2009年3月14日
レッドトルーパーコマンドルームに、カタカタとキーボードをたたく音が響いていた。
その音の主は、ウォーターサーバー等々が設備されたブレイクスペースでノートPCとにらみ合っている紗希である。
「それ、こないだの報告書ですか?」
「うん。部屋でやれって言われちゃいそうだけど、ここの方が捗るんで」
コーヒーサーバーの前で手持無沙汰でコーヒーを待っていた垣原が声をかけた。
PCの画面から顔を外した紗希が笑顔で答える。
「わかります。人の声が聞こえる方が頭が回るというか」
「そーなのよ、なんでだろうね」
すっかり雑談モードに入ったらしい紗希が、ぐっと背筋を伸ばしながら立ち上がった。
そんな雰囲気を悟った垣原は、自分用だったコーヒーをさりげなく紗希に手渡す。
「ありがと」と受け取ったコーヒーを一口飲んだ紗希は、PCをそっと閉じた。
「部屋で寝っ転がっている時が一番脳みそが働いてないって言うよな。背筋から頭までがピンと伸びてる方がいいらしい」
マグカップに自家製ブレンドのミントティーの湯気を揺蕩えた乱堂が、例によってあやしげな薀蓄を披露しながら会話に混じった。
「あ、それ実感ですね。夜中急に報告書の期限思い出して書き始めても、全然っ進まないってことありますよね」
「あとは散歩も効果的って話だよな。無意識に目に入るものからヒントを得たり出来るらしいぞ」
「なんか煮詰まった作家さんの知恵っぽいっすね」
すっかり談笑モードの三人によって、コマンドルームが一気ににぎやかになった。
そこから少し離れて、只野は一人近々配備される予定の新型クロムチェスターの機体マニュアルに目を落としている。
ちなみに、香里は席を外していた。
「でも散歩って言うても、ダムの底の底ですからねぇここ。なかなか気分転換は」
「せめて見た目華やかならまだ救いがあるのにな。行けども行けども灰色のコンクリートジャングルときた」
「古っ。おじさんくさいですよ」
乱堂の口から何処かで聴いた懐かしの歌謡曲のフレーズが飛び出したのを受けて、紗希が思わず苦笑する。
「おじさんだもん。そういや前に会議でアニマルセラピーを狙って基地で犬でも飼いませんかって提案したんだけどな、即却下された」
若者の辛辣なツッコミもどこ吹く風な乱堂が、とぼけた口調で言う。
聞いた二人は、思わずフォートレスフリーダム内で放し飼いにされている犬を思い浮かべてしまった。
ちなみに垣原がシベリアンハスキー、紗希はポメラニアンを想像した。
「この基地に犬・・・」
「犬が可哀想ですよ」
「いいと思わない?ドッグランなんかも作ってさ」
どこまで本気なのか、乱堂は楽しそうに続ける。
こうやっていつの間にか会話のペースをリードしてしまうのが、この隊長の凄い所であり、油断できない所でもある。
「最終的に僕らよりええ待遇になりそう」
「昔いましたよね、犬大好きな将軍様」
「生類憐みの令。徳川綱吉ね」
すっかり和やかなムードの所に、副隊長である香里がコマンドルームに遅れてやってきた。
乱堂が(正確性は置いておいて)雑学やトリビア的な方面に強いとすれば、香里はこういった一般教養、常識問題に明るい。
「副隊長!お待ちしてました!」
「え、なぁにいきなり?」
自分の疑問の答えをくれた香里に、紗希は思わず飛びつかんばかりの勢いで駆け寄った。
「と、いうわけで男性諸君!今日が何の日かお判りでしょうか?」
香里と肩を並べるように向き直った紗希の声が、コマンドルームによく通った。
「わかってますよ、もちろん」
「右に同じ」
相変わらずの勢いに垣原は笑顔で答え、乱堂もカップに口を付けながら軽く手を上げる。
3月14日。世間一般にいうホワイトデイ。
2月14日のバレンタインデイに貰ったプレゼントへの返礼品を送る日である。
二人の答えに満足げに頷いた紗希は、なるほどねと微笑む香里を横目に、一人挙動不審な男性隊員を見逃さなかった。
「ありましたねそんな日も」
さりげなく聞き耳を立てていたらしい只野が、そんな紗希の目から逃れるように斜め上に視線をそらし呟いた。
「そんな日とはなんですか!先月あたしと副隊長でみんなにお義理ながらもチョコあげたでしょ?」
「覚えては、いますよ。ええ・・・」
実際の所、出動の疲れとストレスから貰ったチョコは雑に食べてしまい、只野にとってその印象は極めて薄かったのだが。
「俺は用意してあるよ。はい、紅茶の飲み比べセット」
「さっすが隊長!紳士ぃ!」
「はいよ、東條も。これ、アールグレイがおススメ」
「あ、ありがとうございます」
そんな追い詰められた只野に見せつけるかのように、乱堂はどこから取り出したのか上品な梱包の紅茶セットを二人に手渡した。
無邪気に喜ぶ紗希と、少し恐縮しながらも受け取る香里。
こういう隙のなさも、乱堂という男のおそろしい部分のひとつである・・・とはオーストラリア支部の元同僚の弁。
「僕からは、まぁベタなんですけどクッキーの詰め合わせを」
「いいのいいの、こういうイベントは楽しむためにあるんだから。ありがとカッキー」
「あら。紅茶に合いそうじゃない?あとでみんなで頂きましょうか」
照れながらお返しの品を渡す垣原に笑顔を向けた二人の女性陣は、少しの間のあと、示し合わせたように只野へと目をやった。
そこには、先ほどから微動だにせず同じ体勢で・・・しかし額に冷や汗が見える只野の姿が!
