母親の車で体育館まで送ってもらうと、入口でコーチと名乗る男性が待っていた。
母と軽くあいさつを交わし、大人同士の会話がひとしきり終わると、俺はコーチから更衣室の場所や練習前の準備――モップがけやリングの点検、備品の出し入れなど、このチームの“お約束”をまとめてレクチャーされた。
「じゃあ、練習終わったら迎えに来るからねー」
母が手を振って体育館を出ていく。
その背中を見送ってから着替えを済ませ、更衣室を出ると……コート前のガラス扉でコーチが腕を組んで待っていた。
扉の向こうでは、すでに何人かの子ども達がモップをかけたり、スコアボードを運んだりと、せっせと準備をしている。
初日は免除らしいが、次回からは当然のように参加するらしい。まあ、そういうのも“チームの一員”ってやつだ。
―――さあ、ここから始まるんだ。
少しだけ胸がざわつく。懐かしさと不安と、未来への期待が入り混じったような感覚。
コーチのあとをついてコートに入ると、「集合ー!」の号令が響き、子ども達が一斉にダッシュしてくる。
コーチが今日の練習メニューや注意事項を説明し、最後にこう言った。
「それと今日は、新しい仲間が増えます」
その瞬間、子ども達の視線が一斉に俺へ。
さっきからチラチラ見て、ひそひそ話してた数名はもうバレバレだ。
―――こらこら、ちゃんとコーチの話聞け。……あ、俺も今は“子ども側”か。
体育館へ来る道中で、俺はすでに色々把握した。
ここが“夢”ではなく“現実”であること。
家はどう見ても金持ちであること。
今の俺は小学二年生の男子であること。
そして、新聞の日付から、いまは――198X年4月。
そして極めつけは……
―――俺が、あの“藤真”だということ。
『SLAM DUNK』の人気キャラ。翔陽高校の監督兼選手。神奈川No.2。美形。カリスマ。
ただし、舐めプして湘北に負けたという不遇の歴史つき。
もちろん同姓同名の別人説も考えた。
だが――
―――なんか、“そういう感じ”がするんだよな。
根拠は皆無。だが直感が妙に確信めいている。
そして、胸の奥底にふつふつと湧いてくる使命感みたいなものが止まらない。
これは“転生”だ。
二度目の人生だ。
だからこそ俺は決めた。
藤真健司として生まれ直した以上、あの頃の後悔も挫折も、全部ひっくり返してやる、と。
現役時代に自分に見切りをつけた後悔。
社会人になって“忙しい”を言い訳に大好きなバスケを辞めた自分。
本当はもう一度やり直したかった。
今度こそ――
偏食しない。
睡眠時間は削らない。
体幹を鍛え、怪我をしない身体を作る。
トレーニングは三日坊主で終わらせない。
そして現代で学んだNBAの知識と戦術を総動員して、バスケ選手として大成してみせる。
―――俺が“藤真”であってもやるべきことは変わらない。
夢は――ブレずに貫く。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……NBA選手になります!」
将来の夢を問われた俺は、胸を張って言い切った。
当然、周りの子ども達は「えぇ……」「すげーこと言うな」という苦笑とざわめき。
コーチは人の夢を笑うなと注意はしたものの、その顔には「誰かが現実を教えねば」みたいな困った色が浮かんでいた。
―――まあ、言いたいことは分かる。現時点では無謀だよな。
プロリーグすらないこの国で、NBAだけは高すぎる壁。
日本人のNBAプレーヤーなんて、当時はもちろん一人もいない。
そもそもバスケは野球ほど人気がなく、競技人口も少ない。
オリンピックにも長く出られず、世界から見れば“バスケ後進国”だ。
―――さて、“夢はNBA”の俺は、どう育つのかね。
この場にいる子どもも大人も、誰もが「無理」と知っていた。
ただ一人――俺だけを除いて。
俺だけは知っている。
やがて日本にプロリーグが誕生することを。
そして未来には、日本人が“NBAのコートで本当に戦う時代”が来ることを。
しかも一人どころか数人も。
だから疑わなかった。バスケを“始めた”初日から、夢を見る資格が俺にはある。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
まずやるべきは“身体の操作”だ。
小学生の身体は軽い。使い勝手がまるで違う。
この身体に慣れるのが最優先。
次に、バスケの基礎を徹底的に磨く。
ドリブル、シュート、パス、リバウンド、ディフェンス、フットワーク……全部だ。
さらに“チームを知ること”。
どの戦力がどこに強みを持ち、どこを補強すべきか。
―――誰かが言ってたな。「配られたカードで勝負する」って。
要は、自分の手札を把握し、どこで勝負してどこを回避するか。
キープレーヤーは誰か。
その選手の得意・不得意。
チームが最も効率よく点を取れる形は何か。
平均得点・平均失点・高さ・速さ・接触の強さ……全部数値化して分析する。
もちろん、練習環境、コーチの指導方針、戦術、選手の勧誘が可能かどうか――
そういう“外的要因”も戦力だ。
―――そして何より、“手札を知る”ことが最優先。
孫子曰く「彼を知り己を知れば百戦危うからず」。
相手を知るだけでなく、自チームを知らなきゃ勝利は遠い。
まぐれ勝ちでは未来に繋がらない。
―――まずは観察からだ。
初日から、俺は気づいたことをすべてメモに取った。
選手の性格、体格、吸収の早さ、闘争心、バスケへの熱量。
チーム力の底を支える“人のデータ”を可視化する。
目標は二つ。
一つ、俺自身のスキルアップ。
二つ、小学校を卒業するまでにチームを全国大会へ導くこと。
―――俺が“藤真”として変えること。
『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』。
翔陽高校が湘北に敗れた理由は、情報不足と慢心。
相手を知らず、準優勝の肩書きに寄りかかり、勝てると踏んで油断した結果だ。
―――泣きながら整列するくらいなら、最初から全力で挑めばいい。
負けたら終わりのトーナメントなんだからさ。
過去を知り、未来を知り、それでももう一度バスケに挑む。
若きミニバスプレーヤー“藤真健司”の、第二の挑戦がいま始まった。