神奈川県選抜の“ボックス”担当の四人は、ゾーンの基本原則を寸分違わず守っていた。ハンズアップの維持、ミドルラインの死守、ローテーションの優先順位――。どれも初歩的な原則ではあるが、親善試合での悔しい敗北が、彼らの集中力を極限まで引き締めていた。
牧が藤真を“スタック(専従マーク)”し、残る四人はボックスを形成する。1-1-2式の変形ボックスワンは、牧がボールサイドに出ればその穴を埋めるようにウィングがシフトし、ボールマンに対してコンテストを徹底する。
だが、埼玉県選抜がアウトサイドへのボールリバース(左右展開)を始めた瞬間、構図が一変した。右45度へパスが入ると、最も近いボックス担当の選手が、躊躇なく飛び出す――フライアウト(飛び出しコンテスト)で外角を潰すためであった。
しかし、飛び出した瞬間、その背後に空いた“三角のスペース”へ――45度から90度のクイックリバースが走る。
たちまち数的有利のアウトナンバーが発生する。その左コーナーで、埼玉のシューターが完全にフリーとなる。放たれた弾道は、まるでネットの中心だけを狙い撃つかのように滑り込み、リングすら揺らさなかった。
これでタイムアウト後の埼玉県選抜の3Pは3本目となる。
牧は歯噛みし、走りながら相手チームの戦術を冷静に分析する。
―――……こいつら、4人総入れ替えした意味がこれか! 外、外、外――徹底的に“ボックスの外側”を叩きに来やがった!
牧が視線をずらすとシュートを決めた味方に向かって軽く拍手を送る、サウスポーPGの姿が見えた。バックペダル(後退走)で戻りながら、周囲を冷静に俯瞰している。
――やはり、アイツだな。この作戦の立案者は。
牧は直感した。
◆◆◆
タイムアウト後の埼玉県選抜は、藤真の提案により5アウトオフェンスを採用した。全員が3Pラインより外側に立つこの布陣は、インサイドを意図的に空洞化させることで、神奈川のボックスワンの“ローテーションの足場”をすべて無力化する。
藤真の読みは鋭い。
―――ボックスワンの弱点はアウトサイドシューターの多いチームに対して脆いこと。 リバウンドもルーズボールも、構造的に不利になる。なら、うちは外角で勝負するだけだ。
5人全員がアウトサイドへ散開。いわば“幅だけで奥行きを攻める”作戦であった。これにより埼玉は、ドライブせずにパッシングゲーム(ディレイオフェンス)で陣形を揺さぶり続け、神奈川のボックスを引き伸ばし、穴が生まれた瞬間に外角で仕留める。
“深さはないが、幅は極端に広い”構造。しかしそれこそが、対ボックスワンにおける 最適解であった。
◆◆◆
一方ベンチに戻った牧は、冷たいタオルで顔を拭いながら考えていた。
―――……やはり藤真。奴はボールを持っていなくても脅威だ。
藤真は自分を囮にし、味方のスペースを作り、あるいは全員を動かすことでディフェンスの認知負荷を一気に跳ね上げる。観察眼と判断速度、バスケットIQ――どれも群を抜いていた。
―――こっちは何ヶ月もかけて練った策だぞ。それを、奴は試合中に弱点を見つけて対応してくる。ったく、とんでもねえ奴が同学年に居たもんだ……。
横目で見ると、埼玉ベンチの中心で藤真が仲間に声をかけ、士気を上げていた。――味方にいたら、どれほど心強いだろう。そんな考えが、一瞬だけ牧の頭をよぎる。だが藤真がこちらを振り向き、笑った。挑む者の笑みだった。
―――……なんてな。今は奴を倒すことだけ考える。ただ、それだけだ。
◆◆◆
試合は互いの戦術が激しくぶつかり合う展開へ。埼玉はパッシング主体の5アウト・ディレイオフェンス。神奈川はドリブルドライブモーションでインサイドを基点に攻撃を作る。
牧がファウルを誘発して3ポイントプレイを決めれば、藤真はスタガードスクリーン(2枚のスクリーン)で牧を剥がし、フリーで3Pを沈める。
牧がドライブすれば、アウトサイドの四人が沈み込み、魚住はショートコーナーからのダイブでパスを受け、豪快に叩き込む――4アウト1インモーションオフェンスの典型を披露する。
その直後、藤真はスクリーンに行く味方に合図を送る。味方はスクリーンに行くと見せかけ――スリップし、ゴールへ瞬間的に飛び込み、藤真からのパスを受ける。神奈川が仕掛けたハードショーを見事に無効化した。
さらに埼玉のウィングがエンドライン沿いにクロスし、逆サイドのディフェンダーに藤真がバックスクリーンを仕掛け、結果味方が完全なカットアウェイでリングへ駆け込む。
両チームの戦術が、まるで巨大な網のように絡み合い、そして火花を散らしていく。
◆◆◆
後半、牧は藤真のドライブを読み、胸を張って止めに行く。しかし体格差が響き、接触の衝撃で牧が弾かれた。ボールはリングへ吸い込まれ――
「カウント! バスケット!」
笛が響く。藤真が4ファウルとなる。手を挙げてジャッジを受け入れながら、ふと牧を見る。
牧は倒れ込んだまま、起き上がらなかった。
「オイっ、牧!大丈夫かっ!?」
神奈川の選手達が駆け寄る。牧はふくらはぎを押さえ、顔を歪めうずくまっていた。審判がタイムをかけ、スタッフが飛び込む。
――試合時間残り3分。神奈川の“怪物”の脚が、ついに悲鳴を上げた。
誰もが交代を予想した。しかし牧はスタッフの手を振り払い、自分で立ち上がる。足を引きずりながらも、ライバルから得たワンスローを――気迫だけでねじ込んだ。
その直後、最後のタイムアウトを神奈川ベンチが取る。牧は交代となり、コーチの肩を借りて医務室へと運ばれていく。歓声の中、藤真と牧の目が合う。牧の唇が動いた。
(……次は勝つ)
藤真は、その声なき言葉を確かに聞いた。
◆◆◆
牧を欠く神奈川に対し、埼玉は最後の勝負に出た。藤真がトップでフェイクをかけ、ウィングへ華麗にリバースし――そして即座に戻るリターンパスを繰り出す。
牧がいないライン。そこにためらいはなかった。放たれた3Pは、高い放物線を描き、残り10秒でネットを揺らした。
63-62で遂に埼玉県選抜が逆転する。
けたたましくブザーが鳴ると藤真達埼玉県選抜のメンバーは歓喜の輪に包まれた。万雷の拍手が観客席から死闘を演じた両チームへそ注がれる。
“怪物”と“神童”。二人の新星の激突は、牧の負傷という痛ましい結末を経て、藤真の勝利で幕を閉じた。
だが、コートを去る藤真の胸にあったのは、勝利の喜びではなく――次はもっと強くなった牧と戦うことになるという確信であった。
全国の強豪校が、その名をスカウトリストに加える。日本中学バスケに、新たな二つの星が生まれた日であった。