう。こういう時は食べて切り替えるに限るよ」
「浅羽くんが食べたいだけじゃないの〜?」
「そこまで食い意地張ってないよ!」
大人ならいざ知らず、所詮は高校生。どこかで必ずボロが出る。
櫛田の裏はどんなものかは、いつか分かるだろう。
§
次の日の3時間目の社会。担任の茶柱先生の授業だ。授業開始のチャイムが鳴っても騒ぎ立てている教室に茶柱先生がやって来る。それでも生徒たちの高いテンションは変わらない。
「静かにしろ。今日は少し真面目に授業を受けて貰うぞ」
「どういうことっすかー。佐枝ちゃんセンセー」
既にそんな愛称で一部から呼ばれ始めていた。
「月末だからな。小テストを行う事になった。後ろに配ってくれ」
配られたのは主要5科目の問題がまとめて載った数問ずつのプリント。
「えぇ〜聞いてないよ〜」
「抜き打ちかよ〜」
「そう言うな。今回のテストはあくまで今後の参考用だ。成績表には反映されない。ノーリスクという訳だ。ただしカンニングは当然厳禁だからな」
テストは普通成績に反映するものでは?と思ったが、ここは普通の学校ではないことを思い出す。Sシステムもそうだが未だにこの学校の全容が見えてこない。
(いくらなんでも簡単過ぎやしないか?)
オレはテストの問題を見ながらそう思った。一科目4問、全20問の各5点配点の計100点。受験の時に出た問題よりも2段階くらい低い。しかしラスト3問は桁違いの難しさだった。数学最後の問題なんかは複雑な数式を組み立てなければ答えは出ないだろう。
「極端すぎるだろ・・・・・・」
高校1年で解けるようなレベルじゃないように見える。テストに載ってるのがミスなんじゃないのかと思うほどだ。
茶柱先生は一応監視だけはするつもりらしく、教室をゆっくり巡回している。
堀北と浅羽を盗み見ると、迷うことなく答えを埋め続けている堀北と、分からないところに当たったのかペンを握ったまま硬直している浅羽がいた。浅羽はともかく堀北は満点でも取りそうだなと思いつつ、テスト用紙と睨めっこを続けた。
『今日、櫛田ちゃんたちと遊びに行くんだけど、お前も行く?まぁ、櫛田ちゃんを誘ったのは浅羽なんだけどな。俺そんな度胸ないし』
このチキンめが。
午後の授業中、何も考えずに黒板の文字を書き写していると携帯にメールが届いた。これが学生ライフ、青春というやつか。特に断る理由は浮かばなかったが、一応参加者を聞いてみる。
ふむ、池と山内の名前と、櫛田と浅羽と俺を含めた五人。変わった人物は居ない。浅羽もいるなら大丈夫だ。あいつはああ見えて仲を取り持つのが上手いからな。たまにものすごい毒を吐くが。何度オレの精神をゴリゴリ削ったことか。
『櫛田ちゃんは俺が攻略するから、絶対邪魔すんなよ!』
『いやいや、櫛田ちゃんは俺が狙ってんだからな!お前こそ邪魔すんなよ!』
『はあ?お前ごときで櫛田ちゃん攻略とか、喧嘩売ってんのか?』
『上等じゃねぇか!浅羽、援護!』
『ざけんな!浅羽、こっちに援護!』
『櫛田、二人みたいな品がない人嫌いらしいよ。嫌われたくないなら授業受けようね』
浅羽の一言に池と山内は携帯弄りを辞め、黒板に向き直った。
浅羽を見ると少し疲れたようにため息を吐いた。二人があまりにもうるさいから櫛田を二人に代わって誘い、あまつさえ今日は面倒も見なきゃいけないのか。
オレは静かに同情する。
授業が終わると、オレは池と山内と浅羽にくっついて学校の外へ。
「浅羽、同じクラスなのに櫛田は一緒じゃなくていいのか?」
「別のクラスの友達に用があるんだってさ」
「もしかして・・・・・・男友達じゃないよな?」
「ん?あぁ、女の子だって」
「よしよしっ。浅羽のおかげで櫛田ちゃんとお出かけだー!」
「今度からは自分で誘ってよね」
「えぇー!?」
「大体、なんで僕まで・・・・・」
「お前がいなかったら会話途切れた時に気まづくなるだろ!」
「あぁ、そう・・・・・・・・」
お前、そんな事までお願いされてたのか?
