「よっしゃぁー。いいぞ牧っ!」
ベンチの叫びが、重たくなった終盤の空気を一瞬だけ突き破った。牧が身体をねじ込み、接触の瞬間に腕を強く振り上げてのバスケット・カウント。ワンスローを沈め、点差は6点に広がる。
――終盤でなお、この強度のペネトレイト…。足が死ぬ時間帯だ。どれだけ鍛えれば、ここで“初速”が落ちない?
次の瞬間、今度は逆側の歓声が割れた。
「いけぇ、藤真っ!」
藤真が外角から、今日7本目の3P弾を射抜く。着弾までの軌道が、まるで“指揮官が自ら引く戦線”のように静かで、正確であった。
――奴め、本当に一人で勝ち切る気か…。すでに身体は限界を超えているはずだ。なのに、あのフォームは微塵も崩れない。
次のポゼッション。三井はハイウィングでボールを受けると、あえて間合いを空けて迎えた。軽いショルダーフェイクで食いついたディフェンダーが跳んだ瞬間、三井は一拍だけ溜めを作り、「重心移動の逆算」を完了させてから、悠々とスリーポイントを放つ。完璧なアーチを描き、点差は再び6点となる。
――諦めるな。絶対に、ここで折れるな。
牧と三井のダブルチームが藤真に襲いかかる。藤真は“体軸を落とす深さ”をほんの数センチ変えただけで、二人の守備重心のズレを見切り、そこを起点にロールターンへ入った。
遠心力を利用して身体を回転させながら、牧の腕が触れた瞬間に、ふっと“接触点を外す”。そのままヘッドアップもせず、ノールックで味方へ弾いた。空いたエリアに走り込んでいたフォワードが、イージーで押し込む。
「……俺が敵のプレイヤーを尊敬するなんて、初めてだぜ」
牧がぼそりと呟いた声は、誰にも届かなかった。
神奈川が6点差を作る。埼玉が4点差に戻す。埼玉が詰めれば、神奈川もまた突き放す。両陣営が“互いの戦術の最上段”で殴り合いながら、点差は4と6の狭間を行き来し続けた。
――縮まらない。あと4点が、あまりに遠い。
藤真はユニフォームで汗を拭い、呼吸を整える。対面する牧は、スコアボードを見上げながら、追いすがるこの男の“勝利への執念”に、もはや恐れすら抱いていた。
そして、残り2分。勝負の匂いを察したのか、観客席は不気味なほど静まり返った。
◆◆◆
焦りを隠せない藤真は、再び長距離砲に頼った。放たれた瞬間、三井は読み切って跳ぶ。
――いける。
手応えは完璧だった。だが、リングは残酷だった。ボールは一度だけ鉄に触れ、そのまま外へ。
魚住がインサイドで“最優位のポジション”を確保し、誰よりも高い頂点でリバウンドをつかみ取った。
――勝った。
その確信がわずかに指先へ緩みを作ったのか、着地と同時、牧の叫びが飛ぶ。
「下ぁっ!」
魚住がボールを下へ下ろした瞬間、埼玉のフォワードが“下から上へ切り上げる角度”でスティールを奪う。リスクの大きいタイミングだが、あの状況でしか成立しない賭け。
成功率を計算し尽くした一手。
「イカすぜ!」
藤真が拾う。シュートフェイクで魚住を浮かせ、追いついた牧のディフェンスファウルを背中で受け流しながら、リバースレイアップを沈める。1点差。そして、バスケットカウント。藤真はワンスローを静かに沈め、ついに2点差へ。
埼玉はハーフコートの1-2-2ゾーンで“外角の角度支配”を徹底。神奈川は侵入口を探すが、ゾーンの頂点の圧力が想像以上に強い。ショットクロック残り2秒。三井が強引にミドルを放つが、さきほどのブロックで裂けた爪が影響し、わずかにリリースが狂った。
跳ねたボールを、魚住が再び制する。そして流れるようなプットバック―――いや、ほとんど“空中で完結した一連の回答”だった。
点差は3点となり。試合時間は残り50秒となった。
◆◆◆
タイムアウト明け。ベンチから立ち上がる牧の視界に、異様なざわめきが映った。埼玉ベンチが騒然としている。一人、選手が横たわり、スタッフが囲んでいた。
――まさか…。
担架が運び込まれ、腕で目元を覆ったままの選手―――藤真が、静かに、しかし確かに泣いていた。汗と涙の区別がつかないほど、静かに。彼が抜けた埼玉は、そのまま力尽きた。
◇◇◇
試合後。医務室を訪れた三井は、ベッドに座る藤真と、その隣に立つ長身の影を見た。黒縁メガネ越しの視線は冷たく見えるが、不思議な“気迫の温度”を孕んでいた。
「藤真。お前との試合を楽しみにしていた。残念だが……お前の仇は、俺が取る」
「仇って……大げさだよ。試合に負けただけだし」
「じゃあな。安静にしていろよ、“埼玉の神童”」
「神童なんて思ってない癖に」
ふっと微笑む長身の男が、第三者の存在に気づく。
「もう大丈夫なのか?」
声をかける三井に「心配ないよ」と返答する藤真であったが、その目元には泣きはらした跡があった。それには触れず、三井は先ほどまで藤真と会話していた選手に目線を送る。東京都選抜のジャージに身を包む黒縁メガネの男は、クールな佇まいであり、二人のやり取りを静観していた。
「あぁ、初めましてだったよね。僕から紹介するよ、こちら―――」
「花形だ、東京都選抜のな。神奈川県選抜の三井寿」
―――デカいなこいつ。190はあるか?
非友好的な声と態度に三井はどーもと返した。二人の瞳の間で、密かに火花が散る。
「3Pに大層自信を持ってるそうだが、それだけでは俺達に勝てんぞ」
そう言い残し、花形は医務室を出ていく。
「いけ好かねー野郎だ。何なんだアイツは⁉」
花形が去ると、三井は鼻を鳴らした。
「まぁまぁ。ごめんよ、初対面の相手にはいつも愛想よくないけど、悪い奴じゃないんだ。どうも人見知りするタイプみたいでさ」
三井は肩をすくめる。
「ふん!まぁいい。次の対戦相手で気が立ってんだろうからな」
「大人な対応をしてくれてありがとう。お礼に僕からのアドバイス―――花形はゴール下の要で、“今”の魚住にも引けを取らない程の実力者だから気を付けてね」
三井は藤真の言葉に、驚きの色を隠せなかった。
「花形だけじゃない。東京都には“天才”がいる。それも、二人もね。君が思ってる以上に、東京都選抜は―――強いよ」
付け加えられた発言に三井は息を呑んだ。成長著しい魚住と並ぶほどのセンターの他に、あの藤真が天才と呼ぶほどの逸材が、次に待ち受けている―――。