藤真のバスケ   作:ドラマ・ドラマ

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61.藤真と国体準々決勝(後半)

ハーフタイム。喧噪に満ちたスタンドで、しかしひとつのため息が波紋のように広がっていた。

 

「大阪ごときに、なんでこんな接戦なんだよ……」「がっかりだな。どこが優勝候補だよ」「神奈川の5番、ぜんぜん点取りにいかねぇし」「大阪の野次にビビってんじゃね?うわっ、ダッせ」

 

その言葉が、空気の綻びとなって漂う。桜木軍団が振り向くと、言葉の主である男達の背後に、静かに“影”が立っていた。

 

男たちは気づくこともできなかった。低い声音が背中を貫いた瞬間までは。

 

「……誰の野次が“小汚い”って?」「大阪“ごとき”やと?喧嘩売っとんのか、ワレ‼」「ちょっとこっち来いやっ‼」

 

振り返った男たちの顔から、血の気がゆっくりと引いていく。目の前には“ただならぬ気配”をまとった大阪の応援団。肩を掴まれ、スタンドの奥へと連れられていく。満員の観客席に、ぽっかりと空席が浮かぶ。だが誰ひとり、その席に腰掛けようとしなかった。

 

洋平たちは手を合わせ、小さく呟く。

 

「……くわばら、くわばら……」

 

観客席で“口は禍の元”を学ぶ者たちがいたその頃――

 

◆◆◆

 

大阪代表の控室では、別種の火花が弾けていた。

 

「―――もう一遍言うてみい、土屋‼」

 

凄んでくる岸本の声をよそに、土屋は深く、重い息を吐いた。そのため息には、苛立ちよりも“徒労”が宿っている。

 

「……せやから言うとんねや。後半もこのままラン&ガン続けても、勝たれへん。何回同じ話さすんや」

 

ラン&ガン――。その響きは軽快で華やかだが、裏側に潜むリスクは計り知れない。大量得点を狙える反面、守備の脆さと体力の消耗は凄まじい。息切れした途端、試合は一気に瓦解する。

 

「相手は、インターハイ二連覇の海南の主力や。 そこに“12番”や“15番”みたいな別格の一年生まで揃っとる。前半はほとんど好き放題やられてるんやで」

 

言葉を畳みかけるように、土屋は続ける。

 

「後半になって、あの層の厚さや。控えがドッと投入されたらどうするつもりや。オレらの足が止まった状態で、ラン&ガンなんて自殺行為や。カウンター食らって、終いに決まっとる」

 

岸本が今にも殴りかかろうと前へ出る。だが周囲が必死に抱え込んだため、事なきを得る。ラン&ガンを40分続けるというのは、もはや幻想に近い。選手を3グループに分け、1分ごとに総入れ替え――まるでアイスホッケーのような交代が必要だ。

 

混成チームでそれが実行できるはずがない。まして、土屋は分かっていた。―――“勝つための方法”は一通りではない、と。

 

土屋がチームメイトを見渡す。

 

「相手の5番。左利きの、あの藤真。なんでローテンポの中に時折ハイテンポ混ぜてくるか。分かる奴おるか?」

 

誰も言葉を返せない。沈黙が重く垂れ込める。土屋は、小さく頷きながら言った。

 

「緩急や。 トランジションの速い攻めと、時間を使った攻め。その両方で揺さぶっとる。 ずっと同じテンポやったら、守備はリズム取りやすい。けど途中で“速度”が変わると、一気にズレる」

 

例えるなら、と言葉を途切れさせることなく続ける。

 

「野球で言うたら、ゆっくりした球の中に突然“伸びる速球”が混ざる感じや。タイミング狂うやろ?あれと同じで、藤真は“揺さぶり”をずっと仕掛けてきとる」

 

土屋はスコアシートを広げ、指先でいくつかの数字を弾いた。

 

「ディレイオフェンスの時の得点、見てみい。ほとんど決まっとる。つまり――“意図的にリズム作っとる”ちゅうことや」

 

控室の空気が、じわりと重くなる。藤真と土屋。同じ司令塔として、互いの意図を読む者だけが理解できる“罠”が見えていた。

 

「ペースを乱され、追いつけそうで追いつけへん。それが前半の正体や」

 

そして土屋は、心の奥底で別の可能性を感じていた。

 

―――恐らく後半、奴は“変化球”を投げてくる。今見せてるのが速度違う二種類の“ストレート”だけやと思わせておいて……その裏に“もう一球”隠し持ってるはずや。

 

