藤真のバスケ   作:ドラマ・ドラマ

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73.藤真とNCAAトーナメント決勝

NCAA TOURNAMENT FINALS

 

SQ UNIVERSITY CONDORS vs. MIDWEST STATE BRONCOS

 

ニューヨーク。収容3万人を誇るメトロポリタン・ドーム。NCAAトーナメント決勝――大学バスケの“最上階”。そのセンターサークルの光の中に、SQ大学(SQU)コンドルズの司令塔、藤真健司が立っていた。

 

ウォームアップのボールがパネルコートを叩く音は、まるで金属を弾くように乾いている。アリーナ上段までぎっしりと埋まった観客は、90年代特有のロック調ブラスバンドの生音に合わせ、リズムを刻むようにざわめいた。

 

フロア脇では、SQ大チアリーディング部がコンドルズブルーのユニフォームでラインを組む。ポンポンの銀糸が照明を受けて細く光り、決勝仕様の“特別ルーティン”でジャンプ・キックを合わせていた。派手すぎず、しかし強豪校らしい気品と力強さを併せ持つ90年代スタイル。その動きだけで、この舞台の重さを物語っていた。

 

やがて、CBSの実況アナウンサーが藤真の名を高らかに読み上げる。

 

“Kenji Fujima — the floor general from SQ University !”

 

その瞬間、スタンドの一角――留学生の日本人グループが小さな日の丸を掲げた。旗を握る手は震え、頬は期待と誇りで赤く染まっている。

 

――日本人PGが、NCAA決勝の主役になる日が来るなんて。

 

報道席の一画では、相田弥生がサングラスを外し、わずかに息をのんだ。彼女はこれまで数々の日本人プレイヤーを取材してきたが、今この瞬間、胸を打つ感情は格別だった。“埼玉の神童”と呼ばれた藤真が、ついに全米の頂へ手を伸ばしている――その事実が、ペンを持つ彼女の指先にも熱を灯していた。

 

「要チェックね」

 

余すところなく、記事にすることを決意する相田とは対照的に、コートでは藤真が胸の奥の高鳴りを押し込めながら、ルーティン通りに膝を屈伸し、リングの軌道を確認するように静かに見上げる。

 

ここは、大学バスケの頂。ここで自分が“ゲームを作る”。その覚悟だけは、誰よりも揺らぎなく研ぎ澄まされていた。

 

◇◇◇

 

相手はアメリカ中西部――ミッドウェスト州立の名門、ブロンコス。90年代NCAAを象徴する“パワーカンファレンス”の砦として知られ、サイズと強度、そして途切れない運動量で相手を削り倒す、典型的なミッドウェスト型の王道スタイルを貫くチームだった。

 

ティップオフ。ボールが跳ね上がった直後から、ブロンコスは迷いなく自分たちの色を出してきた。ICE――サイドピックをサイドライン方向へ追い込み、その角度そのものを消しにいく守備で、スクリーンに来るセンターには一切つられず、ガードを徹底してコーナーへ閉じ込める。ハーフコートの横幅を“網”のように使い、スペースを奪い、接触の強さで相手の判断を止める。――当時のミッドウェスト勢が誇る、まさに“フィジカルで窒息させる守備”の典型であった。

 

報道席で相田弥生は膝の上のノートに走らせていたペンを一度止め、思わず息を漏らすように小さくつぶやいた。

 

「……最初から徹底した“藤真封じ”ね。スクリーンの有効角度を全部つぶしにきてる。あれじゃ、普通のガードならコーナーで詰まされるわ」

 

しかし――その“普通”に、藤真健司は決して分類されない。

 

―――読んでる……さすがね。

 

藤真は、210センチの味方センターがスクリーンにセットへ入る“直前”のわずかな間を見逃さなかった。足幅を半歩だけ外へ滑らせ、浅いレーンへ一気に潜り込む。

 

Reject――スクリーンそのものを“使わない”読み。ICEが成立する前提である「サイドへ押し込む角度」を、根っこからへし折る逆取りのムーブだった。

 

次の瞬間、藤真の右手から放たれたスナップが音を置き去りにする。鋭い弧を描いたボールは一直線に飛び、ディープコーナーで待つシューターの胸元へ吸い込まれた。“撃て”という意図を完璧に伝えるリズムのパス。キャッチした味方はそのまま気持ち良くシュートを放つ。

 

続くポゼッションでは、センターがショートロールにスイッチする気配を、藤真は一拍――いや、半拍だけ先に感じ取っていた。躊躇なくハイローの縦ラインを形成し、ブロンコスのヘルプローテーションに“考える時間”を与えない。守備が遅れ、わずかにズレる。その一瞬を、藤真は逃さない。

