はるか先生の家で不定期に開催されるクラフトビールを持ち寄る会、通称ビール会。
今回も酔ったはるか先生と観音さんにこってり絞られたのは先に書いた通りだけれど、白状すると、わたしも色々とやらかしていたのだ。
あまりに被害者ぶっているのもバランスが悪くて、よろしくない。というのも、よくよく考えてみれば、わたしの歪んだ復讐心は、ビール会という場においてはゼロサム的、あるいは両成敗的な意味で満たされていたと気付いたのだ。
だから以下に記すのは言い訳ではなく、わたしが一矢報いた証である。
―――
はるか先生の家にお邪魔するときは、当初の目的以外に何か土産話がないか、平たく言えばネタになるものがないか考えてしまう。
成功に至ったクリエイターであるはるか先生や観音さんのような人たちは常日頃から良いものは手に入るし、誰かが持ってくるに違いないので、わたしのような素寒貧が懸命に何かを用意しても大して響かない。
ゆえに、わたしは足りない知恵を絞って、いつも何かないだろうかと探し回っている。とはいえ貧すれば鈍する、教養は然るべき投資によってもたらされる世知辛いものであるから、空雑巾を絞るのと同じこと。観音さんにはたびたび「どうしようもない」「ロクでもない」思いつきの判を押されて日夜まくらを濡らしていた。
して、今回はアフタヌーンティーを思いついたのだ。藪から棒だけれども、わたしの思考の遍歴を辿ればゴミ箱に直送すべき数多のひらめきよりは、幾分マシなものだと理解してもらえるはずだった。
わたしは前々からアフタヌーンティーに憧れていた。それも英国式のちゃんとしたやつに、だ。世間でヌン活などとエジプト発なのか昭和レトロの聞き間違いなのかわからない風変わりな語感の言葉が編み出される前から、ずっと憧れていたのだ。
食事、飲み、映画、カラオケ、旅行。ほとんど一人で行けるし、むしろ誰かと一緒より気楽で、それらには全く心理的障壁の感じないわたしであっても、アフタヌーンティーをソロで敢行する勇気と無神経さは持ち合わせていなかった。
そもそもヌン活云々は、お喋りのためのお茶会が発展してできた文化であるはずなので、一人きりで黙々と食べ飲み進める類のものではない。
もし一人で突入などすれば、有閑マダムたちがのろのろカチャカチャしている間に、わたしはものの30分でかわいらしい茶菓子だかスコーンだかの載った3段タワーを食べ尽くしてしまい、紅茶のおかわりをもらう余裕などなく、しどろもどろになりながら会計を済ませ、近場の昼から空いているビアバーに駆けこんでやけ酒に走ることになるだろう。想像するだけで滝汗なのだ。
しかし誰かを気軽に誘うには、少々ニッチなシチュエーションに思えてしまう。わたしは、お茶会にでも行きませんことオホホと扇を広げるタイプでは断じてない。酔いに任せて、なんとか人付き合いをこなしている人間未満に過ぎない。まひろに、ああ見えて内面はずっとお嬢様のまひろに頼るのもシャクなので、ずっと切り出せずにいた。
そうやって憧れを悶々と溜め込んでいたところ、SNSで面白いものを見たのだ。
酒カスアフタヌーンティーというやつだ。お皿を重ねられるケーキスタンドだけを用意して、お酒の肴になる好きなモノばかりをいっぱいに並べて宅飲みをする、そういった趣向だった。
これだと思った。まさにビール会にうってつけじゃないか。酒カスという名称の品のなさはどうしても好きになれないけれど、気取らないアフタヌーンという意味では悪くない。
ヌン活などといった、手の届かない文化を自分たちの土俵まで引き下ろして我が物顔で踏み荒らそうとする不純な意図の感じられない、ただただ「わたしたちだけで、わたしたちのできる範囲で楽しもう」という素朴な、地に足のついた肯定感が酒カスにはある。
さっそく通販で折り畳めるスタンドを購入し、バックパックに詰め込んだ。
ビール会当日。大量のビールを背負っていながら、それでも手ぶらで行くわけにはいかないとの思いに駆られて、わたしは食べ物を調達するためにデパートに向かった。
この日は催し物フロアにて北陸にフィーチャーした特設会場が組まれていたため、日本有数の酒どころであれば、良いアテが見つかるに違いないという魂胆だった。
