圧倒的フィジカルと異常な得点効率でインサイドを蹂躙するビッグマン。リムプロテクターとしての存在感、リバウンドの支配力――そのすべてが相手チームに“恐怖”として作用する。高校カテゴリーで頭ひとつ抜けた支配力を持つ森重であったが、明確な穴があった。フリースロー精度の低さ。そしてアウトサイドの欠如。
その弱点を序盤で見抜き、試合の流れを奪ったのは、やはり海南の屋台骨――牧と花形を中心とした神奈川代表だった。
「ファウル、白8番――プッシング!ツースロー!」
コールを受けた瞬間、会場がざわつく。
平均35.6点、13.5リバウンド、4.6ブロック――インターハイを蹂躙した怪物が、再びフリースローラインへ。
しかしその表情は硬く、まるで“この場所そのもの”を避けようとしているかのように足が止まる。ほんの数秒の逡巡。深く息を吐き、肩を揺らし、ようやく構えた。
高頭はベンチから扇子を静かに扇ぎ、わずかに目を細める。案の定、一投目が大きく外れた。次の瞬間、観客席の熱が爆ぜた。
「だぁあああーー‼また外したぁあ‼」「これで六本連続だぞ⁉」「勝つ気あんのかよ‼」「もう下から投げろ。下から‼」
夏の全国大会を経験したとはいえ、森重にはまだ“プレーヤーとしての課題”が山積していた。状況判断、セットオフェンスの理解、非利き手ドリブル、そして――フリースロー。
高頭は牧の方へゆっくり視線を送る。牧は、承知とばかりに微かに頷いた。
――巨大な手のひらは、パワーとリバウンドでは武器だが、繊細なリリースが要求されるフリースローではデメリットになる。
海南を全国制覇へ導いた名将は、そのリスクを見逃さなかった。
―――ダメだ……入るイメージが全然湧かねぇ。
観客の罵声、苛立つチームメイト、外すことを期待して見つめる相手選手――責任と重圧が森重の背中に貼り付いていた。思わずベンチを見てしまう。その行動に自分で気づき、顔をしかめた。
―――練習しろってあれだけ言われてたのに……今さらかよ。
楽天家で努力嫌い。代表メンバーに弱点を指摘されても、森重は笑って受け流していた。だが、そのツケが今まさに最大の試合で牙を剥く。
審判がボールを手渡す。力なく受け取り、ためらいながら放った2本目は、前に落ちてしまい――シューターヴァイオレーション。
「おい、せめてリングには当てろよ‼」「入ったの最初の一本だけじゃねぇか‼」「七連続だ七連続!分かってんのか⁉」「目ぇ瞑って打ったほうが入るだろ‼」「ワザとだろコレ⁉」「負けたらテメェのせいだぞ‼」
期待は失望に変わり、失望は怒りに転じる。積み上げてきた名声すら、今の失態がすべて呑み込んでしまうかのようだった。愛知代表は完全にリズムを崩した。歯車は噛み合わず、連携ミス、ターンオーバーが連鎖する。
対する神奈川は、牧を起点に神、仙道へと正確に展開。着実に加点し、点差を広げていく。スコアは20―9。神奈川が11点リードしたところで、愛知がタイムアウトを要求。
“最強センター”の急失速は、チーム全体に暗い影を落とした。本来なら武器になるはずの存在が、今は重しとなっていた。愛知のベンチには沈黙が落ち、逆に神奈川の空気は静かに、しかし確実に上昇していた。
試合の潮目が、はっきりと変わった。
◇◇◇
タイムアウト明け。重苦しい空気を切り裂くように、諸星が一歩前へ出た。その瞬間、試合の温度が一段跳ね上がる。
一振りのクロスオーバーで牧を剥がし、ためらいなく放った深い位置からのスリー―――沈む。次のポゼッションでは仙道の腕をすり抜けるようなステップバック―――また決まる。さらにファストブレイクの流れを強引に引き寄せ、ディフェンスが整う前に打ち抜く三発目。
“愛知の星”の異名を体現するような、獅子奮迅の連続得点。
「スゲェっ‼」「また諸星だぁぁーー‼」「3連続3Pっ‼」「流石、愛知の星‼」「これで7点差‼」「射程圏内だぞっ‼」
観客の熱狂が一気に愛知側へ傾く。神奈川25-18愛知。愛知が追いすがるというより、エース一人が試合の構造をこじ開け始めていた。
前半残り5分を切ると、神奈川ベンチが動く。花形が疲労と3つの個人ファウルを抱え、悔しげにベンチへ下がる。代わってコートへ向かったのは―――藤真。
瞬間、空気が変わった。藤真がSF、仙道がPF、高砂がCへスライドする変則布陣。神奈川の狙いは明確。“頭脳”をコートに投下し、試合のリズムを組み直す。
―――出てきたな。夏の借りを返す相手がやっと揃ったぜ、藤真。
諸星の目が鋭く細まる。
インターハイ準決勝。山王との激闘の末に全てを使い果たした湘北に圧勝した愛和学院は、続く海南戦で91-61―――完敗であった。諸星は悔し涙を隠せなかった。それ以来、彼の胸の奥には一本の棘が刺さり続けている。
勝ちたい相手は、目の前にいる左利きの男だった。
「やっと出てきたか、藤真‼」
「夏以来だね。よろしく」
「怪我して途中交代するなよ?“ガラスのエース”」
「その言葉そっくり返すよ。愛知予選みたいにダンクで吹っ飛ばされて、担架で運ばれないようにね? “ひ弱の星”さん」
その一言に、諸星の頬がピクリと引きつる。対する藤真の表情は淡々としていた。だが、牧は横目でそれを見て、チームメイトが必死に“柔和であろう”としている努力に気付く。