 

流れは、確かに動き始めていた。――藤真健司の読みと、指先から生まれる“設計”によって。

 

◆◆◆

 

味方が一斉にレーンを駆け上がる。その瞬間、相手DFの視線と肩の向きが、ごくわずかに外へ引っ張られる。ただそれだけで、ハーフコートの内部は“風が通る”ように開いていく。

 

センタースタンドでは、チアリーディング部のリズムの揃った声が重なる。90年代らしく洗練より熱量を優先した、ストレートなコール。ポンポンの乾いた音が、コートの床を叩くスニーカーのリズムと混ざり合う。

 

「レッツ・ゴー、コンドルズ! レッツ・ゴー!」

 

単純な反復が、逆にこの大舞台の高揚感を増幅させていく。

 

「……最早、藤真くんって、“正統派PG”というより――」

 

相田弥生は、メモの上にペン先を置いたまま、ぽつりとつぶやいた。

 

「“ラリー・バード”が大学生に混じってプレーしているようね。“相手より先に知っている”―――そんな感じ」

 

藤真はバックコートからボールを運びながら、歩幅を一つひとつ調整する。スピードではなく“間”。どこで味方が走るか、どこで相手が反応するか――その予兆を読むように、視線を静かに滑らせる。

 

ウイングのフェイクの角度。センターの踏み出しの重さ。相手ヘルプの足音の間隔。 細かな“揺らぎ”を拾いながら、それらが自然にひとつの“絵”として彼の中で組み上がっていく。

 

大歓声の渦中にあっても、呼吸は一定。それは、プレーの前にすでに次の展開を見ている者特有の静けさだった。

 

アメリカで磨いた、“急がずに支配する”感覚。速攻でもハーフコートでも、藤真自身がスピードの中心点となって流れ全体を操る――“レジェンド”と呼ばれた選手が得意とした、あの独特のテンポの支配。

 

3万人のアリーナの空気が、わずかに藤真のリズムへ引き寄せられていく。コンドルズ(SQ大)の攻撃は、彼の指先と読みが示す方向へ、静かに、しかし確実に形を変え始めていた。

 

◇◇◇

 

ブロンコスの守備は、まさに90年代NCAAの象徴だった。スクリーンの段階で潰しにくる強烈なヘッジをかけ、スイッチ後には、迷いなく2人目が挟み込むTrap(罠)で潰す。ポストがダイブすれば、弱サイドから影のようにもう1枚が滑り込み、逃げ場を奪う。

 

“走らせず、読ませず、殴り合いに持ち込む”。それが名門ミッドウェスト型の鉄則だった。

 

スタンドの上段では、ブロンコスのチアリーディング部が声を張り続けていた。90年代らしい、装飾よりも迫力を優先した腹に響くコール。ポンポンの乾いた連打が、重たい守備戦の中で唯一テンポを生む。

 

「ディー・フェンス!ディー・フェンス!」

 

単純な反復なのに、なぜか胸を揺さぶる熱量がある。報道席では相田弥生が、眉をひそめつつメモを走らせる。

 

「……このブロンコスの“Switch+Trap”、本当にいやらしいわ。ハンドラーを止めるんじゃなくて、“読ませる間”そのものを奪いに来てる。藤真くんみたいにテンポで試合を組み立てるタイプには、一番きつい守りね」

 

スコアは前半終了時点で32–34、コンドルズの2点ビハインド。ロッカールームに戻ると、スキンヘッドのコーチはホワイトボードを叩くこともなく、静かに言った。

 

「ケンジ。お前の読みで、この試合は動く。プレッシャーを恐れるな。――今、この国のバスケットボールがお前に注目している」

 

藤真は短く息を吐いた。胸の奥に、熱いものがゆっくりとこみ上げる。

 

―――……この“高揚”、久しぶりだ。大丈夫。叔父さんに良い報告が出来る様に。俺は俺のやるべきことをやる。

 

◇◇◇

 

後半が幕を開けた。

 

ブロンコスは、守備の軸をICEからFull-Flat Hedgeへと大胆に切り替えてきた。サイドへ誘導するのではなく、横一線に広がったビッグマンが一斉に押し出すように、ピック&ロールそのものを根こそぎ無効化する――90年代のパワーカンファレンスが好んだ、“線を力で消す”スタイルである。

 

――完全に、藤真くんのPnR(ピック&ロール)を潰しに来てる。

 

報道席で相田弥生は、震える指先でペンを握りしめた。徹底して無駄を排した合理主義のバスケット。ミッドウェストを象徴する、勝つためだけに研ぎ澄まされた守備の形。そして、その“アメリカの本気”を引き出したのが――一人の日本人PGだという事実。