「只野さん・・・まさか」
「すいません、前職が男所帯だったもんで、気が利かず・・・」
紗希と香里に顔を向けた只野が、何とも言えない表情で謝罪した。
誰が見ても悪気がないことが伝わるその哀れっぽい様子に、少々居心地が悪くなった紗希が慰めるように、
「まぁ、ほら只野さん色々大変そうだし」
と、声をかけた。
が、それがいけなかったようで。
「大変ってのは離婚の件ですか・・・?」
一瞬、コマンドルームの気温ががくっと下がったのかと錯覚するほど、それは冷たい音色であった。
「いや、そういうわけじゃ」
紗希がそう言うのにかぶせるように、
「じゃあどういうわけですか!男やもめのバツイチにはホワイトデーのお返しすら用意できないってわけですか?」
「だいたいね、こんなの日本だけの地域的な風習!しかも菓子屋のでっちあげで作られたイベントなんですよ!僕は子供の頃から嫌いでしたね!」
恐怖の時限爆弾男、只野のスイッチがまた入ってしまった。約二か月ぶりの大噴火である。
どうやら元妻との話し合いは順調ではないらしい。
「うわ、いまだにそんなこと言う人おるんや・・・」
「漫画やらで擦られ倒したセリフだよね」
またか、とばかりうんざりした様子の垣原と紗希が力なく呟いた。
それを横目で見る香里は(漫画ってそんな台詞が出てくるんだ・・・)と、どこかズレた方向に思考を飛ばしている。
「隊長も隊長ですよ!海外生活長いのにこんなガラパゴス化したイベントに付き合うなんて!」
「いや、郷に入れば郷に従えは世界共通のマナーだよ?只野」
こっそり逃げ出そうと抜き足差し足していた乱堂にも、只野の毒矢が飛ぶ。
頭だけ振り返った乱堂が、嫌気の差した様子でもっともな答えを返した。
「じゃあ男性隊員全員でカンパするとかあったじゃないですか!なんですか垣原さんまで用意しちゃって!」
「まぁ僕もこないだの非番で急に思い出して慌てて買ったんすけどね。でもお返し一緒に買うって小学生やないんやから」
まさに子供の様な理屈をこねだした只野に、垣原は言い訳しつつも鋭い一撃を加えた。
この状況では最早四面楚歌である。この場に只野の味方はいない。
「そういうところが、奥さん嫌だったんじゃないかしら」
そんな哀れな屁理屈ビースト只野令司を仕留めたのは、RTの頼れる副隊長東條香里その人であった。
「!!」
ただ、その乾坤一擲の一撃はあまりに鋭利過ぎた。
図星中の図星だったのか、はたまた元妻に似たようなことを言われた経験があったのか、只野は緩慢な動きで二、三度首を横に振ってから、ドデンドデーン・・・と膝から崩れ落ちた。
これ以上は死体蹴りになってしまう。お互いに目配せしあったRTの隊員たちは、コマンドルームを後にしていく。
だが、最後の最後に隊長の乱堂だけは立ち止まり、コンクリートの床に突っ伏した只野に向き直った。
「只野。お前の報告書な、αに同乗してた三奈元の報告書をコピーしてちゃちゃっとお前の分にしとくから、な。はいお疲れさん」
その優しさが、一番痛かったのだと言う・・・
只野が崩れ落ちる時のSEのイメージはあれです、昭和のウルトラシリーズで首チョンパされた怪獣がゆっくり倒れる時のあの音です。