藤真のバスケ   作:ドラマ・ドラマ

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58.藤真と個性

Bチームのサウスポーが放つ天衣無縫なプレーは、無造作さと計算された技術が絶妙に混じり合っていた。もし観客席に女性ファンがいたのなら、その奔放さすら魅力へと変換してしまうだろう——相田は、そう確信できるほどに藤真の存在感に目を奪われていた。

 

対してAチームは、流れを断ち切るように牧が仕掛ける。低く重心を落とし、一歩ごとにリングへ圧力をかけるペネトレイト。そこへ仙道が、牧の進行方向に呼応するかのようにスルリとカットインする。牧の肩越しに見えた一瞬の隙。そのわずかな間に、仙道が受け取りやすい位置へと自然に身体を滑らせる。パスが通った瞬間、仙道は肘を畳み、肩口から迷いなくシュートモーションへ移行する。腕を真上へと伸ばし切り、指先でボールを押し出す。

 

「おおっ‼」

 

宮城が息を呑む。短い叫びは、思わず漏れたものだ。

 

「ほほぅ……」

 

高頭が感心したように扇子を軽く掌に当てた。ディフェンスが体勢を整える前に放たれた素早いベビーフック。その軌道は正確にリングを捕え、ネットが静かに揺れる。スコアは7-7。試合は再び振り出しへ戻った。

 

―――フックシュート……いや、今の軌道はベビーフックか。田岡先輩、インサイドの細かいタッチまで仙道に叩き込んでる……。

 

高頭は横目で田岡を見やる。腕を組んだまま、小さく頷いている。しかしその鼻先はわずかに膨らみ、口元も緩んでいるのを高頭は見逃さなかった。

 

―――素直に褒めればいいのに……。

 

そう胸中で呟きながらも、他校の指導方針に口を挟む気は毛頭ない。指導者としての流儀を互いに心得ているがゆえに、高頭は目の前の攻防へ意識を戻した。

 

「よし、まずはディフェンスだ!ディフェンスしっかりしよう‼」

 

仙道が声を張る。言葉そのものより、声の“質”が違う。鼓膜ではなく胸の奥に響くような、選手の心を揺らす響きがある。Aチームの輪が自然と締まる。

 

「……そっちは雰囲気いいな」

 

宮城がふっと呟いた。その瞳の奥に、わずかな影が差していることを、隣の神はすぐに気づいた。

 

「……大丈夫だって。まだ始まったばかりだし」

 

神は努めて明るく返す。その視線の先には、コートで繰り返されるBチームの諍いがあった。清田が仙道のマークの不備を福田へ責め立て、福田は不貞腐れながら語気を荒げ、最終的には藤真が仲裁に入り場を収める。——誰が見ても想像がつく、その「いつもの形」。

 

神は視線を外した。コートの熱気とは裏腹に、その頬にはわずかな気まずさが滲んでいた。

 

◇◇◇

 

続くBチームのオフェンス。ローポストで福田が背を預け、じりじりと体勢を作る。そこへインサイドへボールが入ると、仙道はわずかに脚を開き、余裕の笑みを浮かべて待ち構えた。牧や三井とは違う、柔らかな構え。だが、その奥には獣のような警戒が潜んでいた。

 

「オイ、無理すんな!」

 

コーナーに陣取る清田が呼ぶ。その声には焦りではなく、未来予測の確信めいた響きがあった。福田が焦りから突っ込む——その瞬間を仙道に読まれ、ブロックされる光景が、まざまざと目に浮かんでいた。

 

「こっちだ!」

 

高砂がハイポストで合図を送る。高砂の読みはもっと現実的だ。福田が独りで突っ込み、タフショットを打たされ、失敗すればAチームのリバウンドから牧が一気に速攻。その絵が、もう完成している。

 

「パスっ‼」

 

逆サイドの長谷川も声を上げる。長谷川の思考は、もっと冷徹だった。福田がセルフィッシュに攻め、守備でも狙われ、やがてチームの崩壊の火種になりかねない。そんな懸念が、声色に滲んでいた。

 

―――行けっ。

 

ただひとり、藤真だけが違っていた。福田の“オフェンス時だけの顔”を誰よりも知っている。だからこそ、迷いなくパスを通す。期待ではなく確信。福田の気迫に賭けた一投だった。福田はボールを掴むと、仙道へ重く身体をぶつけながらパワードリブルでゴール下へ進む。

 

「オイっ⁉」

 

「福田っ⁉」

 

―――無茶だっ……!