 

しかし藤真は、その重圧を全身で浴びながらも、微動だにしない。静かで、落ち着き払った目をしていた。まるでこの場面を、ずっと待っていたかのように。

 

ヘッジの内側――わずか40センチの隙間。普通のガードなら“存在しない”と切り捨てるスペースへ、藤真は迷いなくボールを刺し込んだ。見えているのか、それとも予感しているのか。その“読みの質”は、まるで“飛べない白人”と呼ばれた名選手が全盛期に見せたパスラインを支配したあの感覚を彷彿とさせた。

 

次のポゼッション。ショートクロスで相手センターの重心をわずかに釣り上げる。揺れた瞬間――藤真の身体はまだ正面を向いたまま、逆サイドのウイングへノールックスキップパスを弾くように投げた。視線は全く別の方向。だが、ボールだけが正確に“未来の位置”へ滑っていく。――ボストン・セルティックスの“英雄”が得意とした、相手が動く“前”の動きを読むあの感覚。

 

さらに、相手のリカバリーのリズムを壊すため、“ハーフテンポだけ遅い”ドリブルを混ぜ込む。ほんの一拍の溜め。だがその遅れが、ブロンコスのスイッチの足をことごとく絡ませ、ラインを崩した。

 

巨大アリーナの空気が、低く波を打ちはじめる。ざわめきが渦を巻き、熱が立ちのぼる。

 

「日本人PGが決勝で試合を支配している!」

 

報道席の相田弥生は、ペンを止めたまま胸の高鳴りを押さえきれず、小さくつぶやいた。

 

「……Full-Flatでも止まらないわね。藤真くんは“角度”じゃなくて“流れ”で読むPG。ヘッジが広がれば広がるほど、逆サイドのテンポを操る余白が生まれる。それに……あの“遅い一拍”。 相手の足を全部後手に回してしまうんだから……ほんと、“伝説の再来”という言葉も大仰な表現じゃない―――そう思わせる子ね」

 

残り8分、58–55。コンドルズがついに逆転する。東洋から来たサウスポーの活躍によって試合の流れをひっくり返した瞬間であった。

 

◆◆◆

 

スコアは69–69の同点。巨大アリーナ全体の“空気の密度”が、急に 1.5倍になったような圧が降りてくる。ざわめきは止まり、誰もが次の一手を見逃すまいと息を呑んでいる。

 

コンドルズ(SQ大)ボール。タイムアウトを取ってもおかしくない場面だが、ベンチのスキンヘッドのコーチは腕を組んだまま、ただ静かに頷いた。――すべてを日本人の司令塔に託すという意思表示だった。

 

藤真はトップでボールを受け、やや左へスライドする。対面に立つのは、当時の大学界でも指折りのディフェンダー、“鉄壁”のハワード。彼が一歩踏み出すだけで、観客席から重低音のどよめきが広がる。

 

同時に、コートサイドのチアリーディング部が動きを揃え、「Let’s go S-Q!(エス・キュー!)」とテンポを刻む。太いメガホンとシンプルな振り付け。だがその声が、不思議と選手の背中を押す。

 

―――読んでるな……なら、その“読み”ごと抜く。

 

藤真はリズムを一拍止め、スナッチバック。ハワードがわずかに前に出る――狙い通りの“食いつき”。

 

次の瞬間、藤真は ゼロステップで右へ“滑るように”入り直す。コンタクトを避ける角度。ハワードの横に薄い“通り道”が開いた。

 

ヘルプが半歩遅れる。藤真が跳んだ。

 

―――クソっ!間に合うか……!

 

ハワードが長い腕を思い切り伸ばす。だが藤真の放つボールは、その指先の影すら触れられない――高く、柔らかく、“クラシックな高弧”のバンクショット。バックボードの高い角度を使い、音もなく吸い込まれた。

 

71–69。アリーナが爆発する。チアも歓声に飲まれながら全力でポンポンを振り、アップテンポの「S! Q! U!」コールがリズムを取り戻す。

 

報道席では、相田弥生が震える手でメモを取りながら、抑えきれずに小さく漏らす。

 

「……なんて子なの。角度だけで勝負じゃない。“間”と“重心”をずらすから、全米屈指のディフェンダーでも詰めきれない……。そして、あの場面で高軌道のバンクを打つ度胸。本当に――恐ろしいわ、藤真くん」

 

アリーナの熱が、さらに一段階上がった。

 

◆◆◆

 

ブロンコス、最後の攻撃。当然、ボールはエース――全米屈指のスコアラー、“オフェンス・マシーン”のデリック・マクレーンの手に渡る。

 