物産展などの情報をホームページにロクに掲載しようとしないのはデパートの策略に違いないが、これも一期一会。その策略に乗ってやろうと、着物にカリマーのバックパック、物々しい出で立ちで会場内を歩き回る。まずは偵察に一回り。
どれもこれも美味しそう。事前に観音さんから聞いていた好みのメモを見ながら、目についた良さそうな食べ物を片っ端から買いあさる。
手始めは、北陸は富山の名産品の雄、白海老の天ぷらだ。ショーケースの中には薄黄色に揚がった白海老がこんもりと、山のように積み上がっている。
どれくらいの量を買おうかと悩みながら、お店の前でウロウロしていると、3つのパックを買うとホタルイカの天ぷらを付けてくれると声がかかった。
ホタルイカを天ぷらにするのは、聞いたことがなかった。人を選ぶ食材ではあるので、観音さんはたこと同じで好きじゃないかもしれないけれど、いいや。これ幸い、わたしが食べたいから買っちゃおう。
お寿司。お寿司もいいなあ。マスなんて北陸感があって惹かれる。最近になってようやく、わたしも酢と魚の相性を理解し始めたところだった。でもさすがにマス寿司ともなると、酢の主張が激しいからクラフトビールとは相性が悪いかもしれない。香りの問題もあるし。
マスは諦めて定番の鯖にしよう。明太子入りの鯖寿司なんてものもある。これと穴子でご飯ものはクリアだ。
お次は山賊揚げ。でっかい唐揚げにしか見えないし、実際にでっかい唐揚げの範疇ではあるものの、スパイスがきいていて美味しいんだよねえ。冷めても美味しく食べられるから、宅飲みの強い味方でもある。もちろん買いだ。
売り場のお姉さんはパックにぎちぎちに詰めてくれた。量り売りだから別にお得でもないけれど、そこはご愛嬌。唐揚げなんて、いくらあってもいいからね。
取り敢えずこんなものかな、と会場から出ようとすると、何かとても目を引く、「私ちょっとしたものですよ」などと主張してくる食べ物があった。
こぶしくらいの大きさで、表面はあぶらあげのような質感。ぷくりと膨らんだ巾着のようで見るからにふわふわしていそうで、しかし中身は何が入っているんだろうという期待を抱かずにはいられない。札を見ると「しんじょう」と書いてある。練り物屋さんだった。
わたしの知っている「しんじょう」は大抵がレンコンやシイタケのはさみ揚げであって、それらには似ても似つかない。点心のような愛らしい見た目にわたしはくぎ付けになった。たまらず人数分、えびしんじょうを買ってしまった。
はるか先生はいつもと変わらない笑顔で、両手背中に荷物がいっぱいの、既に満身創痍のわたしを迎えてくれた。
「相変わらず、すごい荷物だ」
驚きよりも安心、もう慣れっこと笑う。
先生がわたしの奇行に慣れたことが、とても嬉しかった。他人の家、それもはるか先生の家に入ることに緊張感は抜けないけれど、慣れが生じるほどに関係が継続できていることが嬉しいのだ。ふところに入れてもらえたような気がして、あったかい。
観音さんはまだ着いていないようだった。と、連絡も寄こさずに先に着いていたまひろが、奥から顔だけ出して覗いてくる。こちらはまたやってるよと言わんばかりの苦笑いだ。
「引っ越し?」
「引っ越しなら、こんな荷物ではすみません」
軽口に軽口で返しながら、バックパックからビールやら何やらを引っ張り出す。
初めてのビール会では冷蔵庫に一旦入れさせてもらっていたけれど、次々に取り出すためにはそれでは速度が足りなかった。はるか先生や観音さんのグラスの空き加減を確認しながら、話の流れの間にビールを注ぐには、キッチンへ行ったりきたりでは遅すぎるのだ。
だからビールは長時間の使用に耐える専用の保冷バッグ2つに分けて、手元に置いておく。これがまたかさ張るのが悩みの種なのだけれど、ビールをカードのように切って場に出す楽しさに比べれば、運搬の苦労なんて些末なことだ。
ビールの準備が済んだので、デパートで仕入れた食べ物をテーブルへ並べ始める。
途端にまひろは一言。
「茶色」
「うわ、ほんとだ」
思わず声が出た。買っている時は全然気が付かなかった。本当に全部が茶色だ。徹頭徹尾、何もかもが茶色だった。男子高校生のお弁当だって、ここまで茶一色じゃないはずだ。
