藤真のバスケ   作:ドラマ・ドラマ

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65.藤真と国体決勝

“柔のセンター”と呼ばれる男が、わずかに左肩を前へ押し出した。その姿勢は、無駄も力みもない。ただ、これから起こる衝突を静かに迎え入れるための構えだった。

 

対する花形は、長く全国の強豪たちとゴール下で相対してきた男として、その正面に立つ。眼前の河田──夏を経て変貌した巨躯を見据える。微動だにしないその風格。呼吸のたびに隆起する肉体が、静謐でありながら圧倒的だった。

 

まるで内側から滾る闘争心を、試合開始のその瞬間まで厳重に閉じ込めているかのように。花形は思う。“静けさ”がここまで威圧になることがあるのか、と。

 

あの夏の敗戦は、河田を変えた。試合直後は切歯扼腕した。だが三日も経つ頃には、悔しさは山王の名を汚したことへの慟哭へと変わった。そして、実弟とともに、己の弱さを叩き出すようにトレーニングに没頭した。

 

精神の揺らぎを肉体から追い出すように、限界の先へ。積み重ねた日々が、筋肉の一本一本に純度として宿る。

 

逸る気持ちを抑えて、昂揚と冷静の波を何度も行き来しながら、その爆発の“刻”を待つ。沈着剛毅な男は、花形の視線に気づく。そして──ふっと笑った。

 

最強と呼ばれた者の矜持。敗北を飲み込み、それでもなお前へ進む者の覚悟。

 

河田は、その全てを大腿四頭筋に蓄えた。床を割るほど踏み抜き、毛細血管が悲鳴を上げ、凝固した血液が灼熱で溶けるかのような──そんな荒唐無稽なイメージを描きながら。

 

最高到達点を越える跳躍を実現するために。審判の指先からボールが離れた瞬間、河田は大地を抉るように踏み込んだ。

 

―――高いっ。

 

膝下の前脛骨筋、長趾伸筋、下腿三頭筋が連動し、爆発的な力が大臀筋から腸腰筋、脊柱起立筋へと走る。それは練り上げられた武器のように、最後は三角筋、大胸筋へと伝達され、巨体を天井へと弾き飛ばす。

 

不撓不屈の精神と不断の努力。その結実が花形の頭上で炸裂した。201cmのジャンパーを押し返す跳躍。しかし──先に触れたからといって、全てが決まるわけではない。

 

軌道を読んだ仙道が、浮いた球に瞬時に反応した。跳び、掴み、そのまま体勢を崩さず前へパスを放つ。ティップオフと同時に走り出していた男──流川へ。

 

◇◇◇

 

―――喰らえ。

 

寡黙な一年生エースは、翼を広げるように跳んだ。軸は一切ぶれず、動きは美しく、そして獰猛だった。中空を舞う猛禽類のような、優雅さと破壊力の同居。

 

しかし──その瞬間、別の影が跳ねた。アメリカ行きを遅らせた秋田のエース、沢北栄治。

 

背後から伸びた腕が、流川のボールをそのまま後ろへと掻き出す。会場の空気が凍りついたように息を飲む。一拍の静寂――それは、神奈川の流れを裂くような、秋田の反撃であった。

 

前に立ちふさがる“怪物”牧の重さを、まるで風がすり抜けるかのように沢北は抜き去った。一瞬、会場の空気が揺れる。

 

さらにその先、中学一年から東京都代表に選ばれ、“天才”と呼ばれる仙道が身構える。だが沢北は、その仙道の間合いさえも読み切り、流れるようなステップでかわしていく。

 

加速するたび、床を蹴る音がひときわ鋭く響いた。疾風のごとくフロントコートへと突き進む背中――その姿は、獲物を見つけた猫科の獣がしなやかに走り出す瞬間と重なる。

 

押し寄せる静寂。そして、破裂するような歓声。観客席は、今の“たった数秒”に心を奪われていた。

 

舞い上がる跳躍は、流川と同質でありながら、どこか研ぎ澄まされた“孤高”を帯びていた。花形の頭上へ叩き込む、豪快なダンク。跳び箱のロイター板を踏み切ったかのような加速に会場が震える。

 

沢北の脳裏を掠めたのは、ここへ来るまで浴びた数々の言葉──期待外れ。セルフィッシュ。戦犯。バスケ経験もない者達からの無責任な罵声と誹謗中傷。

 

そのすべての雑音を、今の一撃で塗りつぶす。

 

AND1。沢北は静かに、だが確固たる意志でフリースローを沈める。寒威烈しく、険しい道を一人で切り開いてきた孤高のエース。山王工業──絶対王者の看板を背負う者の牙が、静かに、しかし確かにむき出しになる。

 

王朝復活を告げる反撃の狼煙が、今、立ち上った。負けの許されない名門が、挑戦者として牙を研ぎ、神奈川へ襲いかかる。

 

◆◆◆

 

王座奪還を掲げる秋田選抜のマンツーマンが、コート全域を引き締めていた。深津、松本、沢北、野辺、河田――。神奈川の主軸である牧、三井、流川、仙道、花形へ、それぞれが迷いなく噛み合う。

