タイムアウト明けの秋田のオフェンスは、ただのセットプレーではなかった。深津がトップで一拍ため、ディフェンスの静止を引き出したその瞬間――パスはコーナーの沢北へ。
流川は正しいクローズアウトをした。腰を落とし、右足から入る教科書通りのアプローチ。だが、沢北はその“正解”を逆手に取った。わずかなショルダーフェイク――ポンプフェイクに対し、流川の重心が前へ出る。
その一瞬のズレを、沢北は逃さない。インサイドフットでライン際を切り裂き、ギャップを縫うようにペイントへ侵入。電光石火のドライブ。ヘルプが来る前にリムへ到達する、まさにエリートウイングだけが見せるスピードだった。
エースの秋田が高く跳ぶ。空中での姿勢保持が異様に長い。そこへ花形がローテーションで飛び込む。そのブロックを、沢北は空中で“二度目の決断”――ダブルクラッチでかわした。
一度ボールを引き下げ、身体の裏側へ回し込む。そして、リングの裏側からねじ込むリバースダンク。通常の選手なら高さも角度も足りない位置から、沢北はあたかも空気をつかんで滞空しているかのように、確実に叩き込んだ。
そのプレー自体が、常識の外側にあった。スタンドの声が、一拍遅れて爆ぜる。
◆◆◆
秋田のエースの異次元の一撃に、神奈川の選手たちは言葉を失った。静かな嘆息がコート内外に滲む。
「あれが……山王工業の沢北か」
高頭監督の隣で戦況を見つめていた田岡の声は驚嘆というより、確認に近かった。苦難の時代を越え、積み重ねた基礎と規律。その頂点に立つエースが国体という舞台で、再び覇権奪還を告げるように光を放つ。インターハイ王者・神奈川ですら呑み込まれる、秋田・山王の“再始動”を象徴する瞬間だった。
その勢いのまま、秋田は守備でも圧を高める。前線で深津と沢北が牧へハードショウのような形で圧迫をかけ、パスコースを切り続ける。三井がなんとか受けるが、体勢は苦しい。ボディバランスを崩しながらも次のパスへつなぐが、野辺と仙道が同時にボールへ飛ぶ。
「ファウル!! 白12番(仙道)!!」
先に触ったのは野辺。仙道がわずかに遅れ、接触がファウルとなった。再び秋田ボール。
松本のスローインから、沢北がトップの外で構える。流川がタイトにマークし、完全に1on1の構図となる。
沢北はわずかに膝を沈め、シュートフェイク。見えるのは“レイアップに行くフォーム”。だが、そのリリースは明らかに違う。
リングへ向かって放られた軌道。流川が反応するより早く、会場全体が理解する。――それはシュートではない。
「アシスト……!?」
神奈川ベンチで腕組みをしていた清田が、思わず立ち上がった。
沢北の視界には、走り込む河田の姿が最初からあった。リムの少し上で河田がボールをキャッチし、そのまま豪快に叩き込む。
アリウープの完成。秋田のエースがパスで支配力を示し、河田がフィニッシュで締める。
山王の“王朝”が、かつての姿を取り戻したような得点だった。スタンドは歓声というより、もはや狂乱に近い熱を孕んでいた。秋田17―2神奈川。
◆◆◆
神奈川ベンチが動く。流川に交代を告げ、投入されたのは――藤真。どのポジションでも点を取れ、流れを変えられるペースチェンジャー。思考のスピードも、判断力も、バスケットIQも高い。攻撃のリズムが途切れたチームを、一瞬で再起動させることのできる“第六の男”だった。
コートに入ると同時に、藤真は仲間の背中を強く叩く。
「シケた顔すんな。国体決勝だぞ。もっと楽しめよ」
声は軽い。だが、響きは深い。
「花形は引き続きボール出し。仙道と三井は前へ走れ。牧と俺で運ぶ。――前半終了までには追いつくぞ」
円陣の中央で放たれたその言葉に、神奈川の4人は気づいた。張り詰めていた全身の筋肉が、いつの間にか固まっていたことを。藤真の声が、それをほどくように広がっていく。
◇◇◇
交代直後、藤真の存在感が増す。エンドライン付近で花形からボールを受け取った刹那、彼は迷いなく沢北の股下を射抜く鋭いパスを送り、牧へと繋ぐ。沢北が反応し振り向いた時には、すでに藤真が牧とのギブ&ゴーでボールを取り戻していた。疾走するようにセンターサークルへ到達すると、ヘルプに飛び出してきた野辺の気配を敏感に察する。
その瞬間、生まれた一瞬の静寂。目の前でフリーになった花形と視線を交錯させるが、それは囮だった。藤真はわずかな肩の動きでパスを示唆し、野辺の体勢を崩すと、トップから迷いなくディープスリーを放つ。放った直後、彼は振り返り、沢北の位置を確かめるように目を向けた。シュート力に絶対の自信を宿すサウスポーは、わずかに口元を緩める。
背後から沸き上がる神奈川サイドの歓声。流川の得点以来止まっていた神奈川のスコアが再び動いた。秋田17−5神奈川。
