藤真の所属する男子バスケ部は、新任の女性監督に率いられ、県中学校総合体育大会へ挑んだ。
女性監督はミニバス経験こそあれ、本格的な指導者としての実績はほとんどなかった。
指導者不足の末、後任として呼ばれた人物――それがチームの現状を象徴していた。
地区大会は藤真の活躍もあって辛くも突破し、県大会へ駒を進めた。
しかし、県大会二回戦。チームはわずかな抵抗もできずに敗れ去る事となった。
三年生は、その翌日から来るはずのない未来に背を向けるように静かに引退していった。
一年生で唯一のスタメンである藤真の獅子奮迅の働きはチームにとって―――孤立した光にすぎなかった。
そもそも藤真のいるバスケ部はチームとして崩壊していた。
八〇キロを超える体格だけでセンターを任された男は、指示の意図を理解せず、ただ惰性でスクリーンをかけに来るだけだった。
開く動きもなく、ピック&ロールは最初の形すら作れない。リバウンドではスクリーンアウトの概念すら曖昧で、ゴール付近に立つだけ。
結果、相手の長身センターの支配を許し続けた。
また、副キャプテンであるフォワードの自称“エース”は、常に右手を挙げ、ボールを要求し続けた。
パスを通せば即座に1on1を仕掛け、シュートを放つまでボールを保持し続ける選手であった。
読みの浅いドライブは高さに飲まれ、何度もブロックに沈む。
苛立ちを隠さず、無謀なアタックを繰り返し、タフショットを量産し、やがて手元が乱れ、トラベリングとダブルドリブルのターンオーバーの数を増やしていく。
ハーフタイムとなると、監督は静かに副キャプテンへ交代を示唆した。しかし、自信家である彼はうつむいたまま拒んだ。
「パスが悪い」「周りが動かない」など言葉の端々は、責任の矛先を常に外へ向けていた。
その態度に、チームは急速に冷えていった。
後半。彼がボールを失っても、戻る者はいない。ただ一人、藤真だけが守備へ駆け戻った。
勝利を捨てず、ただ走った。彼の放ったスリーポイントは十本に及んだ。だが孤軍は孤軍のまま、試合を変えるには至らなかった。
監督はついに決断した。藤真を残し、他の四人を下げた。そして、最後の思い出作りとして、ベンチの三年生全員をコートに送り出した。
体育館の空気は、敗色の濃さを超えて、どこか静謐ですらあった。
――湘北の赤木も、桜木や流川が入ってくるまではこうして孤独だったのだろうか。
藤真は、胸の奥に重さを抱えたまま、コートを後にした。中1の夏。チームは、あまりに脆く崩れた。
◆◆◆
夏休み。学習塾の夏期講習の初日。教室に入る前、藤真は声をかけた。
「今日からよろしく、花形君」
「……花形でいい」
短いやりとりだった。だが、その短さがかえって互いの距離を示していた。
――さて、なんとか同じクラスになったものの、どう近づけばいいのか。
藤真は、ふと気づく。自分には“気軽に話せる友”がいない事を。
これまでNBAを目指し、ただ努力を積み上げることだけを考えてきた。
練習、勉強、また練習。日々を埋めるのはただ一つ――バスケット。
仲間とは主将として接し、クラスとは一定の距離を保っていた。
しかし、自然とできたはずの“友”は今、片手で数える程もいない。
記憶を辿っても、他人とどう仲良くなっていったのか思い出せない。
気付けば隣に立ち、自然に話し、そして共に過ごす。
その曖昧な“過程”が、藤真には欠けていた。
――友達と呼べる相手が、今の俺にはいないのかもしれない。
静かに息を吐いた。思い返せば、気軽に話せるのは――あの叔父くらいだ。
豪快で、破天荒で、だがこちらの言葉には必ず耳を傾ける。
子どもの頃からよく食卓を囲み、藤真にとって良い話し相手となってくれた。
叔父との関係は、親しみというより、どこか対等で、奇妙に落ち着く距離だった。
とはいえ、藤真にはためらいもあった。
実家の広さ。部屋の大きさ。そこに点在する“自分の名を冠した応援グッズ”の数々。
それらを曝け出すことに、子どもの頃から慎重にならざるを得なかった。
服装、持ち物、価値観。些細な違いが、時に鋭い視線となって人を遠ざける。
生まれ変わる前に経験した理不尽は、その眼差しの冷たさを藤真に教えてくれた。
そして――心のどこかに刻まれた“差”という言葉。
――誰かが言ってたっけ。「友は作るものではなく、残るもの」だって。だけど、今の俺は“作る”ところすら踏み出せていない。
夏期講習の自習室。藤真はノートに言葉を綴っては消し、また綴った。静かな集中とは違う、どこか痛みを含む思考だった。
◆◆◆
夏が終わり、秋の大会。新チームは数年ぶりに県ベスト8へと駒を進めた。藤真が中心となり、練習は変わった。戦術も、意識も、練習量も。チームは、ようやく形を成し始めた。
ベスト4を懸けた試合。藤真は圧巻の40得点、10アシスト、10リバウンド、4スティール。
それでも―――勝利にはほんの少し届かなかった。ほんの数点の差が、彼らの前に立ちはだかった。
だが確かに、チームは強くなっていた。秋の全試合で、藤真は平均30得点10アシスト。一年生ポイントガードとして異例の数字だった。“埼玉の神童”――そんな噂が県内に広がるのも時間はかからなかった。
県選抜の選考会。藤真は一年ながら招かれ、そして選ばれた。練習に参加した初日。藤真は改めて県選抜のレベルの高さを思い知った。
――やりやすい。
カッティングの鋭さ、合わせの意図、判断の速さ。一つひとつの動きに、明確な“共通の理解”があった。自チームとの違いは、あまりに大きかった。
――違う。比べるために来たわけじゃない。ここで得たものを、必ず持ち帰って還元する。
そう決めた。ある日の練習後、ミーティングで県選抜の総監督が口を開いた。
「来月、近隣県との親善試合がある。実業団の前座という事だが、我々は本気で臨む」
短いざわめきが起こる。総監督は続けてメンバー表を配り始めた。
「相手は強い。だが、安心してくれ。スカウティングも済んでいる。まずは、自分のポジションと照らし合わせて確認してくれ」
藤真の手元に資料が届く。ページを捲る。視線がある名前の上で止まり――凍りついた。
「……っ」
隣からチームを束ねる2年生のキャプテンが声をかける。
「藤真? 知り合いか?」
答えられなかった。喉が締まったように言葉が出ない。
――知っている。いや、知らない訳がない。“俺”は、この二人を――。
目の前の文字が確かな現実として突きつけてくる。
【神奈川県選抜(男子)】
No.14 牧 紳一 1年 172cm/PG
No.15 魚住 純 1年 188cm/C
藤真の胸の奥で、静かな炎がゆっくりと形を変えた。
対峙するべき相手。避けられぬ宿命のように、二つの名がそこにあった。