「でも、わかるなあ。全部おいしそうだもんね」
はるか先生のフォローが入るも、まひろはけらけらと笑いながら写真を撮っている。
さっそく雲行きが怪しくなった。が、この色はどうすることもできない。わたしという列車は走り出してしまっていて、止まることはもう考えられなかった。
その勢いのまま、ケーキスタンドをすっと取り出すと、
「「何これ!」」
二人とも驚いたのか呆れたのか、その両方か、上ずった声をあげた。
わたしは事前に準備していた言い訳、アフタヌーンティーに行ってみたいけど一人ではいけないから酒カスアフタヌーンティーで代用するためにスタンドだけ持ってきた、とこんこんと説明する。
我ながら、なんて遠回りで七面倒くさい女なのだろうか、わたしは。
「そんなわけで、お皿だけ貸してもらえませんか?」
「いいよいいよ、待ってて」
はるか先生は笑って少し涙目になりながら、お皿を探してくれる。
まひろも「何考えてんだか」と、なんだか見透かしたような顔。
段取りが悪いなんてわかってるよ、わたしだって!
でもこれしか思いつかなかったんだから、仕方ないじゃない!
「ごめんね、丸いお皿があんまり見つからないかも」
はるか先生がキッチンでごそごそしながら声をかけてくる。
「大丈夫です、大丈夫です!紙皿でもなんでも、載せられればいいので!」
わたしはもうヤケだった。もとより英国紳士淑女の優雅さなどとは無縁だったのだ。
なんとか見つかった1枚の丸皿と1枚の紙皿をそれぞれスタンドの下段と中段に差し込み、一番上には最近ご活躍のせいろに登壇してもらった。食べ物を受け入れる前から、ケーキスタンドは奇怪なオブジェと化していた。
「ちゃいろ、ぜんぶちゃいろ」
まひろはからかうように耳元で繰り返しささやく。
「いいの。本物のアフタヌーンティーじゃないんだから、酒カスアフタヌーンティーなんだから、ほらこうやって盛り付ければ!」
わたしはカンシャクを起こす寸前の状態で、茶色に染まった酒の肴を流し込んでゆく。
一番下は山賊焼きだ。ごろごろと紙皿へ唐揚げを放り込む。空いたスペースにはホタルイカの天ぷらも入れてしまえ。
中段は白海老の天ぷらを、パックから移して。
「うっ、入らない」
3パック分も買ったどこかのバカ者のせいで、スタンドの中央は海老、海老、海老で埋め尽くされてしまった。それでも入りきらなかったので、諦めて脇にパックを置く。なんのためのスタンドなのだろうか。
ごくりと誰かの喉が鳴る音がした。誰かではなく、その場にいる3人全員だったかもしれない。目の前で繰り広げられるわたしの突貫工事に、いつの間にか、まひろでさえ静かになっていた。
上段のせいろにはキッチンペーパーを敷いて、しんじょうのカタマリを4つ。これだけ見れば、ごま団子とかの点心に見えなくもない。いや、わたしには見える。これは点心です。点心がアフタヌーンティーの頂点に座する所以は知りません。知るわけない。せいろのサイズがスタンドに対してちょうどギリギリで、無事にしんじょうを取り出せるのかわからないけれど、なんのこれしき。
「これで。か、かんせい~」
なんとか酒カスアフタヌーンティーのタワーが完成した。
ぱちぱちとわたしだけの拍手が響いて、悲しい。
「わ、わあ~い」
やや遅れて、はるか先生が悲鳴のような歓声をあげる。悲鳴のようなではなく、悲鳴だったかもしれない。まひろは神妙な面持ちで、明らかに吹き出すのをこらえていた。
上から下まで、全てが茶色のタワーだった。このケーキスタンド、ケーキはどこにいったのか、スタンドだってまさか揚げ物だけを抱えることになるとは思っていなかったに違いない。
加えて、光の加減がどうにも悪かった。中段と下段は、その上の皿の陰がかかってしまって、茶色が輪にかけて暗い色に見える。まるで食欲をそそらないのだ。光と陰は構造的に物理的な問題で、わたしのせいではないはずだった。ひどいサギじゃないか。
「これはアフタヌーンティーって言うより、中華の丸テーブルを重ねたみたいだね~」
はるか先生がフォローになっていないフォローをする。
「紅茶文化も中国由来みたいなものですからね」
わたしはもう何が何だかわからなくなっていた。