「フフフフッ……」「ははははっ……」
似た者同士の二人。互いの矜持をぶつけるような言葉の投げ合い。前哨戦は、笑顔とも苦笑ともつかない微妙な表情を残して幕を閉じた。
◆◆◆
「森重っ‼」
諸星が切り裂くようにゴール下へパスを通す。その瞬間、牧の声が飛ぶ。
「高砂‼ 後ろだっ‼」
だが遅かった。振り返った高砂の視界に、すでに森重の巨大な影が迫っていた。ボールを掴んだ瞬間、床が震えるような衝撃音―――豪快なダンクが叩き込まれる。
「来た来た来たーー‼」「待ってました‼」「相変わらずスゲェダンクだっ‼」
―――いつの間に背後に…。この巨体で、この俊敏さ…。
花形が下がった途端、愛知は再び“怪物”の一点突破に舵を切る。スクリーンで藤真を剥がした諸星が、森重が高砂を振り切った一瞬の隙に完璧なパスを差し込む。その連携は、まるで夏の悔しさを燃料にしたかのように鋭かった。
神奈川25―20愛知。
「流石、諸星。良いパス出すピョン」
観客席で深津が静かに呟いた。褒め言葉のはずなのに、妙に淡々としているのは、彼自身がその実力を十分理解しているからだ。
一方、神奈川の攻撃は藤真の1on1を軸に立て直されていく。トップから仕掛けた藤真は、クロスオーバーで諸星を一発で置き去りにした。電撃のようなドライブでペイントに侵入し―――跳ぶ。
―――やらせねぇ。
森重も跳ぶ。だが藤真はトップスピードのまま、腕のひと振りで“森重の壁”をねじ伏せた。強引なボースハンドダンク。
―――ッ⁉
「ファウル、青15番(森重)‼ バスケットカウント・ワンスロー‼」
会場が沸騰する。
「うおぉぉぉぉぉーーー‼」「キャーーーーーっ‼」「信じらんねぇーー‼」「ねじ込んだぁぁーー‼」「森重の上から叩き込みやがったっ‼」「何て高さと速さだっ‼」「ありえねぇぇぇ‼」
藤真のダンクは、観客の歓声よりもむしろコート上の選手たちに深い衝撃を落とした。神奈川には、エースが試合を掌握したという揺るぎない安心感。愛知には、“諸星と森重でも止められない”という冷たい現実。
森重はファウルを告げられたまま、虚空をただ見つめている。動揺というより、心に一瞬、大きな空白が生じていた。藤真は静かにボーナススローを沈め、3点プレイ成立。神奈川28―20愛知。
◇◇◇
愛知のPGがハイポストへボールを入れた瞬間、神奈川のディフェンスが一斉に森重へ収束した。しかし巨体の怪物は慌てない。視野は広く、判断は速い。外を回り込んだ諸星へ、正確なパスを吐き出す。
3Pラインの外で構えていた“愛知の星”は、迷いなく射出体勢へ―――だが、そこに藤真が割って入った。跳躍すると左手一本が差し込まれ、クリアでクリーンなブロックが完成する。反則の気配すら無い、教科書のような止め方だった。
「おおぉぉぉぉ‼」「“愛知の星”をブロックしたっ‼」「藤真が完璧に止めたっ‼」
その勢いのまま、藤真が流れを奪い取る。森重が一瞬ボールを下げたタイミング―――鋭い手が割り込み、スティール。左サイドから加速し、愛知の戻りを次々に置き去りにする。最後はヘルプに来たSFに身体をぶつけながら、強引にレイアップをねじ込んだ。
「キャーーーーっ‼」「速ぇぇぇぇっ‼」「藤真くーーん‼」「何て突破力だ‼」「ディフェンスをものともしねぇ‼」
秋田代表の松本が唸る。
「何て奴だ…。今一瞬、顔でフェイク入れてから抜き去りやがった」
―――クロスオーバーだけでも厄介なのに、動きに細かなフェイントを織り込むとは…。
アジリティだけじゃねぇ、スキルも一級品だ。
河田までもが低く唸った。
「……アンビリーバブルや」
前髪をかき上げてフリースローラインに立つと、会場の女性ファンが一瞬ざわめく。記者席の相田も、もはや完全に藤真の虜になっていた。AND1を沈め、再び点差を二桁へ押し広げる。神奈川31-20愛知。
愛知の攻撃。諸星がボールを運び、森重へのインサイドを狙うが―――神奈川は堅牢な2-3のゾーンで内を完全に封鎖していた。
「2-3だっ‼」「あれだけ中を固められると厳しい‼」
ならば、と諸星は一歩引いて3Pモーションを取る。
「外だっ‼」「スリー‼」
牧が跳んだ瞬間、諸星はハイポストのPFへパス。そこからギブ&ゴー、さらにハンドオフへ流れる連続アクション。諸星は再びペイントへ切れ込み、バックボードに軽く当てる―――落ちてきたボールは、ゴール下の怪物・森重のもとへ吸い込まれた。森重、迷いなくバンクショット。
「良いぞ、森重‼」「ナイスアシスト、諸星‼」「諸星・森重の最強コンビが神奈川のゾーンを崩した‼」
だが、その返しも速かった。45度から仕掛けた藤真が、鋭いフェイクで諸星を振り払い、
ディフェンスの狭間をこじ開けるように飛び込み―――空中で体をひねってダブルクラッチ。美しい弧を描く。
「すぐに返した‼」「何てキレだ‼」「エース同士がバチバチだっ‼」
笛が鳴る。息つく暇もない。だがスコアは思いのほか、差を如実に表していた。神奈川35―24愛知。
前半終了。予想以上に点差のつく展開。だが、それでも“試合の火種”はまだ消えていなかった。