「藤真くん、この間の試合スゴかったね」
下駄箱から上履きを取り出し、履き替えようとしたタイミングだった。顔を上げると、クラスメイトの女子とその取り巻きが遠巻きにこちらを見ている。
藤真は瞬時に表情を切り替え、爽やかで好感度の高い美少年を演じるモードに入った。
「ありがとう!観に来てくれてたんだ、うれしいな」
自然な笑顔を向け、喜びを演出する。これも将来のためだ――心の中で自分に言い聞かせる。
「そうなの!友達と一緒に行ったんだ。ねぇ、今度いつ試合なの?」
「ごめん、まだ分かんないや。けど……決まったら、すぐ伝えるね」
「そうなんだ。じゃあ、決まったら教えてね。絶対観に行くから♪」
「またね」
キャーキャーと女子グループは騒ぎながら去っていった。藤真と話せた喜びをスキップで表現する女子と、友人の勇気ある行動を讃えつつ彼のかっこよさを宣伝する取り巻きたち。その姿が見えなくなると、藤真は大きなため息をついた。
月曜の朝からどっと疲労が押し寄せる。異性との会話が気恥ずかしい自分の心は解放され、ファンへの対応に切り替えたものの、慣れない言動と本心の乖離が、疲労として心身に現れた。
休みの日にわざわざ試合を観に来てくれるのは嬉しい。多くの人々を魅了し、ファンを熱狂させることで日本のバスケット界を盛り上げることにもつながる。だが、心の奥底では体育館で母親に見られたくないという気持ちもあった。ファンは増やしたい、バスケットの魅力も伝えたい――でも母親には出会いたくない。複雑な思いだった。
藤真は知らなかった。話しかけてきた女の子が母親と一緒に応援していたことも、練習試合後に母が非公認のファンクラブを開設していたことも。そして先ほどの女子が「会員№0000205」で、取り巻きの女子たちも全員会員だったことも。
藤真の気持ちとは裏腹に、彼に魅了された少女たちは小学校の枠を超えて交流を深めていった。ファンクラブは会員数を着実に伸ばし、コミュニティは広がる。熱量の高いファンに応えるグッズ供給者(名誉会長)との結びつきも強固になっていった。
「……はい、ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。それでは、土曜日にお待ちしております。失礼いたします」
コーチが体験希望者の名前と訪問時間を手帳に書き込むと、次の電話が鳴った。
「お電話ありがとうございます。〇〇クラブでございます……今月は既にスケジュール的に厳しい状況で……来月となりますと……」
電話対応をしながら、コーチは思った。
―――藤真君のおかげだな。
キャプテン就任以降、チームは注目度を増した。先週の練習試合以降、ミニバス関係者から練習試合や見学の申し込みが途切れず、手帳は3か月先まで埋まっていた。
―――以前は相手にもされなかったチームが、向こうからお願いしてくるなんて。
関係者の態度の変化を感じつつ、コーチは達観して受け入れていた。人の気持ちは移ろいやすい――言い争っても仕方ないと割り切る。
―――ただ、入部希望者はほとんど女子なんですよね。
女子メンバーの急増はもちろん藤真の存在によるものだった。天才バスケ美少年の噂は県全域に広まり、保護者からの問い合わせが殺到。今では女子のミニバスメンバーは男子の3倍以上となっていた。
◆◆◆
「足は肩幅より少し広く置いてみて」
藤真は体験入部の女の子たちに基礎的なドリブルを説明した。
「スクワットをするような姿勢で、少し膝を曲げる。そうそう、その形」
自らも同じ姿勢を取る。
「まずは利き手から。僕は左利きだから左からやるね。腰からお腹くらいの高さで、ボールを1回だけ突く。ボールが手に戻ってくる強さでね」
藤真がドリブルを突く。返ってきたボールは手に吸い付くようにコントロールされる。女の子たちも真似して挑戦する。
「そうそう、うまいね。次は3回連続でやってみよう。押し出して、引く。それを意識して」
できない子には傍に寄り添い、「大丈夫、大丈夫。リズムが大事だよ。1・2・3!1・2・3!」と励ます。
「次は前を向いて5回連続に挑戦。大丈夫、みんなできるよ!」
成功した子には「すごいね!」「できたじゃん!」と褒め、ハイタッチを交わす。藤真は、ハイタッチや握手などの触覚によるコミュニケーションが、チームの協力性や安心感を高めることを知っていた。初めての練習で緊張している子たちも、自然とリラックスできる。
―――まずはバスケを楽しいものだと思ってもらうこと。目標を達成したら褒める。スキンシップも取り入れる。両方を同時にやる――それがキャプテンのつらいところだ。
『やってみせ、言って聞かせ、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
山本五十六の言葉を藤真は忠実に実行していた。しかし、予想外の事態が待っていた。体験入部者が爆発的に増え、かつての同期たちが今度は恋敵として立ちはだかる。
女子たちは対立と融和を繰り返しながら、緊張状態の中で共存していた。チーム内の“内戦(シビル・ウォー)”の危機は、日に日に高まっていた。