「あらあら? 暫く見ない内に面白い姿になったのね、"憂鬱"……いえ、"怠惰"と呼ぶべきかしら? 随分と変わったわね、色々と」
「まあ、僕は君達とは違うからね。"虚飾"も変わっちゃったけれど、あの子と同じで封印されていた君達は知らないのかな? 説明は面倒臭いからしないけれどさ」
「自分だけ特別とでも言いたいのかしら? 特に何もしていなかっただけの癖に生意気よ? ……それにしても変わり過ぎじゃないかしら? 最後に会った時は着ぐるみだったじゃない」
「時代はキュートでコンパクトなのさ! それよりも“暴食”はどうなるかな? お昼寝するから結果だけ教えてよ」
「……相変わらず自由ね、アナタ。……さてと、坊やはどうなるのかしらね。子宮が疼く物を魅せてくれたら良いのだけれど」
巨大というのはそれだけで驚異となる。人は虫を踏み潰そうと思いながら歩かなくとも地を這う蟻にとっては災害に近しい存在となる様に、例え腐敗が始まった状態の骸であってもアースドラゴンが地面を這いずるだけで人は簡単に牽き潰される。
尾の薙ぎ払いは軌道上の木をへし折り、足の振り下ろしは地面を陥没させ周囲に石礫を周囲に飛び散らせた。何よりもこのアースドラゴンは死骸であり、それを操るアルルーナは植物だ。痛みによる怯みも危機を覚えての撤退も有り得ない。
それ所か体への負担を考えず、只本能のままに暴れまわるのみ。間接の限界すら無視した振り上げによってギシギシと軋み、そのまま振り下ろされれば大量の土砂が周囲に巻き散らかされ、アースドラゴンの爪先は衝撃に耐えきれず曲がっていた。
「危ねっ!? 今の下手すりゃ掠ってたぞ」
アルルーナが寄生型の菌類を元にしていた事,その真下にアースドラゴンの骸が有った事、片方だけで撤退を決めるに値する事態が重なった事でジェイルが殿を引き受けてから約三十分、未だに戦いは続いていた。
飛び散る石塊をブルーローズで打ち払い、数歩のステップで足の振り下ろしや尻尾の薙ぎ払い、そして鞭の様に迫る荊を避けつつ隙を見てアースドラゴンを操作する荊と菌糸を切り裂き、関節部等の薄い部分を貫いて行く。
元々巨体を無理やり動かしている為に動きは鈍重、動くだけで風圧が発生するも想定して動けば直撃はしない。
切れた額は袖を破いて巻く事で出血を抑え込み、多少乱れてはいるが息は上がっていない。
だが、それだけだ。痛みも感じず血も流さない遥かに巨大な相手に付けられる傷は僅かな物。
本体部分を攻撃するにもアースドラゴンを駆け上がる必要がある物の容易な話では無いだろう。
アルルーナが周囲の空気を吸い込んで膨れ上がり、中央部の空洞を向ければ急激に萎むと同時に拳大の種子が撃ち出される。それを避けた所で振るわれる爪が迫った。
紙一重で避けた筈のそれは石塊が掠ってボロボロになった服の端を僅かに掠め、体勢を崩した所を目掛けて荊が伸びて来た。
ブルーローズでそれを切り落とし、振り抜いた爪が戻る前に脚を操る荊を切り裂くも直ぐに伸びて絡み合う。
この戦いはこれの繰り返しだ。負担を厭わぬ動きをする巨体に喰らい付く為に至近距離で攻撃を避けつつ削るしか無く、アルルーナが動けない程に消耗するまで耐え忍ぶしか無い千日手。
一撃でもまともに受ければ終わるプレッシャーの中、ジェイルの体力と精神は確実に削られて行く。
盤面を一手でひっくり返す手段は存在している。魔法だ。それも乱した魔力の雫を使い辛うじて発動するのではなく、余りの量に自らも傷付ける程の大規模な物を叩き込めば勝てる。その後,どうなるかは別としてだが。
「ウインド……ちっ!」
だが、平時でさえ制御不能な魔力を今の状態で扱おうというのは無謀な話だ。詠唱途中で漏れ出した構築途中の風の刃が有らぬ方向へと飛び、余波でジェイルの頬を軽く切り裂く。
「少し格好付け過ぎたか? これでくたばったら二人が気にするし、後で会うって約束したから勝たなきゃ行けないんだが……。もっと制御の訓練をしておけば,んな弱音吐いたの知られたら姉様に九割殺しにされるな」
自他に多大な被害を及ぼすという余りに大きな欠点を持つ己の魔法に対し、ジェイルも全く制御訓練をして来なかった訳では無い。
だが、平均的な魔力量の者でさえ行う訓練の頻度を被害の問題で行えない。他者に被害が出ない状況で自傷した己の救護要員を雇う必要がある以上は彼は剣や魔法薬の調合等の別分野で一族としての役割を果たそうとして来た。