 

清田、高砂、長谷川。それぞれの胸に違う想いが浮かぶが、結論だけは同じだった。“仙道には勝てない”それは疑いようのない前提だった。強引なショットはリングをかすめ、外れる。

 

「リバンッ‼」

 

次の瞬間、福田が跳んだ。花形、流川、仙道——三人の壁に囲まれながらも、その意地だけでボールをもぎ取る。着地と同時、田岡が声を張った。

 

「いいぞ、福田‼」

 

しかし喜びは一瞬。ボールを下げた刹那、仙道の手が闇から浮かび上がった。

 

「油断大敵」

 

ボールを奪い取ると同時に、仙道の口元にはかすかな笑み。渡されたボールを、牧がすでに走り出しながら受け取っていた。

 

「あぁー、だからパスって言ったのに……!」

 

―――クソッ‼

 

福田は唇を噛む。清田は戻りながら、容赦なく刺す。

 

「外れはしたが、あの積極性は評価できるな」

 

宮城が冷静に言葉を紡いだ。その顔は、淡々としているようで、選手の心理を読み切った目だった。

 

「ウチの後輩にもいるぜ。出来ない奴ほど、ミスを取り返そうと必死になる。……ただ、最後が甘ぇんだよな」

 

「へぇ」

 

神は横で聞きながら、宮城の分析力に思わず感心する。ただ走り、捌き、速いだけのPGではない。選手の鼓動と気配を読む“目”を持っていると、印象を改めた。

 

Aチームへ攻撃が移る。スタックオフェンスから、流川が低く動いて清田をゴール下まで引きつける。花形のスクリーンを利用し、流川はスクリーナーの外側を円を描くように走る。その動きは、まるで水流が障害物を巻き込むかのように滑らかだった。

 

しかし——清田と高砂のマークの受け渡しは完璧。スイッチが一拍のズレもなく行われる。

 

「だが———」

 

「ミスマッチっ‼」

 

201㎝の花形に、179㎝の清田。サイズ差は歴然。花形がローポストで体を開き、面を作る。

 

三井からパスが上がった——その刹那。

 

清田が跳んだ。空気を踏みつけるような速さ。その指先が、軌道を完璧に断ち切る。

 

「っしゃあああーー‼」

 

裂帛の声が体育館に響く。

 

―――なんてジャンプだ……!

 

田岡が腕組みを解いて唸る。その跳躍は、理屈では説明できない“野生の勘”の強さそのものだった。

 

「速攻っ‼」

 

清田が駆け出す。拾った藤真がスピードドリブルへ移行すると、たった数歩でフロントコートへ抜け出す。

 

「戻れっ‼」

 

牧が最速で戻り、藤真を止める。だが、状況は2対3。左には清田、右には長谷川——完璧なアウトナンバー。

 

「藤真さんっ‼」

 

清田の声に、藤真がわずかに顔を向けた。三井が反応し、清田へ寄る。

 

その瞬間だった。ボールは、視線とは逆の方向へ。ノールックで放たれたパスが長谷川へ通る。

 

―――何っ⁉

 

長谷川がそのままレイアップ。ネットが静かに揺れた。

 

Aチーム 7 - 9 Bチーム。

 

「清田の声で三井が釣られた……その一瞬を逃さん藤真も凄いけど。……その前のパスカット……アンビリーバブルやわ」

 

相田は、清田が見せた20cm以上の身長差を打ち消す跳躍力と読みの鋭さに驚嘆した。派手な言動に隠れがちだが、清田信長という選手の“本当の価値”が、いま初めて鮮明に浮き上がった感覚があった。

 

その瞬間、相田の脳裏にはひとつの企画案が浮かんでいた。“他県の国体メンバーに選ばれた、将来有望な1年生ガード特集”。そのトップに清田の名を置くイメージが、自然と形を成していた。

 

◆◆◆

 

清田は、流川の胸元へ腕を伸ばし、わずかな呼吸すら逃さないほどのディナイで張り付いていた。音を吸い込んだ体育館に、二人のスニーカーが擦れる乾いた音だけが響く。その守りは、夏とは明確に質が変わっていた。軽さが消え、芯があった。流川を止めるためだけに存在するような、研ぎ澄まされた気迫。

 

―――夏よりもさらに……。明らかに、進化している。高頭め。仙道に対抗させようと鍛えたか。冬の大会、流川とぶつけるつもりか──。

 