「揚げ物のミサイル」
まひろのこぼした言葉がわたしの胸に深く、深く突き刺さった。
そうだよ!わたしはアフタヌーンティーどころか酒カスアフタヌーンティーさえ満足にできやしない!何がヌン活だ、ちくしょう!散々だった。この惨状をどうにかしたくても、どうする方法も思いつかなかった。
こうなるとSNSで見かけた酒カスアフタヌーンティーだって、酒に狂った酒カスの受忍的なメンタリティによるものではなく、写真映えに囚われた、気取った淑女たちのオホホ的思想が巧妙に隠された丁寧な暮らしの産物のように思えてくる。きっとそうなのだ。
恥と憎悪に燃えるわたしは、もはやアフタヌーンティーの計画なんてなかったことにしたいのに、これでもかと盛り付けてしまったから片付けるわけにもいかない。
おかげでビール会では、この揚げ物で出来たバケモノが机の上に最初から最後までずっと鎮座し続けることになった。わたしは自身の浅薄さの象徴を目に焼き付ける刑罰を喰らったのだった。
遅れて駆け付けた観音さんはこのバケモノを見るなり、眉をひそめて
「これは何の儀式かな?」とつぶやいた。
儀式!ああ、まさに。
これなるは数千年の時を経て原初の神ヌンを再び顕現せんと欲する我が一族の悲願が遂に現世に揚げ物の姿を借りて受肉した一柱なり。
恐れたまえ!敬いたまえ!決して、トーテムポールやミサイルではないのですよ。決して。
わたしは何も答えなかった。
ヌン活の成れの果ては、その威容、異様も相まって嫌でも目に入るせいで記憶から消し去ることは叶わなかったのだけれど、それでも気を取り直して、ビール会の開始を宣言する。
本日はお日柄もよく云々の野暮な口上は必要ない。挨拶代わりに差し出すのは、今日持ってきたクラフトビール18種類のあれこれを記した、お手製のチラシだ。
わたしがこれまでに訪ねたビアバーのメニュー表を比較研究してこしらえたもので、皆の反応はともかくとして、自分ではなかなか気に入っている。今回はマンネリ化を避けたかったので、表紙もつけてコピ本風にしてみた。
ひと手間が、一瞥もされない可能性だってあるのにも関わらず、このひと手間がわたしはとても好きだった。
メニューがしっかりしたものに見えるほど、ビールに裏切られた時の落差も大きくなるはず。
自己満足に過ぎない、しかしエンターテイナーでありたいという密かな願望が込められていた。
「出た出た」と観音さんは端から警戒気味。観音さん、正しいです。
「それで、どれがヤバいビールなの?」
「10番くらいまではいいやつで、それ以降は次第にヤバくなります」
「ははあ、なるほど。ビールだけのコースメニューみたいになってるんだ!」
そう、スイーツだけのコースを提供するレストランがあると聞いて、それを真似したくなってみたのだ。ただ面と向かって指摘されると、途端に幼稚な猿真似のような気がして、咲いたかのように思えた自己肯定感は花開く前に萎んでしまう。
はるか先生にその意図に気付いてもらえて、嬉しくて気恥ずかしくて。
わたしは小さく「そうです」と答えた。
そんな牧歌的なやり取りをしている間に、観音さんはグラスを握って無言の圧をかけてくる。「とにかく、早く飲もう」の合図だ。
「最初から飛ばし過ぎないでね」
「ご安心ください。1本目はMonkishのジャーマンピルスナーです!」
「待ってました!」
一番槍は、ちゃんと美味しいものを。Monkishは熱狂的なファンが多く、入手が難しいことから幻とも称されるアメリカのブルワリーだ。2年ほど前から日本に上陸し、その際は輸入元のお店に長蛇の列ができるほどの熱狂ぶり。
今でこそ数カ月に一度のペースで入荷されるようになって落ち着いたけれど、ビアギークなら否が応でもテンションの上がる、そんな権威ある銘柄であるので、奇天烈なビールの隠れ蓑にするには都合がよかったのだ。美味しいと世間で言われているビールも一応、不純な動機で研究はしているのです。
「カンパーイ!」「うまーい!」
乾杯してしまえば、あとは普段の飲みと大差ない。4人で1缶を空けるので早い早い。まずは立て続けに、美味しいものを3本ほど注ぐ。
