2009年6月4日
「いやー終わった終わった」
「もう上は完全に梅雨入りしてましたねぇ」
掃討任務を終え、肩を回しながらコマンドルームに入る紗希に垣原が続く。
世間はすっかり早めの梅雨模様であったが、外気温に左右されない最新科学の結晶であるスペシャルスーツに身を包み、常に快適な気温と湿度が維持されているフォートレスフリーダムに居を置くTLTのメンバーには蒸し暑さや不快指数などどこ吹く風であった。
「メットとスーツに感謝だよねぇ、年がら年中快適快適」
「ホンマそれですよね」
にこやかに紗希に同意した垣原が、4人分のコーヒーを手早く用意しそれぞれに配した。
残りの一人である乱堂隊長の分はというと、持参した水筒からこれまた持参したカップに紅茶を注いでいるため、必要ないのだ。
「よーしお前ら―反省会するぞー」
「部活みたいに言いますね」
一口すすり、よしとばかりに笑顔を浮かべた乱堂が声をかける。
垣原の言うように、その口調やトーンは戦闘部隊の隊長というより運動部のコーチのそれであった。
「まずは・・・今年に入ってのビーストの出現状況なんだが」
「今日を含めて、出現範囲が一都六県に放射状に広がってますね」
コマンドルームのメインモニターに表示された立体グラフを乱堂が示し、香里が補足するように続けた。
「最近出動が増えてるとは思ってたけど・・・」
「去年の今頃と比べたら・・・1.35倍って感じですね」
紗希の呟きに、手元のノートPCの数字と比べて只野が答える。
「いつも思うんだけどさ、1倍だと変化なしで2倍だと2倍なわけじゃん?小数点以下の35ってピンとこないんだよね」
「え、いやそう言われても・・・」
思いがけない返しを受けた只野は、目に見えて狼狽えた。
乱堂が苦笑しながら助け舟を出す。
「三奈元、お前授業で先生困らせるタイプだな?」
「まあ数字が苦手って事は否定しませんけど・・・例えばですよ?分数の割り算とかを頭の中で想像してくださいよ。リンゴ5分の2切れを3分の2人で切り分けたら・・・って」
「ふんふん」
少しばかりへそを曲げた紗希がそれでも・・・と言い募る空気を見せたので、乱堂と只野はとりあえず聞く体制を取る。
「それってもうスプラッターな想像しか浮かばないんですよ。真ん中から引き裂かれた死体がリンゴ2切れを手に・・・」
「ははは・・・」
「やめてよ気持ち悪い」
不慣れな愛想笑いを浮かべる只野と、顔を顰める香里。
そんな中、乱堂だけはニヤッとしながら続けた。
「まるで占星術殺人事件だな」
「なんですかそれ?」
穏やかではない単語に、垣原が食いつく。
「昔の推理小説だよ、6人の若い娘のバラバラ死体が見つかって・・・」
「うわおもろそうっすね」
「島田荘司ですね」
「おっ、話せるねえ只野」
「脱線が過ぎます隊長」
自分の頭や足を手刀で切るジェスチャーをしながら楽しそうに解説する乱堂に、香里がすかさず待ったをかけた。
「あーあ先生に怒られた」
「誰が先生ですか」
悪びれる様子のない乱堂を、香里が眉間に皺をよせ制する。
このような『副隊長に小言を貰う隊長』という構図はレッドトルーパーの日常のひとつである。
「まあ、微増傾向にあるのは間違いないわけだ」
「原因は?」
「わからん」
より分かりやすいグラフに画面を切り替えながら乱堂が続けた。
途中挟まれた只野の問いに、乱堂は本当にわからないとばかりに肩をすくめる。
「あと残念なニュースがもう一つ。
隠密組織という都合上、小隊規模のごく少人数で構成されているTLTの特殊任務班。
それが災いしてか、たった一名の欠員でも支障は出るようで、他のユニットがカバーに回る機会も相対的に増えていた。