「……何、野球の話しとんねん。アホかお前、オレらがやっとんのはバスケやろうが‼野球なんて知らんわボケ‼」

 

控室の空気が一瞬凍りつく。岸本の怒声が壁に反響し、重い静寂を連れてくる。だが、土屋は冷静だった。

 

「やっぱり、お前。気に食わん奴をただ否定したいだけやろ。オレが何言っても……最初から噛みつく気満々やんけ」

 

岸本の目が見開かれ、怒りの色が濃くなる。その瞬間――

 

「やめんかっ‼。今は喧嘩してる場合ちゃうぞっ‼」

 

監督の声が、ようやくその場を縫いとめた。内部崩壊は、すでに始まりつつあった。後半が始まる前だというのに、大阪の控室には不穏な亀裂が走っていた。

 

◆◆◆

 

ハーフタイムの喧騒が遠くに霞み、控室には静かな呼吸音だけが漂っていた。その静寂を断ち切るように、高頭が長谷川の前に歩み寄る。

 

「……行けるか」

 

短く投げられた問い。長谷川はまっすぐ視線を返し、ほんのわずかな迷いもなく頷いた。

 

「問題ありません」

 

高頭は、その目を数秒だけ見つめ、ふっと満足げに口角を上げた。

 

「そうか」

 

その柔らかな声に、控室の空気がわずかに動く。続けて、横から清田が勢いよく一歩前に出る。

 

「監督、オレも行けます。準備できてます」

 

静かに手を挙げる福田。口数は少ないが、その瞳の奥は誰よりも燃えている。高頭はふたりを見渡し、ゆっくりと言葉を返す。

 

「分かっとる。お前たちの力も必要になる。必ず出番はある」

 

そこで一拍置く。控室に、張りつめた糸のような沈黙が生まれる。

 

「―――宮城」

 

その名が呼ばれた瞬間、小柄なポイントガードの肩がわずかに揺れる。前半の不完全燃焼を引きずったまま、視線は床の一点を射抜いていた。

 

「後半は、お前に託す」

 

高頭はその眼前に立ち、逃げ場を与えない静かな声で続けた。

 

「自分で言ったんだろ、№1ポイントガードだとな。なら、後半で証明してこい」

 

宮城は息を飲む。胸の奥に重かった何かが、ゆっくりと熱に変わる。言葉は出ない。ただ、強く頷いた。そのとき―――

 

「……俺は、まだ認めていないがな」

 

牧の低い声が落ちた。感情を抑え込んだ、硬質な声音。それだけで部屋の温度が一段下がる。視線だけが交錯する。宮城はわずかに眉を寄せたが、言い返さない。ただ、前を見る。牧もまた、静かに息を吸う。

 

その空気を割るように、藤真が口を開いた。

 

「……牧。そういう言い方は、ただの圧にしかならない」

 

穏やかな声音だが、そこに含まれる芯は鋼のようにまっすぐだ。牧が横目で藤真を見た。二人の間に、わずかな火花のような緊張が走る。力と力。意志と意志。田岡はその様子を少し離れて眺め、ふと胸中で呟いた。

 

―――強い者が二人いれば、必ず極は対立する。その対置は、避けようがない。力とは本来、ぶつかり合うようにできている。人もまた、同じだ。惹かれ合うほど、反発も生まれる。それを乗り越えたときにだけ、真の“チーム”は姿を現す。

 

だからこそ―――この静寂は悪くない、と田岡は思った。

 

この緊張は、決して崩壊の前触れではない。むしろ、戦う覚悟が濃く凝縮されてゆく、前線直前の気圧のようなものだ。誰もが理解している。後半は、もう誤魔化しのきかない時間になる。

 

◇◇◇

 

後半、神奈川は一気に“戦術モード”へ舵を切った。PG宮城、SG神、SF三井、PF長谷川、C高砂。前半とはまったく違う、外角重視の布陣。加えて守備では堅実なヘルプローテーションが期待できる五人。

 

対する大阪は、PGに土屋、そしてSGに豊玉の二年生―――大阪予選得点ランキング3位、純粋なスコアラーである板倉を投入。インサイドはそのまま高さと身体の強さで勝負を狙う布陣だ。

 

神奈川 38-32 大阪。第3Qのジャンプボールは大阪が制し、ボールは土屋へ。

 

―――後半もラン&ガンで押し切るつもりか……。心中する気やな、こいつら。

 

土屋は、相手の5アウトぎみの布陣を睨みながら、胸中で静かに吐き捨てた。

 

「オレに回せ!」

 