死んだ顔で明後日の方を見る。どうやら今日のために色々お願いされたらしい。お労しいな、浅羽。いや、ホントに。
「遅くなってごめんね!お待たせっ!」
「うおお、待ってたぜ櫛田ちゃん!って、何で平田たちが居るんだよ!?」
飛び跳ねた池は、次の瞬間には後ずさり大袈裟にすっ転ぶ。忙しい奴だ。
「あ、途中で一緒になってさ。折角だから誘ってみたの。ダメだった?」
櫛田は平田とその彼女と思われる軽井沢、それから二人の女子を連れて来た。いつも軽井沢とつるんでいる松下と森という女生徒だった。
「浅羽、どういうことだ!?てか、何で平田!?」
池が浅羽の首に腕を回し、そう耳打ちする。
「別に一人二人増えたっていいじゃん。何が不満なの?」
「あんなイケメンがいたら、俺の存在が薄くなるだろ!」
「ただでさえ声がデカイだけの薄口存在感なんだし、何も変わらないよ。傍から見れば恋愛横綱一人相撲してるだけの変な奴なんだし」
1ヒット。
「!? も、もし櫛田ちゃんが平田を好きになるアンラッキーイベントが発生したらどうすんだよ!イケメンと可愛い子がくっつかない方法は、イベントを起こさせないようにすることだけなんだぞ!」
「じゃあ池がそのイケメンとやらになればいいだけじゃないの?なんでならないの?」
「!?!?」
2ヒット。
「そ、それは・・・・うぅ・・・・」
「とにかく、櫛田が好きなんでしょ?ここで頑張らないでどうすんの、さっ」
浅羽は気合を入れるように池の尻を叩く。
「僕にここまでさせておいて、まさか怖気付いてんじゃないよね?池」
「と、友達からでも・・・・・・・?」
「いきなり恋人にすっ飛ぶ関係がどこにあんの。ほら、良いとこ見せる!男でしょ!」
「よ、よし!ありがとな、浅羽!やっぱり俺たちは親友だ!」
「あ、それはちょっと」
「!?!?!?」
上げてからの落として3ヒット。何とも手馴れたものだ。
「あの、もし僕たちがお邪魔なら別行動するよ?」
平田が遠慮がちに池たちに声をかける。コソコソ話が気になったようだ。
「別に構わないサ、平田。なあ、山内」
「お、おお。一緒に遊ぼうぜ、賑やかな方が楽しいし。な、浅羽」
「ん、ごめんね。こんなメンツで」
「浅羽!?」
突如、前髪を華麗に掻き分けた池がそう言う。さすがに変わりすぎだろ、違和感が凄いぞ。浅羽メンタルクリニックの手腕を垣間見た気がした。
「つーか、当たり前っしょ。なんであたしらがこの二人の顔色を窺わなきゃいけないわけ?」
軽井沢の意見はご最もである。
「山内は松下でいいんじゃね?俺は櫛田ちゃんと話すから」
「おま、ふざけんなよ。櫛田ちゃんは俺が狙ってんだよ!昔大きな桜の木の下で結婚しようねって誓い合った幼馴染に似てるんだよ!運命の再会なんだよ!」
「嘘つけ!前々から思ってたけど、お前嘘ばっかり言うよな!」
「は?全部本当のことだっての!」
山内春樹という人間を言葉通りに信じるなら、幼い頃はゲームの腕前が抜群で、海外のプロにスカウトされたこともあり、小学校の時は卓球で全国、中学手は野球でエースと将来は間違いなくプロに予言された、とてつもないハイスペ男になる。まぁ、どれも嘘だろうが。
「さ、あのバカ二人は置いといて行こう」
「あ、ああ」
グループがどこに向かうのかは知らないが、浅羽と綾小路は後方からついて行く。あくまで主役は池と山内なのだろう。あの二人が言い出しっぺだからな。池と山内は櫛田に夢中かと思いきや、平田を両サイドから取り囲んでいた。
「ぶっちゃけ聞くけどさ、平田。お前、軽井沢と付き合ってんだよな?」
池は平田が敵かどうか確認するため、単刀直入にそう聞いた。
「えっ。それ、どこで聞いた話?」
さすがに少し驚いていた。
「ほら、やっぱりバレてたみたいよ?あたしらが付き合ってること」