巨大アリーナの観客席が一斉に立ち上がる。ブーイングと歓声が、まるで交差する波のように天井へ跳ね返り、床板からは重たい“うなり”が伝わってくる。SQ大チアリーディング部の応援はサイドラインでポンポンを揺らし、90年代特有の低く太いビートで「Defense! Let’s go Condors!」とコートを包み込んだ。

 

その中心で、藤真が静かにマクレーンの前へ歩み出る。まるで、歩幅そのものが計算されているような間合い。往年の名選手がディフェンスで見せる“速さではなく、場所を先に取る”あの感覚が重なる。

 

日本で培った対人の読み。アメリカで研ぎ澄ませた角度の支配。その二つをまとめ上げ、“33”の背番号を付ける日本人選手が気迫のこもった守備を見せる。

 

マクレーンがミドルで急ストップ。肩を揺らし、ステップバック――十八番のリズムだ。

 

―――いいよ……そのまま。……よしっ!

 

藤真はたった半歩、左へ寄せた。スピードでもパワーでもなく、“空いている場所”を先に奪う形。その半歩が、マクレーンのステップバックの軌道をわずかに 斜めへ逸らす罠になる。ステップバックの角度が乱れた瞬間、シュートの精度は露骨に落ちることをスカウティングレポートで藤真は“知っていた”。

 

放たれたボールは――リング前縁へ“カンッ”と当たり、高く跳ね上がった。報道席で相田弥生が、息をのむように呟く。

 

「……やっぱり藤真くん、“33番”の系譜よね……。足じゃなくて“場所”で守る。たった半歩で、マクレーンのラインを消しちゃうんだから……。あの老獪さ、大学生で出せる子なんていないわよ……ほんと、恐ろしい子」

 

ブザーが鳴り響き、跳ねたボールは、誰の手にも戻らない。次の瞬間、アリーナ全体が地鳴りのような歓声で揺れた。SQ大学コンドルズ、NCAA王者となった瞬間であった。

 

◆◆◆

 

歓声が渦を巻き、SQ大チアが勝利のルーティンを大きく展開する。硬いビートに合わせてポンポンが弾み、天井からは紙吹雪がシャワーのように降った。

 

その中心で、藤真はゆっくりと呼吸を整えながら握手の列に加わった。先に立っていたのは――敗れた相手チームのエース、デリック・マクレーン。

 

汗に濡れた顔で、それでも誇りを失わないまま、マクレーンは藤真の手を強くつかむ。

 

「……やられたぜ。あの最後の半歩、完全に読まれてた」

 

藤真は少しだけ照れくさそうに肩をすくめる。

 

「偶々だよ。けど……“場所を先に取る”感覚はさっきので掴んだ気がする」

 

マクレーンは悔しさと敬意が混じった笑みを浮かべた。

 

「日本のPGがここまで支配するなんて、誰が予想したよ……。次に会うときは、絶対に抜かせねぇ。俺はNBAに行く。お前も来いよ」

 

藤真は目を細め、静かにうなずいた。

 

「もちろん。“向こう”でも負けないよ」

 

マクレーンは拳で藤真の胸を軽く叩き、笑って去っていった。

 

――そこへ、コンドルズの仲間が雪崩れ込む。

 

「やったぞケンジーーっ!!」

 

「マジでお前、最後のアレどうやって読んだんだよ!?」

 

「おい写真撮れ!お前が真ん中だ!」

 

チームメイトたちが藤真を抱え上げ、紙吹雪の中で何度も揺らす。誰もが叫び、泣き、笑い、肩を叩き合う。それはアメリカの体育会系らしい、遠慮のない祝福であった。

 

そして――静かに近づいてきたのは、スキンヘッドのコーチ。彼は藤真の肩に手を置き、喧騒とは無縁の、いつもの落ち着いた声で言った。

 

「……よくやったな、ケンジ。最後の守り、読んでたんだろ?」

 

藤真は笑って首を振る。

 

「“読み”っていうより……予感というか。―――流れがそう言ってました」

 

コーチは珍しく目尻を緩めた。

 

「そうか。なら次は――もっと大きな流れを読む番だ。お前は俺が見てきた中で、最もストイックで、最もクレバーで、最もスマートな選手だったよ。ケンジ、お前ならやれるさ」

 

仲間の歓声、チアの重いビート、紙吹雪の匂い、そしてアリーナを揺らす熱量。その中心で藤真はゆっくりと目を閉じる。

 

――藤真健司。読みと支配力を武器に、遂にNCAAの頂点へ到達した“日本の神童”。

 

次なる舞台は、ただ一つ―――NBA。

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