岸本が強く手を挙げる。土屋は即座に読み取り、ウイングへパス。長谷川がマッチアップ。

 

「行くで、9番」

 

岸本は得意のリズムチェンジから1on1を仕掛ける。だが―――長谷川は一歩も引かなかった。腰を落とし、ドライブラインを徹底して消す。ステップで左右に揺さぶっても、長谷川の重心はまったくブレない。

 

「ナイスディフェンス!」「ドリブル止まった!」

 

岸本が舌打ちする。

 

―――チッ……。前半とは別人みたいやな。

 

仕切り直そうと、岸本が土屋へボールを戻そうとした瞬間―――横から、鋭い手が差し込まれた。

 

「……っ!」

 

スティール。三井の読みが完全に勝った。

 

「ナイススティール!!」

 

そのまま宮城へアウトレットパス。大阪は切り替えが遅れる。戻れたのはセンターと南の2人だけ。

 

「アホか……! ドチビが突っ込んできよった!」

 

だが宮城は一切迷わない。2人を引きつけると同時に、股下から後方へスルーパス。

 

―――パス!?

 

飛び込んできた長谷川が、そのままリングへ叩き込む。神奈川40-32大阪。次の大阪の攻撃。土屋は三井の脇を通すスキップパスを出し、後半から投入された板倉へ。

 

「止めてみぃや、ドチビが!」

 

宮城がマークにつくが、板倉のジャンプは高い。体幹の強さ、空中での安定。 綺麗なシュートフォームから放たれたスリーは、軌道に一切のブレがない。沈む。神奈川 40-35。

 

大阪代表の応援席が大きく揺れた。だが宮城は挑発を見ても振り返らず、すぐさま速攻をセットする。コートを一気に縦に割り、4対3の優位をつくる。

 

センターがブロックに飛ぶ。その瞬間、宮城はわずかに速度を緩め―――パス。高砂がキャッチし、即座にコーナーの三井へ。

 

三井はキャッチとほぼ同時にクイックリリース。放った瞬間にバックコートへ走りはじめる。ネットだけを揺らす、美しい弧。神奈川43-35大阪。観客席がざわめく。

 

大阪は板倉→岸本→南と細かなパスワークでボールを繋ぎ、最後は南がスリーを決め、5点差となる。

 

「ええぞ南!」「スリーにはスリーや!」

 

だが―――神奈川は揺れなかった。

 

リバウンドを取った高砂が即座に宮城へ。宮城は前半よりもさらにギアを上げている。トップへ神が上がり、パスを受けるとワンドリで南を外し、迷いのないスリー。

 

神奈川46-38大阪。

 

「出た!海南・神のスリー!!」

 

観客席がどよめく。大阪はすぐにリスタート。板倉が岸本からボールを受けると、アメフトのQBのように鋭いショルダーパスで土屋へ。

 

土屋は一瞬のズレを見逃さず、鋭いカットイン。三井をかわし、ポンプフェイクで高砂を浮かせ――身体をぶつけながらシュート。

 

笛が鳴り、一瞬の間の後、審判の声がフロアに響く。

 

「バスケットカウント! ワンスロー!」

 

フリースローも沈め神奈川が5点差に引き離す。

 

―――しゃーない。乗り掛かった舟や。ここで降りられるかい。

 

土屋は腹を括っていた。司令塔としてやるべき事だけをやる。ラン&ガンの暴走ではなく、制御された速攻を仕掛ける覚悟だった。

 

だが、土屋の決意をあざ笑うかのように―――神奈川のテンポはさらに加速する。

 

宮城が板倉をスピードで置き去りにし、綺麗なフローター。即座に板倉が南へパスし返すが、南のスリーはリングに弾かれる。

 

高砂が冷静にリバウンドを確保。そのまま神→宮城→三井へと、見事な三段速攻。

 

「スリーあるぞ!」

 

大阪が叫ぶも、三井は構わず打つ。打ち切る。沈める。神奈川51-41大阪。ついに10点差。大阪は尚も走るが、神奈川はそれ以上のテンポで走り、外から刺してくる。

 

―――前半より展開が速い……。さらにこの精度の3P……。これが“変化球”か。

 

土屋は戦慄していた。

 

―――速度の緩急だけじゃない。外角中心に切り替え、インサイドの負担も軽くしてきよった。選択肢の多いチームやからこそできる芸当……ホンマ厄介な相手や。

 

追いつきたい大阪だったが―――岸本がスピードに乗ったまま攻め込んだタイミングで、長谷川が見事に正面で受け止める。

 

笛が鳴り、審判からファウルが宣告される。

 