やはり思うのだけれど、まっとうに美味しいものは美味しいとしか形容しようがないので、ひとつひとつはあまり印象には残らないものだ。もちろん、わたしなりに妥協なく選んだものではあるから、「美味しい」の感想も嬉しい。
でも、それだけでは満足できない。わたしの奥底にある野心は満たされないのだ。4本目に入ろうとして、わたしは我慢できなくなった。そろそろ変化球が必要だ。
最初の変わり種、怒らせるほどのものではなくとも、でも面白いものを黙って注ぐ。
観音さんはわたしに辛苦ならぬ甘苦を散々と舐めさせられているにも関わらず、また今日も同じことが起きると理解しているにも関わらず、躊躇なく、空いたグラスを向けてくる。
これは信頼だろうか。あるいは、毒の盃をも飲み干してやるとの覚悟だろうか。
わたしはこれを挑戦と受け止めて、観音さんが口に含むまで黙ったままでいようと思った。
ナメられているのは、わたしの方なんだから。
しかしグラスに口を付ける寸前に
「これ!ちょっと変わっていると思います」
日和った。わたしはどうしようもなく日和った。いや、これは敗北ではないのだ。中身を明かしてもなお、驚かせることができるという自信によるものなのだから。自身に言い聞かせる。
「来たな」
観音さんは不敵そうに片眉をあげて一口。
「なんだこれ!」
はるか先生とまひろもどれどれと口を付ける。選んだのは烏龍茶の一種である武夷岩茶の入ったワイルドエールだ。強烈な酸味でありながら、日本人が慣れ親しんだお茶の香りで全体のバランスがとられていて、くどくはない。
「うんうん、始まったね広瀬君」
初手はまずまずの反応、飛ばし過ぎず、でも平凡過ぎないように。観音さんだってこれで「始まった」というのだ。かけられた期待には応えなくてはならない。
とはいえ、もちろん観音さんも無策ではなかった。わたしが繰り出してくるであろうビーンボールに抗すべく緊急用のビールや食べ物、茶色ではない、枝豆やサラダなどを持ってきていた。
「どうせ広瀬君はロクでもないものしか持ってこないからね」
はいはい、そうですよ。特に今回は何も言い返すことができなかった。わたしの不名誉なロクでもない歴史に、アフタヌーンティーのバケモノが堂々たる1ページとして刻まれたのだから。
気を取り直して、まったく気を取り直してばかりだ。ビアギークにもファンの多い愛知のブルワリー、Totopiaのサワーを取り出す。
「これ桃のサワーIPAなんですけど、ユイ先生も絶賛してましたよ」
「ユイ先生、桃好きだよねえ」
「確かに桃だ。でもちゃんと美味しい」
わたしは今でもよくわかっていないのだけれど、クラフトビールにはサワーと称されるものと、サワーIPAと称されるものがある。後者は前者よりもビール感が強く、ホップの華やかさとフルーツ感が酸味によって繋がっているものを指す、のだと思う。
実際のところは、よくわからない。醸造体験に行ったブルワリーでは、醸造する人の匙加減次第で呼称はいかほどにも変わる、とのことだった。作家が自分が書いたものを小説と呼ぶのかエッセイと呼ぶのか、随筆と呼ぶのか、みたいなものかな。違うか。まったく、背伸びなんてするものじゃない。
とにかく観測できる範囲では、サワーIPAは普通のサワーよりもIPA寄りで、酸味に並行して苦味があることを示しているようだ。純粋な甘党でありスムージー信者のわたしにとっては、甘さに期待すると裏切られるだけに、サワーIPAという分類を敵視していたのだけれども、これは美味しかった。
そう、この桃のサワーはスムージーにつなげるための前準備なのだ。一気に沸騰させて逃げられるのは避けなくてはならない。じわじわと、わたし好みの温度にまで徐々に上げて、わたしの思う「美味しい」を理解してもらいたいのだから。
観音さんはわたしの意図を知ってか、迫りくる危機に備えるべく、ドイツパンを取り出した。
一切れもらう。少しかためで粒感が残る歯ざわりに、口に入れた時の酸味と噛み締めるたびに出てくる甘みで二度も三度も美味しい。口直しにも腹ごなしにもちょうどいい。
はるか先生も関わるあの作品のおかげで、異文化の食事に対する興味の幅はとても広がった。このパンもそうだ。コンテクストが食を豊かにする。ビールも、そうだよね?
