33.藤真と1on1
「皆さん、今日は転校生を紹介します」
教室に微かなざわめきが走る。
「今日から皆さんと同じクラスになりました、藤真健司さんです。藤真さんは二年間、海外の高校で学んでいました。勝手の違いに戸惑うこともあるかもしれませんが、どうか皆さん、温かく迎えてあげてください」
教師の言葉を受け、教室の視線が一斉に前方へ向く。
濃い赤茶を含んだ髪と深い紺色の瞳。その配色だけで異国の風を思わせるが、柔らかい輪郭と静かな佇まいが、むしろ日本的な繊細さを感じさせた。長身ながら線の細い体格が相まって、教室の空気がわずかに緊張を帯びる。
「それでは藤真さん。皆さんへ一言どうぞ」
藤真は小さく頷き、顔を上げた。
「初めまして。藤真です。よろしくお願いします」
落ち着いた声だった。無理な強調も、過剰な自信もない。それでいて、言葉にわずかな旋律のような柔らかさがあった。教室の空気が静かに変わる。
藤真は教室を一巡し、最後列の窓際に立つ花形を見つけ、控えめに手を挙げた。その動作の意味を理解していたのは、一部の者だけだった。
教師は気づかない。男子生徒も気に留めない。ただ、花形と藤真の間に流れる目に見えないものを、女子たちは敏感に感じ取った。二人に過去がある。その事実だけが、教室に新たな空気をもたらした。
転校生の自己紹介は、ただの儀礼に終わらなかった。人と人の関係が、静かに動き出す気配だけが残った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今、身長どれくらい?」
「198だ。渡されたノートに書いてある通り、睡眠は最低でも9時間はとっている」
昼休み。案内係を任された花形は、校内の施設を一通り紹介しながら歩いていた。職員室、図書室。最後に体育館へ足を踏み入れる。
フロアに出た瞬間、藤真はゆるく息をつく。中学二年の冬、ストリートのコートで並び立った日以来の同じ空間だった。
「やっぱり、いいね。こっちの空気は、少し違う」
「そうか」
花形が返事をしようと向き直ったときには、藤真はすでにボールラックから一球を取り、3Pラインの外へ歩いていた。フォームは滑らかで、ボールは軌道を乱さずリングへ吸い込まれる。
「……っと。バッシュ履かないとね」
靴下のままだったことに気づき、穏やかに笑いながら履き替える。体育館には、ボールが床を叩く音だけが響いていた。
「なぁ、藤真」
「ん?どうしたんだい」
天井の高さ、コート幅、リングの跳ね返り――藤真が一つひとつ確かめるようにフロアを歩いていると、いつの間にか花形もジャージに着替え、準備を整えていた。
「―――1on1だ」
「いいね。久しぶりにやろうか。負けた方がジュースで」
「構わん」
◆◆◆
花形のフェイダウェイ。体幹の強さが、跳躍の最頂点で軌道をぶらさない。藤真のクロスオーバー。滑らかな重心移動が、花形の間合いを一気に外す。
互いが互いをよく知るがゆえに、無駄がない。攻防には緊張があるのに、どこか笑いさえ混じる。そんな空気だった。
「おい、今日の昼練は休みのはずだが?」
声が響き、二人が一旦動きを止める。
「監督かと思ったが……OBか」
「藤真、失礼だ。こいつは俺たちと同い年だ……多分な」
花形の呆れ混じりの声。藤真は歩み寄りながら、どこか挑発めいた笑みを見せる。
「久しぶりだね、牧。君は相変わらず迫力がある」
牧も僅かに唇を吊り上げた。
「ふん。ホームシックで帰ってきたわけではなさそうだな」
言葉は荒くとも、視線にはかつてと変わらない火花があった。互いが互いを認めている者たちだけに許された距離感。
「よせ。今は同じチームだ。志は一つのはずだ」
花形が二人を制すように言う。日本を離れる前、藤真はライバルたちに別れの挨拶と、練習法や栄養管理、戦術の基礎をまとめたノートを渡していた。その二年の間に、彼らはそれぞれ大きく成長した。
牧はすでに一年で全日本候補。魚住は神奈川随一のセンターへ。三井は故障を乗り越え、天才シューターとして復活。深津は全国制覇校のスタメンを勝ち取った。
「魚住は陵南、三井は湘北か。せっかく誘ったんだけどね」
「気にするな。……だが問題ない。花形とお前が来てくれた」
牧の声には、揺るぎのない確信があった。
「全国を狙うならウチ(海南)だと。そう伝えたが……奴らの意志は強かった」
花形が淡々と続ける。互いの歩んだ二年を確認するように、会話は尽きない。だが牧がシャツの袖をまくったところで、空気が変わる。
「さて藤真。次は俺だ。1on1をやろう」
「いいよ。――やってやるさ。負けたらジュースを奢る。どう?」
海南大附属の練習は苛烈だ。中学で名を馳せた選手でさえ、半年で姿を消すことも珍しくない。そんな環境で一年からレギュラーを勝ち取った牧と花形は、すでに名実ともに県内トップクラスの二枚看板となっていた。
その二人を相手に、藤真は――圧倒的な個人技で勝ち切った。“埼玉の神童”。その名は、この夏、神奈川でも広く知られることになる。