田岡は腕を組んだまま、表情を動かさずに思考を巡らせていた。国体が終われば、彼らはまた敵になる。だからこそ今のうちに見極めておかねばならない。清田の守備力が“成長”ではなく“意図的な強化”だと気づいたことで、田岡の胸に静かに火が灯る。――陵南も、冬は甘くない練習でいく。自らに厳しい誓いを立てるように。

 

清田のディナイを受け、流川はボールから遠ざかるようにゆるく回り込み、視界の外へと消える。気配が薄い。だが、そこに確かな意図があった。次の瞬間、牧の手から放たれたボールが、弧を描きながらコーナーへ飛ぶ。流川は振り返らずに受け、すぐさまスリーポイントを放った。

 

ネットがわずかに揺れ、沈む。Aチーム10-9Bチーム。

 

「流川がフレアカットなんて……状況判断、よくなってるな」

 

神が感心したように目を細める。

 

「まあな。愛和にボロ負けしてから、アイツは変わったぜ」

 

「当然、オレもな」

 

宮城は誇らしげに親指で自分を指し、少し照れたように笑う。その軽い仕草にも、あの惨敗から這い上がろうと必死にもがいた日々が透けて見えた。神は「それは楽しみだ」と小さく応じ、視線を再びコートへ戻す。

 

コート中央、静かに気配を立てて高砂が動き出していた。ハイポストへ浮かび上がるように上がり、フラッシュの形を取る。それがオフェンスの軸になる。

 

Aチームの守備が縮み、空間がわずかに歪む。高砂は清田へ外へ捌き、同時にギブ&ゴーでローへ切り込む。清田のクイックパスが、まるで吸い寄せられるように高砂の手へ戻った。その動作に淀みはなく、試合ではなく日常の延長のような滑らかさがあった。

 

身体を横に広げ、わずかに浮き上がるように放つフックシュート。だが、ほんの僅か、リリースが早かった。リングに当たり、金属音とともに大きく跳ね返る。

 

「リバンッ‼」

 

長谷川の声が響き、次の瞬間、白い腕が跳ね上がるボールを掴まずに押し込む。ティップイン。 空気を切り裂くような一瞬の動き。Bチーム10-11Aチーム。

 

「ほう……」

 

田岡は小さく感嘆した。落下地点の見極め、空中での微調整、強くも弱くもない絶妙な指先の感覚。あれは“感覚”ではなく“技術”。 そして何より、迷いがなかった。

 

―――もし、翔陽に“ちゃんとした監督”がいれば……。いや、やめておこう。 あの環境で彼はエースとして全てを背負い、ここまで来た。失礼だ。

 

翔陽が全国から遠ざかり始めたのは、長谷川が一年の頃からだった。強豪の凋落。陵南、湘北といった新勢力の台頭。その中で彼だけが必死に抵抗し続けてきた。

 

190cm、81kgの恵まれた体格。バスケセンスは翔陽随一。勝利から離れても折れない闘志。誰よりも練習に立ち続け、全国へ返り咲くという願いだけを胸に過ごしてきた。国体メンバーに選ばれた時、長谷川は仲間に誓ったという。――必ず全国の舞台で翔陽の名を示す、と。

 

長谷川は名門の看板を背負っていた。先輩たちが築いた歴史を断たせないために。後輩に誇れる未来を残すために。だからこそ、この合同練習に馴れ合いの感情など欠片も持ち込んでいない。ただ、翔陽の誇りのため。ただ、それだけのために。長谷川は静かに、しかし深く。内なる炎を燃やし続けていた。

 

◇◇◇

 

Aチームの攻撃。高砂は一歩、花形の胸元に潜り込み、わずかな重心の揺れを逃さなかった。花形が身体を張って制圧しようとした瞬間──高砂は静かに回転し、花形の腕を巻き込むようにしてポジションを奪う。笛の音が鋭く響く。

 

「オフェンスファウル、花形!」

 

体育館の空気が一度ふっと軽くなる。その中で神が口角を少し上げた。

 

「やるね。流石、旦那とやり合ってただけある」

 

三井が腕を組み直しながら続ける。

 

「高砂さんはインサイドの選手としては身体が大きくない分、努力の塊だからね。意外と勉強熱心な人で藤真さんにフックシュートも戦術もみっちり教わって……今じゃ花形さんにも引けを取らない。海南のゴール下を支える、立派なキープレイヤーだよ」

 

全国の強豪校のセンターとしてはサイズ不足。だが、その事実を言い訳にしなかった男。身体の強さと、その扱いのうまさ。そして何より、自分より大きい相手をどう料理すべきか、常に考え続けてきたクレバーさがあった。海南のゴール下で“誰よりも欠かせない存在”と高く評価され、昨冬にはついにスターターの座を勝ち取っていた。

