強烈な先制パンチを受けた山王だったが、高校バスケ界の絶対王者に動揺はない。ポイントガードの深津一成は、まるで練習の延長であるかのように、ハイポスト付近からミドルレンジを沈める。まずはスコアを並べ、試合のリズムを整える――司令塔として最優先すべき仕事を、淡々と果たした。
「同じ2点だ……ベシ」
感情の起伏を感じさせない一言。それに対し藤真は、――そう来なくては、と口元をわずかに緩める。主導権を巡る駆け引きは、ここからが本番だった。
藤真は即座に判断する。序盤、この舞台で最も価値を持つのは“勢い”と“情報差”。それを理解しているからこそ、迷いはない。
ボールはスタメンに抜擢した一年生シューター、神宗一郎へ。細身ながら長い手足を持つその選手にボールが渡った、次の瞬間――赤い球体が、マッチアップする深津の視界から消えた。
――速い‼
山王ベンチで堂本が思わず低く唸る。リリースポイントは決して高くない。だが、キャッチからシュートに移行するまでのスピードは異常なほど速い。山王工業の顧問として数多の選手を見てきた堂本にとっても、記憶にないレベルだった。“読み”を最大の武器とする深津でさえ、反応が半拍遅れる。
ゴール下では、両チーム唯一の三年生パワーフォワード同士が激しく身体をぶつけ合い、リバウンドのポジションを奪い合っている。その頭上を、ボールは一切触れられることなく通過し、理想的な放物線を描いた。
角度はおよそ46度。シュートは吸い込まれるようにネットを揺らす。神は右手を掲げ、人差し指を静かに立てる。山王ベンチで堂本監督は、背筋をなぞるように走る、久しく感じていなかった冷気をはっきりと自覚していた。
観客のどよめきを背に、海南の純度の高いシューターは、天才サウスポーと軽くハイタッチを交わすと、即座にディフェンスへと戻る。神の脳裏には、昨夜のミーティングで藤真が語った言葉が蘇っていた。
――山王は対戦相手の分析量が多い。だからこそ、序盤は“情報のないカード”にボールを集める。アウトサイドから主導権を握る。
藤真の提案に対し、高頭監督が選手たちへ意見を求めたとき、異を唱える者はいなかった。神が積み重ねてきた努力を知る者ばかりであり、何より藤真が責任を持って推す策だったからだ。
「……神で、大丈夫か?」
それは不安ではなく、覚悟を確かめるための監督からの問いだった。寡黙な一年生の代わりに、藤真が静かに答える。
「大丈夫ですよ。なんたって、あの“海南”のユニフォームを勝ち取った男ですから」
藤真は「だろ」と言わんばかりにその背を叩き、高頭は二人の表情を見て、迷いなくその戦略を採用した。
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牧は一ノ倉の執拗なディナイと身体を離さないスッポンディフェンスにより、完全にボールから遮断されていた。エントリーすら許されず、オフェンスの起点に立てない状況。しかし藤真は慌てない。セカンドガードとしてフロア全体を見渡し、沢北の「1on1でねじ伏せる」という狙いを意図的に無視する。そして再び、ボールは神へと渡る。
――行け、神。
三年生パワーフォワードのスクリーンで生まれた、ほんの一瞬のスペース。その刹那に重なる、神の圧倒的なキャッチ&リリース。
今度は無理に急がない。ステップで間合いを作り、落ち着いたフォームから放たれた3ポイントが、再びリングを射抜いた。
海南の戻りの速いトランジションディフェンスを前に、山王は速攻に出られず、セットオフェンスも停滞する。ショットクロックが削られ、最後は深津がタフなミドルレンジを選択。リバウンドを制したのは海南の三年生PFだった。
すぐさま藤真へ。流れを切らせない。
今度は牧が河田にスクリーンを当て、花形と一ノ倉のミスマッチを創出する。逆サイドから走り上がった花形が藤真からトップでボールを受けると、身長差を活かしたノーマークの3ポイント。迷いなく沈めた。
学年主席と副主席――海南の頭脳派コンビは軽く拳を合わせ、即座に守備へ戻る。山王は、名実ともにエースへボールを託す。歓声の中、沢北が低く呟いた。
「――借りは、すぐ返す」
爆発的な初速。ワンステップで藤真を抜き去る。しかし、背後から追走するサウスポーは冷静だった。ゴールへ向かうタイミングを読み切り、完璧な間合いでバックファイヤー。ボールを真上から叩き落とす。
――なっ!?
