藤真のバスケ   作:ドラマ・ドラマ

67 / 74
67.藤真とラストショット

インターハイを制した海南を中核とする神奈川は、戦前の下馬評では“総合力で優位”と見られていた。選手層の厚さ、トランジションの精度、そして牧や藤真、花形の海南トリオに加え、三井・流川・仙道という個の破壊力は全国屈指であることは疑いようがなかった。

 

しかし、序盤の立ち上がりは誰も予期しない展開となった。秋田が序盤からハーフコートのディレイディフェンスとリバウンドの強度、さらにエース沢北の覚醒により完全に主導権を握り、一時は15点差をつける。河田・野辺のインサイド支配、沢北の打開力、深津のゲームメイク。隙のない“山王工業”の完成されたバスケットが神奈川を押し潰しかけていた。

 

だが、その流れを変えたのがかつて“埼玉の神童”と呼ばれた藤真の投入だった。試合が進むごとにコートの空気が反転し、神奈川のテンポが蘇る。藤真がハーフコートオフェンスのリズムを整え、牧の負荷を軽減し、仙道と三井のポテンシャルを最大限に引き出した。

 

神奈川は依然として追う立場であったが、前半残り5分を切ったあたりから明確にギアを上げる。ドライブとキックアウトを軸に秋田のローテーションを揺さぶり、花形がコーナーから放った3Pでついに同点に追いつく。

 

秋田もすぐさま反撃。深津と河田のピック&ロール──山王の王道とも言えるオフェンスが確実にスコアへと結びつけ、神奈川を再度突き放す。

 

だが、前半終了間際。牧のポストアップからのハイロー気味のパスを受けた仙道が、タフなヘルプディフェンスの間隙を縫い、身体をひねりながらレイアップをねじ込む。ブザーが鳴り響く瞬間、得点は再び並んだ。

 

流れは神奈川にある―――会場の多くがそう感じた―――……はずだった。

 

後半開始直後、松本のランニングジャンパーがネットを揺らす。秋田36−34神奈川。神奈川は三井と交代で投入された神が即座に3Pを決め逆転に成功するが、牧からシュートファウルを誘った深津がフリースローを2本とも沈め、再びリードを奪い返す。

 

後半は互いに苦しい展開が続くと予想されたが、神奈川は前半の停滞を引きずらず、セカンドユニットを含めて試合のテンポを整えつつあった。だが、その流れを断ち切るように、秋田のエース・沢北が更なる進化を遂げる。後半開始から5分。彼のジャンパー、リムアタック、トランジションでのレイアップが次々と決まり、スコアは43−40。再び秋田の3点リードとなった。

 

ここから秋田は約7分の間、藤真以外の選手にフィールドゴールを一切許さない“圧殺ディフェンス”を展開する。アウトサイドには松本、ミドルには沢北、インサイドには河田と野辺。ゾーンのように見せかけながら実態はマンツーのローテーションで、神奈川のドライブとキックアウトを連続で遮断。その間に秋田は15−5の猛攻を成功させ、58−45と再び二桁のリードを築く。

 

それでも神奈川はここで折れない。流川が左サイドでディフェンスをズラし、わずかなスペースから3Pを沈めて58−48と逆転へと繋げる一筋の光明を辿るかのように流れを切らさない。さらに深津の正確無比なパスのコースを長谷川が見事読み切り、スティールを成功させる。翔陽の“不遇のエース”がロングパスを出し、走り込んでいた三井が3Pを放つ。これは外れたが、三井が自らリバウンドをもぎ取り、もう一度組み立て直す。パスを受けた流川がコンタクトを受けながらもシュートを沈め、バスケットカウントが成立し、神奈川がついに一桁差へ戻す。当然の如くワンスローも決め、秋田58−51神奈川。

 

ここから秋田を支えたのは、シュートが不調であった野辺だった。フィールドゴール成功率は3割台に沈んでいたが、リバウンドで絶対的な存在感を示し始める。神奈川に攻め込まれる苦しい時間帯にもかかわらず6連続リバウンドをもぎ取り、オフェンスでもディフェンスでも、彼のポジショニングが秋田の生命線を保っていた。

 

対する高頭監督は、ベンチに控えていた高砂を送り込み、インサイドのてこ入れを図る。スクリーンアウトの駆け引きでは分が悪いと判断した高砂は、あえてリバウンド争いに正面衝突せず、「飛ばせない」立ち位置を徹底する。相手の重心を後ろへずらし、ボールを取るのはその後──という判断であった。

 

その駆け引きが、試合の流れを変える。フラストレーションを溜めた野辺が高砂に体をぶつけ、オーバーザバックのファウルをコールされる。秋田にとって痛恨のファウルアウト。代わりに河田弟がコートに立つが、リバウンドの支配力と大舞台の経験値という点では明確なダウンであった。

 