 

「ピピーーーッ‼」

 

張り詰めていた空気が笛で切断される。高頭が、静かに指を上げた。

 

「よし、ここでメンバーチェンジだ。──神、牧に代わってAチームに入れ。宮城は清田に代わってBチームに」

 

「ハイ」

 

「ええ⁉ 監督、もう交代っスか……⁉」

 

牧は涼しい顔で返事をし、コートを離れる。対照的に清田は口を尖らせたが、高頭が「ん?」と一瞥しただけで、肩をすくめて小さくうなずいた。否応なく、試合は再開する。

 

Aチーム:PG仙道、SG神、SF三井、PF流川、C花形。

Bチーム:PG宮城、SG藤真、SF長谷川、PF福田、C高砂。

 

宮城がハーフラインを越えた瞬間、音が増えた。スニーカーが床を削る音。息が混じる音。Aチームのディフェンスが寄る気配を、宮城が一つ一つ読み取るように歩幅を刻む。

 

次の瞬間、宮城の影が揺れた。爆発的な加速。Bチームの重心が一斉に前へ傾く。

 

スピードで守備を切り裂き、引きつけながら外へキックアウト。パスの先で、藤真がわずかに膝を曲げる。3Pの構え──。

 

神が、間髪入れずチェックに跳んだ。だが藤真は、その“間”すら読み切っていた。

 

鋭いクロスオーバー。身体が一瞬、霞のように揺れた。神の手が届く高さに藤真はいない。

 

流川がカバーに滑り込んだが、藤真は空中でバランスを変え、ダブルクラッチでかわす。着地の気配を消すように反転すると、リバースレイアップをリング裏から丁寧に流し込む。Aチーム10―13Bチーム。

 

「藤真さん流石っスね……キレッキレじゃないッスか」

 

「どこがだ?」

 

牧の低い声が落ちる。清田は肩をすくめ、小さく「いえ……」と声を沈めた。

 

藤真のプレーに浮かれる軽さを、牧は許さなかった。それほどに、あのひとつのプレーは──“まだ本気ではない”と牧は見抜いていた。

 

◆◆◆

 

審判のホイッスルが短く鋭く空気を裂いた。

 

「よし、第1ゲーム終了‼」

 

10分のミニゲームが終わり、そのまま10分間の休憩へ入った。スコアはAチーム16―19Bチーム。わずか3点。流れは互いにぶつかり合いながらも、まだどちらにも偏ってはいない。選手たちは汗を拭いつつ、それぞれのベンチに戻ってミニボードを囲んだ。Aチームは、三井がタオルで汗を押さえながら、花形と静かに反省点を言葉にしていく。

 

「スペース的に、もう少し中で面(ポジション)取ってくれると助かるな。あとスクリーンの角度、もうちょい徹底しようぜ。セカンドチャンスを与えすぎだ」

 

「そうか。じゃあ、次はもっと深く入ってプレーするように心掛けよう。それと──ボックスアウトは全員でやらなければ意味が無い。チームとして意識したいところだ」

 

三井と花形のやり取りは、互いの呼吸を知り尽くした者同士のそれだった。そこへ、仙道がボードの線を指でなぞりながら割り込んでくる。

 

「ボックスアウトは全面的に賛成ですね。でも……最初のスペーシングの話は異議ありです」

 

三井と花形が同時に仙道へ目を向けた。

 

「花形さんには動いてもらったほうがいい。せっかく3Pを打てる、貴重な“ビッグ・マン”なんですから。三井さんにスクリーンかけて……ダメなら外でボール貰って1on1でも良いわけですし」

 

「……成る程。確かに一理ある」

 

花形がうなずく。動くセンターである自覚もあるのだろう、その声には迷いがなかった。三井はペンをくるりと回しながら言う。

 

「ならさ、牧以外は全員3P外から打てるんだ。2ゲーム目、このメンバーで行くなら──5アウトでいいんじゃねぇの?」

 

5アウト。ゴール下に誰も立たない、外の五角形を主体とした、広いスペーシングのオフェンス。個の力を最大限に活かすのに最適な布陣。

 

「流川もそれでいいか?」

 

三井が話を振ると、流川は短く頷いた。その顔は無表情だが、呼吸は明らかにコンタクトと判断を欲している選手のそれだった。牧は……ほんのわずかに眉を下げる。「シュートレンジが狭い」と暗に指摘された形になったが、誰もそこに触れなかった。牧は牧で、ただ静かに次のゲームへ意気を蓄え始めていた。