「オフェンスチャージ!」

 

「ナイス、長谷川!!」

 

会場に神奈川の歓声が広がる。

 

その直後、神がベースラインへ流れると、背後から長谷川のスクリーン。南と岸本のスイッチが一瞬遅れる。そのわずかな“間”で、神がセットショットに入る。

 

――放つ。落ちない。沈む。

 

「また来たーー!!」「神のスリーだ!!!」

 

もはや“ディフェンスがついているかどうか”ではない。神は“打てば決まる”領域に入りつつあった。宮城のアシストを受け、神・三井の二枚看板が、正確無比なスリーで得点を積み上げる。

 

点差はじわり、じわりと広がり―――神奈川 82-61 大阪。残り5分。

 

コートに漂う空気はもう“走り合い”ではなかった。緩急と外角と速度―――“変化球”の正体は、神奈川の持つ全ての選択肢を、後半一気に解放した総合攻撃であった。

 

◆◆◆

 

神奈川は藤真、清田、長谷川、福田、そして花形──コートに送り出された五人が、残り時間を一気に駆け抜けるための布陣だった。

 

静かに深呼吸をした藤真が、ボールを床に一度だけ叩く。その音が、体育館の空気を締めるように響く。

 

南と土屋が高い位置で構える。二人の視線が藤真へと刺さる。だが藤真は、挑むような鋭さではなく、研ぎ澄まされた刀のような静けさで応える。

 

一瞬、ほんの一拍の“溜め”。その後、藤真の身体が滑るように前へ出た。

 

背後へ流したパスは、見えていたとは思えない角度。長谷川は、まるであらかじめそこに自分が吸い寄せられることを知っていたかのように跳び上がり、リングに向かって沈み込むようなアリウープを叩きつけた。

 

「……視野の広さと判断力。あれは、もう芸術だな」

 

腕を組んだままの魚住が、低く感嘆の声を漏らす。隣には赤木。いつの間にか二人は並んで試合を見つめていた。

 

赤木は静かに頷く。

 

「宮城もキャプテンとなってから、選手として一回り成長した。が──やはり藤真は別格だ」

 

◇◇◇

 

大阪のパスをカットしたのは清田だった。跳躍の瞬間、まるで身体が光を放ったかのように見えた。

 

「おおおおっ‼」「取ったぞっ‼」「あの14番、どれだけ跳ぶんだ‼」

 

会場のざわめきが追いかけてくる。前を走る藤真は、シュートモーションに入る。誰もが“打つ”と思った。大阪のディフェンスも、反射的にブロックに跳んだ。

 

──その瞬間。

 

藤真は静かに、迷いなく、背後へボールを落とす。そこに清田がいた。さっきよりも一段高く跳び、空中でわずかに身体をひねり、リングに叩きつける。

 

赤木の声が低く響く。

 

「完全に思い込ませたな……ブロックに跳んだ時点で勝負は決していた」

 

藤真は緩やかな息を吐く。その次のプレーでは、鋭いドライブからディフェンスの出方を見切り、空中で動きを変え、柔らかなレイアップに切り替えた。

 

「ジャンプしてから……あの一瞬で選択を変えたのか」

 

隣で魚住が唸る。単なる技巧ではない。状況を“見ている”。それが圧倒的だった。

 

◆◆◆

 

そして──残り時間わずか。人の気配が一度ふっと静まるような“間”が生まれ、藤真がボールを受けた。二人のディフェンスが挟みに来る。その狭間へ、藤真は迷いも躊躇もなく身体を滑り込ませた。

 

一瞬の静寂。そして、空気を切り裂くように彼の身体が回転した。

 

──360度。

 

コートの照明が一回転の軌跡をなぞる。視線も、歓声も、追いつけなかった。回転を終えた藤真が、リングへと優しくボールを置く。吸い込まれるようにネットが揺れた。

 

「どわあああああっ‼」「回ったぞっ‼」「空中で一回転⁉」「……化け物か‼」

 

今日一番のどよめきが、会場全体を震わせた。コートの向こう、土屋が肩で息をしながら呟く。

 

「……強いわ、神奈川……完敗や。──今日のところは、やけどな」

 

汗を拭いながら、冬の選抜での再戦を胸に刻む。試合終了のブザーが鳴る。最終スコア、神奈川106──79大阪。静かに、しかし確かな熱を残して勝負は終わった。そして、明日。彼らの前に立ちはだかるのは──

 

“愛知の星” 諸星大。“怪物センター” 森重寛。

 

愛知代表との準決勝が、静かに幕を開けようとしていた。

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