しかも厄介なことに、その欠員というのが隊の副隊長だったのである。
そんな事情もあって、新たな副隊長の選定やフォーメーションの立て直しなどで
「あっこも欠員出て長いですよね」
「でも補充要員の選定は進んでるらしいよ」
「どこ情報っすかそれ」
「秘密。守秘義務です」
「そこ、ギリギリの発言禁止。続けるぞ」
垣原と紗希の私語に注意する乱堂だが、内心では『早く平常運転に戻ってくれ』と思っているので、内内に噂されている補充要員の件が事実であることを願ってやまない。
「じゃ東條、今日のビースト出してくれ」
「はい」
「うわっ」
乱堂の指示によってモニターに大写しにされたスペースビーストに、只野が思わず声を上げた。
「あれ、もしかして只野さん虫ダメな人?」
「生理的に・・・はい」
目ざとく珍しい様子の只野に紗希が声をかけた。
モニターから微妙に視線を外した只野が頷く。
先程現場でさんざん見たとはいえ、アドレナリンが漲った戦闘中に薄暗闇の中で動き回る標的と対峙するのと、こうして落ち着いて明るい照明の下まじまじと見つめるのではやはり受ける衝撃が段違いであったらしい。
「男子って基本虫が好きなんだと思ってた。カッキーは?」
「まぁ、虫型ビーストは別やとして、基本日本の虫って小さいでしょ。平気ですねぇ」
「いや僕もハエとか蝶は大丈夫なんですよ。でも一定以上大きいと」
垣原の言に続けるように、只野が語気を強めた。
自分はそこまで臆病ではないと言いたげな様子に、紗希は苦笑してしまう。
「あーたしかに海外の虫ですっごいのいるもんね。あれはあたしも無理かも。隊長はどうですか?」
「ガキの頃ちょこっとマレーシアにいたことあるけどな、こっちで言うナナフシっているだろ」
「枝に擬態するやつですよね」
「平気で30cmオーバーのあれがゴロゴロいたなぁ」
「それはホンマの枝ですやん」
両手で巨大ナナフシのサイズを示す乱堂に、只野は勿論他の三人もさすがに顔を歪めた。
「掌ぐらいあるバッタとかな。それで慣れたなぁ」
「やめてくださいよ隊長」
眉をすっかりハの字に下げた只野がストップをかける。
「まぁ、確かに大人になると触れなくなる人も増えますよね」
「環境もあるんじゃないか?」
いい加減に不憫に思えたのか、柿原がそれとなくフォローを入れ、続いて乱堂も気を使って只野に声をかける。
このままへたに続けて彼の地雷を踏みたくないわけでは決してないはずである。多分。
「・・・ええ、両親とも虫嫌いがすごくて。母がヒステリックにゴキブリを叩き潰す光景込みで嫌いになったんだと思います」
「やっぱ環境が大きいんですねぇ。海外とかやと鈴虫の鳴き声がノイズに聞こえるとか言いますもんね」
「あれぐらいならいいけど、日本のセミの大合唱は慣れるまできつかったな」
「わかります!特に真夏に重い荷物抱えてるときとか!黙れセミ!って思わず声が出た時ありましたよ」
「一週間の短い命やのに黙れはかわいそうですよ」
「それは人間の飼育下での観察の平均であって、野生だと一月は生きるっていうよな」
もはや画面に大写しのままのスペースビーストを・・・
いや只野をそっちのけで、乱堂、紗希、垣原による虫雑学・虫エピソード・虫あるあるの発表会のていである。
「もうやめませんか虫の話は」
「あー!そういえば今日って6月4日ですよね!虫の日じゃん!」
「語呂合わせ?好きだねぇみんな」
只野の心からの言葉に、我が意を得たりとばかりに三奈元が声を上げ、乱堂が茶化すように続ける。
実をいうと只野の言葉には『そろそろ副隊長が怒りそうなので』という言外の意図もあったのだが・・・
「はい、只野君の言う通りまた脱線が過ぎます!映像続けるわよ!」