聞かれた平田が肯定、否定する前に軽井沢は平田の腕をぎゅっと挟み込んだ。
「参ったな・・・・・」
「マジかよ!軽井沢みたいな可愛い子と付き合えて超羨ましいぜ」
思ってもないことをよく言えるものだとある意味感心する。嘘を嘘と思わせないのは簡単なようで難しい。
「櫛田ちゃんは、彼氏とかいんの?」
この流れで池は迷わず櫛田にシフトを切り替えた。
「私?私は残念ながらいないなぁ」
池、山内が心の中でこっそり歓喜どころか、ニヤケていた。クラスの人気者が概ねフリーなのは確定したようなものだ。
(ん。もう大丈夫そうだから、後でこっそり抜け──)
「あ、浅羽くん。この前はありがとね、助かったよ」
「えっ、あ、うん。どういたしまして」
「今度またお礼させてねっ」
櫛田、何故手を握る。今すぐにでも離して欲しい。ほら、見てごらん。あの恋愛弱者二人の顔を。凄いことになっているよ。
「「櫛田ちゃん、嘘だよな・・・・・?」」
「浅羽くん、優しいからよく相談に乗ってもらってるのっ」
「櫛田、やめ───」
「「浅羽、嘘だよな・・・・・・?」」
「い、いや、違うんだよ。二人が思ってるようなことは・・・・・綾小路、助けて。綾小路?」
チラッと横を見るが当の本人は何故か遠くでこちらに手を振っている。
「綾小路!?」
「浅羽、お前ぇ・・・・・・!」
「どうしてお前はいつも俺たちの邪魔ばかり・・・・・!」
「クソ予定調和が・・・・!」
ギャーギャー騒ぐ三人をしばらく眺め、綾小路は池に声をかける。
「ところで池、今からどこに行くんだ?」
池は浅羽の頬を引っ張っていた手を止め、鬱陶しそうに振り返り言った。
「俺たち、まだ入学してそんなに経ってないだろ?敷地内の施設を見て回るんだよ」
「浅羽!お前は今日はもう大人しくしてろ!」
「僕何も悪いことしてないよ!?」
「「うるせぇ!」」
「えぇ・・・・・」
明確な目的地がない。まあ、この辺の地理はまだ把握してないからありがたいと言えばありがたい。
「大丈夫?浅羽くん、凄い揉まれてたけど」
「全然。ありがと、松下」
「そう?ならいいけど」
「二人は?どこか見に行ったりしたの?」
「映画館には一回行ったぐらいかな。ね?」
「うん。学校終わってから二人で」
「へぇ〜、ここ映画館もあるんだ」
三人で話しながら歩いていると、周囲は随分と喧騒に包まれていた。どうやら敷地内にある洋服店で足を止めたようだ。皆は何度か来ているらしく松下と森は浅羽と軽く話し、店内へと入っていった。
「お疲れだな」
「ん?見てこなくていいの?綾小路」
「こういうのはよく分からなくてな。それに・・・・」
綾小路は周囲を見渡す。
「騒がしいの好きじゃないんだ?」
「まぁな」
「事なかれ主義だから?」
「関係ないだろ、それ」
それからしばらくして、櫛田に呼ばれた浅羽が、櫛田と松下と森のファッションショーに付き合わされ、また二人から怒りを買うという流れを何度か繰り返した後、近場のカフェへと足を運んだ。
平田の手には、軽井沢が購入した洋服の袋。3万ぐらい使ってたな。
「皆はもう学校には慣れた?」
「最初は戸惑ったけど、もうバッチリだぜ。つか、夢の国過ぎて一生卒業したくねー」
「あはは、池くんは学校生活を満喫してるって感じだね」
「あたしとしては、もっとポイント欲しいって感じ?20万・・・・・・30万ポイントくらい?化粧品とか洋服買ってたらもう殆ど残らないっつーの」
「高校生で毎月30万も小遣い貰ったら異常じゃね?」
「それ言うなら、10万でも相当だと思うけど。僕は少し怖いよ。このままの生活を続けてたら卒業した時に困るんじゃないかって」
「金銭感覚が狂うってこと?それは、確かに怖いかもね」
支給された10万ポイントは受け取った生徒によって感じ方はまるで違うようだ。