「これもビールのようなものだよね」
「食べるパンと飲むビール、はたまた食べるビールか飲むパンか」
はるか先生も好物にありつけて嬉しそうだ。
「ちょうど飲むパンをお持ちしました!ドッペルボック!」
「すばらしい、ぜひ飲もう!」
麦茶のような濃いカラメル色がグラスに注がれる。
「ドッペルボック?」
「麦芽がラガーの倍入っているボックです」
「いわゆる修道士系のビールだよ。2倍入っているからドッペルなのさ」
「なるほど!確かにこれはパンを飲んでるみたい」
はるか先生はドイツ感のあるビールがお好きで、観音さんがドイツパンを持ち寄るとも聞いていたから選んでみたけど、運がよかった。まさに僥倖だった。
こういうので、いいのかもしれない。
ビール会のビールは何も特別に変てこなものである必要なんかなくて、こうやって気付きがあって、食べ物と併せられて、楽しくて。
「私これ飲んでみたい!」
思いもよらず和気あいあいとして、わたしがますます日和りに傾く中、大人しくしていたまひろが急に声をあげた。
彼女が指差したのはスムージーサワー。今日のために用意した、とっておきのひとつ。
いけない。危ないところだった。なにを弱虫めいたことを考えていたのだろう、わたしは。
美味しいだけじゃダメなのだ。楽しいだけじゃ、ダメなのだ。
だいいち、ドッペルボックはたまたまうまくハマっただけで、当意即妙に会話の流れを察知してビールを用意するなど、無理な話なのだ。わたしの性にだって合わない。嫌われたくないのに、嫌われるようなことをして、関係を試す。それがわたしなのだ。
助かった!まひろが言ってくれなければ、手の届かない妄想に身をゆだねるところだった。
ありがとう、まひろ。直接は言わないけれど。
わたしたちに遅れて、はるか先生と観音さんはメニューに視線を落とし、露骨にイヤそうな顔をしてみせた。
「打ち間違いだと思うのだけど、ソフトクリームって書いてない?」
「いいえ、間違っておりません。ソフトクリーム入りのスムージーサワーです!」
熊本天草に日本最西端のホップ畑を有するAMAKUSA SONAR。わたしの大好きな甘いスムージーをいっぱいリリースしてくれるブルワリーで、今回も直接お取り寄せしたのだ。
グラスを遠ざけようとする二人を遮って、無理矢理に注ぐ。
ラ・フランスと数種類のフルーツ、そしてソフトクリームが入った黄白色の液体は、スムージーの名に恥じず、ドロドロとして超濃厚。フランスで愛されるトンカ豆で香り付けされていて、シナモンや杏仁豆腐に似た甘い香りが漂う。
「これ美味しい!すき!」とまひろは絶賛。
はるか先生と観音さんも恐る恐る口を付ける。
「うん、意外というか、これは美味しいね!」
はるか先生もうなずく。意外は余計ですよ。
観音さんも小さくうなりながら、満更ではない様子。
「美味しいですよね?」
「これはビールではない。ビールでなければ、美味しいは美味しいね。チャイとかラテとか、ああいったものに近い」
よおし。わたしは腕まくりして一安心する。ここのビールは本当に好きで、ぜひ飲んでみて欲しかったから。しかしここで油断してはいけない。まだまだ後ろは控えているのだから。
甘系が続くと飽きられてしまうので、観音さんが好きなヘイジーを挟む。ここまでは悪くない雰囲気だ。と、またしてもまひろが悪魔のようにささやいてきた。
「そろそろスゴいの行こうよ」「行っちゃう?」
そう言われたら仕方ない。まひろの言う通りで、さっきのスムージーは確かにわたしの推しではあったけれど、スゴいビーンボールではなかったのだ。
わたしは埼玉からの刺客を解き放った。
「こちらはヒノキのサワービールです」「ヒノキ!?」
皆何を言っているのかわからないという顔で油断してごくりと飲み込む。
「なるほどね、確かにヒノキだ」
しばし味わうと
「ちょっと待って!これはキツい!」