さらに、高砂と同じく後半から投入された長谷川がディフェンスで神奈川を支え続ける。パスラインを読み、ヘルプに入り、スティールを奪い、トランジションを止める。その働きはまさに“神の相棒”と呼ばれたピッペンを彷彿とさせる“ワンマンレスキュー”ぶりだった。神奈川は層の厚さを、実戦の中で確実に示してみせた。

 

試合時間残り7分。深津がトップから冷静に3Pを決め、点差を再び離す。秋田66−59神奈川。直後、堂本監督は優勝を決定づけるべくゾーンプレスを敷く。前線からトラップを仕掛け、バックコートバイオレーションまで残り3秒という極限状態で、ボールは藤真へと託された。

 

◇◇◇

 

前年のインターハイ決勝では、勝負どころで本来の実力を解き放てなかった。そして今年――決勝当日、体温は38℃を超え、視界は霞み、足元は鉛のように重かった。強行出場はしたものの、放てたシュートはたったの3本。結局コートに立ち続けることは叶わず無念の途中退場。腰痛や発熱といった事情を知らない観客は、待っていましたとばかりに失望と嘲笑を浴びせた。

 

“期待外れの選手”、“雑誌に持ち上げられて勘違いしただけ”、“留学先が弱かっただけの器用貧乏”、“アメリカへ行ったのは語学留学のため”、“怪我ばかりの二流”――耳障りな言葉は、まるで金属片のように藤真の胸に突き刺さり続けた。大舞台での“消極的なプレー”というレッテルは、どれだけ努力を重ねても彼にまとわりついて離れなかった。

 

だが、この日の藤真は違った。誰よりも静かに、誰よりも燃えていた。

 

すでに藤真の得点は30を超え、ほぼ独力で秋田の堅牢を食い破り続け、なおも前傾姿勢のままギリギリでボールを前に運ぶ。左手でボールを押し出すようにストップし――迷いの欠片もないシュートモーションへ。

 

放たれたボールは軌道の頂点で一瞬だけ静止したように見え、そのまま真っ白なネットを射抜いた。スコアボードに「62」が灯る。わずかな沈黙ののち、会場の熱気が爆ぜた。

 

藤真の“気迫を帯びたディープスリー”。それは流れを引き寄せる類ではなく、場の空気そのものを塗り替える一撃だった。

 

しかし、その昂ぶりの中で神奈川に暗雲が立ち込める。守備時のリバウンド争いの最中――着地で相手の足に乗り、牧がバランスを崩して倒れ込んだ。起き上がろうとするが、足首に激痛が走り、大量の脂汗が全身から放出され、顔が苦悶に歪む。担架がコート上に運び込まれ、試合は一時中断となる。会場のざわめきが、不吉な音へと変わる。

 

大黒柱・牧が無念の負傷退場。さらに悪いことは重なる。秋田のインサイド陣に身体をぶつけ続けていた仙道が、後半に入って明らかに失速。不慣れなポジションながら、スクリーンアウト、ローテーション、ヘルプ――記録に残らない仕事ほど献身的にこなし続けた男が限界を迎え、牧と同じタイミングでベンチへ下がる。

 

後半から戻った流川も、体のキレが最後まで戻らない。鋭さを欠き、リングへ向かう一歩がいつものように伸びていかない。そんな中で、淡々と、だが確実に得点し続けたのは神だった。藤真を除けば唯一の二桁得点。わずかなオフェンスの綻びに差し込むような、細く静かな神奈川にとっての希望の光であった。

 

一方の秋田も、神奈川がもたつく間に突き放す“決定打”を見つけられない。試合は重く、読みづらく、どちらにも傾かないまま深い霧へと沈んでいく。

 

試合の天秤は、わずかな呼吸すら揺らすほど繊細に軋んでいた。どちらにも傾かない均衡――その中心で、勝敗の線はまだ霧の中にある。この先を読み切れる者など、コート上には一人としていなかった。

 

◆◆◆

 

秋田は深津、松本、沢北、河田兄、河田弟――完成度で言えばスターティングメンバーには劣るものの、それでも王座奪還に燃える“最強”の布陣であった。

 

対する神奈川は藤真、神、流川、高砂、花形。戦力は怪我と疲労で満身創痍。それでも五人は、ただ前を向いて立っていた。

 

じりつくような攻防が続き、気付けばスコアは70-70の同点となっていた。残り1分を切った瞬間、会場の空気が張り詰める。残り41.9秒――河田兄がためらいなく放った3Pが、重い音を残してリングに沈んだ。

 

痛恨の一撃が突き刺さり、神奈川ベンチには一瞬で沈鬱な空気が広がる。対照的に、山王サイドは値千金の3ポイントに沸き立ち、歓声がコートを震わせる。土壇場で3点をもぎ取ったことで、天秤は大きく秋田に傾いた。神奈川は一気に劣勢へと追い込まれ、息を呑む展開が続く。

 

会場の温度が一気に跳ね上がる。スタンドのほぼ全てが秋田の勝利を確信し始め、神奈川の脳裏には“敗北”の二文字がよぎる。

 