◆◆◆
山王の攻撃。深津に牧、松本に三井、沢北に藤真、野辺に仙道、そして河田には花形がマッチアップする。コート中央では、沢北と藤真が真正面からぶつかる1on1が始まっていた。
鋭いパスフェイクからのドライブ、そして素早いプルアップ。沢北が思い描いた展開は、アメリカ帰りの藤真によって寸断される。藤真はフェイクの揺らぎを読み切り、すかさずスティール。沢北がボールを失った事実を把握するより先に、藤真は「よーいドン」と言わんばかりに前方へボールを投げ出していた。
沢北、深津、河田が最高速で追う。しかし先にボールを掴み取ったのは神奈川のエース――藤真だった。秋田ベンチ前を駆け抜け、溜めを作らず跳躍。宙で片手に収めたボールを力強く振り下ろす。紫電が走ったかのようなワンハンドダンク。
着地の瞬間、観客席から雷鳴のような咆哮が巻き起こる。コートの視線と歓声を一身に浴びる男が、静かに沢北へボールを返す。
――「かかって来い」ってことね。
挑戦を糧とする沢北は、口の端をわずかに吊り上げた。冬には日本を発つ。日本での最後の公式戦。この舞台でようやく巡り会えた本気の相手に、心から感謝していた。秋田17−7神奈川。
◇◇◇
続けての秋田の攻撃。再び沢北がボールを持ち、藤真との1on1が始まる。鋭いドライブで藤真を振り切ったかに見えた次の瞬間、藤真が背後からボールに触れた。神奈川のエースが最も得意とする“バックファイヤー”。磨き抜かれた技巧が、沢北から再びボールを奪う。
一転して神奈川の速攻。奪った仙道が秋田のゴールへと向かう。戻っていたのは深津と河田。「この二人なら止められる」と秋田ベンチの堂本は信じていた。しかし仙道は迷わず跳び込んだ。一見無謀なチャレンジ――。
――ダブルクラッチか!?
河田が昨夜のビデオ研究で見た仙道の“癖”を思い出す。深津より半歩遅れて跳ぶことでブロックを合わせるつもりだった。だが、仙道はさらにその先を行く。空中で身体を反転させ、手首を翻す。見えない死角にパス。トップへ走り込んでいた藤真がボールを受け、迷いなく3Pシュートを沈めた。
秋田17−10神奈川。仙道と藤真の連係で、ついに点差は7。
◆◆◆
秋田の攻撃は深津から始まった。沢北へのパスを示しながらのノールック。背中越しに放たれたビハインド・ザ・バックパスは、走り込んでいた松本の胸元へと収まる。高度な技術を当然のように使いこなす秋田が、ようやく追加点を獲得した。秋田19−10神奈川。
続いて神奈川。ゾーンプレスを軽やかに突破した藤真は、トップで巧妙なハンドリングを披露し、野辺を完全に置き去りにする。ブロックへ跳んだ河田を滑るようにかわし、アンダーハンドで高く弧を描くレイアップ。フィニッシュは沢北が得意とするスクープショット。ボールが床で跳ねる軽やかな音と共に、会場に黄色い歓声が湧いた。秋田19−12神奈川。
沢北がコートを高速で駆け上がり、そのまま迷いなく3Pモーションに入る。だが藤真の長いブロックがわずかに球筋を掠め、軌道が乱れた。リング上に跳ね上がったボールを制したのは河田。オフェンスリバウンドから強引に叩き込むようなダンクで点差を再び広げた。秋田21−12神奈川。
秋田はゾーンプレスを解除し、ハーフコートマンツーへ移行。フロントコートへ持ち込んだ藤真は、ピック&ロールで沢北を引き離し、ペイントに切り込む。野辺が立ちはだかるも、藤真は体勢を崩されぬまま空中でダブルクラッチ。倒れ込む形で左手から放たれたボールは、確実にリングへと吸い込まれた。
「ピピーー‼」
審判のホイッスル。バスケットカウント・ワンスローが宣告される。フリースローラインに立った藤真は、深く息を吸い、リバウンド位置に立つ沢北を一瞥した。その視線に、沢北の体内で熱が増す。アドレナリンが一気に巡り、集中が極限まで研ぎ澄まされる。
――アンタを倒して、俺が日本一になる。
藤真は静かに、確実にフリースローを沈めた。直後、神奈川はオールコートマンツーマンプレスを発動。前線からの執拗な追撃に、深津はわずかに判断を遅らせた。
牧がその隙を逃さない。視覚と判断の領域を奪うように距離を詰め、ボールをチップ。ヘルドボールへと持ち込む。
フリースローサークルで向き合う牧と深津。牧が腕を大きく振り、体のバネを最大限に解放して跳ね上がる。身長差も相まってジャンプボールを制し、花形へとボールが託された。
河田・野辺・沢北に囲まれた密集地帯。しかし花形は冷静にジャンプパスを放ち、走り込んだ三井へと繋ぐ。三井はクイックモーション。その3Pが正確にリングを貫いた。
秋田21−18神奈川。ついに、秋田を射程圏に捉えた。秋田サイドの歓声は、静かな焦りとともに沈んでいった。