ヒノキが後から猛烈に押し寄せてきた。
「これ飲んでいいやつ、飲み物なの?」「これはひどい」
ヒノキは一切の妥協なく、情け容赦なくヒノキだった。
樽酒の樽の部分。
あるいは檜風呂のある大浴場そのものが口の中に現れたような、ヒノキの木をかじったような、いや、ヒノキそのものを食べてもこうはならないくらい、どうしようもなくヒノキの味だった。
観音さんは目を白黒させて無言になってしまった。怒る一歩二歩手前くらいだろうか。
はるか先生は思い切りのけぞった後に部屋から消えて、何かを持って戻ってきた。手にしていたのは、どこかのお土産らしい、ヒノキで香り付けされた精油だった。
観音さんと同様にはるか先生も静かになってしまって、責任を取れといわんばかりに、精油をぐいと押し付けてくる。わたしは物言わぬ圧に観念して、手の甲にすこし出してかいでみる。
うん!すっごい同じ香り!
「これはどうやって飲むものなのかな?一体全体、ここにある何を一緒に食べればいいのかな?」
観音さんは困惑と怒りのあまりか、おかしな口調になっていた。
わたしが手の甲に鼻を近付けたり遠ざけたりしながら、
「この精油をかぎながら飲むとちょうどいい感じですよ」と返すと
「小娘が!この小娘が!」
キレた。観音さんの隣にいたらひっぱたかれていたに違いない。まひろだけは大笑いしていて、わたしもつられて笑うと、観音さんはさらに睨んできた。
わたしは以前にも、同じブルワリーのヒノキサワーを飲んだことがある。あったはずだ。今回持ってきたものは3rdバッチと銘打たれていて、中身も変わっているらしい。しかし、ここまで強烈だっただろうか。
「広瀬君にはヒドいものを飲まされてきたけれど、これはワースト3に入るね」
「最下位じゃなかったんですね、よかったあ!」
「この小娘が!」
観音さんはもう飛び掛かってきそうな勢いだった。
はっはっは、ざまあーみろ!とは声に出さず、わたしは平謝り。
たぶん、平謝りしていたと思う。
注がれたヒノキの凝縮された液体を、各自が懸命な努力で飲み切るうちに、乾いた笑いもすっかり収まってしまっていた。
「急に目がさめたよ」
本当にその通りで、はるか先生も観音さんも完全に目が据わってしまっていた。ここから、わたしに対する詰問が本格化したのだった。
残り少ない、ちゃんと美味しいビールを差し出しても機嫌はなおらず、アルコールのせいか追撃が止むことはなかった。
口直しと思ってサワーの名門が醸した、寒い季節にぴったりなリンゴタルトをイメージしたビールを開けたところ
「「ヒノキがよみがえった!」」
火に油を注ぐ始末。いやはや、ヒノキおそるべし。
もはやこれまで、ビールで遊ぶ余裕は残されていないかのように見えた。けれども、万事休す、わたしの在庫は残すところスムージー、スムージー、スムージーのみ。どうあってもヒンシュクは避けられない。
しょうがないので最後の力を振り絞り、残された中で最も強烈なスムージーを取り出した。
「ビールを開ける前にですね、まずこれをどうぞ」
わたしはバックパックをひっくり返して、赤い袋を3人に差し出す。
「これは、なに?」
「スキットルズだ!」喜んでいるのは例のごとく、まひろだけだった。
「まずはこれを食べてみてください」
スキットルズはマーブルチョコレートやM&M’sのようにカラフルな糖衣で肝油ドロップに似た食感のソフトキャンディーを覆った、アメリカではポピュラーなお菓子だ。
日本で流行っていない理由は、さもありなん。わたしが渡した赤い袋は、最もオーソドックスなタイプのスキットルズだった。
はるか先生は観念した顔で、言われるがままにキャンディーをほおばる。
「なるほど。とおってもアメリカの味だね」
観音さんはといえば、もう全身で断固拒否のオーラを放っていて、キャンディーには目もくれない。赤い袋を危険物のように指先でつまみ、はるか先生の方にそっと押しのけた。