だが、藤真にとって残された 40秒間 は、別の意味を持っていた。この大会を最後に、再びアメリカ留学――。その噂が事実であるなら、これは彼の高校バスケ最後の40秒だった。そして、人々はその40秒を“神童の支配”として記憶することになる。

 

藤真はまず沢北と真正面から向き合い、左手のリズムで揺さぶり、一拍で抜き去った。ゴール下へ迷いなく切り込み、真正面には河田兄の壁のような高さが立ちはだかる。その伸び上がる指先――そのわずかな頂きを、放たれたフローターはふっと軽やかに越えていった。

 

秋田73-72神奈川。残り時間―――35秒。

 

神奈川はここを止め、さらに点を取らなければならない。深津は当然のように河田兄へボールを預ける。世代最強のセンターが花形を背にポストアップを開始――そのわずかな“持ち直し”の動作を、藤真は逃さなかった。

 

影のように背後から回り込み、ボールを一閃ではたき落とす。

 

ルーズボール――真っ先に地面とボールの隙間へ飛び込んだのは藤真だった。それはまるで敬愛するラリー・バードと同じく、勝利への執念を体現する様な動きであった。

 

藤真がボールを拾い上げると、そのままフロントコートへ駆け上がる。会場の視線が吸い寄せられる。完全に“物語の舞台”は整った。

 

藤真をマークするのは深津。秋田の頭脳であり、守備の要。しかし、サウスポーは迷いなくギアを上げる。

 

一瞬のストップからのキラークロスオーバーで、深津の重心が外へと流れる。その一拍の隙に、藤真は振り向きざまに“右手”でジャンパーを放った。深津は勢い余って倒れ込み、立ち上がって手を伸ばすが、その頃にはボールは既に空中の軌道を走っていた。

 

完璧な放物線を描き、一瞬の静寂が訪れる。そして――ネットがふわりと揺れる。残り―――5.2秒。73-74。神奈川が逆転する。

 

その瞬間こそ、藤真の高校バスケの“完結”であった。だが、秋田にはまだ5秒がある。沢北がセンターサークルから3Pを放つ。しかし、ボールは無情にもリムに弾かれ、河田兄弟がリバウンドに跳ぶが――その瞬間、会場を裂くようなブザーが全ての動きを止めた。

 

神奈川ベンチが一瞬で沸騰した。選手たちは勢いよくコートへ駆け出し、肩を組んで歓喜を分かち合う。長谷川は三井のもとへ歩み寄ると、その場に深々と頭を垂れた。大会前の非礼を静かに詫びる。三井は「気にすんな」と短く返し、長谷川の手を強く握り寄せると、その肩を抱き寄せて耳元で――「チームのために戦い抜いたお前を、俺は誇りに思う」――そう称えた。その言葉に翔陽キャプテンの瞳が揺れ、こらえきれなかった涙が頬を一筋、静かに滑り落ちた。

 

ベンチでは福田と清田が肩を組み、「来年こそレギュラーだ」と笑い合う。最初はいがみ合っていた二人だが、国体を共に“長くベンチで過ごし”たことで、奇妙な友情が芽生えていた。

 

その横で、花形と神がいち早く藤真のもとへ駆け寄った。藤真は腰を押さえ、痛みに顔を歪めながらも、なお立ち続けている。二人は両脇からそっと肩を差し出し、その身体を支えるように抱き寄せた。泣き言ひとつ口にせず勝利をもぎ取った司令塔を、深い敬意を込めて、三人はゆっくりとベンチへ歩み出す。

 

「……助かるよ。痛み止め、切れたみたいで」

 

「しっかり治せよ。向こうにはリハビリも兼ねて行くんだろ?いつ出発だ」

 

「来週にはね。……それと、留学前にどうしても行きたい場所があるんだ。悪いけど、今度付き合ってくれないかな」

 

神と花形が顔を見合わせる。

 

「エースの頼みだ。断れんな」

 

海南へ誘ってくれた中学時代からの親友は、照れ隠しのように笑って答えた。

 

「先輩の頼みですからね」

 

神もまた、センター失格と言われ続けた自分に3Pという道を示してくれた恩人に、静かに頷いた。

 

「あ、そうだ。牧にも伝えてあげないと。優勝したってさ。大黒柱がいなくて大変だったって。……いやぁ楽しみだね、あんだけ人のこと怪我する度にイジってきた男が、何て言うか」

 

藤真の悪戯めいた笑みに、二人は苦笑した。最終的に、藤真は 37得点。決勝点を決めた主将に、高頭監督は人目も憚らず涙を流した。インタビューには代わりに田岡茂一が答え、

 

「去年の決勝、腰痛を抱えながら28点。この先、あれを超えることはないと思っていた。……だが今日、彼はそれを越えた」

 

◇◇◇

 

藤真は全試合トリプルダブルを記録し、MVPと得点王、そしてベスト5――大会の栄誉を全てを手にした。そして、インターハイに続く国体二冠を達成した“神童”と呼ばれたサウスポーは再び海を渡った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。