沢北は悔しげに歯噛みする。
「抜くことだけを意識しすぎてる。他が、全部置いていかれてるよ」
藤真の指摘を、沢北は受け入れきれない。
「……次だ。次は、必ず抜く」
藤真は穏やかに微笑んだ。
「うん。なら……受けて立つよ」
互いの視線がぶつかり、火花が散るような緊張が走る。
「そこの二人。私語は慎みたまえ」
審判の声で時が動き出す。再び沢北が1on1を要求。フェイクを入れた、その瞬間――藤真が一瞬で間合いを詰め、スティール。奪ったボールをそのまま運ぶ。
「させるか!!」
沢北が驚異的なスプリントで3ポイントラインまで戻る。藤真は一瞬減速し、ゴールを見る。
――来る。
沢北が警戒したのは、藤真のトランジション3。だが、それは視線だけのフェイク――完全なミスディレクションだった。走り込んでくる神へ、ノールックパス。完璧なバランスから放たれた3ポイントが、三度リングを射抜く。
会場が爆発する。対照的に、山王ベンチは冷え切った空気に沈んだ。想定外の完全な後手。海南の「神スタメン起用+アウトサイド主導」という戦略が完璧に機能し、山王の「序盤で主導権を握り、流れを断つ」というプランは崩壊していた。
――良いシューターだとは思っていた。だが、所詮は控えと侮った。
堂本は即座に修正に入る。神に一ノ倉、牧には深津――そう指示を出した、その直後だった。
海南はさらに先手を打つ。スリー3本すべて成功の神を、あっさり三年生SFと交代。
「何っ!?」
山王も慌ててマッチアップを組み替え、再編成を余儀なくされる。
――主導権を、一切渡さない。高頭……顔に似合わず“知将”と呼ばれるだけはある。
観客席で田岡が小さく呟く。インターハイ予選の記憶がよぎり、複雑な感情を胸の奥へと押し込んだ。
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タイムアウト後、山王は河田のローポストアタックで攻勢へ。花形がファウルし、河田が2本を沈める。
「ちっ!」
「花形、お前一人じゃ止められない。作戦通り連携だ」
牧が釘を刺す。
「わかってる。牧、お前こそサインを―――」
「誰に言ってんだ。“サイン”見落とすなよ」
牧がハンドサインを送る。深津は息詰まるような密着ディフェンス。藤真がスクリーンへ向かう動きを見せ―――次の瞬間、ゴースティング。スクリーンを置かず、トップへ抜ける。
「っ!?」
スクリーン対応に入りかけた深津・沢北のわずかなズレ。その一瞬を牧が逃すはずがない。加速したドライブ。河田がカバーに来るが、牧はふわりとボールを浮かせる。
走り込んだ花形が、両手で強烈に叩き込むボスハンドダンク。海南の2年生トリオが魅せた完璧な連携得点だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
タイムアウト明け、山王は明確に狙いを定めてきた。
河田を軸にしたローポストアタック。フィジカルとサイズの優位を最大限に活かす、王者らしい選択だ。
花形が身体を張って応戦するが、一歩遅れる。
ファウル。
フリースローラインに立った河田は、呼吸一つ乱さず、2本を沈めた。
「……ちっ」
「花形、一人で抱え込むな。作戦通り、連携だ」
牧が低く声をかける。
「分かってる。牧、お前こそサインを――」
「誰に言ってる。“サイン”は見逃すな」
牧はさりげなくハンドサインを送る。
次のポゼッション。
深津が藤真に密着する。息を詰めるようなプレッシャー。
藤真は一度、スクリーンに向かう動きを見せる――が、次の瞬間、ゴースト。
スクリーンを置かずにトップへ抜ける“ゴーストスクリーン”。
「っ!?」
一瞬の判断遅れ。
スクリーン対応に入ろうとした深津と沢北の間に、わずかなズレが生じる。
牧は、その一拍を逃さない。
一気にトップからドライブ。
河田がヘルプに出るが、牧は力まない。ふわりと、柔らかくボールを浮かせる。
走り込んだ花形が両手で叩き込む、力強いボスハンドダンク。
海南の二年生トリオが作り上げた、完璧なセットプレーからの得点だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……上手いな」
観客席で田岡が思わず漏らす。すぐさま魚住たちを呼び、コート図を使って説明を始める。海南の一連の動きは、そのまま“教材”になっていた。
対して、コート上で藤真は内心、山王の反応に小さく首をかしげていた。
――練習で何度もやってきた連携だ。出していなかっただけで、出来ないわけじゃない。これを“想定外”と感じるなら、それは王者の慢心でしかない。
そして試合は、藤真の読み通りに進む。
山王は苦し紛れに沢北へボールを集めるが、二年にわたるアメリカでの実戦経験を積んできた藤真は、個人技への依存を徹底的に封じにかかる。
藤真の分析により、明るみになった山王のエース沢北の最大の弱点――それは「自分で終わらせる意識が強すぎる」ことだった。
パスを選択肢に入れない限り、藤真の読みを上回ることは出来ない。その後、海南は堅いディフェンスからの速攻で、牧が3点プレイを完成させ、一時は15点差までリードを広げる。
それでも山王は食らいつく。前半終了間際、深津と河田が連続で3ポイントを沈め、なんとか踏みとどまった。
前半終了。スコアは――山王27-34海南。
昨年度王者を、海南が崩すのか。それとも、無敗の山王が牙城を守り切るのか。歴史が動く後半戦が、今、幕を開けようとしていた。