はるか先生はアメリカアメリカとぶつぶつ言いながら、夢中でカラフルな粒を口に放り込み続けている。目がキマってしまっていた。何かあぶない成分が入っていたりしないのかなとさすがに不安になる。しかし観音さんをこのまま逃がすわけにはいかない。
満を持して、スムージーサワーの缶を開けた。
血のように真っ赤でどろっとした液体が注がれる。
「これはスキットルズを再現しようと様々なフルーツが混ぜられたスムージーなのですが」
「スキットルズそのものも入っています」
がっくり肩を落とした険しい顔の二人は置いておいて、まひろとまずは一口飲む。
「うわ、スキットルズの味だ!」
まひろは大はしゃぎだ。
うん、本当にスキットルズの味だ。スキットルズを溶かして、液体にしただけのようでもあった。特に緑の粒の、ライムのような人工的なケミカル臭が、怨霊のように飲むたびに湧き上がってくる。なぜ再現しようとしたのに、本物を入れてしまったのだろうと思ってしまったのはひみつ。
はるか先生はこのスムージーをちびりちびりと飲みながら、もはや強制されていないのに、スキットルズを食べ続けている。どこか頭の回路が故障してしまったようだった。
観音さんはなんとかビールには口を付けたものの。何も言わない。一言も発しようとしなかった。しばらくグラスとわたしを交互に睨んだ後、意を決したように般若の顔で一気に飲み干すと、とうとう自分で持ってきていたビールを開けた。
白旗だった。これは、白旗だ。
勝った!やったやった!やってやった!
わたしはとうとう降参させたのだ。わたしの勝ち!
が、かなしいかな、喜びも束の間、わたしの快進撃もこれまでだった。手の内をすべて明かし、弾を撃ち尽くしたわたしには、こけおどしの道具は何一つ残されていなかった。
怒りを募りに募らせていた観音さんは言わずもがな、スキットルズの衝撃から立ち直りリセット&リブートが完了したはるか先生と、味方だったはずのまひろまで加勢して、3人によってたかってなぶり殺しにされた。静かになるのは、今度はわたしの方だった。
そうしてビール会の、長い戦いが終わった。
試合には勝ったかもしれないが勝負には負けた。
いや、勝負に勝ったかもしれないが試合には負けた。同じことだ、どっちでもいいや。
ビールで好き放題に暴れて付き合わせた代わりに、わたしの自尊心は徹底的に、念入りに破壊し尽され、こなみじんになっていた。
これのどこが武功なのだろうか、まるでつり合ってないじゃないか。
お開きの空気になり、涙目になりながら敗走する中、最後の抵抗。そう、最後の抵抗に、残ったスムージーをこっそりと、はるか先生の冷蔵庫に忍ばせた。
これまでにも何回か、同じように先生の家にビールを置き去りにしていた。それがどうなったのかわからないし、聞く勇気もない。けれども、わたしにとって、これらのビールは爆弾であり、置き去りにすること自体に価値があった。
爆弾、時限爆弾なのだ。わたしが残したビールが爆発して、はるか先生の冷蔵庫を、家を、そして先生自身、すべてを吹き飛ばしてしまったら、まったく、それはさぞかし痛快だろう。
爆発しなくても構わない。はるか先生が油断して、あるいは今日のように酔っぱらって、中身に気付かずスムージーを開けてしまったら、そのびっくりした様子を想像するだけでも痛快なのだから。
しかし、わたしが置いてきたのはビールだけではなかった。驚くべきことに、わたしはあのバケモノと化した、ケーキスタンドの存在をすっかり忘れていた。目の前にあったのに、忘れることに成功していたのだ。わざとではないのです。本当です。
それでも、わたしと同じように尊厳を破壊されたスタンドが行き場なく、はるか先生の家でひっそりと息絶えていることを思うだけで、どこか顔がほころぶことは認めましょう。
(忘れもの 終)