 

神奈川の攻撃は、ただ前へ進むことすら容易ではなかった。ボールは確かに動いている。だが、秋田の誰ひとりとして一瞬の緩みを見せない。その圧力の波に押され、パスの角度がわずかに狂い、ディフレクションを誘う。

 

牧がなんとかルーズボールを拾う。しかし深津は、間合いを切らさない。絶えず距離を詰め、呼吸を乱し、攻撃時間だけが容赦なく削られていく。神奈川のリズムは途切れ、重く、鈍い。

 

――残り、三秒。

 

三井の視線が、狭い隙間を射抜く。45度で流川が受けた。流川と沢北――注目のマッチアップ。秋田の守備が完全に形を作りつつある、その刹那。

 

流川の足が、左へ弾けた。沢北が誘導する“方向”とは逆。爆発的な加速。空気が裂ける。

 

流川の跳躍に合わせて野辺が飛ぶ。その体勢を読み切り、流川が右脇腹のわずかな隙に腕を滑り込ませる。

無機質な機械音がフロアに響く―――その直前、流川の左手が柔らかく弧を描いた――ダブルクラッチ。

 

ネットが揺れる。秋田3―2神奈川。会場が震える。そう錯覚するほどの鮮やかなシュートであった。

 

秋田の攻撃。沢北がボールを受けると、流川が迎え撃つ。無駄のない踏み込み。ノーモーションから切り裂くような一歩。流川は食らいつく。簡単には抜かせない。

 

しかし、沢北のオフハンドが流川の腕を制し、重心を奪う。背を向けたまま軸足がわずかに回る。滑らかなターン。その流れのまま放たれたシュートは、彼の1on1スキルをすべて凝縮したような完成度だった。

 

秋田5―2神奈川。秋田の主導権が、徐々にフロアを浸透し、その色を濃く、そして深くしていく。

 

続く神奈川の攻撃。牧が花形を呼び、ハイピックへ。河田が牧に、深津が花形に対応する。

 

――瞬間。

 

河田の長い腕が、牧のパスを断ち切った。秋田の速攻となり、河田が巨体とは思えぬ速さで一気にフリースローラインへ到達する。ジャンプボールで見せた跳躍が質量に見合わぬ滞空時間を演出する。牧が体をぶつける。止めにいく。だが、河田の頑強な体は空中で揺るがない。

 

バンクショットが決まり、さらにワンスローを獲得する。観客席のどよめきは、もはや熱狂へと変わっていた。

 

センターでありながら、ハンドラーであり、ゲームメイクも担える。“ハイブリッドビッグマン”の3点プレイ。神奈川の帝王・牧の得意分野を完全に奪い去るような一撃であった。

 

――手強い。

 

牧の胸奥に沈んだその言葉は、ベンチにも伝わり、空気を重くした。

 

ベンチを見る。高頭監督は扇子を顎にあて、沈黙のまま思索に沈む。牧は再びコートへ視線を戻した。重い背中の向こうで、河田のフリースローが静かに決まる。秋田8―2神奈川。

 

牧がエンドラインに下がり、ボールを受けようとした――その瞬間、背後の気配が濃くなる。花形からボールが渡された刹那、秋田が動いた。

 

深津、沢北による即時のダブルチーム。その背後には野辺と松本が控え、河田が最終ラインを固める。山王の代名詞、オールコートプレス。コート全体が"名門の伝統"に染まる。

 

牧は冷静に三井へのパスを選択する。だが、沢北の指先がわずかに触れ、軌道が乱れた。三井へ向かったボールを、松本が奪う。ゴールへ一直線へ向かうと花形が跳んだ。届く――かに見えたが、松本は強引に体をぶつけた。

 

シュートが落ちた瞬間、ホイッスルが高らかに鳴る。

 

「ファウル!! 白6番!バスケットカウント・ワンスロー!!」

 

花形が呆然と手を上げる。対照的に、松本は微かに笑った。山王サイドに響く大歓声。秋田が完全に流れを掴む。ボーナススローも決まり、再び秋田のオールコートプレスが襲いかかる。

 

牧が突破を図るが――オフェンスチャージングを取られる。神奈川に焦りが一気に広がる。

 

秋田の攻撃。沢北が静かにドリブルを刻む。流川が呼吸を合わせるように間合いを詰める。だが、沢北の切り返しは一瞬だった。クロスオーバーからの加速。ペイントへ侵入し、仙道の頭上へとフローターを落とす。秋田13―2神奈川。

 

歓声が、波のように揺れる。山王サイドが熱狂で吹き荒れる中、神奈川のメンバーの表情は暗く、重い空気が漂う。次の瞬間、タイムアウトのブザーがけたたましく鳴り響く。流川の技ありのシュート以降、硬直した神奈川の攻撃。あっという間に広がった二桁差という戦前の予想とはまるで違う現実に、神奈川側の応援席は、重く湿った沈黙に包まれていく。

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