 

◆◆◆

 

Bチームのベンチ。こちらは、Aチームとは対照的に空気がまとまらない。藤真がボードを持ち、落ち着いた声で切り出す。

 

「恐らくだけど、相手は1on1を効果的に作るためのオフェンスシステムを採用してくる。その対策なんだけど──」

 

しかし藤真の言葉が尻すぼみになるほど、Bチームの内部は個性が渋滞していた。

 

「いや、もっと俺をフリーにさせる動きをしろよ」

 

清田が福田に指をさす。

 

「黙ってろ、ベンチウォーマー」

 

福田は表情を崩さず、低い声で返す。

 

「“長谷田”さん、あんたもっと積極的に点取りに行こうよ。実力あるって皆分かってんだから。陵南の監督にも、消極的プレーは厳禁だって言われたでしょうが」

 

宮城が翔陽のエースへストレートに言い放つ。

 

「……“長谷川”だ」

 

短い訂正。だが、その瞳の奥にはわずかに静かな怒気が溜まっていた。普段、物腰の柔らかい長谷川が見せる“圧”。宮城は思わず背筋を伸ばす。

 

―――やべッ⁉

 

その空気を読んだ藤真が、ボードを閉じた。

 

「……えーと、じゃあ解散」

 

まとまらない戦術会議に見切りをつけ、この日のBチームは──フリースタイルへと方針転換された。それは同時に、藤真が「全員の“個”を引き出しながら勝つ」と腹を決めた証でもあった。

 

◇◇◇

 

仙道がゆっくりとボールを運び、センターラインを越える。重心の低いスキップのような運び。だが、その目だけは静かに獲物を見据える獣のように鋭い。Aチームの仲間たちの動きが、仙道のリズムに呼応するように変化する。

 

ひとつ深く呼吸を置いて――仙道が踏み込んだ。右。左。柔らかなフェイクで藤真をずらし、そのまま縦に加速する。流川がディフェンスの背中を読むように、滑らかにカットに入った。わずかな空間。だが、その一瞬を仙道は逃さない。肩越しにノールックのまま、手首だけでパスを押し出す。

 

――速い。

 

――ドンピシャ。

 

まるで流川の手のひらを最初から知っていたかのような角度。流川は、受け取った瞬間、一度だけ地面を踏みしめると、静かに跳んだ。無駄のないミドル。ボールが弧を描き、リングに触れた音が体育館に淡く響く。

 

陵南のエースから、湘北のエースへ。相性などという言葉では足りない、流れそのものの連携だった。

 

Aチームの次のオフェンス――。仙道はボールを受けると、あえてワンドリブルだけつく。軽く藤真を誘い、逆サイドのスペースを開ける。そのまま藤真にパス。藤真はわずかに目線を上げ、針の穴のようなコースを見つける。次の瞬間、流川の背中がしなる。静かに、速い。藤真から速射のようなパス。流川は着地のわずかな揺れを殺すようにショットに移行し、もう一度ネットを揺らした。

 

「……いいぞ、仙道・流川」

 

牧の声が、低く、だが確かな力を帯びてコートへ落ちた。その声を境に、緊張の糸が一段深く張り詰める。

 

「ピピーーーー‼」

 

突然のホイッスルが、フロアの空気を断ち切る。5対5のゲーム終了。毎週積み重ねてきた合同練習、全メニューが終わったのだ。高頭が手を叩きながら前に歩み出る。田岡もゆっくりと頷き、選手たちのほうへ進む。

 

「よし。皆、集合してくれ!」

 

選手たちは汗の匂いを纏ったまま、センターサークルへと集まる。走り続けた足がまだ微かに震えている者もいる。高頭と田岡の表情は、厳しさの奥に柔らかな光を宿していた。

 

「皆、今日までよく頑張ったな。関東ブロック大会も優勝し、あとは国体本番を待つのみだ。全国からブロック大会を突破した都道府県代表は全部で16。日程は5日間――4回勝てば、優勝だ」

 

高頭の声が静かに体育館に広がる。誰もが真剣に耳を傾ける。汗の落ちる音すら響くほどの静けさ。

 

「合同練習はこれで終わりだ。来週、大会で会おう。それでは――解散!」

 

田岡の締めの声が、深く重く、胸に残る。静寂の中で、選手たちの息づかいだけが続く。神奈川代表の、秋の国体がいよいよ始まる。

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