時すでに遅し。まるで生徒を叱りつける教師のようにピシッとよく通る声がコマンドルームに響き渡った。
そんな一喝が効いたのか、しばらくは大人しく現場での各自の状況判断や動きを検証しつつ反省会は進んだのだが・・・
「なんかこのビースト只野を狙ってないか」
「やめてくださいよ隊長」
不意に、只野のヘルメットに内蔵されたカメラの映像を確認していた乱堂が声を上げた。
また虫の話を蒸し返されるのかと、只野はすぐさまそれを否定する。
「確かに、我々から攻撃を受ければそちらに向かってますけど、出てきた瞬間は示し合わせたみたいに只野君に向かってますね」
「僕が前衛だったからですよ」
「いやでも、しばらく後の映像でも僕やなくて只野さんに向かってますけど」
「ホントだ。こんなのはじめて見たかも」
しかし、香里を筆頭に垣原も三奈元もその映像に同じ感想を持ったようで、乱堂に賛同するようにモニターを凝視していた。
「犬ってさ、『あ、こいつ犬嫌いだ』って雰囲気を察して人に吠えるっていうよな」
「じゃあこのビーストも只野さんの虫嫌いを感じ取って攻撃を?」
「うーん、ビーストに関しては分かってることの方が少ないからな」
ぼそっと呟いた乱堂に、まさかという表情で紗希が疑問を呈する。
スペースビーストの発生や生態に関する情報は、実際問題として組織の末端・・・それこそ戦闘部隊にはほぼ共有されていない。
戦闘部隊に求められるのは、立案されたビースト掃討作戦を粛々と実行することのみ。
これを害虫駆除業者に例えれば、TLTは駆除業者そのものであり、戦闘部隊とはそのさらに下・・・駆除に使用される殺虫剤であると言える。
害虫の詳細を知る必要があるのは業者自体であって、殺虫剤は考える必要がないということだ。
「実際なんなんすかねこいつら、捕獲とかできないんですかね?」
「一回北米本部で試みたらしいけど、えらいことになったって聞いた」
「うわー・・・」
所詮俺たちは殺虫剤だ・・・という言葉を一人胸にしまった乱堂が、皮肉気な笑みを浮かべつつそう言葉を区切った。
そこからは、香里からの三度目の雷が落ちる前に乱堂がそれとなく軌道修正して事なきを得た。
その後、今回の出動の総括や複数体の目標に対するフォーメーションの再確認、諸々の連絡事項などが伝えられ反省・・・ミーティングはつつがなく終了した。
「今後も出動回数は増え続けると予想されるから、全員気を引き締めてくれ。以上、解散」
さっと居住まいを正した乱堂の言葉を受けて、それぞれ席を後にするレッドトルーパーたち。
彼らが身を置く日常に、終わりなき戦いという暗雲が影を落とそうとしていた。
「只野さん、さっき隊長が言うてはった本なんですけど、作者の名前なんでしたっけ。今でも売ってますかね?」
自室に向かう只野に、小走りで追いかけてきた垣原が声をかけた。
「ああ・・・あの本。良かったら貸しますよ。こっちに持ってきてるんで」
「ホンマですか!ありがとうございます!」
『自分の何気ない発言を覚えてくれていたのか』と只野は嬉しくなって、本の貸し出しを快諾する。
只野のような少し気難しいタイプの年上の懐にすら、持ち前の真面目さですっと入ってしまう才能が垣原にはあった。
それからしばらく、垣原からの本の感想を秘かに楽しみにしていた只野だったが、彼の第一声が「これ金田一少年で似たようなトリックありましたよね?」だとは、今の只野には知る由もなかった。
TLT隊員の皆さんは基地に帰投後はどういう手順でコマンドルームに戻ってるんでしょうね。
現場を別班まで立ててあれだけ念入りに処理してるんだから、隊員も帰投後は除染ルームとかで全身洗浄ぐらいしてるんでしょうか。