故に今こうやって追い詰められている。他の努力に費やした時間を魔力制御に注いでいれば平時の使用には焼け石に水であっても今の負傷した状態での発動も自傷の規模が大きくなる程度で発動は可能だった。
今までの努力に悔いは無いものの、それを自覚するが故にジェイルの顔に僅かに自嘲する笑みが浮かんでいる。
言うだけ無駄な事だと分かっていても口に出さずにはいられない。今こうして凌げているのも長年の努力の賜物だと理解していてもだ。
「これで帰れないのは情けないよな。俺が残るのが色々な意味で最善だったとしても」
己の努力も今の所の成果も否定しないジェイルではあるが、三人の中で一番価値が低いという判断も下している。
辺境伯の末娘(そろそろ次が生まれるらしいが)ではあるものの幼い頃から熱意と才能を見せ独立を可能としたルシア。
此方も上に何人も兄弟が居て気弱な性格から騎士には向かないとされていたが、仮面を用いる魔法でそれを克服して騎士の名門一族に相応しい実力を身に付けつつあるメルーナ。
対して自分は上二人が姉は最強で兄は万能。成すべき役割の為に最低限の実力は身に付けようとはしているものの、三人の中で各一族での重要性等の価値を考えれば誰を切り捨てるべきかの答えは簡単だ。
「おっと、向こうも形振り構っていられなくなったか」
此処迄の消耗が理由なのかアースドラゴンを操る動きは鈍重さを増し、荊を動かす頻度も下がって来ている。追い詰めたと油断はしない。寧ろ追い詰められた状態を危惧したからこその殿だった。
無茶な動きで酷使され損壊していた肉体を更に酷使し、朽ち始めていた骸の骨が砕ける肉から割れた骨が突き出す程の爆走。
この状態で山を破壊する事で起きる事態を考えれば逃げる訳にも行かず、何方にせよ逃げられない。
取るべき選択肢は一つ。徹底的に消耗させ,そして生き残る。
「やるしかねぇか」
あまりにも低い勝率に冷や汗が流れるも強がりで笑みを浮かべる。
その時、声が響いた。
『ケケケケケ! 漸く繋がったぜ! オレが力を貸してやりゃあんな雑草とトカゲなんざ楽勝だぜ、相棒!』
「は? この声,夢の中の……痛っ!?」
それが誰の声なのか思い当たった時、突如右手に走った鈍痛と共に異常に気が付く。
指輪の様に中指の根本辺りを一周し、手の甲から肘に掛けて浮き出した赤い虎縞模様の痣。
何が起きたのかと一瞬意識を奪われた時、既に回避不能な距離までアースドラゴンの巨体は迫っていた。
『死にたくなきゃ魔法を使いな,相棒。オレがバッチリとサポートしてやる。何せ一蓮托生一心同体なんだからよ!』
「お前を信じる訳じゃねえが、やるしかないならやってやるよ!」
謎の声の主など信用に値しない。だがこの同時にジェイルには謎の確信があった。
今の自分ならば魔力を制御可能なのだと。
「ウインドエッジ!!」
宙に現れた魔法陣から放たれたのは無数の風の刃によって構成された巨大な渦。
それは正面から向かって来るアースドラゴンをアルルーナと共に飲み込み、全身を紙の様に細切れにしながら突き進み、前方の木々と山の一角を削り取って漸く消え去った。
『ケケケケケ! 凄ぇ魔力じゃねえか! オレが手伝ってやらなきゃ周囲の物全てを引き寄せ飲み込んでたぜ、相棒!』
「……だろうな。誰か知らねえが助かった」
『ありゃ? オレのお陰だって信じるのかよ?』
信用された事が予想外だったらしい彼女は不思議そうにしている。疑われ信用されずにいて当然だと,そう考えていたかの様に。
「土壇場で一度も上手く行かなかった事が上手く行っただなんて自惚れたた勘違いはしねえよ。感謝する。……あー、もう限界だわ」
アルルーナを倒した事で緊張の糸が一気に切れ、疲労が一斉に押し寄せたのかジェイルはその場に大の字に寝転がる。
「じゃあ,一旦休ませてもらうとして、名前を聞いてなかったな。俺はジェイル・レムリスだ。お前は?」
『ヒュー! 素直な感謝は好印象だぜ、相棒。俺の名は……おい、待て。今,レムリスって……もう時間かよ。次に会った時にちゃんと話を……』
何処か機嫌良さそうにしていた声は名前を確かめた所でトーンが代わり,そして小さくなって消える。腕に発生した痣も同様に消えてなくなり、ジェイルの意識も薄れる中、遠目に此方に向かって飛んで来る二人の姿を捉えたジェイルは虚勢ではない本当の笑みを浮かべていた。