「藤真君ですか?ええ、彼のことはよく覚えていますよ」
突然の取材依頼にも嫌な顔ひとつせず、にこやかに迎えてくれたのは――ミニバス全国常連チームを率いる名物監督。電話で感じた人柄の良さは本物で、対面するとさらに柔和さが増す。体育館に響くバッシュの音をBGMに、名刺交換を終えると、早速本題に移った。
―――「尊敬する人」ですか? それなら……。
そう言って彼は微笑み、藤真が“尊敬する人物”として真っ先に挙げたコーチの名前を口にした。その一言をきっかけに、編集長を説得し、こうして当時の関係者に話を聞く特集が動き出した、というわけだ。
「“指導者”だなんて言われますが、私は何もしていませんよ」
謙遜かと思ったが、その表情はどこか本気だった。
「ボールを寄贈してくれたり、卒業してからも何かと気に掛けてくれて。あの頃、彼と一緒にプレーしていた子はもちろん、私自身も色々と彼から教わりました。戦術の提案から練習メニューまで。今でも彼が考えた練習を取り入れていますよ。いや、本当に“教わる”ばかりで……指導したという記憶は、あまり無いんです」
―――彼は、あなたを尊敬していると言っていましたが?
「本当ですか? それは……嬉しいですね。覚えてもらっているだけでも光栄なことです」
―――将来の夢を語った時、笑わずに聞いてくれたのが嬉しかったそうです。
「ああ、その話ですか。毎回、新しく入ってきた子には聞くんですよ。懐かしいな。ただ……あの頃はまだ国内にプロリーグも無くてね。どう彼に伝えれば夢を壊さないでいられるか……内心では悩みました」
―――結局、なんて返したんです?
「何も。すぐにはね。ただ、バスケ初心者の彼がどんな選手に育つのか、それだけを楽しみにしていました」
―――彼は最初から“特別”だったんでしょうか?
監督は少しだけ考えてから、穏やかに言った。
「……そうですね。“入ってきた段階”だけで言えば、歴代トップテンには確実に入りますよ」
―――彼より才能ある選手もいた、と?
「ええ。初心者でも小六で170cm近い子や、3歳からボールを触っていた子なんかもいましたから。ただ、藤真君は……タイプが違いましたね」
―――どんなタイプの選手だったんです?
「一言で言うなら、“変わった子”でした。練習に“ノートと鉛筆”を持ってくるのは、彼だけでしたね。体育館の隅で、休憩のたびに何かを書き込んでいて。あれが成長の秘密でしたよ。試合中にまでノートで試行錯誤する子なんて、見たことありません」
―――最初から分析型だったと?
監督は人差し指を立て、自身の瞳を指した。
「彼は“目”がいい。動体視力、視野の広さ、そして生来の真面目さ。努力と吸収力が合わさって、驚異的なスピードで実力をつけていった。そして……」
―――そして?
「歴代ナンバーワンの“負けず嫌い”でしたよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――走力と体力は平均以下。けど、上級生にはサイズのある選手が揃ってるな。ハンドリングも悪くない。となると……ビッグマン起点のポストプレイ。それにディフェンスが寄った瞬間、他の四人がカットで合わせる……か。
藤真は入団初日から、冷静にチームを分析していた。ミニバスでは高速展開の「ファーストブレイク」や「アーリーオフェンス」が基本。
だが――
―――“速さ”だけがバスケじゃない。
あえてペースを落とし、ショットクロックを最大限使う“ディレイオフェンス”も十分に武器になりうる。ゆっくり攻めると見せかけて、ロングパスから一気に速攻へ切り替える。ハンドオフから攻めるふりをして、逆サイドのバックドアで刺す。
ミニバスだろうがNBAだろうが、バスケは“騙し合い”。頭を使わなければ勝てない。
―――それにしても、ビッグマンにも外のスキルは必須だ。現代NBAの“ポイントセンター”、ヨキッチみたいに。
“30−20−20”という前代未聞のトリプルダブルを残した、デンバー・ナゲッツの象徴。センターを起点としたハーフコートオフェンス――やれるところは確実にチームに取り入れたい。
……が。
―――いきなり新入りが言ったって、ただの“出しゃばり”だよな。
社会人時代、会社を良くしたくて提案した改革案はお局様に潰され、「今までの企業の努力を否定してる」とまで言われた。あの苦い記憶が胸に蘇り、思わず唾を飲み込む。
―――焦りは禁物だ。正しいことでも、言うタイミングを間違えると……全て壊れる。
まずはチームに馴染む。認められる存在になる。それからでいい。
藤真は静かに息を吐き、ひとつの言葉を思い出した。
―――『あなたが転んだことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ』
アメリカ合衆国第16代大統領、リンカーンの言葉。
過去の自分の失敗。未来の自分への約束。そして――新しい“藤真健司”としての第一歩が、ここから始まる。