「綾小路くんはどう?10万ポイントって多いと思う?少ないと思う?」
話に入らず、聞き専だった綾小路に櫛田は話を振った。
「どうだろうな・・・・・・まだ実感がないっていうか。よく分からない」
「なんだよそれ」
「僕は何となく、綾小路くんの言うことも分かるよ。ここは正直、普通の学校とはかけ離れ過ぎてるからね。どこか足が宙に浮いた感じが抜けきれないんだ」
「んなの、気にするだけ無駄だって。いやぁ、まじ入学出来て良かったわ。俺は欲しいものはガンガン買ってくぜ。昨日もついつい、新しい服買っちったし」
池は前向きというかポジティブに生きているようだ。
「それって考えなしって言うん────」
余計な事を言いそうな浅羽の口を綾小路は抑える。
「そういや櫛田ちゃんや平田はともかく、池や軽井沢はよく入学できたよな。お前らって絶対頭悪いだろ?」
こらあきまへん。
穏やか空気が満ちていた空間に突如亀裂が走ったように寒くなる。ノンデリ発言もいい所である。
池はともかく軽井沢の顔がみるみる怒りに染まっていく。平田も気づいたのか、場を持ち直そうとあくせくしている。松下と森はゴミを見るかのような目で山内を睨み、櫛田もニコニコ笑いながら固まっていた。
『地獄』────これにて完成。
「そういう山内は頭良いのか?」
何とこの地獄の中で口を開いたのは浅羽の口を抑えていた綾小路だった。
「当然だろ?昔APECで900点取った事あるっての」
全員が頭を傾げる。
「なんだお前ら、知らねぇのかよ。すげぇ難しいテストの事だよ。英語の」
「えと、それはAPECじゃなくてTOEICじゃないかな〜・・・・って」
「あ・・・・・・」
「あ・・・・・・」
なんて事だ。櫛田の優しいツッコミで更に空気が冷え冷えになってしまった。意図せず好意を寄せていた櫛田のツッコミで山内の虚言もバレてしまうというオマケ付き。もはや誰が喋ってもこの空気は変わることはないと思ったのか、取り敢えず全員一斉にコーヒーを飲んで茶を濁しだす始末。それぞれの顔色を伺いだすのはもう人狼ゲームだろこれ。
綾小路が真顔で浅羽の脇腹を小突く。
(正気!?)
(頼む)
アイコンタクトで会話し、冷や汗を垂らしながら浅羽は口を開いた。
「と、取り敢えず、一旦プリクラでも撮る・・・・・・・?」
うーんこの。
§
5月最初の学校開始のチャイムが鳴った。程なくして、手にポスターの筒を持った茶柱先生がやって来る。その顔はいつもより険しい。
「せんせー、ひょっとして生理でも止まりましたー?」
池がまさかの発言を繰り出す。場の空気が凍り付くのを察したのか浅羽が頭を抱えだした。恐らく先日のアレがトラウマになってしまったのだろう。
「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか?気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」
茶柱先生は池のセクハラ発言に一切構わず、そんな事を言った。そして、数人の生徒がすぐさま挙手した。
「あの、今朝確認したらポイントが振り込まれてないんですけど、毎月1日に振り込まれるんじゃないんですか?今朝ジュース買えなくて焦りましたよ」
「本堂、前に説明しただろ。その通りだ。ポイントは毎月1日に振り込まれる。今月も問題なく振り込まれてことは確認されている」
「え、でも・・・・・振り込まれてなかったよな?」
本堂や山内たちは顔を見合わせた。池は気づいていなかったらしく驚いていた。
軽くため息を吐いてから、茶柱先生は軽蔑とも取れる冷めた声が教室に反響した。
そして彼らは理解する。
ここは決して楽園などではないことを。
「・・・・・・・お前らは本当に愚かな生徒たちだな」
この学校がついに牙を向けて来たことを。